シリーズ
幽幻道士シリーズ
- 幽幻道士
『幽幻道士』の名で知られる台湾の映画『殭屍小子』から始まったシリーズである。1986 年の臺北地区の興行の記録では、第 1 作は 1986 年 6 月 20 日から台北の映画館で上映された。NEWSポストセブン(2025)は、日本では 1987 年に公開され、日本だけの派生ドラマ『来来!キョンシーズ』が作られた、と報じる。
資料の記述
殭屍小子(幽幻道士)は幽幻道士シリーズの作品の一つである。
この記述の範囲: アット エンタテインメントのBD-BOXカタログ
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ BD-BOX 本文の番号付き一覧「①「幽幻道士(キョンシーズ)」」から「⑤「新・幽幻道士(キョンシーズ)立体奇兵」」およびTVシリーズの項目立て
第 3 作・第 4 作の日本語吹替版の演出を担当した飯田譲治は、台湾から登場人物の細かな名前や法術・呪文の名前が届かなかったので、自分ですべて考えた、と語った。
この記述の範囲: 映画ナタリー 2017-09-16 の記事が引く飯田譲治のコメント(第 3 作・第 4 作の吹替)
- 「幽幻道士」リマスター版5作一挙放送、吹替演出・飯田譲治が制作時の苦労語る(コメントあり) 記事本文第3段(飯田譲治のコメント)の後半
飯田譲治は、放送の 2 時間枠に対して 80 分の素材しか届かないこともあり、『幽幻道士3』では冒頭のストーリー説明の追加、アクション場面のスローモーションの多用、ゆっくりした台詞読み、最後のキャスト紹介の挿入で埋めた、と語った。
この記述の範囲: 映画ナタリー 2017-09-16 の記事が引く飯田譲治のコメント(第 3 作の吹替版)
- 「幽幻道士」リマスター版5作一挙放送、吹替演出・飯田譲治が制作時の苦労語る(コメントあり) 記事本文第3段(飯田譲治のコメント)の前半
『幽幻道士』の金おじいさんを演じた金塗は 1932 年の生まれで、姓は張、本名は張金塗。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 96 頁、金塗の章の冒頭
- 金塗 Chin Tu(台灣電影人物の頁) 人物の頁の冒頭
- 資深演員金塗 肝硬化走了(自由時報 影視焦點) 第 1〜2 段
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 4 段(談話以外の部分)
金塗の家は台北の菓子の店で、向かいのレコード店が新しい歌を流していた。5、6 歳で歌に興味を持ったとされる。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 96 頁、第 2 段
金塗は日本の統治の下で小学校に通い、空襲が始まると北投の石牌へ疎開した。戦後の中学で中国語を発音記号から学び直すことに挫け、戦後の浮ついた空気も重なって学校を離れた。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 96 頁、第 2 段
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 99 頁
金塗の出発は歌と舞台だった。反共の宣伝隊の巡業を経て、楊三郎が率いる黒猫歌舞団に入った。1988 年の雑誌は、18 歳で歌から世に出たと書く(ブログの書き起こしで読んだ)。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 96 頁、第 4 段
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 5 段(談話以外の部分)
金塗は兵役で大陳島と馬祖の前線にも送られた。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 96 頁、第 4 段
金塗は 1957〜59 年の間、台北県三重のラジオ局、中華広播電台で台湾語の笑劇を 2 年演じ、笑劇のレコードも多く吹き込んだ。放送の声で知られ、三重の住人と思われていたが、実は台北から通っていた。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 96〜99 頁
- 金塗 Chin Tu(台灣電影人物の頁) 人物の頁の冒頭
- 戀戀三重埔(三重影歌星史)の金塗の節 印刷の 122 頁
金塗の最初の主演は 1960 年の滑稽映画『大嬸婆遊台北』とされ(同じ資料の作品の年表は 1963 年に置く)、これで喜劇役者の顔が定まった。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 99 頁、第 2 段
- 金塗 Chin Tu(台灣電影人物の頁) 人物の頁の冒頭
監督の林福地は、喜劇の金塗に悲劇も演じられると見て『悲情城市』(1964 年の台湾語映画で、侯孝賢の 1989 年の同じ題の映画とは別の作品)に起用した。以後『黃昏故鄉』などの悲劇にも出た。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 金塗 Chin Tu(台灣電影人物の頁) 人物の頁の冒頭
金塗は 1965 年、『台灣日報』主催の台湾語映画の催しで、十大男優の「宝島賞」に選ばれた。同じ年の選出に陽明(のちの監督、蔡揚名)がいる。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 金塗 Chin Tu(台灣電影人物の頁) 人物の頁の冒頭
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 99 頁・167 頁
台湾語映画の全盛期、金塗は多作だった。1986 年の聯合報は映画 300 本余り(台湾語 200 本余り)、レコード 500 枚余り、1 か月に 6 本を撮り上げた記録と書く。1988 年の雑誌は同時に 7 本を撮っていたと書く(ブログの書き起こしで読んだ)。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 縱橫台灣影視30餘年 金塗專演小人物精準詮釋基層喜劇與悲情(報時光) 再録の 1986-10-28 聯合報 9 版(記者 曹銘宗)
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 8 段(談話以外の部分)
- 金塗 Chin Tu(台灣電影人物の頁) 人物の頁の冒頭
金塗は台湾語映画のころ物語も作っていたが、中国語が不得手なので日本語で書き、口で伝えて脚本家に書いてもらった。そのため脚本に名は出なかった。ただし 1988 年の雑誌は、金塗の中国語は閩南語(台湾語)と同じくらい上手だと書き、食い違う(ブログの書き起こしで読んだ)。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 99 頁、第 4 段
金塗は 1968 年に沖縄へ行き、台湾と沖縄の合作『琉球之戀』『夕陽西下』などを撮った。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 99 頁、第 5 段
- Sunset Over the Horizon / The Love in Okinawa ほかの評(Windows on Worlds) 『琉球之戀』の節
- 戀戀三重埔(三重影歌星史)の金塗の節 印刷の 122 頁
台湾語映画の衰えのあと、政府の刊行物によれば金塗は 1970 年にテレビへ移り(自由時報などは台視の開局の 1962 年からと書く)、台視と契約して『安童哥』、華視で『雨中鳥』『阿塗伯』に出た。台湾語の連続劇の放送時間が制限されて仕事が減ると、1970 年代末からは歌のホールやレストランのショーに移り、シンガポールなどでも 7 か月演じた。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 99 頁、第 6 段
金塗は『殭屍小子』より前に、1984 年の『嫁妝一牛車』で映画へ戻り、1985 年には台湾の映画製作会社、金格影藝の『電影秀』『箭瑛大橋』に出ていた。台灣電影網の年(『殭屍小子』は 1986 年)で見ると、金格の作品への出演はキョンシー映画より前からである。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 99 頁、最後の段
- 金格影藝有限公司(電影事業) 作品の一覧
金塗は 1988 年の第 25 回金馬奨で、『校樹青青』により最優秀助演男優の候補になった。同じ部門の候補には周星馳と林正英がいた。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 第 25 屆金馬獎 入圍得獎(1988) 第 25 屆の入圍の一覧、最佳男配角
- 金塗 Chin Tu(台灣電影人物の頁) 人物の頁の冒頭
金塗が金馬奨の候補になった『校樹青青』の監督は蔡揚名で、1988 年の取材で金塗が、キョンシー映画を熱心に企画した監督として名を挙げた人でもある(ブログの書き起こしで読んだ)。
この記述の範囲: 金塗(金おじいさん役の俳優)の経歴
- 蔡揚名(找影人) 蔡揚名の頁、作品の一覧
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 10 段(本人の談話)
金塗は 1988 年の取材で、自分は金格の映画会社と契約している、と語った(ブログの書き起こしで読んだ)。金格を自分の会社とも、金を出したとも語っていない。
この記述の範囲: 金塗と金格影藝の関係
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 10 段(本人の談話)
1988 年の雑誌の記事の書き手は、金塗が 20 年余りの友人の宋文仲の連続劇『蚱蜢與公雞』に出るにあたり、金格の映画会社から金塗を「借りた」と書く(ブログの書き起こしで読んだ)。
この記述の範囲: 金塗と金格影藝の関係
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 1〜2 段(談話以外の部分)
金塗は 1988 年の取材で、監督の陳俊良・蔡揚名がどちらもキョンシー映画を熱心に企画した、と語った(ブログの書き起こしで読んだ)。台灣電影網が第 1 作の監督とする王知政・趙中興の名は記事に無い。
この記述の範囲: 金塗と金格影藝の関係
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 10 段(本人の談話)
陳俊良と蔡揚名はいとこで、陳は 1964 年に蔡らの永隆電影公司から映画に入り、1978 年にも蔡らの鴻揚公司で監督をした。
この記述の範囲: 金塗と金格影藝の関係
- 陳俊良 Chen Chun-Liang(台灣電影人物の頁) 人物の頁の第 1 段・第 4 段
映画ファンのブログは、金格影藝を 1984 年に陳俊良が作ったと書く。創業の作は、陳俊良・蔡揚名・朱延平が話を分けて監督した喜劇『男人真命苦』で、1985〜89 年がもっとも活発だったという。設立の年は、台灣電影網では 1986 年である。
この記述の範囲: 金塗と金格影藝の関係
- [電影] 新阿里巴巴 本文の金格の紹介の段
映画ファンのブログは、1988 年に、出獄して娯楽の事業に戻った楊登魁が金格の株主になり、『孩子王』(第 4 作)の製作費が大きく増えたと書く。読んだ資料に、金塗が株主だったという話は無い。
この記述の範囲: 金塗と金格影藝の関係
- [電影] 孩子王(幽幻道士4) 本文の第 3 段
台湾の政府の刊行物は、金塗が金おじいさんの人気で日本へよく宣伝に出向き、流暢な日本語で一行の通訳もしたと書く。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 100 頁、第 2 段
1988 年の雑誌の記事の書き手は、金塗が 5 月 1〜6 日に沖縄の東南植物楽園で子どものための交流の催しに出たと書く(ブログの書き起こしで読んだ)。韓国でも 2 日の舞台を考えていたが、宋文仲の新しい劇の撮影で戻るため行かなかったという。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 12 段(談話以外の部分)
金塗は 1988 年の取材で、日本のファンはかわいらしくて熱心で、まるで超大物のように扱ってくれると語った(ブログの書き起こしで読んだ)。雑誌の記事の書き手は、滞在中は深夜でもファンがホテルに電話を入れ、手紙は多すぎて返せないと書く。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 13 段(談話と、談話以外の部分)
1988 年の雑誌は、金塗がこの年にもう一度日本へ行く予定で、日本の「映画歴史館」(原文は電影歷史館)がキョンシー映画の日本での人気という成果の記録を残すため撮影に招いた、と書く(ブログの書き起こしで読んだ)。どの施設かは記事から分からない。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 14 段(談話以外の部分)
金塗は 1988 年の取材で、キョンシー映画が当たった理由を、子どもたちの可愛さに老人の自分が加わり、人情と温かみのある場面が多いことだと思う、と語った。そして日本の芸の世界では道化の役にも高い地位があり、台湾と違う、と語った(ブログの書き起こしで読んだ)。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 15 段(本人の談話)
金塗は 1988 年の取材で、映画が当たったあと日本の TBS からキョンシーの連続ドラマ『來來殭屍』(日本の題は『来来!キョンシーズ』。30 分、週 1 回、全 13 回)を頼まれたと語った(ブログの書き起こしで読んだ)。政府の刊行物は『來來!僵屍!』を富士テレビ(フジテレビの中国語の書き方)の招きで全 10 回、日本へ行って撮ったと書く。映画ファンのブログは TBS の委託で全 10 回とし、富士テレビは別に自前の連続物を撮ったと書く。日本の側の記録では、TBS で全 10 回の放送である。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 10 段(本人の談話)
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 100 頁、第 2 段
- [電影] 殭屍小子(幽幻道士) 本文の販売の段
1988 年の雑誌は、金塗が『來來殭屍』の収録で日本語で話し、放送のときは専門の声の担当が付いた、と書く(ブログの書き起こしで読んだ)。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の第 11 段(談話以外の部分)
金塗は 1988 年の記事で、いちばんの慰めは自分たちの連続劇が日本の局で放送されたことだと述べたとされる(ブログの書き起こしで読んだ)。記事の見出しは「金塗は日本で大人気」という意味の言葉だった。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 金塗紅到東瀛〈1988年〉(『華視綜合週刊』868 期の書き起こし) 記事の見出しと最後の段(談話以外の部分)
三重区の郷土の本は、金塗の役が日本で人気を得て、日本のレコード会社が『幽幻道士』のためのレコードを出し、よく売れたと書く。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 戀戀三重埔(三重影歌星史)の金塗の節 印刷の 123 頁
台湾の政府の刊行物は、シリーズの流行を受けて日本市場に向け『新桃太郎』『桃太郎大顯神威』を撮ったと書く。一方、映画ファンのブログは『新桃太郎』の企画を 1985 年からの話とし、聯合報系の資料写真の説明は、1986 年 9 月 18 日の写真を衣装合わせと撮影開始の場面とする。どちらの時期も、第 1 作が日本で放送された 1987 年より前である。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 100 頁、第 2 段
- [電影] 新阿里巴巴 本文の金格の紹介の次の段(金格在1985年で始まる段)
- 縱橫台灣影視30餘年 金塗專演小人物精準詮釋基層喜劇與悲情(報時光) 冒頭の写真の説明
台湾の政府の刊行物は、金塗が台湾と日本の子どもに共通の記憶になり、『幽幻道士』を好きだった日本の子どもが大人になって専用のサイトを作り、金塗の頁を置いたと書く。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 100 頁、第 2 段
映画ファンのブログは、『哈囉殭屍』(第 2 作)と第 3 作は主に日本の求めで撮り、台湾の市場は二の次だったと書く。『孩子王』(第 4 作)も真っ先に日本へ権利を売ったが、台湾の市場を取り戻す意図が見て取れるという。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- [電影] 孩子王(幽幻道士4) 本文の第 3 段
金塗の 2001 年の訃報(自由時報)は、『殭屍小子』を 50 歳以後の頂点の作の一つに数えるが、日本での人気には触れない。
この記述の範囲: 金塗の訪日と日本での人気(台湾の側の資料)
- 資深演員金塗 肝硬化走了(自由時報 影視焦點) 第 3〜4 段
映画ファンのブログによれば、1986 年に香港映画『靈幻祖師』が審査で禁じられたあと、台湾の配給会社は教訓の話を前後に足し、その新しい場面に金塗が祖父の役で出ている。
この記述の範囲: 台湾の検閲の事情と金塗
- [電影] 1986年次的殭屍跟風片們 CASE 2 の台湾版の節
金塗は『天公疼好人』で台湾のテレビの賞、金鐘奨の候補になり(政府の刊行物は 1996 年と書く)、晩年までテレビに出続けた。最後に撮ったのは三立の『阿扁與阿珍』で、最後に放送されたのは台視の『春風』(2001 年初め)。
この記述の範囲: 金塗の晩年
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 100 頁、第 3 段
- 資深演員金塗 肝硬化走了(自由時報 影視焦點) 第 4 段・第 8 段
2001 年 1 月のテレビ局、華視の催しで、金塗は台湾語・日本語・英語の歌を歌った。
この記述の範囲: 金塗の晩年
- 資深演員金塗 肝硬化走了(自由時報 影視焦點) 第 5 段
金塗は 2001 年 3 月に馬偕医院の検査で肝硬変が分かり、5 月末に亡くなった。死亡の日は 5 月 30 日と 31 日の二説がある。
この記述の範囲: 金塗の晩年
- 資深演員金塗 肝硬化走了(自由時報 影視焦點) 第 1 段
- 台灣影視歌人物誌 1950-1965(金塗の章は陳幸祺の執筆) 印刷の 100 頁、第 4 段
- 金塗 Chin Tu(台灣電影人物の頁) 人物の頁の冒頭
- 戀戀三重埔(三重影歌星史)の金塗の節 印刷の 123 頁
第 2 作の日本での初回放送の時期は資料によって異なる。ファンサイトは 1987 年の秋とし、TBS の映画枠の放送作品を個人がまとめた一覧でこの題が載るのは、1988 年 8 月 16 日の 1 回だけである。
この記述の範囲: ファンサイトと個人の放送作品一覧
- 幽幻道士・キョンシーについて 「幽幻道士について」第 1 段落
- TBS「月曜ロードショー」放送作品一覧③ 1980年~1989年 1988 年の行
ファンサイトは、第 3 作が『来来!キョンシーズ』の放送の終わった 1988 年の春に、第 4 作が同じ年の秋に放映されたと書く。TBS の映画枠の放送作品を個人がまとめた一覧に、第 3 作・第 4 作の題は無い。
この記述の範囲: ファンサイトと個人の放送作品一覧
- 幽幻道士・キョンシーについて 「幽幻道士について」第 3 段落
- TBS「月曜ロードショー」放送作品一覧③ 1980年~1989年 1988〜1989 年の行
第 5 作『新・幽幻道士 立体奇兵』は、映画.com によれば、テレビ放映のための吹替版が作られたのに放送されず、DVD になるまでファンの間で幻の作品だった。DVD の年は映画.com が 2006 年、国立国会図書館の書誌と紀伊國屋書店の商品頁は 2005 年 11 月とする。
この記述の範囲: 映画.com の解説、国立国会図書館の書誌、紀伊國屋書店の商品頁
- 新・幽幻道士(キョンシーズ) 立体奇兵:作品情報 解説・あらすじの末尾
- 幽幻道士キョンシーズ DVD-box(映像資料の書誌) 書誌の出版年
- 幽幻道士 DVD-BOX(商品頁) 商品の説明
TBS の映画枠の放送作品を個人がまとめた一覧は、1988 年 5 月 17 日の行に「ドラゴンキョンシー〈再来!キョンシーズ〉」と載せる。山括弧の意味を一覧は書かない。
この記述の範囲: 個人の放送作品一覧
- TBS「月曜ロードショー」放送作品一覧③ 1980年~1989年 1988 年の行
国立国会図書館の書誌に『キョンシーズ2完全攻略本』(ファミリーコンピュータMagazine編集部 編著、徳間書店、1987 年 10 月)がある。書誌に、攻略の対象のゲームの発売日や映画との関係は書かれていない。
この記述の範囲: 国立国会図書館サーチの書誌
- キョンシーズ2完全攻略本(書誌) 書誌の題・編者・出版年
テレビドラマデータベースによれば、『来来!キョンシーズ』は TBS をキー局に 1988 年 1 月 21 日から 3 月 24 日まで、木曜 19 時 30 分から 10 回放送された。発売元の BD-BOX の頁も全 10 話と記す。
この記述の範囲: テレビドラマデータベースの放送の欄、BD-BOX の頁
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ 放送期間・放送時間・放送回数の欄
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ BD-BOX BD-BOX の頁の「来来!キョンシーズ」の見出し
- 作品紹介(来来!キョンシーズ 第一巻) 備考の欄反対の記述
『来来!キョンシーズ』の製作はナオ・プロモーション、製作協力は台湾の金格影藝、日本語版の製作は映広音響と TBS と記録される。
この記述の範囲: テレビドラマデータベースの制作の欄、国立国会図書館サーチで引いた CiNii Books の書誌
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ 制作会社・制作協力の欄
- 来来!キョンシーズ(映像資料の書誌) 書誌の注記
テレビドラマデータベースは『来来!キョンシーズ』のプロデューサーを蔡揚名・加藤直三・上田正人とし、監督を朱克榮・周彦文とする。
この記述の範囲: テレビドラマデータベースのスタッフの欄
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ プロデューサー・演出の欄
- 作品紹介(来来!キョンシーズ 第一巻) 作品データの欄
『来来!キョンシーズ』の脚本の名は資料によって異なる。CiNii Books と国立国会図書館の映像資料の書誌は劉正謙とし、テレビドラマデータベースは台詞(脚本)を王立山と飯田譲治(日本語版)とする。
この記述の範囲: CiNii Books と国立国会図書館の書誌、テレビドラマデータベース
- 来来!キョンシーズ(映像資料の書誌) 書誌の責任表示
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ 主な脚本の欄
- 来来!キョンシーズ(映像資料の書誌) 書誌の責任表示
『来来!キョンシーズ』は TBS が費用を出して作られたと、後年の資料 2 つが書く。テレビドラマデータベースの解説は TBS の出資で現地で撮った素材からとし、ファンサイトは TBS が台湾に制作を頼み、制作費も持ったとする。
この記述の範囲: テレビドラマデータベースの解説、ファンサイト
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ 解説の文(投稿者の署名つき)
- 幽幻道士・キョンシーについて 「幽幻道士について」第 2 段落
テレビドラマデータベースの解説は、『来来!キョンシーズ』が日本での放送を目的に作られたので原語版が無く、台湾では放送されていないと書く。
この記述の範囲: テレビドラマデータベースの解説
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ 解説の文(投稿者の署名つき)
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ BD-BOX BD-BOX の頁の仕様の欄
テレビドラマデータベースの解説の中の、有志の投稿者の文が引くツイッターの投稿(2012 年 8 月 14 日)によれば、飯田譲治は『来来!キョンシーズ』の日本語版の仕事について、撮影だけが台湾で、編集・効果・吹替の台本と吹替の演出は全部日本で自分がやり、かけ声・呪文・敵の名前はアフレコの台本を書くときに考えたと書いたとされる。本人の投稿は確かめていない。
この記述の範囲: テレビドラマデータベースの解説の中の有志の投稿者の文(署名あり)が引く飯田譲治のツイッターの投稿(2012-08-14)。引用の引用
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ 解説の文の後半
テレビドラマデータベースは、『来来!キョンシーズ』を飯田譲治がはじめて手がけたテレビ作品と書く。
この記述の範囲: テレビドラマデータベースの解説
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ 解説の文の冒頭
テレビドラマデータベースは『来来!キョンシーズ』の歌を秋山絵美「キョンシー!!!」とし、曲を細野晴臣、詞を松本隆、編曲を鷺巣詩郎と記す。
この記述の範囲: テレビドラマデータベースの主題歌の欄
- 来来!キョンシーズ - ドラマ詳細データ 主題歌の欄
第 3 作は発売元の頁で「原題:なし」、映画.com と KINENOTE では原題の欄に『幽幻道士』と記される。ほかの作の原題は中国語の別の題である。
この記述の範囲: BD-BOX の頁、映画.com、KINENOTE
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ BD-BOX BD-BOX の頁の③の見出し
- 幽幻道士(キョンシーズ)3:作品情報 原題または英題の欄
- 幽幻道士(キョンシーズ)3(作品情報) 題の下の欄
ファンサイトは第 3 作のプロデューサーを蔡揚名/加藤直三、演出を飯田譲治(日本)と載せる。同じサイトの『来来!キョンシーズ』第一巻の頁も、プロデューサーと演出に同じ名を載せるが、制作と監督の名は異なる。同じサイトは第 3 作を『来来!』と同時期の製作と思われると書く。
この記述の範囲: ファンサイトの作品紹介
- 作品紹介(幽幻道士3) 作品データの欄
- 幽幻道士・キョンシーについて 「幽幻道士について」第 3 段落
- 作品紹介(来来!キョンシーズ 第一巻) 作品データの欄
発売元の頁によれば、日本語吹替の演出は第 1・2 作が清水勝則、第 3・4 作と『来来!キョンシーズ』が飯田譲治、第 5 作が佐藤高博である。
この記述の範囲: BD-BOX の頁
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ BD-BOX BD-BOX の頁の①〜⑥の見出し
記事は、吹替を作るときに現地の台本がそもそも無かったと伝える。飯田譲治は、大まかな流れとあらすじだけが現地から届き、実際は何をしているのか分からなかった、辻褄より笑えることを取って台詞を入れた、と語った。
この記述の範囲: シネマカフェ 2017-08-23 の記事の文と、記事が引く飯田譲治の言葉(第 3・4 作と『来来!キョンシーズ』の吹替)
- “キョンシー”がデジタルリマスターで復活! 常識を超えた吹替をしていた? 「台本はナシ!?」の節
飯田譲治は、口の動きに台詞が収まらないときは「心の声が漏れ出た」ことにした、と語った。記事は『来来!キョンシーズ』のカエデが口を閉じたまま心の声で喋り続ける場面を例に挙げる。
この記述の範囲: シネマカフェ 2017-08-23 の記事
- “キョンシー”がデジタルリマスターで復活! 常識を超えた吹替をしていた? 「台本はナシ!?」の節
第 3・4 作と『来来!キョンシーズ』の吹替の演出を受け持った飯田譲治は、呪文は友人の名前をもじるなどして考えたと語った。どの呪文かは語っていない。
この記述の範囲: シネマカフェ 2017-08-23 の記事が引く飯田譲治の言葉
- “キョンシー”がデジタルリマスターで復活! 常識を超えた吹替をしていた? 「台本はナシ!?」の節の後半
飯田譲治は、テンテン役のシャドウ・リュウが日本語に流暢になって数年たってから吹替版を観て、内容が真逆だと苦情を言っていたらしい、と語った。
この記述の範囲: シネマカフェ 2017-08-23 の記事が引く飯田譲治の言葉
- “キョンシー”がデジタルリマスターで復活! 常識を超えた吹替をしていた? 「台本はナシ!?」の節の後半
飯田譲治は、尺を埋めるために第 3 作の最後のキャスト紹介に、エキストラだったころのテンテン役の映像を持ち出したと語り、自分で考えた名前については、流行語にならないかと頭をひねったと語った。
この記述の範囲: 映画ナタリー 2017-09-16 の記事が引く飯田譲治のコメント
- 「幽幻道士」リマスター版5作一挙放送、吹替演出・飯田譲治が制作時の苦労語る(コメントあり) 記事本文第 3 段(飯田譲治のコメント)
シネマカフェの記事と発売元のサイトは、吹替の主な声をテンテン 高田由美、スイカ頭 桜井敏治、チビクロ 坂本千夏、金おじいさん 宮内幸平、デブ署長 内海賢二、長三道士 緒方賢一とする。
この記述の範囲: シネマカフェ 2017-08-23 の記事(「本作の吹き替え」として)、30 周年特設サイト(第 1 作の TBS 放送版の声として)
- “キョンシー”がデジタルリマスターで復活! 常識を超えた吹替をしていた? 「台本はナシ!?」の節の冒頭
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ【30周年特設サイト】 トップページの紹介文
発売元のサイトは、『来来!キョンシーズ』の浩雲の声を石丸博也とし、名に「ジャッキー・チェン」と括弧で添える。ファンサイトの声の一覧は、石丸博也を第 3・4 作と『来来!』の声に載せる。
この記述の範囲: 30 周年特設サイト、ファンサイトの声の一覧
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ【30周年特設サイト】 トップページの紹介文
- 吹替え声優データ ア行の欄
『来来!キョンシーズ』はビデオと DVD で 3 巻に分かれ、第 1 巻が 1〜3 話、第 2 巻が 4〜6 話、第 3 巻が 7〜10 話である。
この記述の範囲: ファンサイトの作品紹介、国立国会図書館サーチで引いた CiNii Books の書誌
- 作品紹介 第二巻・第三巻の紹介
- 来来!キョンシーズ(映像資料の書誌) 書誌の注記
幽幻道士シリーズは日本で公開・発売された。『来来!キョンシーズ』の DVD-BOX は 2005 年 6 月にアット エンタテインメントから出た。ファンサイトは発売日を 6 月 29 日とし、吹替のみ、全 10 話 220 分、テンテン役のシャドウ・リュウの音声解説つきと書く。
この記述の範囲: 国立国会図書館の書誌、ファンサイトの DVD の頁
- 来来!キョンシーズ(映像資料の書誌) 書誌の出版年
- 来来!キョンシーズDVD-BOX 詳細 DVD-BOX の詳細
幽幻道士シリーズは日本で公開・発売された。映画のシリーズの DVD-BOX は 2005 年 11 月 11 日にアット エンタテインメントから出た(品番 ATVD-11502)。第 1 作の日本語吹替の音声は付録の扱いである。
この記述の範囲: 紀伊國屋書店の商品頁
- 幽幻道士 DVD-BOX(商品頁) 商品の情報
幽幻道士シリーズは日本で公開・発売された。BD-BOX は 2017 年 8 月 23 日にアット エンタテインメントから出た(品番 ATBD-18012、税込 33,000 円)。配信はこれに先だって 8 月 1 日に始まり、封入の「キョンシーズ大図鑑」には飯田譲治の話が載るとされる。
この記述の範囲: BD-BOX の頁、30 周年特設サイト、シネマカフェの記事
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ BD-BOX BD-BOX の頁の発売日・品番の行
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ【30周年特設サイト】 トップページの発売の案内
- “キョンシー”がデジタルリマスターで復活! 常識を超えた吹替をしていた? 記事の末尾
幽幻道士シリーズは日本で公開・発売された。全 5 作のデジタルリマスター版が 2017 年 9 月 17 日の 20 時 55 分から FOXムービーで一挙に放送されると、前日の記事が伝えた。
この記述の範囲: 映画ナタリー 2017-09-16 の記事
- 「幽幻道士」リマスター版5作一挙放送、吹替演出・飯田譲治が制作時の苦労語る(コメントあり) 記事の冒頭と放送の案内
ファンサイトは、1988 年 3 月に第 3 作の宣伝で出演者 8 人が来日した時の写真として、東京の日比谷、八王子サマーランド、東京ディズニーランドの様子を紹介する。写真の見出しには「記者会見にて」「TBS前にて握手会」が並ぶ。
この記述の範囲: ファンサイトのスペシャル企画
- スペシャル企画 「幽幻道士たちの来日グラフィティ」の紹介文
- 幽幻道士たちの来日グラフィティ 写真の見出し
個人のサイト「プレミアムごま」(2017)は、『来来!キョンシーズ』が 1988 年に TBS 系の木曜 19 時半から全 10 回放送され、30 分の番組で平均視聴率 15%だったそうだと書く。「そうだ」と伝聞の形で、出どころは示さない。同じ 15% はファンサイト reigen-yugen.com にもあるが、どちらも出どころを示さない。
この記述の範囲: 個人のサイトの記述
- 幽幻道士 & 来来!キョンシーズ【テンテン情報と作品裏話満載】 「来来!キョンシーズ」の節
1988 年 4 月の日本の週刊誌の目次に、台湾のキョンシーの一家やテンテンを題にした記事が続く。『週刊明星』4 月 14 日号の「台湾から飛んできた、おなじみキョンシー一家」、4 月 28 日号の「キョンシーズ、TOKYOホリデー」、『週刊宝石』4 月 15 日号の「台湾のゴクミことテンテンちゃん」(ゴクミは当時の少女俳優、後藤久美子の愛称)である。『週刊明星』の二つの題からは、この春に『幽幻道士』の出演者が日本へ来ていたと読める。
この記述の範囲: 国立国会図書館デジタルコレクションの目次の題と頁まで。本文は読んでいない
- 週刊明星 1988 年の 9 号の目次と 9 号分の目次と、全文検索の抜き出し(31 巻 11・12・15・17・25・28・39・40・42 号) 31 巻 15 号(1988・4・14)208 頁〜(山田一男)、31 巻 17 号(1988・4・28)10 頁
- 週刊宝石 1988 年 4 月 15 日号・1991 年 8 月 1 日号の目次 8 巻 14 号(1988・4・15)32〜33 頁
1988 年 10〜11 月、『週刊明星』は「新キョンシー軍団がPRで来日!」(10 月 13 日号)、「キョンシー軍団再来日!密着1週間」(10 月 20 日号)、「チビクロ(キョンシー軍団)なんでも大百科」(11 月 3 日号)を載せる。「再来日」の語からは、雑誌がこの秋の来日を、前にも来た顔ぶれの二度目の来日として書いていたと読める。
この記述の範囲: 国立国会図書館デジタルコレクションの目次の題と頁まで。本文は読んでいない
- 週刊明星 1988 年の 9 号の目次と 9 号分の目次と、全文検索の抜き出し(31 巻 11・12・15・17・25・28・39・40・42 号) 31 巻 39 号 207 頁、40 号 20 頁、42 号 214 頁(山田一男・橋本田鶴子)
1988 年の雑誌は、テンテン役の劉致妤を日本のアイドルと同じ欄に載せた。『明星』6 月号の「注目のキュート・ガール」は宮沢りえと並べ、小学館の学年別の子ども雑誌(学年誌)は中山美穂・高橋良明(『小学五年生』8 月号)、南野陽子・男闘呼組(同 11 月号)、少年隊・男闘呼組(『小学六年生』9 月号)と並べる。
この記述の範囲: 国立国会図書館デジタルコレクションの目次の題と頁まで。本文は読んでいない
- 明星 1988 年 6 月号(37 巻 6 号)の目次 37 巻 6 号 128 頁
- 小学一年生〜小学六年生 1988 年 5 月〜1989 年 7 月の号の目次(検索で見つかった 58 号) 小学五年生 41 巻 5 号 19 頁・8 号 83 頁、小学六年生 41 巻 6 号 50 頁
小学館の学年誌は 1988 年の夏から秋に、テンテンだけの企画を次々に組んだ。「こんにちは!テンテンちゃん」(『小学四年生』6 月号)、「テンテンちゃん10のひみつ」(『小学二年生』9 月号)、「ニイハオテンテンちゃん」(『小学一年生』9 月号)、「テンテンちゃん特大ピンナップ」(『小学四年生』9 月号)、「テンテンちゃんの大ぼうけん」(『小学一年生』10 月号)などである。
この記述の範囲: 国立国会図書館サーチで見つかった号の目次の題と頁まで。本文は読んでいない
- 小学一年生〜小学六年生 1988 年 5 月〜1989 年 7 月の号の目次(検索で見つかった 58 号) 小学四年生 67 巻 3 号 16 頁・5 号 3 頁・6 号 25 頁・7 号 83 頁、小学二年生 44 巻 6 号 7 頁・8 号 108 頁・9 号 76 頁、小学一年生 44 巻 6 号 106 頁・7 号 91 頁
映画雑誌の目次では、『霊幻道士』と『幽幻道士』の扱いに差がある。『キネマ旬報』は『霊幻道士』の続編を批評や紹介の欄に載せるが、1986〜1994 年の検索で「幽幻」の語が目次に見つかった映画雑誌の号は、『スクリーン』1989 年 9 月の号(44 巻 12 号)の「TVに登場「幽幻道士」&「七小福」」だけだった。『幽幻道士』は劇場で公開されなかったので、映画雑誌の批評の欄に載らないのは制度の上でも自然である。目次に出ない短い記事は、この方法では分からない。
この記述の範囲: 国立国会図書館サーチの「幽幻」「霊幻」の検索と、見つかった号の目次の題と頁まで。本文は読んでいない
- スクリーン 1986〜1989 年の 5 号の目次 44 巻 12 号(1989 年 9 月の号)80 頁
- キネマ旬報 1987〜1990 年の 6 号の目次 984 号 174 頁(外国映画批評 霊幻道士3、井口建二)、1018 号 67 頁(グラビア)、956 号 179 頁・987 号(外国映画紹介)
1988 年には『幽幻道士』『来来!キョンシーズ』の名の本が多くの出版社から出た。ワニブックスの『来来!キョンシーズ TVドラマコミック』(3〜5 月)と『幽幻道士 キョンシー・コミック版』(8〜11 月、4 冊が見つかる)、実業之日本社の『キョンシー大百科』第 2 巻「「幽幻道士」とゆかいな仲間たち」(4 月)と『ハロー!!キョンシーズ幽幻道士グラフィティ』(6 月)、講談社の『来来!キョンシーズひみつ百科』(7 月)と『幽幻道士4カラー完全大図鑑』(12 月)、秋田書店の『幽幻道士キョンシーおもしろランド』、勁文社・徳間書店の『来来!キョンシーズ』の本である。
この記述の範囲: 国立国会図書館サーチの書誌(中身は未読)
- 国立国会図書館サーチの検索結果(題に「キョンシー」、全項目に「幽幻道士」「来来 キョンシーズ」) 検索結果の各書誌(書名・出版者・刊年)
子ども世代の回想には、テンテンへの好意を語るものがある。仲曽良ハミ(2024)はクラスの男子はほぼみんなテンテンが好きだったと書き、別の個人の回想(2025)はテンテンにファンレターを送ったと書く。
この記述の範囲: 回想(子ども世代の記憶)
- 「キョンシーごっこ」で大モメ…テンテンもガッカリ?「昭和のおバカ男子たち」 1 頁
- 伝説の80年代おもちゃを振り返る 「キョンシーぬいぐるみ」の節
回想の中の『霊幻道士』と『幽幻道士』の区別は人によって違う。ミドルエッジの投稿(2015)は当時は題の違いが分からず全部を「キョンシー」でひとまとめにしていたと書き、映画.com の利用者の感想は「キョンシーと言えばテンテンちゃんたち」と覚えていて自分は『幽幻道士』の側だろうと書く。
この記述の範囲: 回想(子ども世代の記憶)
- 不気味でおかしな中国の妖怪?キョンシーを覚えてますか? 「幽幻道士」の前の段落
- 幽幻道士(キョンシーズ)2 の利用者の感想「キョンシー世代」 感想の本文
1991 年の雑誌は、テンテンの題に昔をふり返る語を使う。『文芸春秋』7 月号の題は「懐かし「キョンシー」のテンテン、日本でアイドルをめざす」で、『週刊宝石』8 月 1 日号の題は「人気美少女・再発見/テンテン」である。1988 年から 3 年で「懐かし」「再発見」の語が使われていた。
この記述の範囲: 国立国会図書館デジタルコレクションの目次の題と頁まで。本文は読んでいない
- 文芸春秋 1991 年 7 月号(69 巻 8 号)の目次 69 巻 8 号のグラビアの欄と見られる並び
- 週刊宝石 1988 年 4 月 15 日号・1991 年 8 月 1 日号の目次 11 巻 30 号(1991・8・1)14〜16 頁(山川雅生)
『来来!キョンシーズ』の視聴率について、当時の雑誌に次の数字が読める。『週刊明星』1988 年 4 月 21 日号の「視聴率 BEST10」の、国立国会図書館の全文検索に出る短い抜き出し(文字の自動読み取りの結果)に、「来来!キョンシーズ(最終回)」と 18.4 が並ぶ。単位と調査の会社は抜き出しに無く、最終回の一回の数字と読める。『小学五年生』1988 年 8 月号は、平均視聴率を 20 パーセントと書くが、数字の出どころは抜き出しでは分からない。後年の個人のサイトなどが書く平均 15%とは食い違う。15%と 20 パーセントのどちらが正しいかは決められない。
この記述の範囲: 国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索で見える、短い抜き出し(文字の自動読み取りの結果)だけを読んだ。本文は館内限定で、読んでいない
- 週刊明星 31 巻 16 号(1988 年 4 月 21 日号) デジタルコレクションの 90 コマ目
- 小学五年生 41 巻 5 号(1988 年 8 月号) デジタルコレクションの 13 コマ目
まだ分からないこと
- 『幽幻道士』第 1 作の日本語吹替で、「ベビーキョンシー」「金おじいさん」などの役名や術の名は誰が付けたのか?
- 1988 年 5 月の東南植物楽園の催しに金塗は本当に出たか、沖縄の新聞に載っているか?
- 金塗を招いたという日本の「映画歴史館」(原文は電影歷史館)はどこか?
- 金塗は、『幽幻道士』を作った台湾の映画製作会社、金格影藝に出資したか?
- 新北市三重区の郷土の本が書く、日本で出た『幽幻道士』のレコードはどれか?
- 『幽幻道士』第 2〜4 作の日本での初回放送日はいつか?
- TBS が「再来!キョンシーズ」の題で放送した『ドラゴンキョンシー』は、台湾で撮られた『大家發財』か?
- 『来来!キョンシーズ』の平均視聴率は本当に 15% だったか?
- 『来来!キョンシーズ』は打ち切りの穴埋めで始まった番組か?
- BD-BOX の「キョンシーズ大図鑑」で、吹替の演出を受け持った飯田譲治は何を語っているか?
- 『幽幻道士』第 1・2・4 作の字幕版の中国語の音声は出演者本人の声ではない、という話は確かか?
- 『幽幻道士』の出演者の 1988 年の春と秋の来日は、いつ、どこで、誰が来て、何をしたか?
- フジテレビ「月曜ドラマランド」の『キョンシーズ 霊幻道士 今よみがえる魔界伝説!』(1987 年 4 月 27 日)は実在し、どの作品の人気を受けたものか?