未解決の問い
文献や作品を調べる中で残った疑問をまとめています。各項目に、どこまで分かり、何がまだ確かめられていないかを書いています。
原典を読んだり、作品を観たりして確かめる問い
『殭屍先生』で、キョンシーになるきっかけ(改葬と遺体の状態)はどう描かれるか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
冒頭の改葬の場面で、何年後に掘り起こし、遺体がどういう状態で、なぜキョンシーになるとされるのか。版(広東語原語版・日本語吹替版)と時刻を記録する。
『殭屍先生』で、キョンシーへの対処(札、糯米、息を止める)は作中でどう説明・実演されるか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
それぞれ誰が、どの場面で、どう説明し、実際に効くように描かれるか。のちの作品で定番になった対処が、この作品でどこまで揃っているかを確かめる。
『殭屍先生』で、キョンシーは跳ねて移動し、両腕を前に伸ばしているか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
跳ねる・両腕を伸ばす・清朝の官服という典型的な姿は、この作品のどの場面に、どの程度見られるのだろうか。
『殭屍先生』の女幽霊の物語は、本筋とどう関わるか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
弟子の一人と女幽霊の筋が、どの場面で始まり、キョンシーの筋とどう関わって終わるか。
『殭屍先生』に、少女のテンテンに当たる人物は登場するか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
『殭屍小子』(幽幻道士)の人物と混同されやすい点を、作品の側で確かめる。登場しないなら、それ自体を場面記録で示す。
『殭屍先生』の広東語原語版と日本語吹替版で、道士の台詞の言葉遊びはどう違うか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
原語でしか成り立たない言葉遊びが、吹替・字幕でどう置き換えられているか。版ごとに同じ場面の吹替と字幕を見比べて確かめたい。
『殭屍先生』の結末(最後の対決とその後)はどう描かれ、どのくらいの長さか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
最後の対決で何を使ってキョンシーを倒すか(火など)、決着の後にどのくらい場面が続いて終わるか。
『殭屍小子』の冒頭で、少年たちとキョンシーはどう出会うか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
少年たちがキョンシーの札に何をし、何が起こるか。発端の場面を、どの版で見たかを添えて確かめたい。
『殭屍小子』で、テンテンはキョンシーとどう関わる人物として描かれるか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
最初の登場場面で、テンテンはキョンシー(とその子)に何をするのか。祖父の道士とはどのような関係なのか。
『殭屍小子』で、一座の親方はどういう経緯で死に、キョンシーになるか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
不運が重なり、投獄され、キョンシーに襲われてキョンシーになるまで、どう描かれるのか。どの程度、怖さを感じさせる演出なのかも確かめたい。
『殭屍小子』の結末で、子どものキョンシーは何をするか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
最後の対決の後の場面で、子どものキョンシーが棺や札に何をし、物語がどう閉じるか。
『殭屍小子』の台湾公開版(79分)と日本で出た版(90分前後)の違いは何か?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
台灣電影網は片長79分、アット エンタテインメントのBDは本編90分と記す。どの場面が有るか無いかを、両方の版を見られれば比べる。
『殭屍小子』で、登場する子どもの体型や肌の色をからかう場面はあるか、どう演出されているか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
今日の目で見て扱いに注意が要る場面があるかを、どの版のどの場面かを示して確かめたい。
『子不語』巻13「僵屍求食」の影印(刊本の画像)はどこで確認できるか?
僵屍求食 調べたが確かめられなかった
Archive.org、国立公文書館デジタルアーカイブ、早稲田大学古典籍総合データベースなどを検索したが、本話を含む刊本の画像には今回たどり着けなかった。
馮藝超(2007)が「雞初鳴、鬼哀懇、繼以詈罵」の引用元を〈續〉巻としているのは、頁付け抽出の誤りによるものか、それとも『續子不語』にも同内容の話があるのか?
僵屍求食 調べたが確かめられなかった
維基文庫の『續子不語』目次を簡易確認した限りでは「求食」を含む話題名は見当たらなかった。ただし、PDFから取り出した文章では脚注の頁番号が失われている。巻の表記自体が誤植や文章の取り出し方による可能性も、まだ否定できない。
平凡社東洋文庫版『子不語』の各分冊は、原著のどの巻(1〜24)に対応するか?
子不語 調べたが確かめられなかった
出版社の書誌ページには巻の対応が明記されておらず、巻13「僵屍求食」がどの分冊に収録されているか確認できなかった。
教育部《重編國語辭典修訂本》に「僵屍」の見出しが無いのは、載せない方針のためか、それとも異体字として「殭屍」にまとめているだけか?
僵屍(にんべんの表記) まだ確かめられていない
萌典の公開データでは「僵屍」の項目が見つからなかった(未収録と返る)。一方、汉典の「国语辞典」節は「僵屍」と「殭屍」の両方のページに同じ語釈を表示する。教育部の公式辞典の検索で直接確かめれば食い違いの理由が分かる可能性があるが、まだ確かめられていない。
馮藝超論文が示す『子不語』正続僵屍譚の地域分布(河北の則数)は本文の記載どおりで矛盾は無いか?
僵屍(にんべんの表記) まだ確かめられていない
印刷頁191で「河北三則」と述べたすぐ後の文で、「安徽、河北、湖南、湖北、河南、雲南各一則」と河北が重複して挙げられているように読める(pdftotextでの抽出のため、原文レイアウトの読み違いの可能性もある)。正確な内訳は、まだ確かめられていない。
日本語の学術研究(CiNii・J-STAGE収録の論文)に「キョンシー」の語や受容を扱ったものはあるか?
まだ確かめられていない
ウェブ検索では、キョンシーの語や受容を主題とする学術論文を見つけられず、ブログ・辞書サイト・Wikipedia ばかりが見つかった。CiNii Research・J-STAGE を直接検索すれば見つかる可能性があるが、両データベースではまだ検索していない。
『蓮花閙』(下里巴人)・馮夢龍『山歌』の墨斗を詠んだ句は原典でどう書かれているか?
墨縄(墨斗) 調べたが確かめられなかった
「中国传统木工工具之"设规矩、陈绳墨"」が引用する清代『蓮花閙』・明代『山歌』の句は孫引きで、原典(維基文庫や中国哲学書電子化計劃などの翻刻)を今回の調査では確認できなかった。原典を読めば、記述を直接裏づけられる可能性がある。
太上秘法鎮宅靈符の正統道藏本を直接読めば、七十二枚それぞれの符の形・色・構成は分かるか?
太上秘法鎮宅靈符 まだ確かめられていない
道教文化中心資料庫の解題は本書の由来と全体の構成(璇璣八卦の図、七十二枚の護符、毎月神が降る日など)を伝えるが、七十二枚それぞれの符の形・色は書いていない。正統道藏本そのものを読めば個々の符の形が分かる可能性があるが、まだ確かめられていない。
『辰州符咒大全』の符頭別の枚数(尚字頭30道など)は原典で確認できるか?
札(符) まだ確かめられていない
弘道論文(張振国)は『辰州符咒大全』を引いて治病系の符頭の内訳(尚字頭30道・雨字頭11道・太乙頭4道)を記すが、同書そのものはまだ読めておらず、論文を通じた引用(孫引き)にとどまる。原典に当たれば数字の正確さと、これが辰州府一帯の符咒集という限定された資料群での数え方であることを確認できる。
『西遊記』第二十七回に「僵尸」の語は、どの刊本でどう書かれているか(辞典の引用どおりか)?
僵屍(にんべんの表記) まだ確かめられていない
教育部の辞典「僵尸」の項は、害をなす怪物の意の用例として『西遊記』第二七回を引く。明代の小説の用例なら、清の文言小説より早い。刊本・翻刻で字(僵尸/僵屍/殭屍)と文脈を確かめたい
段玉裁『説文解字注』「僵」条の影印は、Wikimedia CommonsのCADAL・NCL等の刊本スキャンで確認できるか?
殭屍(かばねへんの表記) まだ確かめられていない
Wikimedia Commonsには段玉裁『説文解字注』の複数の巻冊のスキャン(例: File:CADAL09010240 說文解字注·(八).djvu=1930年商務印書館刊・武漢大学蔵、Public Domain。File:NCL-002512026 說文解字段注 三十二卷,附六書音韻表 v.1.pdf=台湾国家図書館蔵、Public Domain。File:YNUTCM-294300168-* 段氏說文解字注(各篇)等)が見つかったが、どの巻冊が人部(巻八・第八篇上)=「僵」条を含むかはまだ特定できていない(cadal.edu.cn の書誌ページにも巻次の明記なし)。「僵」条を含む頁を特定して直接読めば、既存の記述(段玉裁が「僵」の本義と「殭」の字の意味を述べる箇所)の確認に使える。
『殭屍小子』の監督は趙中興ひとりか、王知政と趙中興の二人か?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
開眼電影網の監督(導演)の欄は趙中興のみ、台灣電影網は王知政・趙中興の二名と記す。当時の公開資料や作品のクレジットで確かめたい。王知政を続編《哈囉殭屍》(1987)の監督として載せる資料があることは、問い「『殭屍小子』の監督は1名か2名か?」に書いた。
明の世德堂本(1592年刊)そのものの影印でも『西遊記』第二十七回の「僵尸」は同じ字で書かれているか?
西遊記 調べたが確かめられなかった
研究所が読めた明代刊本の影印(北京大学図書館蔵、archive.org で公開)には刊記・序文が無く、世德堂本かどうか確認できなかった。世德堂本の影印を紹介する書格(shuge.org)のページのダウンロード先は開けず、台北の國家圖書館・国立国会図書館などの公開画像も見つけられていない。
北京大学図書館蔵『李卓吾先生批評西遊記』(CADAL影印)の具体的な刊年・版元は何か?
西遊記 調べたが確かめられなかった
全34冊のうち第二十七回を含む冊(識別子02111817.cn)を確認したが、序文・刊記の類が見当たらず、版本を特定できなかった。「李卓吾先生批評西遊記」は一般に明の万暦期刊(容與堂本などの説)とされるが、これは今回の調査の根拠資料からは確認できていない
孫悟空の台詞「在此迷人敗本」の「敗本」はどういう意味か?
西遊記 第二十七回 調べたが確かめられなかった
「潛靈作怪的僵尸,在此迷人敗本」の「敗本」は、仏道修行の根本を損なう、といった意味なのだろうか。読みはまだ確かではない。既刊の現代語訳・注釈書での解釈を確認したい
『聊齋志異』の手稿本・青柯亭本・会校会注会評本のあいだで「尸變」の本文表現や題名の用字(尸/屍を含む)に異同はあるか?
尸變 調べたが確かめられなかった
今回の調査では維基文庫の現代の翻刻(標点入り、底本未記載)でしか本文を確認できていない。遼寧省図書館蔵の手稿本(現存半部四冊)・青柯亭本・任篤行『全校会注集評聊斎志異』等の影印・校訂本は、今回の調査では取得できなかった(オンラインで権利表記のある全文公開が見当たらなかった)。
『詳注聊齋志異圖詠』(清光緒十二年・1886年、上海同文書局)に「尸變」の挿絵は実際に存在するか、存在するならどの巻・葉にあるか?
尸變 調べたが確かめられなかった
Wikimedia Commons経由で公開されている本書のパブリックドメイン版(NCPSSDのデジタル化資料、巻1-2のPDF、61葉)を通しで確認したところ、目次の後に置かれた挿絵は「考城隍/妖術」「阿寶/蛙田」「畫壁/種梨」「勞山道士/長清僧」の4葉8話分のみで、「尸變」の挿絵は見当たらなかった。挿絵の並びは話の巻内の順序と一致していない(例: 卷一の1話目と25話目が同じ葉に組まれる)ため、他の巻・冊(NCPSSD-70018674〜70018681の8冊本、または本書とは書名が近い別版)に「尸變」の挿絵が別途あるかは未確認。
馮藝超(2007)以外に、『聊齋志異』「尸變」を僵屍・屍変の話として明示的に位置づけ、『子不語』「僵屍求食」等の他の話と比較する研究はあるか?
尸變 調べたが確かめられなかった
馮藝超(2007)「《子不語》正、續二書中僵屍故事初探」の全文を文字検索したところ、「聊齋志異」「尸變」のどちらの語も本文中に一度も現れなかった(同論文は『子不語』『續子不語』に対象を限定しており、『聊齋志異』には触れていない)。したがって、今回の調査では「尸變」を僵屍譚として学術的に位置づけた研究を見つけられなかった。
詹鄞鑫が引く『清稗類鈔』の『送屍術』の記述は、趕屍と同じ術を指しているか?
趕屍 まだ確かめられていない
馮藝超論文の脚注10は詹鄞鑫『心智的誤區──巫術與中國巫術文化』(2001、頁678-680)が『清稗類鈔』から引く『送屍術』の記述を紹介するが、これが『趕屍』と同一の術を指すとまでは脚注の文言だけからは断定できない。詹鄞鑫の原著、または『清稗類鈔』の該当箇所そのものを読めば確かめられる。
廖綺雯(2014)の修士論文の本文は趕屍に触れているか?
趕屍 まだ確かめられていない
廖綺雯の論文要約は殭屍・道士をポストコロニアル論で読むが、趕屍の語には触れない。論文の本文はまだ読めていないため、趕屍への言及があるかは分からない。
沈従文が趕屍について書いた一節は、正確にはどの作品・どの版・どの頁にあるのか?
趕屍 調べたが確かめられなかった
澎湃新聞と界面新聞は同じ一節を沈従文の文章として引くが、どちらも篇名・版・頁を示していない。『湘行散記』などの本文はまだ読めておらず、出典の篇名は確かめられていない。
闕五老という人物の趕屍の逸話は、沈従文のどの作品に書かれているか、また実在の人物か?
趕屍 まだ確かめられていない
澎湃新聞の記事は、沈従文が自称・趕屍の術者である闕五老の逸話(雲南から死者を運んだ話)を紹介したとするが、出典となる作品名・版・頁は記事に示されていない。
『泸溪民族文化』に収められた張永家氏所蔵の遺稿には、趕屍についてどのような記述があるか?
趕屍 まだ確かめられていない
界面新聞の記事は、学者が『泸溪民族文化』を編む過程で見つけた張永家氏所蔵の遺稿に、その父親が若い頃に経験した趕屍にまつわる出来事の記述があると紹介するが、内容の詳細や見聞・伝聞の区別は記事に書かれていない。
『洞霊小志』『平等閣筆記』『康居筆記匯函』の原文には、送尸・趕屍についてどう書かれているか?
趕屍 まだ確かめられていない
澎湃新聞の記事はこれらの筆記から送尸術等に関する記述を引くが、いずれも原文は今回取得できていない。維基文庫等での該当頁の有無も未確認。(『邊州聞見録』は、澎湃新聞が引く逸話が送尸術ではなく怪異譚なので、この一覧から外した。検証した人の指摘、2026-09-26)
1933年の凌純声・芮逸夫『湘西苗族調査報告』には、趕屍についての記述があるか?
趕屍 調べたが確かめられなかった
湘西の苗族を対象にした民国期の民族誌調査(1933年調査、1947年刊)だが、今回の検索では趕屍に関する記述の有無を確認できなかった(本文を取得できていない)。
『烏龍天師招積鬼』(1981、英題Kung Fu Zombie)は殭屍を描く作品か?
まだ確かめられていない
香港政府のHong Kong Film Searchで「殭屍」を検索した16件に含まれたが、原題「烏龍天師招積鬼」の字には殭屍・僵屍を含まず、レコードのSynopsis欄は空欄(-)だった。英題のみに「Zombie」とあることが検索一致の理由と見られるが、本文(映像)に実際に殭屍が登場するかは今回の資料からは確認できなかった
『茅山殭屍拳』(1979)の筋には実際に殭屍が登場するか?
茅山殭屍拳(英題 The shadow boxing) まだ確かめられていない
原題は茅山(道教の一派)と殭屍の字を含むが、香港政府データベースのSynopsis欄(DVDカバーからの引用)は前作『The Spiritual Boxer』の続編的な位置づけを記すのみで、殭屍が登場する場面の記述は無かった。作品を見れば場面として確認できる
国立映画アーカイブが記す製作会社「嘉峰電影有限公司」は、既知のゴールデン・ハーベストやBo Ho Filmsと同じ会社か、別の会社か?
まだ確かめられていない
国立映画アーカイブの上映プログラム解説は殭屍先生(霊幻道士)の製作を「寶禾影業有限公司=嘉峰電影有限公司」と記すが、この社名がゴールデン・ハーベスト(嘉禾)・Bo Ho Filmsのいずれかと同一かどうかは、この資料だけからは判断できない
廖綺雯(2014)の論文本文は、1985年より前の殭屍映画に触れているか?
まだ確かめられていない
廖綺雯の論文「重讀八、九十年代的「恐怖喜劇」:殭屍電影與香港後殖民」の要約は、1980〜90年代の殭屍映画群を対象とすると記す。本文はまだ読めていないため、この論文が1985年より前の作品(例:鬼打鬼、茅山殭屍拳)にも触れているかは分からない。
『續子不語』卷六にある同題「僵屍貪財受累」(馮藝超論文が引く頁100)は、卷13の同題話と別の話か?
僵屍貪財受累(子不語卷13) まだ確かめられていない
馮藝超2007論文は『子不語』卷13「僵屍貪財受累」(頁292、今回の調査で確認済み)とは別に、『續子不語』卷6・頁100にも同題「僵屍貪財受累」があるとして別の一文を引く(陰陽の気が合しておこる屍變の説明の箇所)。今回の調査では卷13の話の原文のみを確認し、續子不語卷6の同題話は未確認。
教育部『重編國語辭典修訂本』公式サイトの「僵尸」「殭尸」「殭屍」の項目本文に、跳ぶ・躍る動きの記述はあるか?
僵屍(にんべんの表記) まだ確かめられていない
教育部の公式辞典の「僵尸」「殭尸」などの見出し語と語釈の一部は確かめた。跳躍に関する記述があるかは改めて調べたが、検索結果のページを読み取れず、確かめられていない。
「屍は旱魃を経て犼に変わる」という説は、ほかの清代の文献にも見えるか?
犼 まだ確かめられていない
『續子不語』卷三「犼」は「或曰」として、屍が最初に旱魃、次に犼に変わるという説を伝聞の形で記す。この変化の説が他の清代の筆記・類書にも見えるかは、今回の調査では確認していない。
『子不語』の残り21巻・『續子不語』の残り8巻に、跳ねる・躍る動きの僵屍描写はほかにあるか?
子不語 まだ確かめられていない
今回の調査では馮藝超論文が「跳」「躍」「踊」「蹦」の字を含めて引用する箇所(本文中の直接引用がある段落)を手掛かりに卷8・10・13(子不語)と01・03(續子不語)だけを通読した。論文が引用していない箇所や、跳躍系の字を含まない言い換えで動きを記した話がほかの巻にある可能性は確認していない。
水木しげる『続 妖怪画談』(岩波新書288、1993年)は、僵尸の跳ねる動きの由来をどう説明しているか(あるいは説明していないか)?
跳ねて移動する まだ確かめられていない
NDLレファレンス協同データベースの事例記録が、この本の「僵尸」の項(p.164-165)を映像作品(霊幻道士シリーズ)の由来として挙げていることを回答プロセスで確認している。原本は国会図書館サーチで所蔵確認できるが、今回の調査では取得していない。
『鬼打鬼』(1980)の実際の場面に、跳ねる動作・額の護符・清朝官服・両腕を伸ばす仕草はあるか?
鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters) 調べたが確かめられなかった
香港電影資料館の公式解説文にはこれらの語・描写が見当たらなかった(「鬼打鬼(靈幻經典・2026年上映プログラム解説、繁体字版)」)が、解説文は要約であり全篇を尽くさない。作品そのものを見て場面を記録することでのみ確かめられる。2026-11-05 に本編を終わりの 15 分ほどを除いて見たところ、僵屍は跳ねていた。札は、道士が人形に貼り、その人形に釘を刺すなどして離れた所から人を攻める形で出た。守る側の道士の弟弟子は、サモ・ハンの全身に朱の筆で呪文を書いて防いだ。見た所までには、僵屍の額に札を貼る場面は無かった。両腕を伸ばす仕草は、本編ではまだ確かめていない。
『Mr. Vampire II』『Mr. Vampire III』の原題(中国語表記)は確認できるか?
Mr. Vampire II(霊幻道士2 キョンシーの息子たち!) まだ確かめられていない
今回集めた資料(Fortune Star英語カタログ、株式会社twin日本語カタログ、香港電影資料館、国立映画アーカイブ)はいずれも英語題・日本語題のみを記し、原題の中国語表記は確認できなかった。
『靈幻先生』『殭屍叔叔』『一眉道人』の公的な作品紹介は見つかるか?
まだ確かめられていない
Fortune Star のカタログ(ジャンル一覧・サモ・ハン出演作一覧を含む)にはこれらの題は無かった。香港電影資料館と台灣電影網の作品検索も試みたが、検索結果を読み取れず確かめられていない。
額のお札が殭屍を鎮める・目覚めさせる仕組みは、殭屍先生(1985)本編の公式紹介でも確認できるか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
『Mr. Vampire II』の日本語版カタログには額のお札についての記述があったが、『殭屍先生』(1985)側の資料(Fortune Star英語カタログ、香港電影資料館、ツイン日本語カタログ、国立映画アーカイブ)には額のお札についての記述が見当たらなかった。
「養屍地」という風水の語は、政府系・学術資料で確認できるか?
まだ確かめられていない
風水で遺体が腐らない土地を指すとされる「養屍地」の語は、商業サイト・ブログ・百度百科・知乎では多数見られたが、今回の調査で確認した政府系・学術の資料(国家文化記憶庫、教育部の辞典、修士論文)にはこの語自体は現れなかった。教育部台湾客語辞典の解説が引く『嘉應州志』の孫引きは、風水への懸念から埋葬を数十年遅らせる例を記すが、「養屍地」という語や、特定の土地が屍を保存するという理論そのものへの言及ではない。
「蔭屍」は、政府系・学術資料でも凶兆として恐れられていると記されているか?
蔭身/蔭屍 まだ確かめられていない
商業的な葬儀社サイトやニュース記事は「蔭屍」を子孫に災いをもたらす凶兆として繰り返し語るが、今回の調査で確認した政府系・学術の資料(教育部の各辞典、国家文化記憶庫、修士論文)は、蔭屍の定義や撿骨の実務的な対処は記すものの、それを凶兆として恐れる旨を明記した箇所は見当たらなかった。
糯米が屍毒・僵屍に効くという記述は、映画より前の本草書に見当たらないが、探索範囲を広げれば見つかるか?
もち米(糯米) まだ確かめられていない
『本草綱目』穀之一の「稻」(糯米)の項目を通読したが、屍毒・尸鬼・僵屍・辟邪に関する記述は無く、記載はもっぱら薬効(温中・止瀉・催眠作用など)だった。ただし今回確認したのは同項目のみで、『本草綱目』の他の巻(人部・獣部など)や、他の本草書・医書(『本草拾遺』『諸病源候論』等)は確認していない。
墨斗の線で屍・僵屍を封じるという記述は、映画より前の文献に見当たらないが、湘西趕屍の民具解説以外の一次資料にはあるか?
墨縄(墨斗) まだ確かめられていない
今回の探索では、墨斗と屍・僵屍を直接結びつける清代・民国期の記述は見つけられなかった。ウェブ上の解説記事(湘西趕屍の道具紹介)は墨斗が「繩墨」=正しさの象徴だから邪を防ぐという由来を説くが、出典となる古い文献は示されておらず、今回の調査では確認できていない。既存の記述(浙江舟山の謎語)は「邪」一般についての言い伝えで、僵屍に限定した記述ではない。
黒犬の血・鶏の血を僵屍(僵屍・殭屍の字が使われる話)に対して用いたという清代・民国期の記述はあるか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
黒犬の血・鶏の血が「鬼」を退けるという言い伝えを紹介するウェブ記事は複数見つかったが(史記・風俗通義などを出典として挙げるもの)、今回の調査ではそれらの古典の原文を確認しておらず、また「鬼」一般についての言い伝えと「僵屍」に対する言い伝えを区別して記す一次資料は見つけられなかった。
銅錢劍(銅銭を紐で綴った剣)を僵屍除けに用いるという記述は、映画より前の文献にあるか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
今回の探索では、銅錢劍という語・道具そのものについての清代以前の一次資料は見つけられなかった。「法剣(桃木の剣を含む)」関連の資料には桃木・鉄製の法剣の記述はあるが、銅銭を綴った剣の形についての記述は今回の調査でも見つからなかった。
『續子不語』卷五「飛僵」の原文は、雷撃・鳥槍以外にどのような記述を含むか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
馮藝超(2007)論文が引く「飛僵」の一節(雷撃・鳥槍でなければ死なない、という部分)のみを今回の調査では確認しており、原文全体は未取得。飛翔する上級の僵屍という設定の詳細を確かめるには原文の取得が要る。
僵屍は本当に水を渡れないとされているのか、それとも『續子不語』「犼」の一話に限られる考えか?
水を渡れない(とされる僵屍の弱み) まだ確かめられていない
『續子不語』卷三「犼」では、逃げた男が「屍は水に入れないだろう」と自ら考えて川を渡っただけで、地の文が「僵屍は水を渡れない」と明言する場面ではない。この推測が当時広く共有された考えだったのか、この一話限りの登場人物の判断なのかは、今回の調査の資料だけでは確かめられない。
劍訣の具体的な指の結び方(二本指を剣に見立てる形か)を記す資料は無いか?
劍訣 まだ確かめられていない
道教文化中心資料庫「掐訣」は劍訣の名を挙げるのみで、どの指をどう組む・伸ばすかの具体的な記述が無かった。手訣の図譜(訣譜)を載せた専門書・図録があれば確かめたい。
咬指血書(指を噛んで血で文字を書く・印を押す所作)を記す道教・民間法術の資料は無いか?
まだ確かめられていない
道教文化中心資料庫では「血書」の項目を見つけられなかった。張澤洪・張振国・劉仲宇の論文にも、指を噛んで血で書く・押すという所作の記述は見当たらなかった。
湘西の巴代雄が十四功の一つとして挙げる「趕屍之術」は、具体的にどんな所作として伝わっているか?
まだ確かめられていない
康豹「苗漢之間―湘西道教與儀式專家傳統初探」(頁240)は、巴代雄(苗族の儀式専門家)の十四功の一覧に「超自然功」として「隱藏魂魄」と並べて「趕屍之術」の名を挙げる。ただし、具体的なやり方(所作・道具・唱え言葉)は同論文に書かれていない。石壽貴・張子偉らの湘西の民族誌調査の原資料(未刊著作・科儀本彙編)にあたれば確かめられる可能性がある。
「急急如律令」に「急急」が加わった具体的な時期と、その最初の用例を記す資料は無いか?
まだ確かめられていない
劉仲宇論文は、漢代解除文の「如律令」の型が後の道教咒語に広く通用したと述べるが、その解除文自体には「急急」の語は無く(末尾は「如律令」の3字のみ)、「急急如律令」への展開がいつ・どの資料に最初に現れるかはこの論文には明記が無かった。張道陵・張魯期の資料や、より新しい道教の咒語集にあたれば確かめられる可能性がある。
馮藝超論文が「感陽氣而走魂」の例に挙げる『焚屍二則』(子不語卷24)・『石門屍怪』(子不語卷5)・『畫工畫僵屍』(續子不語卷五)の記述は、原文でどこまで確認できるか?
気(氣) まだ確かめられていない
『屍奔』『僵屍挾人棗核可治』『僵屍貪財受累』『屍變(續卷八)』の原文は確認できた。上記の3話のうち『焚屍二則』は維基文庫の『子不語』卷二十四で、『畫工畫僵屍』は維基文庫の『子不語』卷五で、のちに原文を読んだ(論文は『畫工畫僵屍』を『續子不語』卷五とするが、その版での位置は照らし合わせていない)。『石門屍怪』は原文をまだ確かめておらず、論文の引用だけによっている。
續子不語卷八「屍變」(鄰女の屍)の本文には陽気・息・気を示す語が無いのに、馮藝超論文がこれを「感陽氣而走魂」の型に分類するのはなぜか?
屍變(續子不語卷八) まだ確かめられていない
本文は屍が起き上がったきっかけを男の邪な思いのみで語り、陽気に触れたという語は今回の調査で読んだ範囲には見当たらなかった。論文(馮藝超2007)の他の箇所に、邪心も陽気の発現とみなす説明があるかは、今回の調査では確認していない。
『幽幻道士』系列でファンが「観洛音の術」と呼ぶ術の名は、觀落陰に由来すると公式資料や研究で述べられているか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
呼び名の音が近いことから考えた仮説は、今回の調査では確かめていない。確認した資料には、この作品の術名と觀落陰を結びつける記述は無かった。作品の場面・クレジット・関連資料を見れば、確かめられる可能性がある。
台湾に『義荘』(原郷への返送を待つ棺の一時保管施設)そのものはあったか?
まだ確かめられていない
今回の調査で確かめられたのは宜蘭地方の『停柩(擱棺・打桶)』という、日取りが決まるまで棺を家で安置する個々の家の習俗のみ。中国大陸から離郷して客死した人の柩を原郷へ返送するまで預かる施設としての『義荘』が台湾にあったかどうかを裏付ける一次資料には行き当たらなかった。地方志・寺廟志、あるいは日治期の統計・調査報告にあたれば確かめられる可能性がある。
紅頭・烏頭(黑頭)の別は『道士の中の分派』か『道士と法師の別』か?
まだ確かめられていない
劉枝萬(2006)は道士と法師を別の階層とし、紅頭は法師側の扮装だとする。一方、自由時報(2009)と台灣光華雜誌(2025)はいずれも『道士』の中の紅頭・黑頭(烏頭)の分派として説明する。この分類の違いが時代(2000年代と2020年代)によるものか、地域によるものか、それとも記事の説明が十分でないためかは、今回の調査の資料だけでは分からない。地域を限定した現地の廟・道壇への聞き取りやより新しい学術論文があれば確かめられる。
『觀落陰』『牽亡』と西拉雅の尪姨・祀壺信仰との関係を論じた研究はあるか?
まだ確かめられていない
觀落陰・牽亡歌陣と、西拉雅の尪姨・祀壺信仰との間に、直接の影響関係や混淆を論じた学術研究は、今回の調査で取得した資料の範囲では見つからなかった。中央研究院民族學研究所の論文データベースや平埔族研究の専門誌にあたれば見つかる可能性がある。
桌頭・扛乩は台湾本島でも馬祖と同じ形式か?
まだ確かめられていない
國家文化記憶庫で見つかったのは、馬祖(連江県)の『扛乩』(神輿を複数人で担いで乩將が神意を示す形式)についての資料だった。台湾本島で童乩が一人で憑依するときの桌頭の役割を示す資料には行き当たっておらず、教育部臺灣閩南語常用詞辭典もページを開けず確かめられていない。台湾本島の廟の聞き取りや学術論文で確かめたい。
李亦園・李豐楙による有應公の神格化の判定基準(10項目・12項目)の具体的な中身は?
まだ確かめられていない
台灣光華雜誌の記事は李亦園・李豐楙の研究に触れるが、10項目・12項目の具体的な内容は牌位→神像、三面壁→廟門付き、供物が生→熟という3つの例しか記事に挙げられていない。原論文(学術誌掲載)にあたれば全項目を確かめられる。
息を止める・糯米の設定を作ったのは演者(錢小豪らの遊び)か、編劇か?
息を止める まだ確かめられていない
2016 年の香港01 の本人談話は演者の隠れんぼ遊びを「大哥」が取り入れた・「我們」の創作とし、2017 年の TVBS の記事では、本人の引用ではない説明文で、当時の編劇の出任せとしている。TVBS の記事が本人の言葉をどう要約したかは、TVBS のニュース映像(頁の報道)を見れば確かめられる可能性がある。
TVBS(2017)の記事にある、「鍋巴」を塗る・土を食べる・大蒜の話は、錢小豪本人が語ったものか、どの作品の話か?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
記事は鍋巴・泥土を「也是假的」とし、大蒜は「甚至就連大蒜可以驅魔」と並べるだけで、続く文で糯米・停止呼吸などの定番を当時の編劇の出任せとする。鍋巴・泥土・大蒜が「編劇の出任せ」に含まれるかは文からは決まらず、本人の引用でもなく、作品名も無い。TVBS の報道映像で本人の発言を確かめたい。
『殭屍先生』本編のクレジットでは、黃鷹・黃炳耀・司徒卓漢はそれぞれどう表示されているか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
電影神搜(2024)は故事=黃鷹、編劇=黃炳耀・司徒卓漢と書き、香港電影資料館の 2026 年 9 月の上映頁は編劇=司徒卓漢のみとする。本編の名簿を見れば確かめられる。
Eureka 版(2020)の特典インタビューで、劉觀偉・錢小豪は息を止める・札・糯米・跳ねる動きの由来を語っているか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
英語の評論は特典に劉觀偉と錢小豪の古いインタビューがあると書くが、書き起こしは見つからなかった。特典を見れば確かめられる。
「骷髏三種」の不化骨の色は、刊本では「色黑如䃜玉」と「色黑如石」のどちらなのか?
不化骨 まだ確かめられていない
維基文庫の翻刻は「色黑如䃜玉」、馮藝超論文の引用(刊本の頁80-81)は「色黑如石」。影印か別の刊本で確かめたい。
「屍奔」が引く陳聶恆の書名は「邊州聞見錄」と「邊城聞見錄」のどちらなのか?
屍奔 まだ確かめられていない
維基文庫の翻刻は「邊州聞見錄」、馮藝超論文は「邊城聞見錄」と書く。刊本・書目で確かめたい。
『右臺仙館筆記』卷六の慈溪の地名は、刊本では「慈溪」と「慈谿」のどちらか?
慈溪西門外の僵屍(右臺仙館筆記卷六) まだ確かめられていない
維基文庫の編集用の本文は「慈溪」、表示されるページは「慈谿」で、表示の側で字が変換されている可能性がある。刊本・影印(春在堂全書本など)で字を確かめていない。
『右臺仙館筆記』卷六の金陵小倉山の僵屍の話で、「僵屍不能逾溝」という考えはどう扱われているか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
墨線の段の次の段落にある話で、吳生は僵屍が溝を越えられないと思って窪地へ逃げたが、屍は穴も谷も平地のように越えた、と書かれる。作中人物の思い込みとして書かれた俗信で、他の資料に同じ考えがあるかは確かめていない。
『我和殭屍有個約會』の放送版で、將臣のほかに殭屍の段階・等級を表す語は使われるのか?
我和殭屍有個約會シリーズ まだ確かめられていない
1998 年と 2000 年に保存された亞洲電視の公式の故事大綱には「殭屍王」「殭屍真祖」の語があるが、白僵・黑僵・跳屍・飛屍・銅甲屍などの等級の語は無かった。2004 年の頁(題の表示なし)にも無い。ネットの記事には、この作品の殭屍を血統や眼の色で分ける説明があるが、公式の資料では確かめていない。
1950〜80 年代の香港映画『浴室飛屍』『霧夜飛屍』『飛屍』の「飛屍」は、どんな意味で使われているのか?
飛屍 まだ確かめられていない
香港政府の映画データベースと香港電影資料館の口述歴史には、題名や書誌情報だけが載り、あらすじは書かれていない。英題は Discarded body in a bathroom、Murder in the bathroom、Revenge of the corpse。醫書の病名としての飛屍、殭屍の段階の語としての飛屍とのつながりは、どの資料も述べていない。
1993 年の映画『湘西屍王』の「屍王」は、作品の中で何を指すのか?
屍王 まだ確かめられていない
香港政府の映画データベースには題・英題(Kung Fu vampires)・公開日・製作会社だけがある。公式の作品紹介は取得していない。
『我和殭屍有個約會』の山本龍一は、放送版では日本軍の少佐か大佐か?
我和殭屍有個約會(1998、亞洲電視) まだ確かめられていない
1998 年の亞洲電視の公式の故事大綱は「少佐」、Apple TV 香港の作品紹介は「大佐」と書く。第 1 集の出来事の順(將臣が現れて血を吸い馬丹娜が後から来る/馬丹娜が將臣の隠れ場所へ行くが將臣が先に二人を殭屍にしていた)も二つの紹介で書き方が違う。
開眼電影網の劇情簡介の「黃道士」と、日本語版の「金おじいさん」は同じ人物か?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
開眼電影網の劇情簡介は殭屍の隊を連れて通りかかる道士を「黃道士」と書き、日本語の配役欄・紹介文の道士は「金おじいさん」(金塗)。開眼電影網の出演欄には金塗と黃仲裕が載るが役名は無い。原語版の台詞とクレジットで確かめられる。
『殭屍小子』の四人の少年の中国語の名(暴牙・小黑・小虎・西瓜皮)と日本語の役名(デッパ・チビクロ・チビトラ・スイカ頭)はどう対応するか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
開眼電影網と映画.com はそれぞれ四人の名を挙げるが、どちらも対応を示さない。字面が似る組はあるが、資料で確かめていない。原語版と吹替版を見比べれば確かめられる。
『殭屍小子』で、親方に起きることは「影を踏まれる」ことか「殭屍の毒」か、原語版と日本語吹替版で説明が違うのか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
KINENOTE は影を踏まれて死ぬ、映画.com は影を踏まれて不運が続き逮捕される、開眼電影網は殭屍の毒(殭屍屁屁毒)を受けると書く。紹介文の違いか、吹替の台詞の違いか、版の違いかは分からない。
応援上映の記事が登場人物に挙げる「長三道士」は、『幽幻道士』第 1 作に登場するか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
映画ナタリー(2017-09-24)は第 1 作の日本語吹替版の上映告知で長三道士を登場人物に挙げるが、アット エンタテインメントの頁では長三道士(林光榮)は⑤『新・幽幻道士 立体奇兵』の出演欄にだけ載る。
『儀禮』士喪禮の十九稱・三十稱を小斂・大斂とする読みは、どの注疏によるか?
壽衣・殮服(死者に着せる装束) まだ確かめられていない
経文の該当の段には小斂・大斂の語が無い。『家禮』は死の翌日を小歛とする。鄭玄注・賈公彦疏を読めば確かめられる。
呼延紅編著『拆字、趣詩』(將門出版社 1982)に、湘西の趕屍は一度きりの障眼法だったという話は載っているか?
趕屍 まだ確かめられていない
2002 年以前の台湾の個人サイトの整理文(瑯嬛書軒)が参考資料に挙げる二冊のうちどちらに拠るかが分からない。『中國民俗傳奇』(將門文物 1991)とあわせて、本文と頁で確かめたい。
吳雨『民国黑社会』(江苏古籍出版社 1996)に、盗掘した新しい墓の棺の屍の下に烟土を隠して関所を通る「灵柩运土」の記述はあるか?
發塚(墓を暴く罪) まだ確かめられていない
2005 年の水木社区の掲示板の転載文(題「|民国黑社会| 第四部分 烟」)が、民国の書報に見えるとして、盗掘した新墓の棺の屍の下に烟丸を敷いて関所を通る方法と、偽って死を届けて柩を送る方法を書く。書名が同じ本との対応は確かめていない(掲示板は根拠にしない)。
大明律集解附例の維基文庫の翻刻が「招鬼而葬」と書き、清律が「招魂而葬」と書くのは、翻刻の誤りか版の違いか?
發塚(墓を暴く罪) まだ確かめられていない
明律の翻刻では、律文・纂註とも「招鬼」と書かれている。影印(刊本の画像)で確かめたい。
『太平廣記』「楊知春」の「乘僵人言」は、賊が僵人の言葉(地下の金玉の在りか)を手掛かりにしたと読んでよいか?
楊知春(太平廣記卷三百八十九) まだ確かめられていない
研究所の暫定の読みでは「僵人の言に乗じて」。噂を口実にしたとも、僵人の話した内容を利用したとも読める。既刊の訳か注釈書で確かめたい。原典は『博異志』とされる。
『優游雜誌』第21期(廣州、1936年7月28日)の『午夜殭屍』の劇照(映画の場面写真)5枚で、中世風の服を着ているのは殭屍なのか、ほかの登場人物なのか?
午夜殭屍(英題 An evil thought / Midnight vampire) まだ確かめられていない
吳月華(香港電影資料館《通訊》第74期、2015)は劇照に「中世紀的服飾」があるとし、注5でこの雑誌の劇照5枚を挙げるが、誰の服かは書かない。フィルムは失われたとされる(同記事)。雑誌の現物か影印を見れば、映画の殭屍が清以外の服で描かれた最初期の例かどうかを確かめられる。
『僵屍皇帝』(2016)で、僵屍になった武宗朱厚照はどんな服装で描かれているか?
僵屍皇帝(2016、中国大陸) まだ確かめられていない
iQ.com の紹介文は武宗朱厚照が僵屍になる筋だけを書き、服装も「明」の字も書かない。作品を見れば、清の官服以外(明の皇帝の服など)の僵屍の例かどうかが分かる。宣伝の画像や公式の写真の説明文も手掛かりになりうるが、今回の調査では見つけていない。
『全像顯法降蛇海遊記傳』の本文は、閭山と茅(毛)山の一方を「正」、他方を「邪」として描いているか?
全像顯法降蛇海遊記傳 まだ確かめられていない
李若冲の記事(2015)は、書中で閭山法と茅山法が巫教の正邪二派とされるとする。胡紅波(2002)の筋の紹介では、白蛇が閭山に入れず毛(茅)山で八郎(もとは閭山の出)から術を学び、沙王が蛇母の術を「毛山偷學」と言う筋で、「正邪」の語は無い。本文(乾隆重刊本)は見ていない。
李若冲の記事が挙げる『夷堅志』の譚法師、江盈科の李四、『閱微草堂筆記』の茅山師の話は、本文でどう書かれているか?
茅山師・茅山師傅 まだ確かめられていない
記事は、行茅山法の俗人が「虽非道士」だが譚法師と呼ばれた話(江西德興)、李四という師巫の害人の術、狐から賄賂を取る茅山法師の話を要約するが、巻・篇名を挙げていない。本文で字と筋を確かめれば、古い筆記の「茅山師」像を映画と分けて整理できる。
『茅山殭屍拳』(1979)の公開時の言語は國語か粵語か?
茅山殭屍拳(英題 The shadow boxing) まだ確かめられていない
香港政府の Hong Kong Film Search の検索結果一覧は言語を「粵語」とし、Apple TV 台湾の作品頁は原音を「國語」、音声を國語・粵語とする。どちらも公開時の版の言語だとは書いていない。作品の版(邵氏の公開版、粵語の吹き替え版)を見れば確かめられる。
『十八般武藝』(1982)の作中で、茅山の使い手は何と名乗り、どんな術を使うか?
十八般武藝(英題 Legendary Weapons of China) まだ確かめられていない
香港電影資料館の繁体字の解説は刺客を義和團の術士・茅山・神打の「三壇高手」とするが、術の中身は書かない。英語の解説は shamans, warlocks and wizards と書き Maoshan の語を使わない。作品を見れば、作中で「茅山」の語が使われるかを確かめられる。
王文卿の宮中の祟りの話で、雷が撃ったのは白い亀か大蟒蛇か、原文ではどう書かれているのか?
雷法(五雷法) まだ確かめられていない
謝世維 2023 の注66 は、張宇初〈妙靈觀記〉(『峴泉集』卷3)は白龜、『歷世真仙體道通鑑』は大蟒蛇とする。両書の本文(正統道藏)は取得していない。
『道法會元』卷61 の序の「運雷霆於掌上」「斬滅尸鬼」は、道藏の本文でも同じ字なのか?
雷法(五雷法) まだ確かめられていない
謝世維 2023 の引用文で読んだ。維基文庫の『道法會元/卷六十一之六十二』はアクセス制限の応答で取得できなかった。「尸鬼」が内丹の文脈で何を指すかも確かめていない。
陆群『湘西赶尸』(2006)は、1949年以後の送る仕事の担い手のその後を書いているか?
湘西赶尸(陆群、民族出版社 2006) まだ確かめられていない
今回の調査でも本文・目次は読めなかった。本の紹介文は「五十年前」の習俗とだけ書く(既に確かめた書誌の頁)。本を手に取れば、1949年以後の担い手の生計や取り締まりについての聞き取りがあるかを確かめられる。
吳奕均の博士論文(2026)の第伍章第一節と附錄二は、『殭屍小子』と香港の殭屍映画の関係をどう書くか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
國立政治大學の博士論文『鬼島:台灣恐怖片中的歷史創傷與國族想像(1956-2025)』の目次には、第伍章第一節「魔界:冷戰末期台灣恐怖片的國族想像(1980—1992)」の中に「國族焦慮:棺材、義莊、小殭屍」、附錄二「香港殭屍片的發展脈絡」がある。全文の PDF は画像の文字を打ち込む確認(CAPTCHA)の後ろにあり、まだ読めていない。
資料を探して確かめる問い
『殭屍小子』の製作年は1985年か1986年か?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
台灣電影網(公的データベース)は出品年份を1986年とするが、アット エンタテインメントの日本語BD-BOXカタログは製作年を1985年とする。どちらかが誤記か、出品(クレジット表示)年と製作着手年の違いかは、今回の資料だけでは分からない。
『殭屍小子』の監督は1名か2名か?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
台灣電影網は監督(導演)として王知政・趙中興の2名を記すが、アット エンタテインメントのBD-BOXカタログは趙中興のみを監督として記す。共同監督だったのか、どちらかが誤記・省略なのかは研究所が読んだ資料からは確認できない。王知政は、吳奕均の博士論文(2026、國立政治大學)の参考書目とアット エンタテインメントの BD-BOX の両方で、金格影藝の続編《哈囉殭屍》(1987)の監督として載る。台灣電影網の二人の表示は、続編の監督と混ざった可能性があるが、まだ確かめていない。
『霊幻道士』(ツイン版)の日本でのBlu-ray/DVD発売日はいつか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
ツインのカタログページには発売元・販売元の記載はあるが、発売年月日そのものの明記がない。ページ末尾の著作権表示は2010年だが、これが発売年と一致するとは限らない。
『殭屍先生』の中国語題は本当に「息を止める場面」に由来するのか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
香港電影資料館の上映解説はそう説明するが、今回の他の4資料には題名の由来についての記述がなく、単独の資料による記述にとどまる。監督・脚本家など制作関係者自身の発言、あるいは別の資料館・研究での裏付けが要る。
HKMDB(Hong Kong Movie DataBase)には両作品についてどんな記載があるか?
まだ確かめられていない
香港の準公的な作品データベースとして参照候補に挙がったが、「Quick Verification」という自動アクセスかどうかを確かめる画面で止まり、内容は確認できていない。
維基文庫版が底本とする「開放文學」の点校サイトは、いま実際に何を示しているか?
子不語 調べたが確かめられなかった
維基文庫の翻刻は確かめたが、開放文學(openliterature.net)の該当ページは開けず、その本文は確認できていない。両者の記載が一致するかはまだ照らし合わせていない。
「キョンシー」という日本語表記の定着に、配給会社(東宝東和)の関係者が関わったという説は一次資料で確認できるか?
キョンシー(日本語の語) まだ確かめられていない
検索では配給関係者(東宝東和の担当者名)による普及という説がブログ・まとめサイトに見られたが、一次資料(当時の新聞・業界紙・社史・当人の発言記録)に当たれていない。辞書(デジタル大辞泉、字通)は語源・普及の経緯そのものには触れていない。
キョンシーが清朝の官服の姿で描かれるのは、清代の葬送で死者に着せた服(壽衣)と関係があるか?
清朝の官服 まだ確かめられていない
「僵屍求食」など清代の文言小説の僵屍には、服装の記述が見当たらない。清代の葬送習俗で死者に着せた服の形を、民俗・葬送の研究と清代の文献で確かめ、後の作品の姿との関係を問う。今は仮説で、資料では確かめていない。
令牌の寸法は、明代文献の記載と現代の実測でなぜ異なるのか?
令牌(道教の号令札) まだ確かめられていない
道教文化中心資料庫が引く明代『上清靈寶濟度大成金書』は令牌を長さ5寸5分・幅2寸4分・厚さ5分とするが、張澤洪の論文(弘道 第七期)は現代の令牌を高さ約18cm・幅約7cm・厚さ約3cmとする。単位換算のずれか、時代・流派による実物の違いか、今回の資料だけでは分からない。
抱朴子が記す水難除けの銅製雌雄剣と、後世の桃木剣とはどう関係するか?
法剣(桃木の剣を含む) まだ確かめられていない
抱朴子内篇・登渉篇は銅で作る雌雄一対の剣(各長さ約5寸5分)を水難除けとして記すが、桃木で作る法剣(桃剣)についての記述は同篇には見当たらなかった。両者が同じ「法剣」の系譜に連なるのか、別々の伝統かは今回の資料だけでは分からない。
墨斗の形・寸法・色を記す明清以前の道教関連文献は他に無いか?
墨縄(墨斗) 調べたが確かめられなかった
見つけられたのは『魯班經匠家鏡』の上棟儀礼の記述(墨斗を他の道具と共に机上に据える、という扱い)だけだった。墨斗の図や寸法を載せている可能性のある『三才圖會』器用部などの文献は、ページを開けず確認できていない。
桃の人形・桃の棒から桃木の「剣」の形へは、いつ・どの文献で変わったのか?
法剣(桃木の剣を含む) まだ確かめられていない
太平御覽が引く『典術』『淮南子』『漢舊儀』はいずれも桃の人形(桃人)や棒(桃棓)を述べ、剣の形には触れていない。道教文化中心資料庫「法劍」項は「隋唐以後、桃木の法劍が広く使われた」とするが、この一文自体には個別の文献引用が付いておらず、桃人・桃梗から桃木剣への変化を直接示す文献は今回確認できなかった。
『天工開物』は墨斗の形・寸法を記しているか?
墨縄(墨斗) 調べたが確かめられなかった
『天工開物』の目次(維基文庫)を確認したが、墨斗そのものを主題とする節は見当たらなかった(錘鍛第十などは金属工具が中心)。全文を通読すれば言及がある可能性は残る。
棟上げの儀礼(上梁儀礼)以外でも、墨斗が辟邪・鎮煞の道具として使われると記した、査読済みの研究・民族誌はあるか?
墨縄(墨斗) 調べたが確かめられなかった
今回の調査で見つかった辟邪・魔除けの記述は、いずれも民間の謎語・伝承を紹介する現代のブログ的記事(報道記事)どまりで、民俗学・宗教学の学術研究や民族誌には行き当たらなかった。中国知網など有料データベースへのアクセスが要る可能性がある。
清代以前(明代含む)の文献に、墨斗の形・寸法・色を直接記す一次資料はほかにあるか?
墨縄(墨斗) 調べたが確かめられなかった
『魯班經匠家鏡』などを含め、これまでに調べた範囲では、墨斗の形・寸法そのものを述べる明清以前の一次資料は見つからなかった。中國哲學書電子化計劃(ctext.org)と参考網の関連ページは開けず、内容を確認できていない。
日本に伝わった鎮宅霊符の木版墨摺は、中国側資料が記す朱砂書きの慣行とどう関係するか?
太上秘法鎮宅靈符 まだ確かめられていない
龍谷大学の写本は木版に墨で摺られており朱を用いない一方、正一派の実践を伝える弘道論文(張振国)は退鬼驅邪の符を黄表紙に朱砂で書くのが通例とする。頒布用の量産版木刷りと、儀礼で肉筆に書く符との製作方法の違いによるものかは、今回の資料だけでは判断できない。
中国大陸の规范辞典《现代汉语词典》は「僵尸」「殭尸」をどう扱っているか?
殭屍(かばねへんの表記) まだ確かめられていない
《现代汉语词典》(商务印书馆)は書籍のみで、著作権のある現行版の本文をウェブ上の一次資料としては確認できなかった(見つかった抜粋サイトはまとめ記事の水準で、権利の状況も不明だった)。国の规范性文件《第一批异形词整理表》(2001)にはこの対が含まれないことは確認できたが、辞典自体の項目・注記の有無は未確認。
『殭屍先生(暫時停止呼吸)』の香港での正確な公開日(日まで)は一次資料で確かめられるか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
報道記事では「台湾公開の一月余り後」とのみ記され、香港電影資料館の解説にも日付の明記が無い。香港側の興行データベースや当時の新聞広告など、台湾側のNCCU box office統計アーカイブに相当する一次資料が見つかれば確認できる
香港電影資料館の英語解説にのみある「息を止める場面が台湾公開時の題名の由来」という記述は、同館の繁体字解説にはなぜ無いのか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
同一の2026年上映プログラムの英語版と繁体字版を読み比べたところ、この一文に対応する記述が繁体字版には見当たらなかった。両言語版の作成経緯(どちらが原文か、Fortune Star提供資料との関係)が分かる資料があれば確認できる
『殭屍小子(幽幻道士)』が日本でテレビ放映されたという1987年1月12日・TBS「月曜ロードショー」の情報は一次資料で確かめられるか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
キネマ旬報データベースは劇場公開を「未公開」と記すのみで、テレビ放映についての記載は無い。TBSの番組表アーカイブや当時の新聞のテレビ欄など、放送を直接示す一次資料が見つかれば確認できる。2026-11-05 に、1987 年 1 月の週刊誌の番組の案内で 1 月 12 日の「月曜ロードショー」を読めた。新聞のテレビ欄と放送の記録はまだ確かめていない。
『殭屍小子』の製作年は1985年(アット エンタテインメント・開眼電影網・キネマ旬報)と1986年(台灣電影網)のどちらが正しいか、確定できるか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
3資料が1985年、台灣電影網1資料のみが1986年(出品年份)を記す。台灣電影網の実際の臺北公開日は1986年6月20日(NCCU box office統計)なので、1986年は公開年、1985年は製作年である可能性があるが、いずれの資料も製作と公開を明確に区別して説明してはいない
段玉裁『説文解字注』刊本影印のこの葉で、「僵」自体の説文本文と段注の境目はどこか?
殭屍(かばねへんの表記) まだ確かめられていない
NLCの説文解字注十五卷本第8冊のPDF34頁前後を直接読み、僵を「仰向けに倒れる」と解く注と「廣韻作殭、死不朽也」の文言は確認できたが、見出し字「僵」自体の説文本文(僵,○也。从人畺聲、居良切、のような定型句)がどの一行かは、注の分量が多く今回の解像度・時間内では確定できなかった。より高解像度での再読や、句読・圏点の位置を手掛かりにした確認で答えられる可能性がある
趕屍と香港の殭屍映画の関係を直接述べた研究はあるか?
趕屍 まだ確かめられていない
今回集めた資料の範囲では見つからず。今回の3〜7資料の中には、趕屍の伝承や実践から香港の殭屍映画の造形・筋への影響を学術的に論じた記述は見つからなかった。廖綺雯(2014)MPhil論文の要約は殭屍映画一般をポストコロニアル論で読むが、趕屍語には触れない。en.chinaculture.orgの記事は運搬方法(竹の竿によるしなり)が『跳ねているように見えた』と述べるが、これは映画のホッピングとの関係を論じたものではない。次の調査で、劉天賜『僵屍與吸血鬼』(三聯書店、2008)や、殭屍映画研究の専論(香港嶺南大学の学位論文の本体、Springer "Scared Stiff: Jiangshi and Chinese Vampires"の全文)を確認できれば、この問いに直接答えられる可能性がある。
研究は趕屍と『屍變』の語・話との関係をどう扱っているか?
屍變(死体が変化して動き出すとされる現象) まだ確かめられていない
今回は見つからず。馮藝超論文(既存の「《子不語》正、續二書中僵屍故事初探」)は緒論部分で趕屍と僵屍の地域分布のずれには触れるが、『屍變』という語・現象と趕屍を関係づける記述は、今回の調査で読んだ範囲(印刷頁191前後・脚注10)には見当たらなかった。「屍變(死体が変化して動き出すとされる現象)」の他の箇所(既にこのサイトの記録にある屍變の定義部分)に趕屍への言及があるかは、今回の調査では確認していない。
清代の記録での呼び名「送尸術」は、いつ「趕屍」という呼び方に置き換わっていったのか?
趕屍 まだ確かめられていない
清稗類鈔(初出1916年頃)の条は「送尸術」の名で記し、鈴・跳ねる歩き方などの要素は記されていない(符呪をかけた水は記されている)。一方、沈従文の文章(1930年代、澎湃新聞・界面新聞の引用による)では既に「趕屍」の語が使われている。この間、どの資料で呼び名や描写が変わっていったのかは今回確かめられなかった。
『古屋疑雲』(1960、英題Corpses at large)が「殭屍」検索に一致したのはなぜか?
まだ確かめられていない
香港政府のHong Kong Film Searchで「殭屍」を検索した結果に含まれたが、原題「古屋疑雲」・英題・Synopsis欄のいずれにも殭屍・僵屍・vampireに相当する語が見当たらない。検索エンジンがどの項目を一致させたのかが分からず、殭屍を描く作品かどうかも確認できなかった
『殭屍拜月』(1958)の「満月の光で蘇る」という言い伝えは、他の資料にも見える設定か?
殭屍拜月(英題 A vampire pays offerings to the moon) まだ確かめられていない
この作品の紹介文だけに見える設定で、このサイトの記録のほかのキョンシー記録(跳ねる・札・官服など)とは異なる。同じ言い伝えが他の文献・作品にも見えるかは今回の資料からは確認できなかった
施蟄存「祝由科的巫術」は、いつ、どの雑誌・本で初めて発表されたか?
趕屍 まだ確かめられていない
随筆は1937年秋の出来事を「五十年前」のこととして書く。初出が1985年の『霊幻道士』の前か後かで、額の符・攝魂鈴の記述が映画より前の記録かどうかが決まる。施蟄存の文集の書誌で確かめる。
『人嚇人』(1982)の公的な作品紹介(香港政府データベース・HKFA・Fortune Star)は見つかるか?
調べたが確かめられなかった
香港政府の Hong Kong Film Search、香港電影資料館、Fortune Star の各サイトを検索したが、この作品のページは見つけられなかった(HKMDB は検索していない)。開眼電影網・豆瓣など民間の商業データベースの情報は見つかったが、公的な作品紹介ではないため根拠にしていない。
制作者(監督・武術指導など)本人が跳ねる動きの由来を語った、公的な資料館の口述記録・インタビュー刊行物はあるか?
キョンシー(僵屍・殭屍) 調べたが確かめられなかった
香港電影資料館の刊行物・通訊(Newsletter)を検索したが、林正英・劉觀偉・洪金寶らが跳ねる動きの由来を語ったとする該当頁を今回の調査では見つけられなかった(通訊のPDF個々の号は今回の調査では開いていない。号数の一覧は見つかったが、跳ねる動きに関する号を特定する手掛かりが無かった)。
清代の筆記が語る屍変の原因(地気・陽気などの説)と、映画でキョンシーになるきっかけの関係を論じた研究はあるか?
まだ確かめられていない
今回の調査で確認した馮藝超論文は、『子不語』『続子不語』の屍変の原因を分類するのみで、殭屍映画への言及は無い(本文中に「電影」「影片」の語を機械的に検索したが1件も無かった)。清代筆記の屍変理論と、映画の「改葬で腐らない遺体が動き出す」という筋との関係を論じた研究は、今回の調査の範囲では見つからなかった。
『子不語』巻2「秦中墓道」の「地気」による発凶と、閱微草堂筆記巻10の「久葬不腐」の僵屍は、同じ現象を指す記述として重ねてよいか?
秦中墓道 まだ確かめられていない
両話とも「長く葬られた(あるいは葬られなかった)屍が変化する」という筋を持つが、前者は「地気」を明示的な機序とし語は「白凶・黒凶」、後者は機序を明言せず語は「僵屍」で、同じ現象を指しているかどうかは今回の調査の範囲では判断できない。
撿骨までの年数は、客家の辞典(5・6・7 年)と台湾の一般の説明(5・6 年、または 8・10・12 年)で、なぜ違うのか?
まだ確かめられていない
教育部台灣客家語常用詞辭典の「撿骨」と國家文化記憶庫の「撿骨習俗」が挙げる年数が違う。地域・族群の違いか、資料の書き方の違いかを確かめる。
『續子不語』「僵屍拒賊」で女が僵屍に戻る場面は、版によって「暑い日」か「ある晩」か?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
維基文庫の翻刻は「一日,天大熱」、馮藝超論文の紹介は「一夕驟見天光」。論文が使った版(湖南岳麓書社 1985 年の点校本)と照らす。
殭屍映画の術の所作(印を結ぶ・札を燃やす・水を吹く等)の出どころを、道教の儀礼ではなく京劇・武術の型や作り手の工夫として述べる研究・資料館の解説は無いか?
まだ確かめられていない
今回読んだ道教文化中心資料庫・弘道誌・劉仲宇論文のいずれも、殭屍映画そのものへの言及は無かった(道教の儀礼の説明に終始する)。映画の所作の出どころを論じる映画研究・資料館解説(香港電影資料館の解説文など)は、今回の探索範囲では見つからなかった。
道士が口に含んだ水や酒を吹きかける所作(噴水・噴符など、字は資料どおり)は、映画より前の道教・民間の法術の資料でどう呼ばれ、どう説明されているか?
まだ確かめられていない
これまでの調べでは、道教の資料に洒淨(甘露碗と楊柳枝で水を灑ぐ)の所作は見つかったが、水を口に含んで吹く所作の項目は見つからなかった。台湾の法師(紅頭法師など)の儀礼の記録で探したい。
出殯・葬列で死者や棺のそばを通るときに息を止める(閉氣・憋氣)という習俗は、中国・台湾・香港・日本の民俗の資料に見つかるか?
息を止める 調べたが確かめられなかった
ウェブ検索で「閉氣」「屏氣」「憋氣」「出山」「出殯」「野辺送り」等のキーワードを複数組み合わせて試みたが、見つかったのは商業的な葬儀社サイトの一般的な喪礼禁忌の記事ばかりで、学術論文・民俗辞典・公的な資料には行き当たらなかった。
映画の「息を止めてやり過ごす」場面や台湾題『暫時停止呼吸』の由来について、馮藝超論文以外の学術論文・映画資料館の解説は何を述べているか?
息を止める 調べたが確かめられなかった
馮藝超2007論文の全文を「電影」「暫時停止呼吸」「殭屍先生」等のキーワードで検索したが、映画への言及は見当たらなかった。既存の記述(香港電影資料館・自由時報等)以外の裏付けは、今回の調査では探せなかった。
觀落陰の術で、参加者の目を覆う布や、用いられる符・呪の具体的な使い方を記す民俗調査の記録はあるか?
觀落陰 まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ教育部台語辞典と論文摘要は、觀落陰の定義と研究方法・知見は記すが、実際の儀礼の手順(誰が導き、参加者は何を見るとされ、目を覆う布や符・呪をどう使うか)までは書いていなかった。
走陰(湘西の仙娘の術)と觀落陰(台湾の民間儀礼)は、系統として関係があるか、それとも別々に生まれたものか?
走陰 まだ確かめられていない
康豹論文は湘西の走陰(仙娘走陰)を記すが、台湾の觀落陰との関係には触れていない。両者の異同・系譜は今回の調査の資料からは確かめられなかった。
施德玉論文が言う福建伝来の「落陰歌」は、觀落陰・走陰と言葉のつながりがあるのか、それとも字面が似ているだけの別の語なのか?
牽亡(牽亡歌陣) まだ確かめられていない
施德玉(2020)は牽亡歌陣の形成に福建伝来の「落陰歌」が関わるとするが、この論文はこの語と「觀落陰」「走陰」との関係は論じていない(摘要の範囲では言及なし)。
十殿閻王・城隍・奈何橋・孟婆などの陰間の構成と、殭屍・屍變を結びつける公的資料・研究の記述はあるか?
陰間・地府 まだ確かめられていない
萌典の各語義説明はいずれも殭屍・屍變に触れておらず、今回の調査の範囲では両者を結ぶ記述は見つからなかった。
元神出竅(生きた人の魂が体を離れること)の危険(体が損なわれる、戻れなくなる等)について、辞典の定義を超えて具体的に説明する民俗・宗教研究はあるか?
元神 まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ辞典2件は元神の語義と古典の用例(体から抜け出す場面)までは記すが、危険についての具体的な説明までは書いていなかった。
『殭屍小子』の二度の禁演は、子供の模倣や迷信を理由にしたのか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
中文版ウィキペディアの記事本文は、公開後に子供が殭屍の跳ねる真似をし、教育学者の批判と立法委員の立法院での質問を受け、新聞局が二度禁演を裁定したと書く。ただし、脚注の外部リンク(台灣電影筆記)は失効しており確認できない。今回見つかった2016年の聯合報記事(電影時光機)は、禁演の理由を「殭屍映画の氾濫」とし、子供の模倣や迷信には触れていない。どちらが(あるいは両方が)当時の実際の理由なのかは、今回の資料だけでは分からない。
『殭屍小子』の禁演を報じた1986年当時の新聞記事本体は見つかるか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
聯合報・中國時報などの1986年6月前後の紙面(原紙面・縮刷版)はまだ確かめていない。確かめられれば、禁演の公式な理由づけと日付を当時の紙面で押さえられる。
立法院で殭屍映画の氾濫を質問した立法委員の発言記録は確認できるか?
まだ確かめられていない
ウィキペディア本文が伝える「立法委員於立法院質詢此殭屍電影氾濫問題」という経緯が事実なら、立法院公報(質詢記録)に残っている可能性がある。今回は立法院公報の全文検索を行っていない。
日本で放映当時(1986〜88年)、子供の模倣・恐怖・迷信を理由にした新聞・雑誌・PTA等の懸念の声を伝える一次資料はあるか?
まだ確かめられていない
今回、日本PTA全国協議会の公式な沿革頁を確認したが、1986年12月発表の「好ましくない番組ワースト10」にキョンシー映画放映番組は含まれていなかった。一方、当時の新聞(朝日新聞・読売新聞等)のデータベースは有料(聞蔵Ⅱ・ヨミダス歴史館等)でアクセスしておらず、当時の雑誌記事も確認できていない。反発の有無は今回の資料からは判断できない。
『殭屍小子』(幽幻道士)の日本での初回テレビ放送日はいつか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
ウィキペディアの記事情報欄は日本公開日を1987年1月12日(TBS系「月曜ロードショー」)とするが、ウィキペディア本文であり根拠にしていない。放送局側の公式記録や当時の番組表(新聞のテレビ欄)で確認できるか。2026-11-05 に、1987 年 1 月の週刊誌の番組の案内で 1 月 12 日を読めた。初回と書く当時の資料は、ここまでの調べでは見つかっていない。
中国大陸で、殭屍・鬼をテーマにした映画が、迷信を宣揚する内容を禁じる条項を理由に、実際に輸入・公開を拒否された具体例は確認できるか?
中国大陸 まだ確かめられていない
1996年・2002年の電影管理条例は「迷信」を宣揚する内容の映画を一般に禁じているが、これはあらゆる映画に適用される一般規定であり、殭屍映画を名指しした事例ではない。特定の香港・台湾製の殭屍映画が実際にこの条項を理由に大陸での輸入・公開を拒否された記録(広電総局の審査記録・当時の報道)は今回見つからなかった。
殭屍映画の公開当時の受け止め(子供向け・迷信・返還前の気分など)を論じた学術研究はあるか?
まだ確かめられていない
今回の検索では、殭屍映画の同時代的な受容・反発を専論した査読論文・学術書は見つからなかった(馮藝超論文などこのサイトの記録に既にある研究は語や話型の整理が中心で、公開当時の社会的反応は論じていない)。
『殭屍先生』は1985年当時、香港で何らかの内容規制(上映拒否・カット等)を受けたのか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
香港の電影檢查條例に基づく等級制度は1988年11月10日施行で、1985年の本作公開時にはまだ存在しなかった。等級制度以前の香港で映画内容に対する何らかの規制・拒否の運用があったかどうかは、今回の資料からは分からない。
香港01(2016)の談話で、隠れんぼの遊びを映画に入れた「大哥」は洪金寶を指すのか?
息を止める まだ確かめられていない
同じ記事の前の段では洪金寶を「三毛大哥」と呼ぶが、息を止める段の「大哥」が同じ人かは書かれていない。2020 年の Yahoo奇摩の記事は同じ所を「前輩們」(複数)とする。錢小豪の別の取材や、特典インタビューで確かめたい。
劉觀偉の伯父(あるいは家族)が茅山の師で、その話が殭屍先生の元になったという話の、本人の発言の初出はどこか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
検索では、ウィキペディア・百度百科・まとめ記事・鳴人堂の評論が「劉觀偉の回憶」として書くのが見えたが、本人の取材記事(媒体・年)は見つからなかった。2017-12-29 の網易號の劉觀偉インタビュー(娛影專訪)にもこの話は無かった。
洪金寶が役者だった母から子どもの頃に聞いた話が殭屍先生の着想だ、という話は、本人のどの発言に基づくか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
英語の評論・ウィキペディアが Daniel O'Brien『Spooky Encounters: A Gwailo's Guide to Hong Kong Horror』を元に書くのが見えたが、本は読んでおらず、洪金寶本人の発言の一次資料は見つからなかった。
黃鷹が殭屍先生以前に殭屍の喜劇脚本を二本書いていたという話の一次資料(小説版の序文など)はあるか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
電影神搜(2024)は黃鷹の言として紹介するが出典を示さない。黃鷹の小説版『殭屍先生』の書誌と序文・後記を確かめたい。
劉家良や劉家班の武師が『茅山殭屍拳』(1979)の殭屍の動き・跳ねる型について語った発言はあるか?
茅山殭屍拳(英題 The shadow boxing) 調べたが確かめられなかった
香港電影資料館の口述歷史叢書之七(七十年代香港電影、中文版 PDF)を「殭屍・茅山」で引いたが、劉家良本人の発言は無く、評論家の座談に殭屍先生への言及があるだけだった。資料館の劉家良の略伝 PDF にも茅山殭屍拳の記述は無い。88 Films 版 Blu-ray(2024)の特典は予告編と写真集だけとする評が複数あり、インタビューは確かめられなかった。
林正英が殭屍先生の撮影前に道教の人へ茅山の道術を尋ねたという話は、本人や共演者の発言として残っているか?
道士 記述があることは確かめた
Yahoo奇摩(2020-08-26)の記者の記事は、これを「傳聞」として書く。本人・共演者の発言の一次資料は見つかっていない。
香港電影資料館の 2026 年の上映後の講座(9 月 5 日の劉偉強の映後談、6 月 6 日の靈幻經典の上映回)に、設定の出どころの話の記録や書き起こしはあるか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
上映頁には映後談の予告だけがあり、記録は見当たらない。資料館の通訊・刊行物に載るかを後で確かめたい。
「生降死不降」の言い方は、清初の同時代の記録に見えるか?
「生降死不降」など「降/不降」の言い伝え まだ確かめられていない
今回の調査で読めたのは、民国初の編纂『清稗類鈔』(人々の伝えとして)、1920年の『臺灣通史』(三不降之約として)、1890年の台湾の教会報(念祖の意味の一説として「活歸清,死歸明」)、鄭天挺(民間伝説として、洪承疇の政策説を否定)、林淑心(「男從,女不從」を「規定」と書く)まで。清初(順治・康熙)の文献に同じ言い方があるかは確かめていない。
「十從十不從」や、金之俊・洪承疇がこの取り決めを進言したという説は、どの資料に出てくるか?
「生降死不降」など「降/不降」の言い伝え まだ確かめられていない
検索の手掛かりに、「十從十不從」を金之俊の進言とする説が見えた(原文未確認)。張闶論文は取得が途中で切れ、著者名・所属・題名は未確認。どの資料に初めて出るかを確かめたい。
廖伯豪の修士論文『清代官帽頂戴研究』(2014)頁198-201は、官員の礼服を入殮に用いた例として何を挙げているか?
壽衣・殮服(死者に着せる装束) まだ確かめられていない
廖伯豪2025は、官員の礼服が入殮服にも使われたと述べ、根拠として著者の修士論文(國立臺南藝術大學、2014)頁198-201を注に挙げる。具体例・地域・時期は今回の調査で確かめていない。臺灣博碩士論文知識加值系統などで全文が読めれば確かめられる。
『臺灣慣習記事』第三卷上第五號・第六號の原文は、婚礼で七品の官服を借りること、婚礼の衣装を死者に着せて葬ることを、どう書いているか?
壽衣・殮服(死者に着せる装束) まだ確かめられていない
廖伯豪2025が1997年の中訳本(臺灣省文獻委員會)から引く記述のみ読んだ。日本語原文(原刊の年は未確認)(臺灣慣習研究會)で、男性の死者に官服の形を着せたかどうかの記述があるかも含めて確かめたい。
清代の台湾で、功名や官職の無い人が亡くなった際に、清の官服(補服・朝珠・頂戴)の形の装束を着せた記録はあるか?
壽衣・殮服(死者に着せる装束) まだ確かめられていない
『臺灣通史』は入殮は男女とも明服で功名ある者だけ清制とし、1890年の『論喪事』は官職ある人に朝衣朝服頂帶を着せ、富者は綢緞、貧者は粗布と書く。どちらも位の無い人が官服の形を用いたとは書かない。一方、廖伯豪は婚礼で税を払えば庶民も七品の官服を三日間着られたとする旧慣調査を引く。死後の装束として同じことがあったかは未確認。
清代〜民国の中国大陸(北方・江南・閩粵)の壽衣は、どんな形だったと民俗の調査や喪葬史は記すか?
壽衣・殮服(死者に着せる装束) まだ確かめられていない
今回の調査の資料は台湾と現代の香港に偏った。徐吉軍『中國喪葬史』など喪葬史の書誌、地方志の風俗の部に当たれば確かめられる。
殭屍映画の作り手(『殭屍先生』の制作陣など)や香港電影資料館は、殭屍に清朝の官服を着せた理由を語っているか?
清朝の官服 まだ確かめられていない
今回の調査では、理由を述べた資料は風傳媒の記事(2026)だけで、記者の見立て(清末民初の時代設定、官服の視覚的な識別性)だった。研究・資料館の解説で由来を述べるものは見つからなかった。
武官七品の補子の紋は、彪か犀牛か?
清朝の官服 まだ確かめられていない
林淑心の表と李理(故宮學刊2014、會典圖による)は七品・八品とも犀牛とし、梁弘孟が『讀例存疑』から引く大清律例の条例は七品武職の補服を六品と同じ(彪)とする。時期や典拠(律例と會典)の違いによるのかを確かめたい。
1894年の張虞廷墓の出土品の報告は、墓主が朝冠などの官服の形で葬られていたことを示しているか?
まだ確かめられていない
廖伯豪2025は、張虞廷墓(台南、光緒甲午年)から銀鍍金の朝冠頂が出たと書くが、墓主の装束全体や出土状況は書かない。発掘報告(國立臺南藝術大學など)で確かめられる。
捐納で職銜や頂帶を得た商人が、補服や頂戴を身に着けてよいと会典の服制でどう定められていたか?
捐納 まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ『清史稿』卷112 は、樂善好施の例で頂帶・職銜を与えたこと、同治元年に商賈を虚銜・雑職に限る案が出て撤回されたことまでを記すが、得た銜で服飾を用いる規定は書かれていない。『大清會典』禮部・輿服の条や捐納の研究(伍躍など)で確かめたい。
清代〜民国で、道士や喃嘸先生が葬式・送柩で受けた謝礼の額を示す記録はあるか?
帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬) まだ確かめられていない
今回の調査では、太倉で僧道を用いる家が十のうち八九(『清稗類鈔』)と、かつぎ人夫の賃金の告示(帆刈 1994 の引く1801年上海)までしか見つからなかった。道士への謝礼・紅包の額は、地方誌・徵信錄・民族誌(黎志添『廣東地方道教研究』など)で探したい。
籍貫迴避の条文を『大清會典』『欽定大清會典事例』の原文で確かめられるか?
籍貫迴避(任官の本籍回避) まだ確かめられていない
今回の調査の回避の主張は魏秀梅論文(1989)の引用と要約に拠る。順治十二年の題准、康熙四十二年の五百里、雍正七年の六省の緩和の条文を、会典・事例の影印で照らしたい。
湖南・貴州・四川の同郷会館が、客死した同郷人の寄柩・運柩をした記録はあるか?
帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬) まだ確かめられていない
今回の調査で運棺の仕組みを確かめたのは上海の寧波人(四明公所)と、香港・澳門・米国の事例だけ。帆刈 1994 は漢口の江西会館の扁額に触れるが、実際の送還は稀だったという。湘黔川の会館・義地の記録は見つけていない。送尸術と結びつける資料も見ていない。
東華義莊の「成立」は1899年か1900年か?
東華義莊 まだ確かめられていない
東華三院の概要頁と吳瑞卿の記事は1899年を成立の年とし、同じ団体の「關於東華義莊」頁は1899年を用地の申請・許可、1900年を落成・命名の年とする。徵信錄など当時の記録で確かめたい。
帆刈論文の注7・8が挙げる、漢口の江西人ギルド会館の「死在西江」の扁額と埋葬の実態の出典は何か?扁額の字は論文の誤植か、原額どおりか?
帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬) まだ確かめられていない
帆刈 1994 の頁3 は伝聞の形(〜という)で書き、出典を注に回す。今回の調査では注の頁を読んでいない。
葬列や遠方への運柩で鈴を振る習わしを、実際に記録した民俗調査・地方誌はあるか?
鈴 まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ宜蘭・台湾の論文・香港の小冊子・Watson の整理は、葬列の音として嗩吶・鑼鼓・吹鼓・洗路(鐃鈸)を挙げるが、鈴を振るとは書いていない。趕屍の鈴は既存の施蟄存の随筆(攝魂鈴)と今の記事(鈴で知らせる)だけ。湘西・貴州の地方誌の喪葬の条、道教の喪葬科儀(開路・引魂)の調査で確かめたい。
『薛丁山征西』の「攝魂鈴」と、施蟄存の随筆で趕屍の術者が振るとされる「攝魂鈴」とは、語としてつながっているのか?
攝魂鈴 まだ確かめられていない
今回の調査では、清代の小説『薛丁山征西』第三十七・三十八回に、戦場で魂魄を奪う鈴として攝魂鈴が出ることを確かめた。随筆の語がこの小説や戯曲から来たのか、民間で別に使われていた語なのかは、どの資料も述べていない。ほかの小説・戯曲・道教文献での用例を探したい。
「引魂鈴」という語は、どの資料に現れるのか?
鈴 まだ確かめられていない
維基文庫の全文検索で「引魂鈴」は見つからず、萌典の公開データにも項目が無かった(見出しや用例が無いことの証明ではない)。道教の科儀書や民俗調査で確かめたい。
棺・遺体を宿や殯舎に仮に置くとき、立てるか寝かせるか、門や戸との位置をどう決めるかを書いた記録はあるか?
寄柩(寄櫬) まだ確かめられていない
運営に関する事柄は、条規(規則)として檔案(保存文書)に残したとある(棺・遺体の置き方も含むかは本文から分からない)。条規そのものを確かめたい。
湘西の「死屍客店」「趕屍客棧」を記録した一次資料(地方誌・調査報告・当事者の証言)はあるか?
趕屍 調べたが確かめられなかった
研究所が参照した範囲では、死者専用の宿を記す一次資料は見つからなかった。検索で見つかったのはまとめ記事と百科サイトで、報道(中時新聞網の旺報 2013 年の記事)は 2026-09-27 に読み直そうとしたが開けなかった。ネット上で最も早いのは 2007 年の筆者不明の転載記事 2 本と、趙玉燕 2011 が脚注に挙げる掲示板のページ(未読)。趙論文はこの話を言い伝え(人们传说)として扱う。維基文庫の全文検索(送尸・喜神・停柩 客店・柩 逆旅など)でも、清代の本文に死者専用の宿の記述は無い。『清稗類鈔』の「客店が専用の一部屋を備える」は小字の注である。泸溪・沅陵などの地方誌、民俗調査の報告で確かめたい。
遺体・棺・金斗甕を背負って運ぶための道具(背架・背簍・背負い枠)を具体的に書いた民俗資料はあるか?
帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬) 調べたが確かめられなかった
今回の調査で読んだ客語辞典の解説は、客家が遺骸を「擔」いで移り、子孫が遺骨を「背」って帰すつもりだったと書くが、道具は書かない。既存の廖亦武の証言の紹介(二人組が背負う)以外の資料を探したい。 2026-09-27の調査では、形が記された背負い具として『溪蠻叢笑』の背籠(木の枷の形で額に帯を掛ける)が見つかったが、死者に使うとは書かれていない(同書の隣の条の葬堂は一人が屍を背負う葬法だが道具は書かれない)。遺骨の入れ物として出るのは『清史稿』孝義傳の裹(包んで背負う)と匱(箱に納めて担ぐ)だけ。背架・背簍を死者に使った民俗資料は見つからなかった。
客死者の棺を故郷へ帰す費用を、僧や道士が化緣(募化)で集めた記録はあるか?
施棺・募棺 まだ確かめられていない
今回の調査で見つかったのは、官(蔣元樞)の倡捐と勧募、文人官僚(汪琬)の募棺の文、孝子が道中で乞食し人々に金帛を助けられた地方志の話まで。僧・道士の化緣や、運び手が道中で施しを受けた話は見つからなかった。寺院の碑記や善堂の徴信録で確かめたい。
「魂轎」を、葬列で担ぐ轎とする資料と、臨終直後に紙で作って焼く物とする資料とは、地域・時期でどう分かれるのか?
魂轎・魂車 まだ確かめられていない
萌典は『金瓶梅』を引いて出葬で衣服と霊位を載せる轎とし、宜蘭の資料は息を引き取ってすぐ門口で焼く物とする。台湾以外の地域の調査で、焼く魂轎と担ぐ魂轎がどこでいつ使われたかを確かめたい。
全國宗教資訊網(内政部)の「帝鐘」の頁は、帝鐘を誰がどの場面で振ると書いているか?
鈴 まだ確かめられていない
帝鐘・法鈴を、誰がどの場面で振ると書くか。取得できなかった頁を後日取得して確かめたい。
「銅甲屍」「金甲屍」「銅屍」「鐵屍」「黑僵」「跳屍」「屍王」「將臣」は、どの資料に初めて現れるのか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
2026-09-27 に維基文庫の全文検索で「銅屍」「銅甲屍」「金甲屍」「黑僵」「跳屍」を引くと 0 件、「鐵屍」は『太平廣記』の薊子訓の話の「狀如屈鐵,屍作…」の字の並びだけ、「屍王」(42 件)「將臣」(5995 件)は上位 15 件を見た範囲では別の文脈の字の並びだけだった(全件は見ていない)。維基文庫に収められていない民国期の資料・映画・漫画・2000年代の小説とネット記事のどこから始まるかは確かめていない。網羅的な検索ではないので「古典に無い」とは言えない。
白僵・黑僵・跳屍・飛屍・不化骨のように段階を一列に並べる体系は、どの資料が最初に示したのか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ清代の資料で移り変わりを述べるのは、『續子不語』卷五「飛僵」(僵屍→飛ぶ→飛天夜叉)、同「骷髏三種」(伏屍→游屍→飛行夜叉)、同卷三「犼」の或曰(屍→旱魃→犼)、『仕隱齋涉筆』の又一説(僵屍→金毛吼→旱魃)で、白僵・黑僵を段階とする記述は無かった。紫僵・白僵・綠僵・毛僵は『子不語』卷九で並ぶだけで順序は無い。ネットの等級の記事は根拠にせず、出どころの小説・ゲームを探す手掛かりにする。
紀昀が読んだという『夜談叢錄』の焚旱魃の記事は、どの書のどの話なのか?
旱魃(ひでりを起こすとされる魃) まだ確かめられていない
『閱微草堂筆記』卷七は近人の『夜談叢錄』に焚旱魃一事があると書く。書名が『夜譚隨錄』を指すのかを含め、今回の調査では確かめていない。
犼(吼)と旱魃の順序(屍→旱魃→犼/僵屍→金毛吼→旱魃)は、ほかの清代・民国の資料ではどう書かれているのか?
犼 まだ確かめられていない
『續子不語』卷三「犼」の或曰と『仕隱齋涉筆』の又一説は順が逆で、字も「犼」と「吼」で違う。『仕隱齋涉筆』の著者・成立年も確かめられていない。
『仕隱齋涉筆』が「小說載」として紹介する「魃は僵屍の化したもので一名飛天夜叉」という話は、どの小説によるのか?
飛天夜叉 まだ確かめられていない
『續子不語』卷五「飛僵」は飛天夜叉を飛ぶ僵屍の先の姿とするが、旱魃とは結びつけていない。飛天夜叉と旱魃を結ぶ記述の出どころを確かめたい。
『鬼吹燈』『盜墓筆記』などの公式の作品紹介は、屍の段階や色の呼び分けを設定として示しているのか?
紫僵・白僵・綠僵・毛僵(棺の中の僵屍の呼び分け) まだ確かめられていない
今回の調査では小説・ゲームの公式紹介を取得していない。
「死尸客店」の段落(門板の裏に遺体を立てる、門は年中開ける)は、2000年代の網上の文より前に、紙の本・雑誌・新聞に出ているのか?
死屍客店(趕屍の一行を泊める宿) まだ確かめられていない
今回の調査で見つかった最も早い日付は、趙玉燕 2011 が脚注に挙げる掲示板の頁(URL に 0508 の数字)と、2007年4月・5月の転載記事。どちらも元の筆者を示さない。1980〜90年代の湘西の文史資料・民俗の本・通俗雑誌で同じ段落を探したい。
2007年の転載記事が元とする台湾の電子報「怪力乱神online」の清明節の特別増刊は、いつ、どの媒体から出たのか?
死屍客店(趕屍の一行を泊める宿) まだ確かめられていない
福州新闻网 2007-04-11 の記事は台湾の電子報の図解版の転載と書くが、同じ本文を載せる 2007-05-22 の記事は「奥一网综合报道」とだけ書く。出どころの表示が食い違うので、元の電子報の記事を確かめたい。
四川・彭山の1949年の「吆死人」の一人称の回想は、誰がいつ、どの雑誌・本に書いたものか?
趕屍 まだ確かめられていない
2007年の転載記事は筆者名も初出も示さない。筆者は当時、岷江の水運の管理部門で働いていたと書く。四川の文史資料や随筆誌で初出を探したい。宿の場面は筆者が知人から聞いた話である。
趕屍の一行が泊まる場所を、普通の宿とする資料、専用の宿とする資料、術者(祝由科)の家とする資料は、地域と時代でどう分かれるのか?
趕屍 まだ確かめられていない
これまでに確認した記述は、『清稗類鈔』(旅店・客店、戸の脇)、『洞霊小志』の孫引き(戸の後ろ)、施蟄存の随筆の中の商人の話(土地の祝由科の家、門の裏)、四川の回想(普通の旅店、戸口の隅)、2000年代の「死尸客店」(専用の宿、門板の裏)。どれも宿の屋号・地名を挙げない。
『清稗類鈔』送尸術の条で、客店が一房を専ら備えるという文は、原刊本でも小字の注として組まれているのか?
死屍客店(趕屍の一行を泊める宿) まだ確かめられていない
維基文庫の翻刻では〈【】〉で囲まれた小字の注になっている。商務印書館の原刊本の影印で、本文か注かを確かめたい。注なら、本文とは別の手(編者の補い)である可能性がある。
柩を家の門や城に入れない忌み・禁令は、旅の途中で宿屋が柩を泊めるかどうかの決まりとも結びついていたのか?
帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬) まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ資料では、柩を門・城に入れない習いと禁令(日知錄集釋の張生洲の注、嘉慶の実録)、船が柩を忌む話(清稗類鈔)はあるが、宿屋が柩を断る・外に置かせるという記述は見つからなかった。小説と逸話では、柩の一行が宿に泊まっている。清代の旅行記・商人の路程書・地方志の風俗の項で探したい。
湘西(沅陵・瀘溪・辰溪・溆浦)の地方誌や文史資料に、趕屍の一行を泊めたという宿の屋号・場所・遺構は書かれているのか?
死屍客店(趕屍の一行を泊める宿) まだ確かめられていない
今回の調査では、実在の宿の屋号・地名・遺構を挙げる資料は見つからなかった。観光の頁の「赶尸旅店」「祝尤科の杏黄の小旗」などの話はまとめ記事で、出どころが無い。瀘溪・沅陵の県志、『泸溪民俗拾贝』などを確かめたい。
台湾の功德の各科儀(打城・牽藏・過橋・放赦など)で、帝鐘を誰がどの場面で振るかを、呂錘寬『台灣的道教儀式與音樂』などの研究はどう書いているか?
做功德・功果(死者の超度の法事) まだ確かめられていない
今回の調査で読めた台湾の資料は、帝鐘を「請神唸咒」「召請」の法器として書くだけで、喪葬の科儀の場面ごとの使い方は無かった。泉南の記事には转藏・引魂で道士が鈴を振るとある。台湾の研究書・論文(抄録でなく本文)で確かめたい。
台湾の出殯で、道士が鈴を振って棺の前を歩き、埋葬後に魂轎を導く習わしは記録されているか?
出殯(棺を墓所へ送り出す行列) まだ確かめられていない
泉州南部の記事は道士が法鈴を振って棺の前を歩き、埋葬後は魂轎の前で鈴を振って魂を連れ帰ると書く。宜蘭の行列の列挙には鈴を振る役が無く、洗路は鐃鈸。台湾の他の地域(台南・高雄など)の喪葬の調査で確かめたい。
「泉南道士的丧事功果法事活动」は『泉州文史资料』のどの号に、誰の名で、いつ載ったのか?
做功德・功果(死者の超度の法事) まだ確かめられていない
泉州市图书馆のサイトの全文库には著者と元の号が表示されず、掲載日 2016-08-16 だけがある。本文は 1980 年代以後に書かれたと読める。書かれた年と語られた時期を分けるために、元の刊行を確かめたい。
高賢治主編『臺灣宗教』第三章は「諦鐘(銅鈴法)」を原文でどう書き、その文はどの元の論文(林普易『台灣宗教沿革志』など)から来ているか?
鈴 まだ確かめられていない
蕭登福論文の引用でしか読めていない(孫引き)。「諦鐘」が帝鐘と同じ物か、烏頭・紅頭で共通とする根拠は何か。
紅頭を「閭山派の法師」とする記述と「正一派の道士」とする記述は、それぞれ何を基準に分けているのか?
紅頭法師・紅頭道士 まだ確かめられていない
蕭登福(2021)は鈴木の紅頭法師を閭山法師とし、謝宗榮は紅頭の系統を正一派の道士として書く。劉枝萬(法師)・自由時報(正一派から生まれた法師)とも合わせ、地域・時代・自称のどれで分けているかを確かめたい。
趕屍で鈴や陰鑼を持つのは誰かを、調査・研究・地方誌が記録しているか?
趕屍 まだ確かめられていない
今回の調査で見つかったのは、英文誌の記事(道士が鈴で魂を導き銅鑼で知らせる)と科普記事(老司が鈴を掛け阴锣を打つ)で、どちらも典拠が無い。既存の施蟄存の随筆(攝魂鈴)と en.chinaculture.org(鈴で知らせる)も伝聞。一次の記録・研究を探したい。
『溪蠻叢笑』「葬堂」条の「照水内」は何を指し、屍を背負う「一人」は死者の子らの一人なのか?
葬堂(五溪の地の葬法) まだ確かめられていない
四庫全書本・説郛所収本とも「死者諸子照水内一人背屍」と続けて書き、句読点が無い。「照水」を儀礼の語と読むか、区切りをどこに置くかで、誰が背負うかが変わる。注釈書・研究(五溪・湘西の葬俗の研究)で確かめたい。
「葬堂」条で骨の函を崖の小屋に置く字は「枷」と「架」のどちらが元の字か?
葬堂(五溪の地の葬法) まだ確かめられていない
維基文庫の四庫全書本の単行本は「或枷崖屋」、説郛(四庫全書本)所収本は「或架崖屋」と作る。影印(四庫全書・説郛の別の版)で確かめたい。
『明史』の顧琇が母の骨を梁に吊るし頭上に戴いた扱いと同じく、背負って運ぶ骨を地面に置かない・水に濡らさないとする記述は、ほかの史書・地方志・民俗調査にあるか?
遺体・遺骨を背負って運ぶ(負骨・背屍) まだ確かめられていない
顧琇の伝は扱いを書くが、禁忌とも理由とも書かない。遺骨の運搬の禁忌(地に置かない、家に入れない、振り返らない、傘を差すなど)を、地域と時期を分けて書いた資料は今回の調査では見つからなかった。
湘西・四川・長江沿いで、遺体を背負って運ぶことを仕事にした人(趕屍と別の「背屍」)の記録は、地方志・文史資料・民俗調査にあるか?
遺体・遺骨を背負って運ぶ(負骨・背屍) まだ確かめられていない
今回の調査で見つかった「背屍」は、宋代の五溪の葬法(家の者が背負う)と 2004 年の同郷の友人の一件だけで、職としての背屍の一次資料は見つからなかった。検索で出るのはまとめ記事と百科サイトだけ。
背籠・背簍・背架など山地の一般の背負い具を、遺体・骨甕の運搬に使ったと書いた資料はあるか?
背籠(額に掛ける背負い具) まだ確かめられていない
『溪蠻叢笑』は背籠の形を書くが、同書の葬堂の条は背負い具に触れない。『老學庵筆記』も同じ地方の背負う運び方を書くが道具の形も死者との関わりも書かない。
『客家古邑民俗』『廣東民俗大典』の原文は、「背祖骨」や骨を背負う移住をどう書いているか?
撿骨(拾骨・洗骨) まだ確かめられていない
河源文明网の 2021 年の記事の孫引きでしか読めていない。原書の頁と、書物がどの資料・聞き取りに基づくかを確かめたい。
台湾で撿骨した金斗甕を実際に背負って原郷(福建・広東)へ帰った人・家の、名と年の分かる記録はあるか?
撿骨(拾骨・洗骨) まだ確かめられていない
客語辞典の解説(既存)は、帰すつもりだったが日本統治と両岸分治で果たせなかったと書き、客家の普查記録は移住の途中で骨骸を背負ったと書くが、どちらも具体的な人・年・道具を挙げない。族譜・地方の文史資料で確かめたい。
墨線・墨繩で棺や死者を封じる話は、『右臺仙館筆記』『里乘』(ともに清末)より前の筆記にあるか?
墨縄(墨斗) まだ確かめられていない
2026-09-27 に維基文庫の全文検索で「墨線 鬼」「墨線 屍」「墨斗 鬼」「墨斗 屍」「墨繩 鬼」「墨繩 棺」「墨線 棺」「墨繩 彈」「墨線 狐」などを引いた範囲では、『右臺仙館筆記』卷六と『里乘』卷三の他に、墨線で鬼・屍を防ぐ話は見つからなかった(墨線痕が現れる異変の記事は『履園叢話』『清稗類鈔』『民國新脩合川縣志』卷67 にある)。中國哲學書電子化計劃(ctext.org)では検索していない。網羅的な検索ではない。
『魯班經』の厭勝の部(「靈驅解法洞明真言秘書」「秘訣仙機」)は、どの版にあり、何を記すか?
厭勝・魘鎮(工匠が建物に仕込むまじない) まだ確かめられていない
Internet Archive の北京大學圖書館本『新鐫工師雕斲正式魯班木經匠家鏡』(153 コマ)は、縮小画像で見た範囲では卷三の宅形図で終わり、厭勝の符の部を見つけられなかった(全頁を読んではいない)。識典古籍の本文はまだ確かめていない。張劍葳(2007)は《魯班經》に厭勝の記載が多いと書くが、版と巻を示さない。
《西墅雜記》の原書は何で、『古今圖書集成』所引の本文と張劍葳論文の《西墅雜紀》の話は同じ字句か?
厭勝・魘鎮(工匠が建物に仕込むまじない) まだ確かめられていない
張劍葳(2007)は『社會風俗三百題』から孫引きし、書名を「紀」と書き、仕掛け人を木匠・瓦工と特定する。『古今圖書集成』考工典の所引本文にはその特定が無い。原書の作者・成立を確かめていない。
墨斗の「避邪」の印象を香港の殭屍映画の影響とする説明は、どの資料に基づくのか?
墨縄(墨斗) まだ確かめられていない
國家文化記憶庫の三義の墨斗の頁はそう書くが根拠を示さない。清の『右臺仙館筆記』卷六は墨線を鬼魅が恐れると論じ、『里乘』卷三は墨繩を柩に弾く話を載せるので、映画より前に墨線・墨繩を怪に対して使う記述はある。台湾・福建で墨斗を廳堂に祀る習俗(同記憶庫「木匠祖師爺-魯班」)との関係も未確認。
台湾の魯班を祀る廟・場所の数は、約30座か約10余か所か?
魯班の祭祀(魯班公・巧聖先師) まだ確かめられていない
國家文化記憶庫の「臺灣的魯班廟」(李乾朗)は主祀の廟を約30座、「三義木雕工具之魯班五寶02墨斗」は主祀・附祀あわせて約10余か所と書く。数え方・時点が示されていない。
棺を作る職人(棺材店・壽板店)が棺に施すまじないの記録はあるか?
まだ確かめられていない
2026-09-27 に維基文庫で「棺材 魘」「壽材 匠 厭」「棺 木匠 魘」を引いた範囲では、棺を作る職人が棺にまじないを施す記事は見つからなかった(『輟耕錄』卷九の蔡木匠の話は酔った木匠が棺を寝床と間違える話で、まじないではない)。民俗誌・台湾の葬儀業の調査は探していない。
堅尼地城の魯班先師廟の創建は1884年か1888年か?
魯班の祭祀(魯班公・巧聖先師) まだ確かめられていない
古物古蹟辦事處の法定古蹟の頁は「始建於一八八四年」と書く。検索結果の抜粋(古物古蹟辦事處の他の頁とされる文、報道)には「一八八八年落成」とあるが、今回の調査では原文を取得していない。建て始めと落成の違いかどうかも未確認。
「陰鑼/阴锣」という語は、2000年代より前の資料に現れるか?
陰鑼/阴锣 まだ確かめられていない
研究所が確かめた最も古い「陰鑼」の用例は2007年4月の転載記事。維基文庫の全文検索と萌典の公開データでは「陰鑼」「阴锣」とも見つからなかった(どちらも見出し・用例が無いことの証明ではない)。『清稗類鈔』「送尸術」・沈從文「沅陵的人」・施蟄存の随筆には鑼そのものが出ない。1980〜90年代の湖南の民俗書・新聞で確かめたい。
陆群『湘西赶尸』(民族出版社、2006)は、阴锣・摄魂铃の役割と、沅陵の巫師钟生义の家での趕屍の方法をどう記し、誰からの聞き取りに基づいているか?
趕屍 まだ確かめられていない
2024年の腾讯新闻の記事は同じ節で陆群の本を引き、钟生义の父・祖父の話(先頭の者が鑼を打ち声を上げる)を書くが、その段が本に拠るかは示さない。陆群の略歴(長沙理工大学の頁)には『湘西赶尸』民族出版社 2006 がある。本文を読んで確かめたい。
石啟貴『湘西苗族實地調查報告』や凌純聲・芮逸夫『湘西苗族調查報告』は、湘西の葬列や遠方への運柩で鑼・鈴を鳴らすかどうかを記しているか?
出殯(棺を墓所へ送り出す行列) まだ確かめられていない
王泳兴(2021)は今の湘西苗族の出柩・抬丧で鑼と太鼓を鳴らすと書くが、民国期の調査の記述は読めていない。趕屍の鑼が葬列の鑼とつながるかを確かめる手掛かり。
2009年の搜狐の記事(阴阳同路 湘西赶尸说)の元になった番組・文章は何で、1950年の解放軍兵士の話はどこから来たのか?
趕屍 まだ確かめられていない
記事は解放軍兵士の話を記者の取材や識者の談話とまじえて語り、テレビ番組の書き起こしに似るが、番組名・放送局は書かれていない。同じ話の中で先頭の者が「敲锣人」とも「提马灯」の者ともされる。元を確かめたい。
趕屍で鈴を「魂を導く物」、鑼を「生者に知らせる物」と分けて書く記述は、2014年の The World of Chinese の記事より前にあるか?
趕屍 まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ資料では、施蟄存の随筆(1980年代後半ごろ)は一つの鈴に導きと知らせを両方持たせ、2007年の記事は鑼を率いる者の道具とし知らせを鈴とも鑼とも書き、2017年の記事は鑼と呪で死体を従わせ、2024年の記事は鑼と鈴をともに知らせとする。役を分けて書く最も古い記述は、今回の調査の範囲では英文誌の2014年の記事(既存の記述)だけだった。
「銅甲屍」の語は、2007 年刊の『西双版纳铜甲尸』より前の出版物・作品に現れるのか?
銅甲屍(铜甲尸) まだ確かめられていない
豆瓣读书の書誌では『西双版纳铜甲尸』は 2007 年 11 月刊。ネットの紹介は 2006 年に書かれネットで広まったとするが、連載の記録は取得していない。香港政府の映画データベースの題名検索(2026-09-27)で「銅甲」は 0 件、別の調査での維基文庫の全文検索でも「銅甲屍」は 0 件。
維基文庫『潛夫論』卷六の見出し「正列第二十六」は、刊本の篇名と合うのか?
潛夫論 まだ確かめられていない
維基文庫の卷六は「卜列第二十五」「正列第二十六」「相列第二十七」の見出しで、「飛屍」を含む巫覡の七神の文は「正列第二十六」の節にある。刊本・影印の篇名は確かめていない。
「跳屍」「白僵」「黑僵」「旱魃」などを題に含む香港映画はあるのか?
キョンシー(僵屍・殭屍) 調べたが確かめられなかった
2026-09-27 に香港政府の映画データベース(Hong Kong Film Search Basic)の題名欄で、跳屍・旱魃・銅甲・將臣・殭屍王・白僵・黑僵・不化骨・飛僵を引くとすべて「Record not found」、金甲は『滿城盡帶黃金甲』(2006)だけ、屍王は『湘西屍王』(1993)だけ、飛屍は 5 件(うち題に「飛屍」を含むのは『飛屍』1981、『浴室飛屍』1958・1962 の 3 件)だった。題の欄だけの検索で、筋・台詞・宣伝文は調べていない。このデータベースに無い作品(香港で上映されなかった『霧夜飛屍』など)もある。
「白僵→黑僵→跳屍→飛屍」のような等級の並びの成り立ちを論じた研究・評論はあるのか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
中国語・英語で研究・評論を探したが、等級の体系の成り立ちを論じた研究には行き着かなかった。嶺南大學の修士論文(廖綺雯 2014、八・九十年代の殭屍電影と香港の後殖民)の抄録は等級に触れず、本文はまだ読めていない。國家圖書館の博碩士論文の『鬼吹燈』研究も本文を読めていない。ネットの記事(新浪・每日頭條・界面など)は等級を『子不語』に帰すが、確認した『子不語』正続の本文はその並びを示していない。
『幽幻道士』第 1 作の日本語吹替で、「ベビーキョンシー」「金おじいさん」などの役名や術の名は誰が付けたのか?
幽幻道士シリーズ まだ確かめられていない
飯田譲治は第 3・4 作の吹替で人物名や法術・呪文の名を自分で考えたと語る(映画ナタリー 2017)。第 1 作の吹替演出はアット エンタテインメントの頁では清水勝則で、第 1 作の役名の付け方を述べた資料は今回の調査では見つからなかった。
シャドウ・リュウが「叔父が脚本家」と言う叔父は、台灣電影網が編劇とする姚慶康か?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
CHANTO WEB(2026)で本人は叔父が『幽幻道士』の脚本家だと語るが、名前は出ない。台灣電影網の編劇欄は姚慶康。別の資料で親族関係を確かめる必要がある。
香港政府の映画データベースに、『殭屍小子』の香港での公開の記録はあるか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
香港政府の映画検索では、題名での検索までまだ進められていない。台湾の映画の香港公開が載る対象かどうかも確かめていない。
『暫時停止呼吸』の 1985 年の台湾公開時の新聞広告は、九叔と殭屍をどう紹介したか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
今回の調査では聯合報・中國時報の 1985 年の紙面や広告を公的なデータベースで引けなかった(有料・未接続)。既存の自由時報(2024)の記事は公開の状況を書くが、広告の文は無い。
『大清律例』の条例が武官七品の補子を六品と同じ彪とする(梁弘孟論文による)のは、明の制度(六・七品とも彪)とつながりがあるか?
清朝の官服 まだ確かめられていない
『明史』輿服志(洪武二十四年)は武官の六品・七品を彪、八品を犀牛とし、『清史稿』輿服志は武六品彪、武七品犀牛、武八品は七品と同じとする。前の調査で読んだ梁弘孟論文が引く条例は七品を六品と同じとし、林淑心の表は七・八品とも犀牛とした。条例の文の成立の時期と、明の制との関係を述べた資料は、今回の調査では見つけていない。
明の官を緋・青・緑で九等に分けたのは公服の規定か、常服の規定か?
明代の官服と冠 まだ確かめられていない
『明史』輿服志は緋(一〜四品)・青(五〜七品)・緑(八・九品)を公服の段に書き、常服の段には品による色の定めが無い。王熹(2008)は常服の色として緋・青・緑で九等に分けたと書く(頁211)。論文の本文の別の頁か、『大明會典』で確かめる必要がある。
清代の大陸の地方志・筆記に、死者に明の服を着せたと具体的に書いた記録はあるか?
「生降死不降」など「降/不降」の言い伝え まだ確かめられていない
今回の調査で読めたのは、何兆華の概説(生時は清装、入殮は明装)だけで、出典の注は無い。清稗類鈔・臺灣通史・論喪事・鄭天挺の記述と合わせても、大陸の具体的な記録(どの地方で、誰に、どの服を)は見つけていない。
「兩僵屍野合」の唐巾は、研究者によってどの時代・身分の装いとして読まれているか?
兩僵屍野合 まだ確かめられていない
本文は唐巾の一語だけを書く。王熹(2008)は明の烏紗帽が唐巾に似た形だと述べるが、この話には触れない。馮藝超(2007)はこの話を棺の蓋を失う例として挙げる(このサイトの別の記録の注記による)が、服装には触れていないようである。
何兆華「明清時期祖先畫像中官服之研究」は、どの誌の何年何号に載ったか?
まだ確かめられていない
國立臺灣藝術教育館のサイトの PDF(periodical 1126)で、柱は「肖像畫專輯」、紙面の頁は 11〜20。PDF に誌名・年・号の表示が無い。
英語版ウィキペディアの「趕屍の話は密輸業者の作り話」という一文は、どの資料から来たのか?
趕屍 まだ確かめられていない
China Culture 2011 の英文は英語版ウィキペディア Jiangshi の項の文とほぼ同じ言い回しで、この一文は 2007 年 10 月の要出典の印つきで 2008 年の版に既にある。現在の版は瑯嬛書軒の頁を出典に挙げるが、その頁(2002 年保存)は密輸業者に触れず、逃亡者の脱出の話を書く。ウィキペディアは手掛かりとしてだけ見た。
「另一种说法是,“赶尸”其实是黑帮的走私活动」の一文は、2007 年 4 月より前の台湾の電子報や中国の新聞に載っていたか?
趕屍 まだ確かめられていない
2007-04-11 の転載記事は台湾の電子報『怪力乱神online』欄の図解版の転載と書く。元の電子報、および 2006 年の『走近科学』より前の中国語の記事を探したい。
『清稗類鈔』「盜棺」の宣統庚戌(1910)の廈門の関所の出来事は、当時の新聞や海関の記録で確かめられるか?
盜棺(清稗類鈔 盜賊類) まだ確かめられていない
清稗類鈔は出典を書かない。同じ年の廈門の新聞・海関の報告に、柩の検めで盗掘の棺が見つかった記事があるか。
清代の刑科題本などの档案を使って、墓を暴いた者の身分・組織・狙った物を分析した研究はあるか?
發塚(墓を暴く罪) まだ確かめられていない
郭威廷(Weiting Guo)「Social Practice and Judicial Politics in 'Grave Destruction' Cases in Qing Taiwan, 1683–1895」(Chinese Law: Knowledge, Practice, and Transformation, Brill 2015)と、Project MUSE の論文「The Deeds of the Dead in the Courts of the Living: Graves in Qing Law」は、どちらも本文をまだ読めていない。
王子今の「『大清律例』二七六『发冢』、條例 22 条」は、どの年の版の数か?
發塚(墓を暴く罪) まだ確かめられていない
維基文庫の乾隆本系は條例十条、大清現行刑律(1910)は二十一条で、いずれも 22 と合わない。薛允升『讀例存疑』など、條例ごとの制定年が分かる本で確かめたい。
『西京雜記』卷六と『太平廣記』卷三百八十九の「廣川王」で、話し手(余/劉向)や墓の名(幽王/幽公、哀王/襄王)の字が違うのは、どちらの版の違いによるのか?
廣川王發古冢 まだ確かめられていない
維基文庫の二つの翻刻は、どちらも底本を頁に書いていない。『太平廣記』のページでは、他の箇所には明抄本と照らし合わせた注記(校記)があるが、この違いには注記が無い。謝明勳論文が用いた中華書局 1983 年版『西京雜記』は「哀王冢」「幽王冢」とする。影印か校訂本での照合が要る。
清代の筆記に、盗掘者が屍を歩かせる・運ばせる・屍に化けるなど、屍そのものを道具として使う話はあるか?
墓を暴く(發冢・盜墓) まだ確かめられていない
「發冢」「盜墓」「掘墓」「開棺」「破棺」などの字で維基文庫の本文を検索し、当たった話を読んだ範囲(『子不語』全24卷、『續子不語』全10卷、『閱微草堂筆記』全24卷、『聊齋志異』(維基文庫の第01〜12卷の頁)、『夜譚隨錄』、『右臺仙館筆記』全16卷、『搜神記』全20卷、『西京雜記』全6卷、『夷堅志』の維基文庫の全頁、『太平廣記』卷三百八十九・三百九十)では見つからなかった。近いものは、屍を背負って運ぶ(『右臺仙館筆記』卷四の奚呆子)、妖法で屍を人に飛びかからせて金を取る(『子不語』卷十「鞭屍」、墓荒らしではない)、道士が死人の姿を借りようとする(『子不語』卷一「李通判」)だけ。未検索: 『清稗類鈔』の盜賊類、『夜雨秋燈錄』『螢窗異草』『諧鐸』『耳食錄』など。
『太平廣記』「樊澤」の屍が着ていた「紫衣玉帶」は、唐のどの官品の服にあたると資料は述べるか?
樊澤(太平廣記卷三百九十) まだ確かめられていない
本文は墓の主を邕管經略使とし、服を紫衣玉帶とだけ書く。前の調査の『新唐書』車服志の記述(「唐・宋の官服(服色・幞頭・魚袋)」)と照らすには、經略使の品と、紫・玉帶の規定を資料で確かめる必要がある。
「破棺見尸」(夷堅支庚志)・「發冢見尸」(聊齋志異)の罪名は、宋・清の律のどの条にあたるか?
墓を暴く(發冢・盜墓) まだ確かめられていない
話の中では罪名だけが書かれ、条文は引かれない。対応する律の条文は、まだ確認していない。
盗掘の話で屍が「生けるがごとし」「体が温かい」とされる例は、清より前(漢〜宋)に多く、清の筆記では少ないのか?
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生) まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ範囲では、盗掘者が開けた棺の屍が生きているようだった話は『搜神記』『西京雜記』『太平廣記』所引の唐・五代の書、『夷堅志』に多く、清の『子不語』『閱微草堂筆記』『右臺仙館筆記』では、盗掘より工事・改葬・家の者が開ける話が多かった。数えた範囲が偏っているので、傾向とは言えない。研究論文での分類が見つかれば確かめたい。
『左傳』襄公十九年で、荀偃の目を二度目に撫でて斉のことを誓ったのは誰なのか?
死者の目が閉じない(不瞑) まだ確かめられていない
維基文庫の『春秋左氏傳』襄公十九年の本文は「欒懷子曰…乃復撫之曰」で、二度目に撫でた者の名を書かない。『論衡』死偽篇は同じ話を引いて懷子(欒盈)が撫でたとし、宣子は「浣而撫之」(左傳は「盥而撫之」)、誓いは「主苟死」(左傳は「主苟終」)と字も違う。杜預注・孔穎達疏など注釈がどう読むかは確かめていない。
死者の目を撫でて閉じる・言葉をかけて閉じさせる作法は、台湾・閩南・客家・湘西の民俗誌にどう記録されているか?
死者の目が閉じない(不瞑) まだ確かめられていない
今回の調査で死者の目を閉じさせる所作を確かめたのは、『左傳』(撫でて誓う)、『閱微草堂筆記』(舅姑の訴え、腕輪を与える)、2019年の報道(医師が死者の目を閉じる)だけ。台湾・華南・湘西の喪葬の民俗誌で、臨終・初終の段に目を閉じる所作や閉じないときの解釈を書いたもの(例: 徐福全の台湾喪葬の研究)を探していない。
清代の筆記に、恨みを抱いて死んだ者の「屍」そのものが起き上がる話はあるか?
強死・凶死・枉死(非業の死) まだ確かめられていない
今回の調査で読んだ範囲では、恨み・非業の死は『左傳』『朱子語類』『閱微草堂筆記』で鬼・厲・気・姿として現れ、屍が起きる話(子不語「南昌士人」、醉茶誌怪「屍變」、武勝縣志「子債二則」)の契機は、頼みごと・心残りの事、前世の貸しと葬り方で、恨み(冤・怨)の語は屍の起き上がりに結びついていなかった。維基文庫の検索(「冤」「屍」、「屍起」「屍忽起」ほか)は全件を読んでいない。
『民國武勝縣志』はいつ刊行され、卷十二雜識志の「子債二則」はいつ採録されたのか?
民國武勝縣志 まだ確かめられていない
維基文庫のページの序一には、民國十四年に修志(地方志の編纂)が始まり、その後、総纂(編纂の責任者)が替わったとある。ただし、刊行年は同じページでは確かめられなかった。話は民國初年・民國十一年の出来事として書かれる。
馬祖で凶死の者の喪礼は、正常の死と同じ手順で行われるのか、簡略化されるのか?
強死・凶死・枉死(非業の死) まだ確かめられていない
林駿華の修士論文(2003)は、第三章(紙面63〜64)で事故死の者は村外に安置するが喪礼は同じとし、結論(紙面92)では殯期を縮め手順を簡単にするとする。同じ論文の中の食い違いで、どちらが聞き取りに基づくかは論文から分からない。
陳曾寧編『迴盪戰前銀光夢』(睇戲喇喂、2020)の「亂世中的恐懼:恐怖電影的潮起潮落」は、『午夜殭屍』の殭屍の姿や服について何と書いているか?
午夜殭屍(英題 An evil thought / Midnight vampire) まだ確かめられていない
吳月華(2022、香港電影資料館『探索1930至1940年代香港電影 上篇』紙面89頁の注21)が、『午夜殭屍』と香港恐怖電影の誕生について参照先として挙げる(蘇梓恩・葉盈盈・楊樂心ら、頁96-97)。資料館の刊行物ではなく、オンラインの本文は見つからなかった。
『午夜殭屍』について、吳月華が2015年には Nosferatu(1922)の影響を、2022年には Dracula(1931)の流行を挙げるのは、別々の根拠によるのか?
午夜殭屍(英題 An evil thought / Midnight vampire) まだ確かめられていない
2015年の通訊は劇照を根拠に Nosferatu と表現主義を挙げ、2022年の論文集の章は Dracula(中文題『僵屍誌異』)が起こした西洋の殭屍片の熱潮と撮影・照明の技巧を挙げる。両者は矛盾とは限らないが、2022年の章は根拠を示さない。当時の新聞の広告・記事(《華僑日報》1936-07-29、《華字日報》1936-05-24)がどちらの映画に触れているかで確かめられる。
中央電視台『走近科学』の『行走的尸体』(2006年ごろ)の放送そのものでは、鑼は何と呼ばれているか?
陰鑼/阴锣 まだ確かめられていない
2006-08-08 の福州新闻网の紹介記事(出所 央视国际)は「敲锣人」とだけ書き、「阴锣」は出ない。記事は番組の要約なので、番組の語りや字幕に「阴锣」が出るかは記事からは分からない。
1985 年より前の香港映画で、題名に「茅山」を持つ作品は『茅山殭屍拳』のほかにあるか?
茅山法(民間の法術の流派としての) まだ確かめられていない
香港政府の Hong Kong Film Search の題名検索では「茅山」「Mao Shan」とも『茅山殭屍拳』1 件だけだった。手掛かりとして見た中文維基百科は『茅山道人』(英題 Demon Strike、1979、玉峰(香港)影業)を挙げるが、同じデータベースで Demon strike を引いても一致が無かった(維基百科は根拠にしない)。香港電影資料館『香港影片大全』第三〜九卷(1950〜1982)は網上に前言・序だけが公開されていて、本文の索引で確かめられていない。
李若冲の記事が引く『道統永傳』は、どこに所蔵され、どの調査で紹介された文書か?
茅山法(民間の法術の流派としての) まだ確かめられていない
澎湃新聞 2015 の記事は新界北部に流伝するとして一文を引き、黄冠羽士・告斗星巫・演法茅山・設送邪煞を並べるが、所在・年代・紹介した研究者を書いていない。香港の喃呒・正一の火居道士の研究(黎志添『廣東地方道教研究』など)で同じ文書が扱われているかは確かめていない。
香港・広東語で「茅山師傅」は、呪術を行う者一般を指す語として辞書に載っているか?
茅山師・茅山師傅 まだ確かめられていない
利用者が編集できる羊羊粵語(shyyp.net)は「茅山師傅」の解釋を「法師,巫師,會法術的人」とする。編集部の編む粵典(words.hk)には「茅山師傅」の見出しが無く、「茅山」は道教の一教派とだけ説明する。刊行された広東語辞典(『廣州話方言詞典』など)や報道の用例で確かめていない。
温州府の掌心雷の道士の名は「顧泰眞」と「顧太眞」のどちらが元の字なのか?
掌心雷(手のひらの雷) まだ確かめられていない
四庫全書本『浙江通志』卷201(割注に『萬曆溫州府志』)は「顧泰眞」、劉枝萬 1986 は『溫州府志』(注82。「同右」により『神異典』卷二八七・列傳五・明一)を典拠に「顧太眞」と書く。『萬曆溫州府志』本体と『古今圖書集成』神異典 卷287 の字は確かめていない。
掌心雷で石精を退治した夏主信は、唐の人なのか元の人なのか?
掌心雷(手のひらの雷) まだ確かめられていない
四庫全書本『江西通志』卷106 は南昌府の「唐」の見出しの下に夏主信の条を置く(条そのものに年号は無い)。劉枝萬 1986 は『南昌郡乘』(『神異典』卷二八六・列傳四・元)を典拠に元代とする。神異典 卷286 と『南昌郡乘』は未読。
四庫全書本『資治通鑑』卷212 の霹靂木の割注は誰の注で、「今」の張道陵の術の者とはいつの時代の道士を指すのか?
霹靂木・雷擊木(雷に撃たれた木) まだ確かめられていない
割注の筆者名は維基文庫の頁に書かれていない。注者の時代が分かれば、霹靂木の印の記述の時代が決まる。
掌心雷の指訣(指を曲げる形)は、どの資料にどう書かれているのか?
掌心雷(手のひらの雷) まだ確かめられていない
劉枝萬 1986 は、掌心雷指訣が必須とされ、その一法が符呪書(注91『太上老君符訣』大山書局、民國六十八年)にあると述べる。ただし、指の形は書かれていない。握雷局の指の形(道教文化中心資料庫)と同じものかは分からない。
雷や雷法が僵屍そのものを撃つ話は、「飛僵」「雷誅王三」「李通判」のほかに清代の筆記にあるのか?
キョンシー(僵屍・殭屍) まだ確かめられていない
2026-09-29 に維基文庫の全文検索で「雷擊僵屍」「雷擊殭屍」「雷震僵屍」「雷擊旱魃」「雷誅僵」「雷殛僵」を引いたが、見つからなかった。「雷擊屍」「雷擊其屍」で見つかったのは小説と誓いの言葉(東南紀事 卷八の周卜年)だけだった。「震死僵」「雷擊墓」などはまだ検索していない。
1986 年以後の台湾で、道士・法師が雷法(掌心雷・關五雷など)を行う様子を記録した調査はあるのか?
雷法(五雷法) まだ確かめられていない
劉枝萬 1986 は雷儀の伝承が失われつつあるとし、常志靜 2018 は家伝を称する法師の可能性を排除できないとするだけで、具体的な調査記録は今回の調査で見つかっていない。
「掌心雷」の語の、確かめられる最も古い用例はどの書のどの条なのか?
掌心雷(手のひらの雷) まだ確かめられていない
今回の調査で見たのは、明の『萬曆溫州府志』を引く四庫全書本『浙江通志』、唐の人とする『處州府志』(劉枝萬 1986 の注86、雍正十一年刊)、清の『郎潛紀聞初筆』、明清の小説類。宋元の道藏・筆記での用例は探していない。
1980年代の香港の殭屍映画は、中国本土で劇場公開されたり、ビデオで流通したりしたのか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
今回の調査では、『殭屍先生』(1985)などの中国本土での公開・引き取り(引进)・上映禁止・ビデオ流通を示す公的な記録や研究は見つからなかった。検索で出たのは、録像庁で観たという回想や作品を懐かしむ解説文(根拠にしない)と、百科事典の香港・台湾の公開日だけだった。調べた語: 「僵尸先生 内地 公映 引进」「录像厅 僵尸片 八十年代」「中影 引进 僵尸先生」、英語の video halls。中国電影資料館や当時の電影の雑誌の目録に当たる必要がある。
四明公所が1954年に終えたのは、寄柩の片づけか、公所そのものの活動か?
四明公所 まだ確かめられていない
上海社会科学院の頁(2003)は「1954年に清理が終わるまで」、公益時報(2024)は「1954年に停辦」と書く。上海市民政局の頁の文(2020)は、1949年以後については、1951年10月の積み残しの棺の片づけの会議に四明公所が出たことだけを書く。1949年以後に寧波への運柩が続いたか、いつ止んだかは、どの資料にも無かった。
湖南・四川・貴州の同郷会館の寄柩と運柩は、1950年代にどのように終わったのか?
帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬) まだ確かめられていない
今回の調査で年と場所が分かったのは上海(1949年の積み残しの棺の片づけの辦法、1951〜1952年の督導、1956年の丙舎の併合)だけだった。湘西の趕屍の地に近い内陸の会館・義荘の接収や廃止を述べた研究・地方志は見つからなかった。
1956年に毛沢東ら幹部が署名した火葬の文書(田村和彦の博士論文の要約の言う「火葬同意書」)の原文は、どんな言葉で火葬と迷信を語っているのか?
殯葬改革(中華人民共和国の葬送の改革) まだ確かめられていない
研究所が参照したのは、署名による火葬の提唱(倡導)に触れる2015年の報道と、1956年の「火葬同意書」に触れる研究の要約だけで、その文書の原文は見ていない。日付・署名者の数・文言を原文で確かめたい。検索で見つかった香港の中国文化研究院のページも開けず、まだ読めていない。
台湾や香港の葬送にも、死を土地公に告げに行く「報廟」にあたる習いはあるか?
報廟・送漿水(死を土地廟に告げる習い) 調べたが確かめられなかった
今回読んだ台湾の資料(臺北市政府の喪葬礼儀の表、高雄市殯葬管理處の喪礼の説明、教育部臺灣客語辭典の「還山」「拜伯公」)には、死の直後に土地公の廟へ報告に行く手順は無かった。台湾で土地公・后土が出てくるのは、納骨のときと葬る直前の祭りだけだった。香港の資料は今回探せていない。台湾の地方志の風俗の巻や、民俗の調査報告に当たる必要がある。
出殯のとき道に撒く紙銭(買路錢)を土地の神に払うものと説明する資料はあるか?
紙錢(冥紙・銀紙・買路錢) 調べたが確かめられなかった
今回読んだ資料では、道に撒く紙銭・浆水は、荣成の頁で「野鬼游魂」が行く手を阻まないように、高雄市の説明で「路上の野魂」が騒がないように、とされ、土地の神に払うとは書かれていなかった。荣成の頁では土地爺には別に「祀廟」をする。土地の神を受け手とする説明が他の地方にあるかは確かめられていない。
葬列や棺の通る道と石敢當の関わりを書いた記録はあるか?
石敢當(泰山石敢當) 調べたが確かめられなかった
澎湖の石敢當の調査研究では、石敢當が防ぐのは路沖からまっすぐ来る「不祥」「煞」で、死者との関わりは、もと墓地だった所・病院の向かい・七月半の好兄弟・墓の置き場が生む煞として出てくるが、葬列が石敢當の前を通るときの作法や、棺の通り道との関わりは書かれていなかった。福建・沖縄の石敢當の研究(周星 2003 など、論文の参考文献に見える)に当たる余地がある。
南洋の華人の義山(共同墓地)に拿督公や大伯公が祀られ、墓地の土地を守る神とされる例はあるか?
拿督公(Datuk Kong) 調べたが確かめられなかった
今回読んだ拿督公の研究では、墓地そのものとの関わりは、石拿督の骨を華人の習俗で葬り廟を建てた伝説、王琛發の論文の「坟地に祠を立てた」という推測、ペルリス州の福德祠が葬儀の場所を持ち外に拿督公の神龕を置く例、にとどまった。吉隆坡の福建義山の管理を論じた論文(馬大華人文學與文化學刊)も読んだが、土地の神の記述は無かった。検索の抜粋に義山の入口の大伯公廟が墓地を監督するという説明が出たが、百科事典の本文で根拠にしていない。
香港や中国大陸の義塚の孤魂は、台湾の有應公のように願いをかける相手になっているのか?
有應公信仰 調べたが確かめられなかった
陳緯華の論文は台湾とシンガポールの違い(集落ごとの有應公/方言集団の社群共祖)と粤東の「聖人公媽」を挙げるが、香港・大陸の義塚の孤魂がどう祀られ、恐れられるか・願われるかを述べた研究は今回見つからなかった。志賀市子(2010)や、香港の盂蘭勝會の研究に当たる必要がある。
死者の魂を土地廟で三日留め置くという説は、山東のほかの地方の記録にも見えるか?
土地の神(土地公・福德正神・伯公・土地爺) まだ確かめられていない
荣成市の民俗の頁だけが、土地爺は閻王の配下の地方官で死者の魂を三日留め置く「と言われる」と書く。威海市の頁は報廟と送湯・送盤纏を書くが、留め置きの説明は無い。民国期の県志(龍口市の頁が引く民國『黃縣志』など)の本文に当たると確かめられる。
1949年から1987年までに台湾で亡くなった大陸出身の軍人・榮民の骨灰は、軍人公墓や忠靈塔にどれだけ置かれていたのか?
軍人公墓・忠靈塔(台湾の軍人の墓地と納骨の施設) 調べたが確かめられなかった
今回の調査では、軍人公墓の制度(1953年の辦法)と國軍臺北忠靈塔の座数(10,019座)、報道の「上万坛」は見つかったが、大陸出身者の骨灰の数や、故郷へ送られるのを待った骨灰の数を示す公的な統計は見つからなかった。國防部・退輔會の年報や、國史館・檔案管理局の檔案に当たる必要がある。
退輔會の規定(1993年)で大陸の家族に渡された亡き榮民の骨灰は、何件あったのか?
帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬) 調べたが確かめられなかった
規定の本文は読めたが、発還の件数は載っていない。退輔會の頁と法規の頁、検索(「骨灰發還 件數」「亡故榮民 骨灰 大陸 家屬 領回」)では件数は出てこなかった。退輔會の統計年報や立法院の質詢の記録を見る必要がある。1993年より前に骨灰を渡す手続きがあったかも分からない。
高秉涵が初めて故郷へ帰ったのは1991年か1992年か、老兵の骨灰を届けた数は百余りか二百近くか?
帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬) まだ確かめられていない
中国新聞網(2017、香港『大公報』の転載)は1949年に台湾へ、1991年5月に帰郷、1992年に最初の骨灰、30年で近200罈と書く。『觀察』の紀欣の記事(2017)は1948年に家を出て、1992年5月に帰郷、同年に最初の骨灰、20年余りで百を超えると書く。当人の著書や台湾側の報道で確かめたい。
臺南の道長陳榮盛の没年は2014年か2015年か?
道士 まだ確かめられていない
西南交通大學中國宗教研究中心の書籍紹介は1927-2014、呂錘寬の文は1927-2015(本文の中で「2015年に羽化」とも書く)とする。呂錘寬は生年についても、旧暦では1927年末、身分証の新暦では1928年正月と二説あると書く。臺南市の文化資産の記録や『榮盛鼎陞』の本体で確かめたい。
台湾北部の林厝派(中和の威遠壇)を開いた祖は、林章貴か、林悅春(林悅純)か?
道士 まだ確かめられていない
丁仁傑の導論が引く劉枝萬(1967)は、林厝派は嘉慶末〜道光初めに詔安縣から渡った林章貴(法號演達)に始まるとする。西南交通大學のサイトの林振源『威遠道壇200週年紀念展』の紹介は、開基の祖を威遠壇第十七代の林悅春(1792-1865)とし、中央研究院の宗教地景 GIS は林悅純・林謙宏が1820年に来台したと書く(この二つは今回の根拠にしていない)。同じ人の別名か、別の人かは分からない。勞格文〈臺灣北部正一派道士譜系〉で確かめたい。 世界宗教博物館の成果展の頁の訪査記録も「創建者:林章貴道士」と書く。
1960年代から1990年代までの台湾全国の火化率は、どう移ったのか?
火葬(火化) 調べたが確かめられなかった
今回読めた内政部の通報は民國90年(2001年)からの数値だけで、それより前は、邱睦容の論文の臺北・高雄(1946〜1960年)と臺南市(1980〜1990年)の数値しか無かった。検索では「民國82年に五割に満たない」とする地方政府の頁が出たが、原文の頁が取得できず、根拠にしていない。臺灣省社會處の『臺灣省社會事業統計』や内政部統計年報に当たる必要がある。
台南・高雄の烏頭(黑頭)の道壇が、戦後に何代続いたかを数えた研究はあるか?
黑頭道士・烏頭道士 調べたが確かめられなかった
今回の調査では、臺南の陳榮盛の道壇(父の陳聬から祖伝、靈寶派と呼ばれる)と中和の威遠壇(九代、紅頭とされる林厝派)は見つかったが、烏頭・黑頭と呼ばれる喪葬の道壇について、代の数と戦後の続き方を述べた資料は読めなかった。丁煌の臺南の世業道士の研究や、大淵忍爾『中國人の宗教儀禮』を読む必要がある。
殭屍が両腕を前に伸ばして跳ねる姿は、どの映画で定まったのか?
両腕を前に伸ばす まだ確かめられていない
『聊齋志異』「尸變」では屍が両腕を伸ばして客をつかもうとし、『子不語』「僵屍抱韋馱」では像に抱きつく。風傳媒の2026年の記事は、両手を前に伸ばして跳ねる姿を華語の映画の決まった姿とするが、いつどの作品で定まったかは書いていない。香港電影資料館の資料や1980年代の殭屍映画の場面で確かめる必要がある。
金格影藝有限公司の『哈囉彊屍』(1987)は、『殭屍小子』の続きの作品か?
金格影藝有限公司 まだ確かめられていない
台灣電影網の会社の頁は、金格影藝有限公司の作品として1987年の『哈囉彊屍』を挙げ、主要な俳優は『殭屍小子』と同じ金塗・胖三・黃仲裕を含む。しかし頁には作品の中身が無く、続編かどうか、殭屍が出るかどうかは分からない。同じ頁から辿れる各作品の頁は、まだ読んでいない。
鏡がキョンシー(僵屍)に効くという記述は、映画より前の資料にあるか?
鏡 まだ確かめられていない
鏡が化けた妖魅の正体を映すことは『抱朴子』『子不語』にあるが、このサイトで紹介した『抱朴子』『子不語』の記述には、僵屍(キョンシー)に鏡を使う話はない。研究所の者は、『殭屍先生』にキョンシーが鏡に弱い場面があったと覚えているが、観た版と場面の時刻は確かめていない。電影神搜の 2024 年の記事は、原案では女の幽霊が八卦鏡で滅ぼされる予定だったが、撮影時に見逃す筋へ変えたと監督の劉觀偉が語った、と伝える。もとの取材の媒体や年は記事に示されていない。完成した映画で女の幽霊に鏡を使うかは、これらの記録からは確かめられない。妖魅一般の正体を映すとされた鏡を、映画が屍にも当てはめたのかを確かめる。
噛まれた人がキョンシーになるのを遅らせるために動き続ける(踊る・汗をかく)という方法は、映画より前の資料にあるか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
『殭屍先生』で、キョンシーに襲われて傷を負い、キョンシーになりかけた文才が、もち米の上で動き続ける場面がある(研究所の者が観た記憶による)。理由は「血が固まらないように」(観た者の記憶)とも「汗をかくため」(研究所が受け取った AI のまとめによる)とも言われ、台詞はまだ本編で確かめていない。民間療法や清の怪談に似た考えがあるか、映画の中だけの理屈かを確かめる
AI のまとめにある『殭屍先生』の場面(独房でおこわを叱る・墨線に鶏の血・棺の底の線の引き忘れ・日光が弱点)は本編にあるか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
題に挙げた四つの場面は、2026-10-30 に研究所が受け取った AI のまとめに書かれていた。ウィキペディア中国語版のあらすじには無い。秋生がもち米を買いに行く場面と、米屋がごまかす人物であることは、ウィキペディア中国語版のあらすじと登場人物の表にある。題に挙げた四つの場面が映画本編にあるかは、まだ確かめられていない。
纏足のキョンシーは、映画より前の資料や、ほかのキョンシー映画にあるか?
Mr. Vampire II(霊幻道士2 キョンシーの息子たち!) まだ確かめられていない
纏足(てんそく)は、中国で女の子の親指を除く足指を幼いころから裏側に曲げて布で固く縛り、足を小さいままにした風習で、清の末に廃止の動きが起こり、清が滅んだ後に消えた(デジタル大辞泉)。研究所の者は、『霊幻道士2』で掘り出された一家三人のうち母のキョンシーが纏足だったと覚えている。纏足の死者や纏足のキョンシーを書いた資料は、まだ見つけていない。本編の場面も、時刻と版を確かめていない。
『殭屍先生』の本編の字幕で、出品の会社・脚本・原案・企画はどう表示されているのか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
香港政府の映画データベースは、英語の記録で製作会社を寶禾だけ、繁体字の記録で嘉禾と寶禾の二社とし、脚本・原案・企画の割り振りも本編の字幕の紹介(電影神搜の記事)と少し違う。本編の始まりと終わりの字幕を、香港電影資料館の所蔵の記録か、字幕を写した資料で確かめる必要がある。
洪金寶は『靈幻先生』(1987、日本題『霊幻道士3』)に出演しているのか?
Mr. Vampire III(霊幻道士3 キョンシーの七不思議) 調べたが確かめられなかった
Fortune Star のカタログは出演に Sammo Hung と Wu Ma(午馬)を挙げ、日本の映画.com の解説も洪金寶が特別出演していると書くが、香港政府の映画データベースの出演の欄にはどちらの名も無い(洪金寶はプロデューサー(監製)の欄だけ)。本編か、香港電影資料館の『香港影片大全』などの詳しい目録で確かめる必要がある。
洪金寶が「役者だった母から子どもの頃に聞いた話」を『殭屍先生』の着想と語ったのは、いつ・どこでか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
英語版ウィキペディア(Mr. Vampire、版 1380488237)は、Daniel O'Brien『Spooky Encounters: A Gwailo's Guide to Hong Kong Horror』(2003)の 51〜58 頁を出典に、洪金寶がこの話を『殭屍先生』の着想と語ったと書く。同じ本の 22 頁は、2000 年 9 月の洪金寶の言葉として「新しいものが欲しかった、面白いと思って撮った」を引き、香港・マレーシア・シンガポールの鬼の話を聞いて『鬼打鬼』を思いついたと書くらしい(英語版ウィキペディア Encounters of the Spooky Kind、版 1359459637)。本は読めておらず、Google Books の検索は上限で使えなかった。
『鬼打鬼』の着想は、戯劇学校で生徒どうしが話した怪談から来たのか?
鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters) 調べたが確かめられなかった
英語のファンの評(Kung-fu Kingdom)は、于占元の戯劇学校で生徒が互いに話した怖い話に着想を得たと書くが、出典が無い。香港01(2020)の地の文は「戯班(芝居の一座)出身の洪金寶の記憶にある不思議な話」、本人の口述(2018)は友人の野峰から聞いた南洋の茅山の話と、多くの伝説を吸収したことを挙げ、子ども時代の話には触れない。本人の別の取材で確かめたい。
林正英を『殭屍先生』の道士に推したのは洪金寶か?
霊幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
英語版ウィキペディア(Mr. Vampire、版 1380488237)は、洪金寶が監督に林正英を推し、監督は『敗家仔』で林正英を見ていたと、Joy Sales の 2005 年の DVD の劉觀偉の取材と O'Brien の本を出典に書く。劉觀偉の 2008 年の回想(搜狐)は林正英の人柄だけを語り、選んだ経緯は無い。DVD の特典の劉觀偉の取材を見れば確かめられる見込みがある。
『鬼打鬼』の企画の相談相手の野峰とは誰か?
鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters) 調べたが確かめられなかった
洪金寶の口述(2018)は、南洋の茅山の事情に通じた友人の野峰から意見と多くの話を聞いたと言うが、野峰の人物は分からない。検索では手掛かりが無かった。
1980 年代の香港の雑誌(電影雙周刊など)に、洪金寶が殭屍映画の流行を語った記事はあるか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
研究所がネットで探した範囲では、洪金寶本人が『殭屍先生』や殭屍映画の流行・続編・復活について語った言葉は見つからなかった。殭屍先生の公開(1985)前後の電影雙周刊や新聞の取材は、図書館の所蔵で確かめる必要がある。
『鬼打鬼』は日本のテレビでいつ、どの題で初めて放送されたか?
鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters) 調べたが確かめられなかった
日本語版ウィキペディア(記事「妖術秘伝・鬼打鬼」版 109279237)は、日本テレビの「水野晴郎の特選シネマ」で 1988 年 6 月 14 日に初めて放送され、題は『燃えよデブゴン8 鬼打鬼』『燃えよデブゴン クンフー・ゴーストバスターズ』などで、吹替はサモ・ハン役が水島裕、配給は東映とする。新聞のテレビ欄(朝日・読売の縮刷版)か日本テレビの記録で確かめる必要がある。
『霊幻道士』の日本公開は 1986 年か 1987 年か?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
映画.com・KINENOTE は 1986 年 4 月 26 日、国立映画アーカイブの解説は「1987年日本公開時の字幕版」と書く。1987 年に再上映や二本立てがあったのか、解説の書き違いか。『キネマ旬報』1986 年 5〜6 月の号の目次(批評・紹介)は 1986 年の公開と合う。キネマ旬報の興行の記事か東宝東和の記録で確かめる。
1986〜1989 年に、サモ・ハンは霊幻道士の宣伝で来日したか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
映画.com・KINENOTE・国立国会図書館の書誌・『キネマ旬報』の目次(1984〜1990 年の見られた号)には、霊幻道士の宣伝での来日の記事は見つからなかった。『キネマ旬報』1990 年 3 月の号(通号 1029)のインタビューがどこで行われたかは本文を読む必要がある(国立国会図書館の館内限定)。『キネマ旬報』1986 年 4〜5 月と 12 月の号の「来日映画人」の欄も館内で見る。
「サモ・ハン・キンポー」の「キンポー」の読みは誰が付け、日本で「サモ・ハン」と書かれるようになったのはいつか?
殭屍先生(霊幻道士) 調べたが確かめられなかった
本名の洪金寶の広東語の読みはカンボウに近く、英語の表記は Sammo Hung Kam-Bo。日本の「キンポー」は、日本語読みの「キン」と広東語に近い「ポー」の混ざった形に見えるが、付けた人の記録は見つからなかった。日本語版ウィキペディア(記事「サモ・ハン・キンポー」版 111390272)は 1998 年のハリウッド進出を機に英名を Sammo Hung と短くしたとし、ニコニコ大百科(ファンが書く記事で、確かさは低い)は日本では今も旧名で呼ばれると書く。映画.com・KINENOTE の人物名は今も「サモ・ハン・キンポー」だが、映画.com の写真の見出しは 2016 年ごろの来日を「来日中のサモ・ハン」と書く。1970 年代の『燃えよドラゴン』の日本公開時の表記、1990 年代末からの配給各社の表記を順に当たる必要がある。
日本の「キョンシー」という呼び名を広めたのは東宝東和の宣伝担当か?
霊幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
日本語版ウィキペディア(記事「キョンシー」版 110474210)は、「キョンシー」という日本語の書き方は東宝東和の菅野陽介によって広まり定着したとする。同じく記事「霊幻道士」(版 108083665)は、パンフレットに見える「バンバンシー」「コンシー」「シャンシー」の呼び名は東宝東和が付けたもので、出典を『アジアンムービージャンキーズ』(水声社)とし、日本公開版は効果音を足し、主題歌を高中正義の『CHINA』に替えたと書く(CHINA は国立映画アーカイブの解説で裏が取れた)。パンフレットの中身と、その本で確かめる。
香港電影金像獎の第 42 回の記念の冊子(特刊、2024 年)にある洪金寶の「詳しい紹介」は、鬼の映画や『殭屍先生』に触れているか?
鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters) まだ確かめられていない
金像獎協会の 2024 年 4 月 10 日の発表は、記念の冊子(特刊)に、終身成就賞を受けた洪金寶の数十年の歩みの詳しい紹介が載ると書く(1 冊 100 香港ドル、書店などで販売)。ネットには本文が無い。発表文(3 月 28 日)より長いはずで、『人嚇人』や寶禾に触れるかを確かめたい。式で流れた紹介の映像も同じ。
香港国際映画祭 2019 年の洪金寶の発表の中国語の原文は、『鬼打鬼』を何の始まりと書いたか?
鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters) 調べたが確かめられなかった
英語の転載は「中国の吸血鬼の怖さと笑いのジャンル」を『鬼打鬼』が始めたと書く。中国語の原文が「殭屍」と書いたのか、霊や妖しいものを扱う喜劇と書いたのかで意味が変わる。同時に出た記念の本(2019 年)も未見。映画祭のサイトの発表の一覧は、頁を開いたあとで中身を読み込む作りのため読み出せず、古い頁の写しを残す Wayback Machine も、調べた 2026 年 10 月 31 日は一時止まっていて引けなかった。
2013 年の嘉禾の上映の催しの解説と香港電影資料館の嘉禾の本は、寶禾の鬼の映画をどう書くか?
ゴールデン・ハーベスト まだ確かめられていない
香港電影資料館の《通訊》第 64 期は、第 37 回の香港国際映画祭と同じ時期に同館が嘉禾を振り返る上映を開き、嘉禾の歩みの展示も開いたと書く。上映の解説の頁と、同じころに香港電影資料館が出した嘉禾の本は、まだ読んでいない。
『殭屍小子』の作り手(趙中興・陳俊良・金塗・姚慶康・金格影藝)が、企画のきっかけに『暫時停止呼吸』の当たりを挙げた言葉は残っているか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
2026-11-01 に、台湾・日本・英語の検索で、監督・製片(プロデューサー)・出演者・脚本家の談話を探したが、企画のきっかけを語った言葉は見つからなかった。「当たりを受けて撮った」と書くのは記者の回顧(2016 年の聯合報系「電影時光機」と 2024 年の NOWnews、どちらも蘇詠智)だけ。金塗の 1988 年の談話(華視綜合週刊、個人ブログの書き起こし)は日本での人気と続編・テレビ劇の話で、『暫時停止呼吸』には触れない。残る手掛かりは、1986 年当時の聯合報・民生報・中國時報の紙面(聯合知識庫などの有料の記事データベース)と、國家電影及視聽文化中心の資料。
金塗は 1988 年の取材で、金格影藝の殭屍映画の企画と日本の TBS との関係をどう語ったか?
殭屍小子(幽幻道士) 記述があることは確かめた
個人ブログ「烤雞脖子..」(痞客邦、2012-10-05 投稿)が、『華視綜合週刊』868 期(1988-06-12〜18)95〜97 頁の記事「金塗紅到東瀛」(取材と執筆は藍佩)を書き起こしている。そこで金塗は、金格と契約しており、監督の陳俊良・蔡揚名が熱心に企画した、日本で当たった後に TBS から殭屍のテレビ劇『來來殭屍』(30 分・週 1 回・13 回)を頼まれた、と語ったとされる。『暫時停止呼吸』には触れない。ブログの書き起こしで、雑誌の紙面では確かめていない(https://kgbz.pixnet.net/blog/posts/10355907905 )。
日本で『幽幻道士』を売った側(大映ビデオ・TBS)は、『霊幻道士』の人気を受けて買ったと書き残しているか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
2026-11-01 に、国立国会図書館サーチ(題「幽幻道士」で 16 件。1988〜89 年の本と 2005・2017 年の DVD・BD)と日本語の検索で探したが、買い付けの理由を書いた記録は見つからなかった。大映ビデオ版の発売年も分からない。残る手掛かりは、1987 年前後の『キネマ旬報』『月刊ビデオ&ミュージック』などの雑誌、TBS の番組の記録、BD-BOX の解説書。
『殭屍小子』の監督に李運傑の名を挙げる資料はあるか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
調べはじめたときの手がかりは監督を李運傑としていたが、2026-11-01 に読んだ台灣電影網(導演 王知政・趙中興)、報時光 2024(趙中興)、吳奕均の博士論文の文献表(趙中興)、アット エンタテインメントの BD-BOX(趙中興)のどれにも李運傑の名は無く、検索でも結びつく資料は出なかった。別の作品との取り違えの可能性がある。
『中華民國電影年鑑』の 1986・1987 年版は、殭屍映画の流行と台湾の追随作をどう記録しているか?
殭屍先生(霊幻道士) まだ確かめられていない
國家電影及視聽文化中心(tfai.org.tw)は電影年鑑の電子版を公開しているが、2026-11-01 には頁を開くと自動の確認画面で止められ、読めなかった。The News Lens の殭屍映画の記事 2 本と中國時報の頁も、同じ理由で読めなかった。
『鬼打鬼』で主人公を助ける道士の名は「徐真人」か「許真人」か?
鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters) まだ確かめられていない
香港政府の映画データベースは鍾發の役を徐真人、香港電影資料館の 2026 年の上映の解説は許真人と書く。二つの字は北京語では音が近いが、広東語では違う。英語版 Wikipedia と英語の評の Priest Tsui は、広東語の綴りでは徐に当たる。日本語版のあらすじは、悪の道士をチン・ホイ、その弟弟子で主人公を助ける道士をチョイと呼ぶ(研究所の者が本編を観て、あらすじの筋と、サモ・ハンの全身に呪文を書いて守る道士が悪の道士の弟弟子に当たることは合っていると確かめた。2026-11-06。本編での呼び名は確かめていない)。チン・ホイは錢開の広東語の音に当たり、チョイは許より徐の広東語の音に近い。ただし日本語版の呼び名なので、決め手にはしない。本編の字幕か、1980 年の新聞の広告・記念冊子(特刊)で確かめる必要がある。
1954 年の『萬里行屍』で、道士は屍を運ぶ役か?
萬里行屍(1954、楊工良監督の粵語映画) まだ確かめられていない
香港政府の映画データベースは配役に道士と術士の役を載せるが、紹介文は屍の列に紛れる男の筋だけを書く。ファンの評は、読んだ紹介文によるとして、道士が殭屍を運ぶ筋があるとし、『茅山殭屍拳』の着想の元だったかもしれないと推し量る。当時の新聞の広告か、香港電影資料館の所蔵の記録で、道士の役の中身を確かめる必要がある。
劉天賜『僵屍與吸血鬼』(2008)は、清の筆記の僵屍と映画の道士をどうつなぐか
道士 まだ確かめられていない
黃猷欽(2020)の注7は、劉天賜が中国の志怪小説の殭屍像から説き起こし、殭屍の文学は主に明末清初の筆記小説に出て、遊屍(さまよう屍)・伏屍(地に伏して朽ちない屍)・不化骨(朽ちない骨)に分かれると書く、と紹介する(頁50〜54、196〜220)。同じ論文は、劉天賜の本には映画の年の誤りが多いとも書く。本そのものは取っていない。
谭慧敏(2026)の本文は、僵屍の話の道士を取り上げているか
道士 まだ確かめられていない
CiteDrive の書誌頁で要旨だけ読んだ。本文の PDF は「Show PDF」の先にあるとみられるが取っていない。掲載誌名も頁に出ない。
馮藝超論文が『續子不語』卷六・頁100 で「僵屍貪財受累」と書くのは、卷六「僵屍貪財」の題の書き誤りか
僵屍貪財(續子不語卷六) まだ確かめられていない
馮藝超(2007)は、頁100 の張愚谷の話の引用(屍が棺から起き上がる描写)に「僵屍貪財受累」の題を付けるが、同じ論文の別の箇所は同じ話を卷六「僵屍貪財」(頁99-100)と書く。陰陽の気が合わさって屍が起きるという説明の文は「屍奔」(卷五、頁79-80)から引かれており、卷六の話からではない。「僵屍貪財受累」は『子不語』卷十三の別の話(頁292)。このため、卷六に同じ題の別の話があるのではないかという疑いは、論文の題の書き誤りによるとみられる。刊本の卷六の題だけは照らしていない。
『埋憂集』卷一「尸擒盜」の本文はどこで読めるか?
埋憂集 まだ確かめられていない
維基文庫の『埋憂集』の一頁本は目録に「尸擒盜」を載せるが、本文は卷一の「鐘進士」から始まり、この話が入っていない。屍が盗人を捕らえる話とみられ、術者が出るかは未確認。
『華視綜合週刊』868 期(1988 年 6 月)の紙面で、金塗の談話の書き起こしは確かめられるか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
今読めるのは個人ブログの書き起こしだけ。国家図書館の所蔵の雑誌や、所蔵があれば中華電視の雑誌の紙面で、書き起こしの語句、TBS の連続ドラマが全 13 回という話、東南植物楽園の催しの日付を確かめる必要がある。
1988 年 5 月の東南植物楽園の催しに金塗は本当に出たか、沖縄の新聞に載っているか?
幽幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
2026-11-05 の検索では、日本語の資料に催しの記録は見つからなかった。琉球新報・沖縄タイムスの 1988 年 4〜5 月の紙面、園の記録が手掛かり。
金塗を招いたという日本の「映画歴史館」(原文は電影歷史館)はどこか?
幽幻道士シリーズ まだ確かめられていない
1988 年の雑誌の書き起こしにある名で、施設は分からない。訳語の揺れの可能性もある。雑誌の紙面と日本の側の記録で確かめる。
『殭屍小子』の権利を仲立ちしたという東映の製作者「加藤直三」は、『来来!キョンシーズ』のプロデューサーの加藤直三と同じ人か?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
映画ファンのブログ(2011)だけが書く。2026-11-05 の検索では、東映の製作者としての名を裏づける資料は見つからなかった。一方、テレビドラマデータベースは『来来!キョンシーズ』のプロデューサーに同じ字の名を載せる。東映との関係は分からない。日本の側の資料で確かめる。
金塗は、『幽幻道士』を作った台湾の映画製作会社、金格影藝に出資したか?
幽幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
読んだ資料には出資の記述は無い。金塗本人は 1988 年の取材で金格の映画会社と「契約」していると語り、同じ雑誌の記事の書き手は会社から金塗を「借りた」と書く。國家電影資料館の頁で製作の名義に出るのは陳俊良で、株主として名が出るのは楊登魁だけである。台湾の経済部の会社の登記や、1986〜88 年の業界の紙面があれば確かめられる見込みがある。
新北市三重区の郷土の本が書く、日本で出た『幽幻道士』のレコードはどれか?
幽幻道士シリーズ まだ確かめられていない
三重区の本は本文でも図の説明でも題と会社を書かないが、123 頁の図 272 は日本盤の裏ジャケットの写真で、「見本品」の札と、キョンシーズの語を含む曲名らしい文字が写る(写真の解像度は低い)。国立国会図書館の音盤の書誌と、日本で出た関連の品の一覧で確かめる。
『幽幻道士』第 2〜4 作の日本での初回放送日はいつか?
幽幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
ファンサイトは第 2 作を 1987 年の秋、第 3 作を 1988 年の春、第 4 作を同じ年の秋とする。TBS の映画枠の放送作品を個人がまとめた一覧には第 2 作が 1988 年 8 月 16 日にあるだけで、第 3・4 作は無い。2026-11-05 に検索とウィキペディアで探したが月日は出なかった。朝日・読売の縮刷版のテレビ欄か、当時のテレビ雑誌で確かめる必要がある。
『幽幻道士』第 1 作の日本での 2 度目の放送は 1987 年の春か、9 月 21 日か?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
ファンサイトは初回から約 3 か月足らずとし、個人の放送一覧と発売元の頁は 9 月 21 日を挙げる。春の放送が「月曜ロードショー」の枠の外にあったかは確かめられていない。「みんなのテレビの記憶」の番組表の頁は 2026-11-05 に保守中だった。
ナオ・プロモーションと加藤直三はどんな会社・人で、『幽幻道士』の買い付けに関わったのか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
ナオ・プロモーションは『来来!キョンシーズ』の製作、第 5 作の吹替の製作(ウィキペディアのみ)に名が出る。ウィキペディア(来来キョンシーズ ベビーキョンシーのあみだ大冒険、版 110396743)はソフトの権利の表示を TBS とナオ・プロモーションとする。加藤直三の名はプロデューサーの欄にある。2026-11-05 に国立国会図書館サーチと検索で探したが、同姓同名の研究者ばかりで、会社の記録も買い付けの話も出なかった。この会社が買い付けの窓口だったなら、誰が買い付けたかの答えに近づく。
題「幽幻道士」と「キョンシーズ」は誰が付けたか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
2026-11-05 に探したが、付けた人を書いた資料は無かった。残る手掛かりは BD-BOX の「キョンシーズ大図鑑」、DVD の音声解説、1987 年の『キネマ旬報』やビデオの業界誌。
字幕スーパー版のビデオ『キョンシーズ』はテレビの放送より先に出たか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
ウィキペディア(幽幻道士、版 111590073。キョンシーズ2、版 110401709)は、テレビより前に字幕スーパー版ビデオが出て、ファミコンの『キョンシーズ2』の役名はそれによると書くが、出典が無い。ファンサイトのビデオの商品の頁は保存された写しが無く、allcinema と Amazon の頁は自動の確認画面で止められて読めなかった。発売の年月と、大映ビデオの版かどうかが分かれば、「誰が最初に買ったか」の手掛かりになる。
TBS が「再来!キョンシーズ」の題で放送した『ドラゴンキョンシー』は、台湾で撮られた『大家發財』か?
幽幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
ウィキペディア(キョンシー、版 110474210)は原題を『殭屍翻生續集・大家撥財』と書く。1986 年の聯合報(報時光が再録)が伝える、映画会社の泰佶と中影の合作の『大家發財』と同じ作かは未確認。同じなら、TBS は台湾で撮られたキョンシー映画を続けて放送したことになる。
『来来!キョンシーズ』の平均視聴率は本当に 15% だったか?
幽幻道士シリーズ まだ確かめられていない
ファンサイト reigen-yugen.com と個人のサイト「プレミアムごま」が平均 15% と書くが、どちらも出どころを示さない。第 1 作の「高視聴率」は個人のサイトが 23.7%と書くが、これも出どころを示さない。ビデオリサーチの記録か当時の雑誌で確かめる必要がある。2026-11-05 に、国立国会図書館の全文検索で、当時の『小学五年生』の記事の一部に、平均 20 パーセントという数字が読めた。15% と 20 パーセントのどちらが正しいかは決められない。
『来来!キョンシーズ』は打ち切りの穴埋めで始まった番組か?
幽幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
ウィキペディア(TBS木曜7時30分枠の連続ドラマ、版 111168902)は、前の『ヨーシいくぞ!』が打ち切られ、つなぎの番組として放送したと書く。出典は無い。金塗の談話とされる文は全 13 回と語るが、放送は 10 回だった。企画の経緯を書いた資料は読めていない。
BD-BOX の「キョンシーズ大図鑑」で、吹替の演出を受け持った飯田譲治は何を語っているか?
幽幻道士シリーズ まだ確かめられていない
シネマカフェ(2017)は、飯田の話が図鑑に収められると書く。冊子そのものは読めていない。第 1 作の役名を誰が付けたかの手掛かりがあるかもしれない。
『幽幻道士』第 1・2・4 作の字幕版の中国語の音声は出演者本人の声ではない、という話は確かか?
幽幻道士シリーズ まだ確かめられていない
ファンサイトは、シリーズ(第 1・2・4 作)の字幕版について、当時の台湾の録音機器の都合で中国語も別の人の吹替で、監督に直接確かめた日本の人から聞いたと書く。伝聞で、ほかの資料では確かめていない。
『幽幻道士』の 23.7%と『来来!キョンシーズ』の平均 15%は、ビデオリサーチや TBS の資料で確かめられるか?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
2026-11-05 のウェブの検索で、23.7%と書く資料は個人のサイト「プレミアムごま」(2017)一つだけが見つかった。2021 年のネットの記事が「23%」とだけ書き、他の頁は「高視聴率」とだけ書く。どれも出どころを示さない。当時の新聞・『調査情報』・ビデオリサーチの年報か、BD-BOX の解説書で確かめる必要がある。関東の値か、どの放送の値かも分からない。同じ 2026-11-05 に、国立国会図書館の全文検索で、1988 年の『週刊明星』の記事の一部にも 23.7%と読める箇所が見つかった。調査の会社は読めていない。
『幽幻道士』第 1 作の TBS の放映は、1987 年 1 月 12 日と 9 月 21 日のどちらが初回か?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
個人のサイトは放映を 1987 年 1 月 12 日、BD-BOX の 1 枚目を「1987 年 9 月 21 日 TBS 放映バージョン」と書く。新聞のテレビ欄で確かめる。2026-11-05 に、1 月 12 日と 9 月 21 日のどちらも当時の週刊誌の番組の案内で読めた。日付の順では 1 月 12 日が先だが、初回と書く資料は、ここまでの調べでは見つかっていない。
『幽幻道士』の出演者の 1988 年の春と秋の来日は、いつ、どこで、誰が来て、何をしたか?
幽幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
『週刊明星』1988 年 4 月 14 日・4 月 28 日・10 月 13 日・10 月 20 日号の題から来日が読める。『週刊宝石』4 月 15 日号も同じ時期のテンテンの記事である。本文は国立国会図書館の館内限定で読めていない。アット エンタテインメントの BD-BOX には「来日映像」(1 分)が入る。
フジテレビ「月曜ドラマランド」の『キョンシーズ 霊幻道士 今よみがえる魔界伝説!』(1987 年 4 月 27 日)は実在し、どの作品の人気を受けたものか?
幽幻道士シリーズ 調べたが確かめられなかった
日本語版ウィキペディア(記事「月曜ドラマランド」版 111237818)は、間下このみの主演で 1987 年 4 月 27 日に放送され、『幽幻道士』を元にした作品だと書く。Yahoo!知恵袋の回答にも題が出るが、裏は取れていない。『幽幻道士』の TBS の放映が 1 月 12 日で正しければ、3 か月で他局が乗ったことになる。新聞のテレビ欄で確かめる。
林穎汶「終焉と蘇生 ―『キョンシー』における表象の再構築」は日本の受容に触れるか?
キョンシー(僵屍・殭屍) 調べたが確かめられなかった
『左岸』(京都大学の映画メディア研究の雑誌、2021 年 8 月)の論文。CiNii Research の抄録によると、2013 年の映画『キョンシー』を、返還後の香港の映画として論じる。2026-11-05 には本文を見つけられず読んでいないので、日本の受容に触れているかは抄録からは読めない。検索で見つかった、題にキョンシーが入る数少ない研究である。
テンテンの 1988〜90 年の日本での仕事(CM・レコード)は何か?
殭屍小子(幽幻道士) 調べたが確かめられなかった
日本語版ウィキペディア(記事「シャドウ・リュウ」版 111148192)は、サンスターの「Do」の CM(年の記載なし)と、1991 年 8 月 10 日の「ベートーベンだねRock'n'Roll」(テレビアニメ『21エモン』の終わりの歌)を挙げ、11 歳で来日して横浜中華学院に入ったと書く。1988〜90 年のレコードは見つからなかった。オリコンの資料か当時の雑誌で確かめる。
1988 年のキョンシーの玩具は、どの会社がどれだけ出したか?
キョンシー(僵屍・殭屍) 調べたが確かめられなかった
ブームの回想には、お札のシールがついたガムなどのおまけの話が出るが、会社や数は分からない。『ぴょんぴょん』1988 年 8 月号の「キョンシーグッズ大集合」、日本玩具協会の資料、『トイジャーナル』が手掛かり。
『スクリーン』1988 年 1 月号より前に、テンテンたちは日本へ来ていたか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
『スクリーン』1988 年 1 月号の視聴率の欄の、国立国会図書館の全文検索に出る短い抜き出し(文字の自動読み取りの結果)に、TBS の『幽幻道士』の「2作」はテンテンたちの来日で力も入って、という文があるが、続きは切れている。「2作」が二つの作品か第 2 作かは読めない。『幽幻道士』の出演者(テンテン役のシャドウ・リュウら)の来日として、これまで読めたのは 1988 年の 3 月・4 月・10 月で、それより早い来日があった手掛かりになる。本文は館内限定で読めていない。
『幽幻道士』の特殊霊魂の白塗りの姿は、『人嚇人』(1982)で紙人に扮したサモ・ハンを手本にしたか?
殭屍小子(幽幻道士) まだ確かめられていない
『人嚇人』のサモ・ハンは、顔を白く塗り、頬に丸い紅を付け、黒い丸い帽子をかぶった姿で出る(obs-0021)。香港政府の映画データベースの紹介文は、主人公が紙人(葬式で焼く紙の人形)に扮して靈堂に入ると書く。『幽幻道士』の特殊霊魂も、顔を白く塗り、頬に丸い紅を付け、黒い丸い帽子をかぶる(obs-0022)。ファンサイトも「白塗りの化粧にドンブリ帽子」と書く。本編の切り抜きをネットに上げたファンは、特殊霊魂はこのサモ・ハンへのオマージュかもしれないと書くが、根拠は示していない。どちらも葬式の紙人の姿を別々に借りただけ、ということもありうる。『人嚇人』には魂が戻る日に死者の使いと戦う場面があり、『幽幻道士』の 1 作目にも、霊になった少年たちをあの世の使いが迎えに来る場面がある。確かめたいのは、台湾の作り手が『人嚇人』を手本にしたと語っているか、葬式の紙人の化粧がもともと白い顔と丸い頬の紅か。