考え方
「生降死不降」など「降/不降」の言い伝え
- 生降死不降
- 三不降之約
- 活歸清,死歸明
清に入った漢人は生きている間は清の装いに従い、死ねば旧(明)の装いを用いた、という言い方。『清稗類鈔』は清初に人々が伝えた説とし、鄭天挺は民間の伝説とする(研究所が参照した資料の範囲)。
資料の記述
鄭天挺「滿洲入關前後幾種禮俗之變遷」は、清初に漢人男子へ満洲の装いが強制されるなかで漢人の女子は清の滅亡まで満洲の装いを受け入れなかったとし、それゆえ民間の伝説に「生降死不降,男降女不降」という言い方がある、と述べる
- 滿洲入關前後幾種禮俗之變遷(愛思想の転載頁「满洲入关前后几种礼俗之变迁」) 「八、衣冠」の節、『啓禎記聞録』の引用の直後の段落
鄭天挺の同論文は、「生降死不降,男降女不降」を洪承疇の政策とする説について、そうではないと否定する
- 滿洲入關前後幾種禮俗之變遷(愛思想の転載頁「满洲入关前后几种礼俗之变迁」) 「八、衣冠」の同じ段落
鄭天挺の同論文は、故国の衣冠が保たれた理由として、女子は外出しないことと、棺に納める装いは他人の目に触れにくいことが考えられる、と推量の形で述べる
- 滿洲入關前後幾種禮俗之變遷(愛思想の転載頁「满洲入关前后几种礼俗之变迁」) 「八、衣冠」の同じ段落
『清稗類鈔』服飾類「詔定官民服飾」は、清初に人々のあいだで「生降死不降」の説が伝えられ、同じ形で老と少、男と女、妓と優についても「降/不降」を言う説があった、と記す
- 清稗類鈔(服飾類) 服飾類「詔定官民服飾」第4段(「國初,人民相傳」で始まる段)
『清稗類鈔』の同条は、そのため生者は必ず時の服(清の服)に従ったが、死者が古い服を用いることは禁じられなかった、成童以上は時の服だが幼児の古い服は禁じられず、男子は時の服、女子はなお明の服を襲った、と記し、順治から宣統までおおむねそうだったと推し量る
- 清稗類鈔(服飾類) 服飾類「詔定官民服飾」第4段
『清稗類鈔』の「霞帔」の条は、結婚の日に新郎が品官なら清の礼服を着るが、新婦は合巹で鳳冠霞帔を用い翌日に朝珠補服へ改めるとし、その理由の説の一つに、清の建国のとき「男降女不降」が伝えられたことを挙げる
- 清稗類鈔(服飾類) 服飾類「霞帔」第2段
『臺灣通史』卷23 風俗志の衣服の節は、台湾が清に帰したのち清の制度に従ったが「三不降之約」があったとし、官降吏不降・男降女不降・生降死不降の三つを挙げる
この記述の範囲: 台湾
- 臺灣通史 卷二十三 風俗志 卷23 風俗志「衣服」の節、最終段
「論喪事」は、布で遺体を縛る「念祖」の意味について、遺体を収めやすくするために結ぶという説と、生きては清に、死んでは明に帰すことを表すという説がある、と記す
この記述の範囲: 1890年ごろの台湾。念祖(遺体を布で縛ること)の意味の一説としての記述で、資料は「生降死不降」の語や死者の衣服とは結びつけていない
- 論喪事(Lūn Song-sū) 第58張「論喪事」(頁18-20)の「論衣衾」の段の後半(念祖の段)。段の頁は翻字頁では特定できない
林淑心の論文は、清代に「男從女不從」の規定があったので、漢族の命婦は明代の漢服の伝統を保つことができた、と述べる
この記述の範囲: 清代の命婦(女性)
- 略論明清官服形制 〔附飾〕のあと、百官命婦の服飾の段、紙面頁91
廖伯豪(2025)は、『清稗類鈔』の「生降死不降」の段を引いたうえで、これを清初以来の「男從女不從」の意識のもとで、族群と性別の違いのために朝廷の規範が及ばない現象が生じたことを示すもの、と読む
この記述の範囲: 廖伯豪「章典之外的衣冠」『故宮文物月刊』2025、紙面 17 頁。研究者の評価
- 章典之外的衣冠—清代臺灣漢人禮服中的地方視野 紙面 17 頁(PDF 2 頁)、清稗類鈔を引いた直後の段落
何兆華「明清時期祖先畫像中官服之研究」は、清は民間に殺戮を辞さず漢人の衣冠を改めさせ、そのために「生降死不降」「男降女不降」という民間の言い回しが生まれたとし、前者を、生きている間は清の装い、入殮では明の装いをすること、後者を婦女はなお明の装いをすること、と説明する
この記述の範囲: 清代(地域を限らない概説)
- 明清時期祖先畫像中官服之研究 頁17 中段(「參、清代祖先畫像中所見之服飾」の見出し直後)
何兆華の同論文は、そのため清代の祖先画像では、清の官服を着た男性の画像と、明式の命婦の服を着た女性の「福像」が並ぶ例が最も多い、と述べる
この記述の範囲: 清代の祖先画像
- 明清時期祖先畫像中官服之研究 頁17 左段(同じ段の後半)