組織
ゴールデン・ハーベスト
1970年に成立した香港の映画会社で、中国語の名は嘉禾。香港電影資料館は、嘉禾が柔軟な経営とすぐれた製作の目で、当時頂点にあった邵氏(ショウ・ブラザーズ)の首位に挑んだとする。『殭屍先生』(1985)を出し、林正英が監督した『一眉道人』(1989)の会社にも出資した。
資料の記述
ゴールデン・ハーベストは殭屍先生(霊幻道士)を製作した。
この記述の範囲: 香港電影資料館の上映解説クレジット欄
- Mr. Vampire(The Spooky and the Supernatural 上映プログラム解説) 上映解説ページ、見出し直下のクレジット欄「Dir: / Scr: / Prod Co: / Cast:」の行
ゴールデン・ハーベストは鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters)を製作した。
- Hong Kong Film Search(香港政府の映画検索データベース)の作品ごとの詳細レコード bib_no 52297 詳細レコード、Company/Group欄
香港電影資料館の『風起潮湧—七十年代香港電影』の前言は、もと邵氏(ショウ・ブラザーズ)で働いていた鄒文懷が1970年代の初めに独立し、外部に製作を任せる柔軟なやり方で武侠映画に大きく投資し、李小龍(ブルース・リー)の神話をつくって邵氏の首位に挑んだとする。1974年には嘉禾が、テレビ出身の許冠文が広東語で撮った喜劇『鬼馬雙星』を後押しし、大衆に受け入れられて、その後の許氏兄弟の一連の作品もみな興行の首位に立った、と書く。
この記述の範囲: 香港電影資料館『風起潮湧—七十年代香港電影』(香港影人口述歷史叢書之七、2018年)の吳君玉の前言
- 風起潮湧—七十年代香港電影(香港影人口述歷史叢書之七) 前言(吳君玉)、紙面3〜4頁
香港電影資料館の《通訊》第75期(2016年)は、資料館が2013年に嘉禾の映画の回顧を開き、1970年に成立した嘉禾が柔軟な経営とすぐれた製作の目で、当時頂点にあった邵氏の首位にどう挑んだかを探ったと書く。同じ号は、邵氏の宣伝の文句「邵氏の作品ならきっと良い映画」と、嘉禾の宣伝の文句「嘉禾の作品は最良の貢献」を引く。
この記述の範囲: 香港電影資料館《通訊》第75期(2016年2月)紙面10頁の吳君玉の記事「歷史回望:從奮鬥到新藝城」
- 香港早期恐怖片(座談會の報告)ほか 紙面10頁、新藝城を扱う記事の冒頭と中ほど
香港電影資料館の電子刊物『探索1930至1940年代香港電影』の郭靜寧の章は、1948年に九龍塘にできた永華の撮影所が、1950年代半ばに斧山道の新しい撮影所に移って國泰に引き継がれ、1971年に國泰が製作をやめると嘉禾がその跡を買い、1998年に嘉禾が斧山道を離れるまで、ちょうど半世紀続いたと書く。
この記述の範囲: 香港電影資料館『探索1930至1940年代香港電影 上篇』(2022年)の郭靜寧「永華之初與戰後四十年代香港電影」の引言
- 探索1930至1940年代香港電影 上篇:時代與影史 郭靜寧「永華之初與戰後四十年代香港電影」の引言(PDF 199 頁)
香港電影資料館の林正英の略伝は、『殭屍先生』(1985)などで道長を演じた林正英が、のちに嘉禾の出資を受けて蔡瀾・藍乃才と大路電影製作有限公司を作り、その最初の作品『一眉道人』(1989)を自ら監督して、得意の道士の役を演じたと書く。同じ資料館の劉觀偉の略伝は、劉觀偉が監督した『殭屍先生』の続編を挙げたあと、洪金寶が嘉禾を離れてからは洪の会社に移って『鬼咬鬼』(1990)を撮ったと書く。
この記述の範囲: 香港電影資料館「香港影人小傳檢索」の林正英・劉觀偉の略伝
- 香港影人小傳檢索:林正英 略伝の後半(『殭屍先生』以後の段)
- 香港影人小傳檢索:劉觀偉 略伝の後半(『殭屍先生』の続編を挙げた次の段)
香港電影資料館の《通訊》第 64 期(2013 年 5 月)が伝える、嘉禾を振り返る上映の催しに合わせた座談会で、登徒は、嘉禾は観客がすぐに満足することを重んじて多くの混ぜ合わせのジャンルの映画を始めたとし、霊や妖しい題材と功夫のアクションを合わせた『鬼打鬼』(1980)がいちばんよい例だと述べた。
この記述の範囲: 香港電影資料館《通訊》第 64 期の座談会「嘉禾類型電影的開拓」(2013 年 3 月 30 日)の報告(PDF 15 頁)
- 香港電影資料館《通訊》第 64 期(2013 年 5 月): 洪金寶の口述歴史の聞き取りと嘉禾の座談会の報告 PDF の 15 頁、座談会の報告(中英の併記)