話
張紹軍卒(太平廣記卷三百九十)
- 張紹軍卒
『太平廣記』卷三百九十の一話で、江南(南唐)の軍が留安を囲んだ年、兵二人が財物を求めて塚を掘ったが、棺の中の緑の衣の人の顔が生きているようなので恐れて手を付けず、椰子の実の杯だけを取った。そののち、そのうちの一人の部屋に緑衣の人が一日に何度も現れ、一、二日して二人とも戦死した。
資料の記述
墓を暴く(發冢・盜墓)は張紹軍卒(太平廣記卷三百九十)に現れる。『太平廣記』卷三百九十「張紹軍卒」(『稽神錄』から出るとする)では、城を囲む軍の兵二人が財物を求めて塚を発き、棺の中の緑の衣の人の顔が生きているようなので恐れて手を付けず、椰子の実の杯だけ取って献じたが、営に戻ると緑衣の人がその部屋に座っているのを一日に何度も見るようになり、一、二日して二人とも戦死した
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「張紹軍卒」
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「張紹軍卒」
張紹軍卒(太平廣記卷三百九十)は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百九十 塚墓二(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 太平廣記 卷第三百九十、見出し「張紹軍卒」
『太平廣記』卷三百九十「張紹軍卒」は、丙午の年に江南の軍が留安(明代の写本の一つ、明抄本では晉安)を囲んだとき、軍の規律が緩み、兵士たちが財物を求めて塚や墓を掘っても将たちは誰も止めなかった、と書き出す。塚を掘った二人の兵は、監軍使(軍を監督する役)の張匡紹が率いる兵で、墓から取った椰子の実の杯を匡紹に献じた。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百九十「張紹軍卒」の書き出し
- 太平廣記 卷第三百九十 塚墓二 卷第三百九十「張紹軍卒」の書き出し
維基文庫の『稽神錄』の補遺は、「張紹軍卒」を『太平廣記』卷三百九十から採って収め、話の初めの丙午の年を南唐の保大四年(946年)にあたると注する。目次頁の解説は、『稽神錄』を南唐に仕えた徐鉉が神怪の事を記した書とし、書中では南唐を「江南」と呼ぶと書く。
この記述の範囲: 維基文庫の『稽神錄』補遺と目次頁の解説。年の当てはめは補遺の注によるもので、誰の注かは頁に書かれていない