文献
論衡
資料の記述
死者の目が閉じない(不瞑)は論衡に関わる。王充は、荀偃が目を閉じなかったのを斉を討ち終えなかった恨みのためと見る読みを紹介したうえで、それを退け、荀偃はもともと目が突き出る病で、死んだばかりは気が盛んで目が閉じず、しばらくして気が衰えたときに撫でられたので閉じたのだと説く。死者の精神が恨みを口と目に示したのではない、とする。
この記述の範囲: 『論衡』死偽篇第六十三、荀偃の条
- 論衡/63(死偽篇第六十三) 論衡 死偽篇第六十三「晉荀偃伐齊」の段とそれに続く反論
死者の目が閉じない(不瞑)は論衡に関わる。王充は、人は誰でも死ぬとき何かしら恨みを残す(志士・学者・農夫・商人・仕官の者・勇者それぞれに)ので、目を閉じないことを恨みのしるしとするなら、天下の人はみな目を閉じずに死ぬはずだ、と論じる。
この記述の範囲: 『論衡』死偽篇第六十三、荀偃の条の後段
- 論衡/63(死偽篇第六十三) 論衡 死偽篇「凡人之死,皆有所恨」から始まる数句
魂魄は論衡に関わる。王充は、死者の精魂は散って人の言葉を聞けず、たとえ形から離れて鬼となって傍に立っても、もう身体の中に戻って目を閉じさせたり口を開かせたりはできない、と論じる。精魂が形を立て直して屍を生きている人のようにするという世の説は誤りだとする。
この記述の範囲: 『論衡』死偽篇第六十三、荀偃の条の結び
- 論衡/63(死偽篇第六十三) 論衡 死偽篇「且死者精魂消索」から「誤矣」まで
死者の目が閉じない(不瞑)は論衡に関わる。王充は、楚の成王が諡を靈とされて目を閉じず成とされて閉じた話についても、縊死した直後で気が盛んなため目が開いていたのが、気が衰えて閉じる時にたまたま諡の改めが重なっただけだとし、成王の魂に知覚があった証拠ではないとする。
この記述の範囲: 『論衡』死偽篇第六十三、楚成王の条
- 論衡/63(死偽篇第六十三) 論衡 死偽篇「楚成王廢太子商臣」の段