話
魏の時代の太原の發冢(搜神記卷十五の一話)
資料の記述
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は魏の時代の太原の發冢(搜神記卷十五の一話)に現れる。『搜神記』卷十五は、魏の時に太原で墓を発いて棺を割ると中に生きた婦人がいて、都へ送って問うても本人は事情を知らず、墓の上の木は三十年ほどだったので、三十年地中で生きていたのか、たまたま墓を発いた者に会った時に生き返ったのか分からないとする
この記述の範囲: 『搜神記』卷十五(魏の時代、太原)
- 搜神記 第十五卷 搜神記 第十五卷、「魏時太原發冢」で始まる段
魏の時代の太原の發冢(搜神記卷十五の一話)は搜神記に収められている。
この記述の範囲: 『搜神記』卷十五(維基文庫の翻刻)
- 搜神記 第十五卷 搜神記 第十五卷、「魏時太原發冢」で始まる段
『三國志』卷三 魏書・明帝紀に裴松之が付けた注は、青龍元年の条の注の中で『傅子』を引いて、太原で墓を暴いたら生きた婦人がいた話を載せる。太原で墓を暴いて棺を割ると生きた婦人がいて、都へ送って問うても本人は事情を知らず、墓の上の木は三十年ほどたっていたので、三十年地中で生きていたのか、ある朝たまたま墓を暴いた者に出会って生き返ったのか分からない、とする。
この記述の範囲: 『三國志』卷三 魏書・明帝紀の注(維基文庫の翻刻)の『傅子』の引用
- 三國志 卷三 魏書・明帝紀 卷三 明帝紀、青龍元年十二月の条の注(『世語』『博物志』に続く『傅子』の引用)
『晉書』五行志と『宋書』五行志は、人の身に起こる異変を集めた「人痾」の項に、魏の明帝の太和三年の、曹休の部下の娘が死んで生き返った話と、周の時代の墓から殉死の女が出て息を吹き返した話に続けて、太原の人が墓を暴いて棺を割ると生きた婦人がいた話を載せる。どちらも京房『易傳』の「陰が極まって陽となり、下の者が上に立つ」という占いを引いて、のちの晉の宣帝(司馬懿)が起こる兆しだったとし、漢の平帝・獻帝のときの同じ異変は王莽・曹操の兆しと占われた、と書く。
この記述の範囲: 『晉書』卷二十九 五行志下と『宋書』卷三十四 五行五の「人痾」の項(維基文庫の翻刻)
- 晉書 卷二十九 志第十九 五行志下 卷二十九 五行志下、「人痾」の項の魏の明帝の太和三年の条
- 宋書 卷三十四 志第二十四 五行五 卷三十四 五行五、「人痾」の項の魏の明帝の太和三年の条