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墓を暴く(發冢・盜墓)
- 發冢
- 盜墓
資料の記述
墓を暴く(發冢・盜墓)は李娥(搜神記卷十五の一話)に現れる。『搜神記』卷十五の李娥の話では、葬って十四日目の李娥の墓を、金目当ての隣人の蔡仲が暴いて斧で棺を割ると、数度打ったところで棺の中の李娥が蔡仲の名を呼び「頭を守って」と言い、蔡仲は驚いて逃げ、県の役人に捕らえられた
この記述の範囲: 『搜神記』卷十五「李娥」(漢の建安四年、武陵充縣)
- 搜神記 第十五卷 搜神記 第十五卷、「漢建安四年二月,武陵充縣婦人李娥」で始まる段の前半
墓を暴く(發冢・盜墓)は漢の馮貴人の墓(搜神記卷十五の一話)に現れる。『搜神記』卷十五は、漢の桓帝の馮貴人の墓を靈帝の時に盗賊が暴くと、七十年余りたっても顔色はもとのままで肉がやや冷たいだけだったので、賊らはその屍を犯し、争って殺し合ったことで事が露見した、と記す
この記述の範囲: 『搜神記』卷十五(漢の桓帝の馮貴人)
- 搜神記 第十五卷 搜神記 第十五卷、「漢桓帝馮貴人,病亡」で始まる段
墓を暴く(發冢・盜墓)は廣川王發古冢に現れる。『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」は、廣川王の去疾が無頼の若者を集めて国内の墓をことごとく発掘し、その数は数えきれず、珍しいものは百ほどあったと、王の中尉だった祖父を持つ爰猛の話として記す
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」冒頭
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六、見出し「一百二十五、廣川王發古冢」の第1段
墓を暴く(發冢・盜墓)は楊知春(太平廣記卷三百八十九)に現れる。『太平廣記』卷三百八十九「楊知春」では、二人の賊が「僵人」の言に乗じて十人ほどの一味を集めて墓を発き、白茅塚の玉の棺に生きているような玉女を見つけて、酒を飲み財宝を取り、指輪が抜けないので指を切ると赤豆の汁のような血が出て、賊どうしが互いを見分けられなくなって九人が斬り合って死に、止めた楊知春だけが生き残って品を返し、官に自首した
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百八十九「楊知春」(末尾に「出《博異志》」)
- 太平廣記 卷第三百八十九 塚墓一 太平廣記 卷第三百八十九、見出し「楊知春」第2文以下
墓を暴く(發冢・盜墓)は奴官塚(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「奴官塚」(『廣異記』から出るとする)では、宝があると聞いて村人が後漢の奴官塚を開くと、奥の水の深い所で紫の衣の人が戸口に立って賊と打ち合い、囲みを抜けて県に駆け込み「賊が私の墓を荒らす」と叫んだので、県令が里長に追わせて賊はみな捕らえられた
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「奴官塚」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「奴官塚」
墓を暴く(發冢・盜墓)は盧渙(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「盧渙」(『玄怪錄』から出るとする)では、呪を唱えることのできる盗賊が十人を集めて古塚を掘り、斎戒して呪で鉄で封じた石門を開けたが、中から黄衣の者が出て、漢の徵南將軍の墓で官の葬りだから財宝は無いと言って止め、なお呪を続けると青衣の者が出てまた言葉を伝えたが盗は聞かず、扉が開いて大水が出て、泳げた一人のほかは溺れ死んだ
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「盧渙」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「盧渙」
墓を暴く(發冢・盜墓)は樊澤(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「樊澤」(『逸史』から出るとする)では、墓荒らしが邕管經略史(本文の字のまま)の墓を開くと、棺の中の人は紫の衣に玉の帯で生きているようで、決まりどおり酒を垂らすと死者が笑い、助け起こすと枯れた骨だけだったが、腰の帯を解くと死者が「緩めて、腰が痛い」と叫んだので一味は逃げ出し、のちに息子たちの夢の知らせで捕らえられ、みな殺された
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「樊澤」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「樊澤」、全段
墓を暴く(發冢・盜墓)は林贊堯(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「林贊堯」(『稽神錄』から出るとする)では、漳州で監軍を殺して拠った林贊堯の兵が陣地を掘って古塚に当たり、衣服も容貌も生きているようで体に暖かみのある女の屍から金銀の釵を取って屍を捨て、また別の塚の棺を開けると髪を顔に被って棺の中にうずくまる人がいて、兵は恐れて数人が死んだ
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「林贊堯」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「林贊堯」
墓を暴く(發冢・盜墓)は張紹軍卒(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「張紹軍卒」(『稽神錄』から出るとする)では、城を囲む軍の兵二人が財物を求めて塚を発き、棺の中の緑の衣の人の顔が生きているようなので恐れて手を付けず、椰子の実の杯だけ取って献じたが、営に戻ると緑衣の人がその部屋に座っているのを一日に何度も見るようになり、一、二日して二人とも戦死した
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「張紹軍卒」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「張紹軍卒」
墓を暴く(發冢・盜墓)は鄂州南市女(夷堅支庚志卷一)に現れる。『夷堅支庚志』卷一「鄂州南市女」では、恋い死にした富家の娘の葬儀が華やかだったので、山の下の若い樵が副葬品を狙って墓を暴き、棺を開けて屍を座らせて衣を剥ごうとすると、娘が目を開けて体も温かく柔らかくなり、助けてくれたのだから害するなと言い、樵の妻になった
この記述の範囲: 『夷堅支庚志』卷一「鄂州南市女」前半
- 夷堅支庚志 卷一 夷堅支庚志 卷一、見出し「鄂州南市女」前半
墓を暴く(發冢・盜墓)は李婆墓(夷堅支甲志卷二)に現れる。『夷堅支甲志』卷二「李婆墓」では、偽齊の末の紹興丁巳の年に、宝が多いと言い伝えられた下邳の李婆墓を盗賊が三百人を集めて掘り、棺槨が見えたところで休んでいると、背が七尺余りで白髪・黒い顔の醜い老婆が白い練絹の衣で槨の上に座り、指を弾いて長く嘯くと谷の流れが沸き立ったので皆逃げ、戻ると棺槨は消えて穴だけが残り、五十日のうちに多くが急死したり倒れたりした
この記述の範囲: 『夷堅支甲志』卷二「李婆墓」(紹興丁巳〔本文の字は「丁已」〕、偽齊の末)
- 夷堅支甲志 卷二 夷堅支甲志 卷二、見出し「李婆墓」
墓を暴く(發冢・盜墓)は雷誅王三(子不語卷十七)に現れる。『子不語』卷十七「雷誅王三」では、新婚の弟の嫁を欺いて縊死させた悪人の王三が、嫁の実家の求めで衣や飾りをすべて棺に入れたと聞いて仮埋めの場所を掘り、棺を開けると嫁は生きているような顔色で、王三は下衣を剥いで辱め、珠翠の飾りを懐に入れて逃げようとしたところ、雷に打たれて死に、嫁は生き返った
この記述の範囲: 『子不語』卷十七「雷誅王三」
- 子不語 卷17 子不語 卷17、見出し「○雷誅王三」第2段〜第3段
墓を暴く(發冢・盜墓)は黑煞神(子不語卷八)に現れる。『子不語』卷八「黑煞神」では、桐城の農民が耕すうちに古墓を発いて古い鼎と銅鏡を持ち帰ると、黒煞神と名乗る黒い顔の大男に、元祐元年の安徽太守陸公の娘の墓を盗んだと打たれ、背に疽が出て、娘の霊が妻に憑いて品を返し骨を改葬せよと命じたが、墓には骨が見えず、娘は骨が化した金色の光る土を取れと教えた
この記述の範囲: 『子不語』卷八「黑煞神」
- 子不語 卷8 子不語 卷8、見出し「○黑煞神」
墓を暴く(發冢・盜墓)は奚呆子の發冢(右臺仙館筆記卷四の一条)に現れる。『右臺仙館筆記』卷四は、鄂の樵の奚呆子が、慕っていた娘が死ぬと埋めた場所を知っていたので夜に墓を暴いて屍を背負って帰り、家に置いていたところ、留守中の火事で入った隣人に寝台の裸の死人を見つけられ、娘の父が確かめて官に訴え、律のとおりに裁かれたと記す
この記述の範囲: 『右臺仙館筆記』卷四(奚呆子の条)
- 右臺仙館筆記 卷04 右臺仙館筆記 卷04、「奚呆子,鄂人也」で始まる条
墓を暴く(發冢・盜墓)は外祖安公の墓(閱微草堂筆記卷十五の一条)に現れる。『閱微草堂筆記』卷十五は、書き手の外祖安公の墓に金宝を多く副葬し番人を置いたが、盗賊が昼寝の隙に青い蓑を着て忍び込み、夜番の拍子木の音に合わせて槌で棺を割り、口に含ませた大きな珠を顎を裂いて取り去った、夢に外祖が現れ、三人には前世の借りがあるので捕まらないが、顎を裂いた者だけは報いを受けると告げ、ひと月後に珠を取った一人だけが捕らえられ、珠は屍の気に蝕まれて無価値になっていた、と記す
この記述の範囲: 『閱微草堂筆記』卷十五(姑妄聽之一)、外祖安公の条
- 閱微草堂筆記 卷15(姑妄聽之一) 閱微草堂筆記 卷15、「外祖安公,前母安太夫人父也」で始まる条
謝明勳論文は、「盜墓」は多く厚葬から起こり、副葬品の豊かさが貪欲を誘って、宵小ばかりでなく王侯貴族にも危険を冒す者が多かったとし、例として『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」の条を挙げる
この記述の範囲: 六朝志怪小説(謝明勳論文の注22)
- 六朝志怪小說之他界空間書寫與文化意蘊:以「冢墓」世界為中心 謝明勳論文、紙面の頁41、注22(PDF 11 頁)
墓を暴く(發冢・盜墓)は三國志に現れる。『三國志』魏書の文帝紀は、魏の文帝(曹丕)が黃初三年(222年)に生前の墓所を定めて作った「終制」(自分の葬り方の遺命)を載せる。終制は、昔から滅びない国は無く、暴かれない墓も無いとし、戦乱以来、漢の皇帝たちの陵は暴かれないものが無く、玉の葬具や金の糸を焼いて取り、遺骨まで尽きてしまったのは、厚く葬り盛り土をして木を植えたせいだと言う。そのうえで、珠や玉の葬具を使わず、口に珠玉を含ませず、器は瓦にせよと命じる。
この記述の範囲: 『三國志』卷二 文帝紀、黃初三年冬十月の条に引かれる終制の文
- 三國志 卷02(魏書 文帝紀) 三國志 卷02 文帝紀、黃初三年「冬十月甲子,表首陽山東爲壽陵,作終制曰」の段
墓を暴く(發冢・盜墓)は三國志に現れる。『三國志』魏書の袁紹の伝に裴松之が付けた注は、『魏氏春秋』が載せる袁紹の檄(敵を責めて各地に呼びかける文書)を引く。檄は曹操について、漢の諸侯王だった梁の孝王の墓を将校や兵に自ら臨んで発掘させ、棺を破って屍を裸にし金宝を奪ったと責め、さらに「發丘中郎將」「摸金校尉」という墓を掘る役の官を置いたので、通った所では骸骨がさらされないものは無かった、と書く。注は、この檄を陳琳の文だと付け加える。
この記述の範囲: 裴松之の注が引く『魏氏春秋』の檄の範囲。曹操と争っていた袁紹の側の非難の文で、事実かどうかはこの文からは分からない。注は末尾にこの檄を陳琳の文と記す
- 三國志 卷06(魏書 董二袁劉傳) 三國志 卷06 袁紹伝、建安五年の段に付く裴松之の注(『魏氏春秋』の「紹檄州郡文」)