話
和文(太平廣記卷三百九十)
- 和文
資料の記述
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は和文(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「和文」(『野人閒話』から出るとする)では、蜀の巡邊制置使の王昭遠が、兵たちの騒ぐ古い塚で、磚や石を投げると堅い音のする壊れない屍を見、塚の石版から唐の大中五年に五十八歳で死んだ文州の馬步都虞侯和文と知り、祭ってまた塞いだ
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「和文」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「和文」
和文(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「和文」
『太平廣記』卷三百九十「和文」の結びでは、王昭遠は屍を祭って墓をふたたび閉じさせたうえ、墓のそばに石を刻み、このことを銘にして残した。墓の中の石版には、唐の文州の馬步都虞侯(騎兵と歩兵を取り締まる武官)の和文が、大中五年辛未(851年)の五月五日に五十八歳で亡くなってここに葬られた、と記されていた。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「和文」の後半(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 卷三百九十、見出し「和文」の後半
南宋の陳振孫『直齋書錄解題』卷十一は、「和文」の出典とされる『野人閑話』五卷を、成都の景煥が孟氏の蜀(後蜀)の時代の事を記した書で、乾德三年(965年)の序があると書く。
この記述の範囲: 『直齋書錄解題』卷十一 小說家類(維基文庫の翻刻)。『太平廣記』は「和文」の出典を『野人閒話』とする
- 直齋書錄解題 卷十一 小說家類 卷十一 小說家類、『野人閑話』五卷の条