話
林贊堯(太平廣記卷三百九十)
- 林贊堯
『太平廣記』卷三百九十が『稽神錄』から引く一話。林贊堯の兵が古い墓を掘り、生きているような女の屍から金銀の釵を取る。話の年は946年に当たる。
資料の記述
墓を暴く(發冢・盜墓)は林贊堯(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「林贊堯」(『稽神錄』から出るとする)では、漳州で監軍を殺して拠った林贊堯の兵が陣地を掘って古塚に当たり、衣服も容貌も生きているようで体に暖かみのある女の屍から金銀の釵を取って屍を捨て、また別の塚の棺を開けると髪を顔に被って棺の中にうずくまる人がいて、兵は恐れて数人が死んだ
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「林贊堯」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「林贊堯」
林贊堯(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「林贊堯」
司馬光『資治通鑑』卷二百八十五は、後晉の開運三年(946年)の条に、南唐の漳州の将の林贊堯が乱を起こして監軍使の周承義を殺したが、泉州刺史の留從效が兵を挙げて林贊堯を追い払い、泉州の副将の董思安にしばらく漳州を治めさせた、と書く。
この記述の範囲: 『資治通鑑』卷二百八十五 後晉紀六の開運三年の条(維基文庫の翻刻)。話の中で林贊堯が殺したのは「監軍中使」と書かれる
- 資治通鑑 卷二百八十五 後晉紀六 卷二百八十五 後晉紀六、開運三年(丙午)の条、福州の攻めを述べる段の前
維基文庫の『稽神錄』の「補遺」は、『太平廣記』卷三百九十からこの話を取って載せ、話の初めの丙午の歳に、後晉の開運三年・南唐の保大四年に当たるという注を添える。話は、林贊堯が結局は誅された、と結ぶ。
この記述の範囲: 『稽神錄』補遺(維基文庫の翻刻)の「林贊堯」。年の注は補遺を作った側のもの
- 稽神錄 補遺 補遺、見出し「林贊堯」