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開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)
墓や棺を開けると、中の屍が生きているように見えた、という話の型。たとえば『搜神記』卷十五では、漢の馮貴人の墓が暴かれると、七十年余りたっても顔色が生前のままだったとされる。『西京雜記』卷六にも例がある。
資料の記述
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は魏の時代の太原の發冢(搜神記卷十五の一話)に現れる。『搜神記』卷十五は、魏の時に太原で墓を発いて棺を割ると中に生きた婦人がいて、都へ送って問うても本人は事情を知らず、墓の上の木は三十年ほどだったので、三十年地中で生きていたのか、たまたま墓を発いた者に会った時に生き返ったのか分からないとする
この記述の範囲: 『搜神記』卷十五(魏の時代、太原)
- 搜神記 第十五卷 搜神記 第十五卷、「魏時太原發冢」で始まる段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は廣川王發古冢に現れる。『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」では、魏王子且渠の冢の石の床に、二十歳ほどの男女の屍が裸で東枕に並び、肌の色も髪・歯・爪も生きた人のようだったので、王は恐れて近づかず、もとどおりに閉じた
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」の「魏王子且渠冢」の段
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六「廣川王發古冢」、「魏王子且渠冢」の段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は廣川王發古冢に現れる。『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」では、晉靈公の冢は棺も器も形をとどめないのに屍はなお壊れず、体の穴にみな金玉があり、王は玉の蟾蜍を持ち帰って書の水差しにした
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」の「晉靈公冢」の段
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六「廣川王發古冢」、「晉靈公冢」の段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は廣川王發古冢に現れる。『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」では、幽王の冢を開くと、雲母の下に百余りの屍が重なり合ってみな朽ちず、一人の男のほかは女で、座る者・臥す者・立つ者もあり、衣服も姿も生きた人と変わらなかった
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」の「幽王冢」の段
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六「廣川王發古冢」、「幽王冢」の段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は吳綱(太平廣記卷三百八十九)に現れる。『太平廣記』卷三百八十九「吳綱」(『水經』から出るとする)は、魏の黄初末に吳の人が木材を取るため長沙王吳芮の塚を発くと、屍の容貌も衣服ももとのままで、後に塚の発掘に加わった者が吳芮に似た子孫の吳綱に出会ったと記し、吳芮の死から塚が開くまで四百年とする
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百八十九「吳綱」
- 太平廣記 卷第三百八十九 塚墓一 太平廣記 卷第三百八十九、見出し「吳綱」
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は和文(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「和文」(『野人閒話』から出るとする)では、蜀の巡邊制置使の王昭遠が、兵たちの騒ぐ古い塚で、磚や石を投げると堅い音のする壊れない屍を見、塚の石版から唐の大中五年に五十八歳で死んだ文州の馬步都虞侯和文と知り、祭ってまた塞いだ
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「和文」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「和文」
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は孫大小娘子(夷堅支戊志卷二)に現れる。『夷堅支戊志』卷二「孫大小娘子」では、疫病で家の者が次々死ぬのを長女の墓のせいと考えた母の言いつけで、身近な若者の魏二が尼の止めるのも聞かずに墓を掘って斧で棺を割り蓋を上げると、長女が身を起こして座り、顔は生きているようで、魏をじっと見て大声で笑い、魏は驚いて倒れた
この記述の範囲: 『夷堅支戊志』卷二「孫大小娘子」(乾道元年、浙西の疫病)
- 夷堅支戊志 卷二 夷堅支戊志 卷二、見出し「孫大小娘子」
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は焚屍二則(子不語卷二十四)に現れる。『子不語』卷二十四「焚屍二則」の第一話では、平湖の南門外で掘り出された「趙處士之墓」の棺の屍は四十歳ほどで生きているようで、雲履をはき、一錢ほどの厚さの蟹青の紬の袍も壊れておらず、掘った馬某が屍を出して焼こうとしたが火が勢いよく燃えず水に投げると、その夜に鬼が大声で泣き、残った屍を担ぎ上げると血が糸のように流れ、棺に戻して葬ると静まった
この記述の範囲: 『子不語』卷二十四「焚屍二則」第一話(平湖の南門外)
- 子不語 卷24 子不語 卷24、見出し「○焚屍二則」第1段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は焚屍二則(子不語卷二十四)に現れる。『子不語』卷二十四「焚屍二則」の第二話では、平湖の蔣という農家が冬至の前日に父の屍を焼こうとして棺を開けると屍が走り出し、鋤で打ち倒して焼いたが、その晩に父の声が不孝を罵り、蔣は頭が瓢箪のように腫れて翌日の昼までに死んだ、と張熙河が目撃したこととして記す
この記述の範囲: 『子不語』卷二十四「焚屍二則」第二話(平湖の小西溪)
- 子不語 卷24 子不語 卷24、見出し「○焚屍二則」第2段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は揚州左衛街の女屍(右臺仙館筆記卷四の一条)に現れる。『右臺仙館筆記』卷四は、揚州の大きな屋敷の床の磚が夜に盛り上がり、掘ると衣も裙も傷まず顔が生きているような女の屍で、全身に一寸ほどの緑の毛が生えて動き出しそうだったので官が焼かせたと記し、書き手は、辱めを拒んで生き埋めにされた女の抜け殻が久しくして「僵」となったのは地の気のためかもしれないと述べる
この記述の範囲: 『右臺仙館筆記』卷四(揚州左衛街の条)
- 右臺仙館筆記 卷04 右臺仙館筆記 卷04、「揚州左衛街一大宅」で始まる条
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は金陵の廃地から出た棺(右臺仙館筆記卷四の一条)に現れる。『右臺仙館筆記』卷四は、兵乱の後の金陵で、ある高官が得た空き地を兵に平らにさせると乱の中で急ぎ葬った棺が二十余り出て、開くと、衣服は鮮やかでも触れると灰になって崩れる女の屍で肌は白く潤い頬の白粉も残るもの、臥さずに座っている男の屍、上半身に獣の毛、下半身に鳥の羽の生えた「僵屍」があり、高官は開けて見るのを禁じてよそへ移して葬らせたと記す
この記述の範囲: 『右臺仙館筆記』卷四(金陵の条)
- 右臺仙館筆記 卷04 右臺仙館筆記 卷04、「金陵自遭兵燹後」で始まる条
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は漢の馮貴人の墓(搜神記卷十五の一話)に現れる。『搜神記』卷十五は、漢の桓帝の馮貴人の墓を靈帝の時に盗賊が暴くと、七十年余りたっても顔色はもとのままで、肉がやや冷たいだけだった、と記す
この記述の範囲: 『搜神記』卷十五(漢の桓帝の馮貴人の段)
- 搜神記 第十五卷 搜神記 第十五卷、「漢桓帝馮貴人,病亡」で始まる段