モチーフ
清朝の官服
清の役人の服。映画のキョンシーが着る、役人の帽子と、胸に四角い刺繍の布(補子。官の位を示す)を付けた上着の姿は、この服をもとにしている。
資料の記述
今後殭屍映画を撮る人がいるなら、昔のように無造作に一日に十組、八組と撮り、清装を一着着せれば殭屍と呼ぶ作り方ではなく、手間をかけて作ってほしい、と錢小豪は語った
この記述の範囲: 錢小豪(『殭屍先生』1985 の秋生役)の回想。香港01 の取材記事(掲載 2016-05-10。取材の日は記事に書かれていない)で、撮影から約 30 年後。本人の言葉としてかぎ括弧で引かれた部分に限る
- 【老「殭」復活】錢小豪拆解創作內幕:「治殭屍方法都是假的!」 小見出し「延續集體回憶」の下、最後の本人談話の段落(「感覺上外國的鬼片」で始まる段落)の結び
風傳媒の記事(2026-09-05)は、清代までの志怪小説に殭屍が官服を着るという決まりは無く、清代の文学・民間の伝説・20世紀の香港映画が重なって今の姿になり、1980年代の香港の殭屍映画の盛行でこの装いが固まった、と述べる
- 殭屍為什麼總是穿清朝官服?不是古人規定的,真正原因和香港電影有關 導入部(目次の前後の段落)
風傳媒の記事は、殭屍が清式の官服をよく着る背景の一つとして、『殭屍先生』など多くの作品が清末民初の時代設定をとり、棺の中の一、二代前の人物が晩清に生きていたとしても不自然でないことを挙げる
- 殭屍為什麼總是穿清朝官服?不是古人規定的,真正原因和香港電影有關 見出し「那麼,殭屍為什麼偏偏經常穿清式官服?」の節
風傳媒の記事は、もう一つの背景として、清代の官服は見た目の特徴が鮮明で年代感と識別性が強く、映画の画面で固定した記号になりやすかったと述べ、その例に國立臺灣歷史博物館所蔵の光緒年間の五品文官補服を挙げる
清朝の官服は壽衣・殮服(死者に着せる装束)で使われる。廖伯豪論文は、清代の官員の礼服は官の場だけでなく、婚礼・寿礼・祭祀、さらに入殮の服など、人生の重要な段階にも用いることができ、多重の用途があった、と述べる
この記述の範囲: 清代の官員(台湾の漢人家族の伝世品を論じる文脈)
- 章典之外的衣冠—清代臺灣漢人禮服中的地方視野 「榮身衣冠.兼容時宜」の節、紙面頁17(PDF 2 頁、注2)
廖伯豪論文は、台南市南区の光緒甲午年(1894)の「清誥授朝議大夫張虞廷」の墓から出土した銀鍍金の朝冠頂を、十九世紀末に府城打銀街の金足成銀舗が請け負って作ったものとし、底の「金足成」の款は店号だろうとみる
この記述の範囲: 台南、1894年の墓
- 章典之外的衣冠—清代臺灣漢人禮服中的地方視野 「章典為憑.地方特製」の節、紙面頁18〜19(図2・3は18頁、注6は18頁、注7は19頁)
廖伯豪論文は、日本統治期に入ると台湾の男子はもう補服・蟒袍を使わず、長袍馬褂(当時「臺灣衫」と呼ばれた)を正式の礼服とし、のちに洋服に替わっていった、と述べる
この記述の範囲: 日本統治期の台湾の漢人男子
- 章典之外的衣冠—清代臺灣漢人禮服中的地方視野 紙面頁29の冒頭(PDF 14 頁、廖素菊の調査〔注19〕の引用のあと)
林淑心「略論明清官服形制」は、清代の補褂の補子には方形と円形の二種があり、宗室以上が円補、一般の官員は方補を用い、寸法は明代よりやや小さく五彩の刺繍を好んだ、と述べる
この記述の範囲: 清代の官服
- 略論明清官服形制 「四 清代官服制度」〔服式〕の末〜紙面頁91冒頭
林淑心の論文の表は、清代の補子の紋を、文官は一品仙鶴から九品練雀までの鳥、武官は一品麒麟から九品海馬までの獣とし、武官は七品・八品とも犀牛とする
この記述の範囲: 清代の官服
- 略論明清官服形制 紙面頁91の表(文官・武官の一品〜九品)
林淑心の論文は、朝珠は品官のうち文官五品、あるいは四品以上の者が礼服を着るときに掛けるもので、仏門の念珠にならい一連108顆を大珠で四つに分け、背に垂らす小珠の連と、両側の三連の小珠を付けるとし、どちらも「紀念」と呼ぶ、と述べる
この記述の範囲: 清代の官服
- 略論明清官服形制 〔附飾〕の段、紙面頁91
林淑心の論文は、清代の男子の礼帽は冬(冬・春)の暖帽と夏(夏・秋)の涼帽に分かれ、頂部に帽頂と垂れる紅緯を飾り、帽頂が文武百官の位階の高下の重要な標識で、頂子の色と材質で官階を分ける、と述べる
この記述の範囲: 清代の官服
- 略論明清官服形制 〔冠帽〕の段と表(朝冠・吉服冠)、紙面頁89
林淑心の論文は、家居で用いる便帽(瓜皮帽)の頂の紅い絲絨の結び目は、凶事・喪のときには白か黒に改めた、と述べる
この記述の範囲: 清代の男子の便帽
- 略論明清官服形制 〔冠帽〕の段の末(翎管の段の次、〔服式〕の前)、紙面頁90
梁弘孟論文が引く『大清律例』の「服舍違式」律は、官民の家屋・車・服・器物には等第があり、違式に僭用すれば官のある者は杖一百で罷職不敘、官の無い者は笞五十(罪は家長に)とする
この記述の範囲: 清代の法(大清律例)
- 穿什麼,有關係—清代人服飾與身份階層的法律問題 「壹、一、立法規定」の条文(1)175.00、紙面頁16
國立臺灣歷史博物館の収蔵品「潘踏比厘六品武官補服」(登錄號 2019.035.0003)は、石青色・円領・対襟の清朝の官服で、胸と背に彪を主題とする方形の補子を縫い付けたもので、1887〜1895年ごろのものと推定される
この記述の範囲: 台湾に伝わった一点の実物
- 潘踏比厘六品武官補服(登錄號 2019.035.0003) 文物描述・推測年份・歷史分期の欄
同じ収蔵記録は、この補服の紋が六品武官専用で、持ち主の潘踏比厘が1887年に正六品の武官の職銜を得たことに対応するとし、1895年以後は使われずしまわれたと推測する。その後、潘家が代々収め伝え、寄贈されたと記す
この記述の範囲: 台湾に伝わった一点の実物
- 潘踏比厘六品武官補服(登錄號 2019.035.0003) 文物描述の欄の後半
李理「論明宮服飾對清宮服飾的影響」は、清朝の補子は明末の補子の様式を基礎として作られたとし、明清二朝の補子が相い承け継ぐ関係は清朝が明制を継いだことの表れだと述べる
この記述の範囲: 明・清の官服の補子
- 論明宮服飾對清宮服飾的影響—以明、清宮廷服飾上的「十二章」及「補子」為例(原題は簡体字: 论明宫服饰对清宫服饰的影响) 「二 明、清兩朝服飾上的『補子圖案』」(一)、紙面頁177(PDF 13 頁)
李理の同論文は、後金の天命六年(1621)に明の補子の定制にならったとき補子は四爪蟒・麒麟・獅子・彪の四種で武職だけが用い、清の入関後、順治九年(1652)以後に文武の補服と補子の定制が改められた、と述べる
この記述の範囲: 清の官服の補子
- 論明宮服飾對清宮服飾的影響—以明、清宮廷服飾上的「十二章」及「補子」為例(原題は簡体字: 论明宫服饰对清宫服饰的影响) 同節、紙面頁177(PDF 13 頁、注2: 『滿文老檔』第217頁)
『清史稿』輿服志は、崇德二年に太宗が、金の熙宗らが祖先の冠服をやめて漢人の衣冠に改めた例を挙げ、騎射を業とする国として服制は立国の根本であり、出師・狩猟以外は国初の定制どおり朝衣を着て、後の子孫に祖制を変えさせないようにと諭した、と記す
この記述の範囲: 清(崇德二年=1637)
- 清史稿 卷一百三 志七十八 輿服二 清史稿 卷103 輿服二、冒頭の「崇德二年」の段
『清史稿』輿服志は、清の文武官の補服の文様を、文官は一品鶴・二品錦雞…七品鸂鶒・八品鵪鶉、武官は一品が麒麟、二品が獅、三品が豹、四品が虎、五品が熊、六品が彪、七品が犀牛とし、武官八品の補服は七品と同じ、九品は海馬とする
この記述の範囲: 清(輿服志の規定)
- 清史稿 卷一百三 志七十八 輿服二 清史稿 卷103 輿服二、「文一品朝冠」から「武九品補服」までの段
何兆華の同論文は、清の朝服は披領と、上衣と下裳が続いた袍裙からなり、上衣は円領・右衽・窄袖で袖口は馬蹄袖だとし、胸背の「補」は明の制にならったが皇族の高位は円形の龍の補、一般の百官は方形の補を用いた、と述べる
この記述の範囲: 清の官服
- 明清時期祖先畫像中官服之研究 頁17 中段「1.清代官服」と右段
Emery(The News Lens、2014)は、道士が銅鑼を鳴らして紙を撒き、清の服を着た殭屍が一列で跳ねる画面は、白黒映画の時代にもうあったと書く。作品の名は挙げていない
- 漫談中國殭屍傳說與港產殭屍電影(七):香港殭屍類型電影的興衰史 本文の中ほど、早い時期の殭屍映画を述べる段(Wayback の写し)