話
廣川王發古冢
- 廣川王
『西京雜記』卷六の一話。『太平廣記』卷三百八十九に「廣川王」の題で引かれる。
資料の記述
墓を暴く(發冢・盜墓)は廣川王發古冢に現れる。『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」は、廣川王の去疾が無頼の若者を集めて国内の墓をことごとく発掘し、その数は数えきれず、珍しいものは百ほどあったと、王の中尉だった祖父を持つ爰猛の話として記す
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」冒頭
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六、見出し「一百二十五、廣川王發古冢」の第1段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は廣川王發古冢に現れる。『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」では、魏王子且渠の冢の石の床に、二十歳ほどの男女の屍が裸で東枕に並び、肌の色も髪・歯・爪も生きた人のようだったので、王は恐れて近づかず、もとどおりに閉じた
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」の「魏王子且渠冢」の段
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六「廣川王發古冢」、「魏王子且渠冢」の段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は廣川王發古冢に現れる。『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」では、晉靈公の冢は棺も器も形をとどめないのに屍はなお壊れず、体の穴にみな金玉があり、王は玉の蟾蜍を持ち帰って書の水差しにした
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」の「晉靈公冢」の段
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六「廣川王發古冢」、「晉靈公冢」の段
開けた墓・棺の屍が生きているよう(如生)は廣川王發古冢に現れる。『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」では、幽王の冢を開くと、雲母の下に百余りの屍が重なり合ってみな朽ちず、一人の男のほかは女で、座る者・臥す者・立つ者もあり、衣服も姿も生きた人と変わらなかった
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」の「幽王冢」の段
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六「廣川王發古冢」、「幽王冢」の段
『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」では、欒書の冢は棺も明器も朽ちきっていて、白い狐が一匹逃げ出し、左右の者が撃とうとしたが捕らえられず左足を傷つけると、その夜王の夢に白い眉と鬚の男が現れて杖で王の左足を打ち、王の足は腫れて瘡になり死ぬまで治らなかった
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」の「欒書冢」の段
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六「廣川王發古冢」、「欒書冢」の段
『太平廣記』卷三百八十九「廣川王」(『西京雜記』から出るとする)は、同じ話を、爰猛が「劉向のために」十ほどを語ったとし、墓の名を「幽公塚」、屍の穴を「九竅」、魏襄王の槨の広さを三十人とするなど、維基文庫の『西京雜記』卷六と字が違う
この記述の範囲: 『太平廣記』卷三百八十九「廣川王」と『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」(ともに維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百八十九 塚墓一 太平廣記 卷第三百八十九、見出し「廣川王」(末尾に「出《西京雜記》」)
謝明勳論文は、『西京雜記』の廣川王が発いた冢として、魏の襄王、哀王、魏の王子且渠、袁盎、晉の靈公、幽王、欒書の七つの冢を挙げ、これらの条は冢の中の様子、副葬品の珍しさ、白狐の夢での報いを記すとする
この記述の範囲: 謝明勳論文の注12(中華書局 1983 年版『西京雜記』頁41〜42 による)
- 六朝志怪小說之他界空間書寫與文化意蘊:以「冢墓」世界為中心 謝明勳論文、紙面の頁36、注12(PDF 6 頁)
廣川王發古冢は西京雜記に収められている。
この記述の範囲: 『西京雜記』卷六(維基文庫の翻刻)
- 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六、見出し「一百二十五、廣川王發古冢」
廣川王發古冢は太平廣記に収められている。
この記述の範囲: 『太平廣記』卷第三百八十九 塚墓一(維基文庫の翻刻)
- 太平廣記 卷第三百八十九 塚墓一 太平廣記 卷第三百八十九、見出し「廣川王」