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死者の目が閉じない(不瞑)
- 不瞑
- 目不瞑
死者の目が開いたままで閉じない、という記述。『左傳』『論衡』『閱微草堂筆記』に、恨みや心残りと結びつけて語る例と、それを病や気で説明する議論がある(研究所が参照した範囲)。
資料の記述
死者の目が閉じない(不瞑)は春秋左氏傳に現れる。晋の荀偃が頭の腫れ物を病んで死んだとき、目を見開いたままで、口に含ませる物(含)を入れられなかった。范宣子が手を洗って撫で、呉(荀偃の子)に仕えると言っても目は開いたままだった。欒懷子が斉への出兵を終えていないためかと言い、あらためて撫でて斉のことを継ぐと河に誓うと、目を閉じて含を受けた。
この記述の範囲: 『春秋左氏傳』襄公十九年の傳
- 春秋左氏傳/襄公 春秋左氏傳 襄公十九年 傳「二月.甲寅.卒.而視」の段
死者の目が閉じない(不瞑)は春秋左氏傳に現れる。楚の成王は、太子商臣の兵に囲まれて縊死した。死後の諡を靈とすると目を閉じず、成とすると目を閉じた。
この記述の範囲: 『春秋左氏傳』文公元年の傳
- 春秋左氏傳/文公 春秋左氏傳 文公元年 傳「冬,十月,以宮甲圍成王」の段
死者の目が閉じない(不瞑)は論衡に関わる。王充は、荀偃が目を閉じなかったのを斉を討ち終えなかった恨みのためと見る読みを紹介したうえで、それを退け、荀偃はもともと目が突き出る病で、死んだばかりは気が盛んで目が閉じず、しばらくして気が衰えたときに撫でられたので閉じたのだと説く。死者の精神が恨みを口と目に示したのではない、とする。
この記述の範囲: 『論衡』死偽篇第六十三、荀偃の条
- 論衡/63(死偽篇第六十三) 論衡 死偽篇第六十三「晉荀偃伐齊」の段とそれに続く反論
死者の目が閉じない(不瞑)は論衡に関わる。王充は、人は誰でも死ぬとき何かしら恨みを残す(志士・学者・農夫・商人・仕官の者・勇者それぞれに)ので、目を閉じないことを恨みのしるしとするなら、天下の人はみな目を閉じずに死ぬはずだ、と論じる。
この記述の範囲: 『論衡』死偽篇第六十三、荀偃の条の後段
- 論衡/63(死偽篇第六十三) 論衡 死偽篇「凡人之死,皆有所恨」から始まる数句
死者の目が閉じない(不瞑)は論衡に関わる。王充は、楚の成王が諡を靈とされて目を閉じず成とされて閉じた話についても、縊死した直後で気が盛んなため目が開いていたのが、気が衰えて閉じる時にたまたま諡の改めが重なっただけだとし、成王の魂に知覚があった証拠ではないとする。
この記述の範囲: 『論衡』死偽篇第六十三、楚成王の条
- 論衡/63(死偽篇第六十三) 論衡 死偽篇「楚成王廢太子商臣」の段
郭六の条(閱微草堂筆記卷3)は死者の目が閉じない(不瞑)に関わる。県令が郭六を祖先の墓地に葬るが夫の墓には合わせない(夫とは絶え、舅姑とは絶えない)と判じても、目はなお閉じなかった。舅姑が、彼女は貞婦で自分たち二人のためにこうなった、責められるべきは親を若い妻に押しつけた息子だ、これは家の事で官が口を出すことではない、と泣いて訴えると、言い終わったところで目を閉じた。
この記述の範囲: 『閱微草堂筆記』卷3、郭六の条
- 閱微草堂筆記/卷3 閱微草堂筆記 卷3 郭六の条の後半(県令の判から結びまで)
2019年の聯合報(元氣網)の記事は、民間には、死者が亡くなるとき目や口が開いていれば冤屈があるか心残りがあるという「死不瞑目」の言い伝えがある、と紹介する。
この記述の範囲: 台湾の報道(2019-08-14)
- 死後睜眼張嘴是心願未了,「死不瞑目」?醫師這麼說 記事の導入段(「人的一生免不了要經歷生離死別」)
元氣網(聯合報系)の記事で神経内科の医師は、死後に目や口が開くのは臨床ではよくあることで、脳が酸欠で閉じる信号を送れなくなり筋肉がゆるむためと考えられる自然な現象であり(記事は「可能」と推量で書く)、瞑目するかどうかは本人の気持ちや意志ではなく最期の身体の働きによると説明し、家族のために自分は患者の目を閉じてやる、と述べる。
この記述の範囲: 台湾の報道(2019-08-14)、医師の談話
- 死後睜眼張嘴是心願未了,「死不瞑目」?醫師這麼說 記事本文、黃啟訓医師の談話の段