文献
太平廣記
北宋の太平興國年間に勅命で編まれた説話の集成で、三百四十五種の書から採ったとされる。維基文庫の翻刻では卷三百八十九・三百九十が「塚墓」の部で、各話の末に元の書名を注す。
資料の記述
廣川王發古冢は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百八十九 塚墓一(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百八十九 塚墓一 太平廣記 卷第三百八十九、見出し「廣川王」
吳綱(太平廣記卷三百八十九)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百八十九 塚墓一(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百八十九 塚墓一 太平廣記 卷第三百八十九、見出し「吳綱」
楊知春(太平廣記卷三百八十九)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百八十九 塚墓一(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百八十九 塚墓一 太平廣記 卷第三百八十九、見出し「楊知春」
奴官塚(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「奴官塚」
盧渙(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「盧渙」
樊澤(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「樊澤」
林贊堯(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「林贊堯」
張紹軍卒(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「張紹軍卒」
和文(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「和文」
維基文庫の『太平廣記』目次頁の解題は、この書を北宋の李昉が勅命で監修し、扈蒙ら十二人が同修して、太平興國二年(977年)三月に詔を受け、三年八月に表を奉ったとする(『玉海』は別の日付を伝えると注する)。解題は、全体を五十五部に分けて三百四十五種の書から採り、唐以前の今に伝わらない書の断片が残っていることが特に貴いとし、解題が扱う本は明の嘉靖年間に談愷が刊行した本で、巻や頁に欠けがある、と書く。
この記述の範囲: 目次頁の解題(四庫全書總目提要の体裁の文。頁に出どころの表示は無い)
- 太平廣記(目次頁) 目次頁の冒頭の解題
背籠(額に掛ける背負い具)は太平廣記に現れる。『太平廣記』卷四百八十三の「南州」(もとは『玉堂閒話』)は、五代の蜀の劉隱が若いころ、黔巫の南の南州へ使いに行ったとき、迎えの者が背籠を背負ってやって来て、劉隱を籠の中に入れ、両手を振って歩き出したと書く。険しい山や谷では指の爪でよじ登って一寸ずつ進み、籠の中の人は背負う者と背中合わせに座った。これがこの地の車や馬で、州の長官も籠に座って郊外まで出迎えた、とする。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷四百八十三「南州」の本文。生きた人を籠で運ぶ話で、死者を運ぶ話ではない
- 太平廣記 卷第四百八十三 蠻夷四 卷四百八十三「南州」の前半
盧渙(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に現れる。『太平廣記』の四庫全書本の卷三百九十も「盧渙」を収めるが、盧渙が長官を務めた州を「明州」と書き、話の出どころを『元怪録』と注する。維基文庫の通行の翻刻は、明代の写本(明抄本)によって州を「洺州」とし(もとの字は「名」)、出どころを『玄怪錄』とする。
この記述の範囲: 維基文庫の『太平廣記』四庫全書本の卷三百九十と、通行の翻刻の卷第三百九十
- 太平廣記(四庫全書本)卷三百九十 卷三百九十「盧渙」の書き出しと末尾の注
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 卷第三百九十「盧渙」の書き出しの校記と末尾の注