考え方
茅山法(民間の法術の流派としての)
- 茅山法
- 茅山教
- 茆山
- 毛山
李若冲の記事(澎湃新聞 2015)は、民間の巫法の一流派で、道教の茅山上清派とは別のものとする。
資料の記述
茅山法(民間の法術の流派としての)は茅山派(茅山宗)と異なる。李若冲の記事は、香港映画の「茅山道士」が主に表すのは茅山法を行う巫師で、この茅山法は民間の巫法の一流派であり、道教の茅山上清派とは同じものではない、と述べる。
この記述の範囲: 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(澎湃新闻 2015-11-09)
- 老港片里的“茅山道士”是怎么回事 節「“茅山道士”与香港民间宗教文化」第 5 段(節の最後の段)
澎湃新聞の記事(李若冲、2015)は、民間では一般に茅山を「茆山」や「毛山」と書き、その教派は茅山教と呼ばれ、20 世紀 30 年代に人類学・民族学の研究者が両広の瑶山の調査で茅山教を見つけた、と書く。
この記述の範囲: 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(澎湃新闻 2015-11-09)
- 老港片里的“茅山道士”是怎么回事 節「巫教中的“茅山法”」第 1 段
澎湃新聞の記事(李若冲、2015)は、両広で行われる茅山教は福建の閭山教・湖南の梅山教などと深い関わりがあり、これらの民間の巫教は「法教」「師教」と呼ばれ、行う者は「師公」「端公」と呼ばれる、と書く。
この記述の範囲: 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(澎湃新闻 2015-11-09)
- 老港片里的“茅山道士”是怎么回事 節「巫教中的“茅山法”」第 1〜2 段
茅山法(民間の法術の流派としての)は香港に見られる。澎湃新聞の記事(李若冲、2015)は、香港の民間宗教では儒釈道の三教の外に喃呒・六壬・茅山などの地方の教派の従事者が活動しており、学界は彼らを「民間儀式専家」(民間の儀式専門家)と呼ぶ、と書く。
この記述の範囲: 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(澎湃新闻 2015-11-09)
- 老港片里的“茅山道士”是怎么回事 節「“茅山道士”与香港民间宗教文化」第 1 段
澎湃新聞の記事(李若冲、2015)は、新界の北部に伝わる『道統永傳』が、黄冠羽士、告斗星巫、茅山の法を演じる者、邪煞を送る者という四種の道巫がそろって老君を道教の主と仰ぐ、と書くことを引き、記事の筆者はこのうち後の二者を巫師と解する。
この記述の範囲: 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(澎湃新闻 2015-11-09)
- 老港片里的“茅山道士”是怎么回事 節「“茅山道士”与香港民间宗教文化」第 3〜4 段
茅山法(民間の法術の流派としての)は全像顯法降蛇海遊記傳に現れる。胡紅波(2002)の筋の紹介では、白蛇は閭山に入れずに毛(茅)山へ行き、もとは閭山の出の八郎から「呵毛成劍,撒豆成兵」の法と帝鐘を授かり、のちに沙王は靖姑に、蛇母の術はみな毛山で盗み学んだものだと告げる。
この記述の範囲: 胡紅波(2002)紙面 42 頁の筋の紹介
- 乾隆刻本《全像顯法降蛇海遊記傳》的發現 紙面 42 頁(筋の紹介の、白蛇が学法に出る段)
李茂霖(2015、拉曼大学の学部論文)は、マレーシア霹靂州太平の「昆侖茅山教」を、昆侖教と茅山教という本来は別の二つの教派が結び付いたマレーシア独自の道教の流派とし、中国の符籙派が 19 世紀末にマレーシアに入った後に生じた、と述べる。
この記述の範囲: 李茂霖「霹雳州太平昆仑茅山教历史传承与教派事迹考察」(2015、学部の卒業論文)
- 霹雳州太平昆仑茅山教历史传承与教派事迹考察 紙面 iii(摘要)、紙面 1 頁(第一章第一節)
李茂霖の論文(2015)は、人々は映画や小説の影響で「茅山を学ぶ」者に悪い印象を持ち、符籙や呪で蠱を下し降頭を行う者と考えがちだとし、結語でそれは誤りだと述べる。
この記述の範囲: 李茂霖(2015)紙面 1 頁・101 頁。論文は「人们」と書き地域を限らない(論文が扱うのはマレーシア霹靂州太平の教派)
- 霹雳州太平昆仑茅山教历史传承与教派事迹考察 紙面 1 頁(第一章第一節 第 4 段、「“茅山教”及“学茅山”」で始まる段)、紙面 101 頁(結語と思考)
茅山法(民間の法術の流派としての)は茅山派(茅山宗)と異なる。澎湃新聞の記事(李若冲、2015)は、正規の上清派の道士は経典を学んで法位を段階的に受ける者で、映画の中で鬼を祓う「茅山道士」とは大きく違うとし、六朝の精神史で重要な茅山上清派と民間で盛んな巫法の茅山教はもともと関わりが無く、映画の強い影響で一部の観客が取り違えるようになった、と結ぶ。
この記述の範囲: 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(澎湃新闻 2015-11-09)
- 老港片里的“茅山道士”是怎么回事 節「道教茅山中的“上清道士”」の終わりの 2 段