考え方
殯葬改革(中華人民共和国の葬送の改革)
- 殡葬改革
- 葬儀改革
中華人民共和国が進めた、火葬の推進・土葬の改革・葬送の習わしの改めを柱とする政策。研究所が参照した2015年の報道は、1956年に毛沢東ら幹部が署名して火葬を倡導したことをその始まりとし、1965年の内務部の意見、1985年の暫行規定、1997年の条例を挙げる。条例は2025年に改訂され2026年から施行された(中国政府網の条例の頁)。
資料の記述
同じ文は、社会の改造の中で殯葬管理所が一部の私営の殯儀館・火葬場・丙舎を公私合営にし、1956年には近安・虹橋・通海などの丙舎が安楽殯儀館に併され、同仁輔元堂と普善山荘が上海市殯葬服務站にまとめられたと述べる。
この記述の範囲: 上海、1950年代
- 上海殡仪馆的历史演变及文化意蕴 「三、(三)」の第3段(「其次,调整殡仪馆机构设置」の段)
阮清华の書評(2022)は、『镰刀与城市』によれば1949年以後の上海市政府は、まず会館・公所・寄柩所などに迫って火葬に同意させ、土葬を制限する宣伝と高い墓地代で火葬へ導いたが、自前で設備に投資できず私営の火葬場3か所に頼り、火葬の割合は1953年以後に一時5割前後に達し、大躍進ののち下がった、と紹介する。
この記述の範囲: 上海、1949年〜1950年代(書評による紹介)
- 阮清华评《镰刀与城市》︱魂断上海滩——近代上海的死亡与殡葬 書評の本文、火葬の推進の段(「1949年上海市人民政府建立后」で始まる段)
阮清华の書評(2022)は、『镰刀与城市』が、文化大革命のとき紅衛兵が墓地への打ち壊しを「破四旧」の一部としたことが土葬への壊滅的な打撃になって火葬が遺体の扱いの唯一の方法になり、上海の火葬率が全国一になったのは人々が火葬を最良の方式と信じたからではなく国の政策が他の道を消したからだ、と論じていると引く。
この記述の範囲: 上海、文化大革命期(書評が引く阮清华の書評(2022)272-273頁)
- 阮清华评《镰刀与城市》︱魂断上海滩——近代上海的死亡与殡葬 書評の本文、火葬の推進の段の後半(同書272-273頁の引用)
2015年の澎湃新聞の記事は、1956年4月27日の中央工作会議で、毛沢東ら151人の党と国家の高級幹部が、遺骨(骨灰)だけを残し遺体を残さず墓も建てない火葬を署名して倡導し、これで殯葬改革の幕が開いたと書く。
この記述の範囲: 中国本土、1956年
- 图忆| 殡葬改革的那些年:如何与这个世界最后作别 本文第3段(「到了解放初期」で始まる段)
- 現代中国における葬儀改革に関する研究-追悼会、火葬、公墓の民族誌的考察(博士論文の要約) 要約 紙面18頁(PDF 16頁)、第2章の概要の段
田村和彦の博士論文の要約(2021)は、1956年の毛沢東らの火葬の同意書に見られるように、火葬をすることは遺体の処理の方法を変えるだけでなく、死後の世界を拒む思想の立場を示すことを意味したとし、その結果、葬儀改革の達成が火葬率で測られるようになったと述べる。
この記述の範囲: 中華人民共和国の葬儀改革(研究者の解釈)
- 現代中国における葬儀改革に関する研究-追悼会、火葬、公墓の民族誌的考察(博士論文の要約) 要約 紙面18頁(PDF 16頁)、第2章の概要の段
同じ要約は、死の儀礼の変革は1949年以後により実際的な手段で積極的に進められ、文化大革命期を頂点に強弱を繰り返して今日に至るとし、従来の葬礼を「追悼会」に替え、死後の世界などの観念を「迷信」として退けることが目指されたと述べる。
この記述の範囲: 中華人民共和国の葬儀改革(研究者の整理)
- 現代中国における葬儀改革に関する研究-追悼会、火葬、公墓の民族誌的考察(博士論文の要約) 要約 紙面17頁(PDF 15頁)、第1章の概要の段
2015年の澎湃新聞の記事は、1965年7月に内務部が《关于殡葬改革工作的意见》を出し、火葬の大いなる推進・土葬の改革・古い葬送の習わしの改革・殯葬事業の一元管理の4部からなるこの文書が、まず大・中都市から全国で殯葬改革と火葬を進める始まりになったと書く。
この記述の範囲: 中国本土、1965年
- 图忆| 殡葬改革的那些年:如何与这个世界最后作别 本文第4段(「1965年7月」で始まる段)
澎湃新聞の 2015 年の記事は、1985年2月の国務院《关于殡葬管理的暂行规定》を全国で初めての殯葬の行政法規とし、これで改革が倡導の段階からひとまず法制の段階へ入ったとする。規定により火葬を推し進める地域とそうでない地域が分けられ、火葬場が遠く遺体の運送が難しい所は土葬改革区にできた、と書く。
この記述の範囲: 中国本土、1985年
- 图忆| 殡葬改革的那些年:如何与这个世界最后作别 本文第5段(「1985年2月」で始まる段)
田村和彦の要約は、陝西の内陸の地方都市の公墓2か所の悉皆調査から、公墓が、近い過去に移り住んで農村の土葬の墓を使えない人々の避難先の埋葬地として働き、若くして死んだ者の埋葬も目立つと述べる。
この記述の範囲: 陝西省の地方都市(C 市)の公墓2か所(2000年9月〜2002年5月の調査、2005年8月に補足)
- 現代中国における葬儀改革に関する研究-追悼会、火葬、公墓の民族誌的考察(博士論文の要約) 要約 紙面19頁(PDF 17頁)、第3章の概要の段。調査地が陝西省の C 市であることは紙面13頁