儀礼・実践
撿骨(拾骨・洗骨)
- 撿骨
- 拾骨
- 起骨
土葬から数年後に墓を開いて骨を取り出し、洗って甕に納め直し、改めて葬る二次葬の習俗。台湾では清代に福建・広東から渡った移民の改葬の風に由来するとされ、死亡時の年齢に応じて実施までの年数の慣行がある。
資料の記述
撿骨(拾骨・洗骨とも呼ばれる)は、土葬後数年を経てから墓を開き、骨を取り出して洗い、罈に納め直して改めて葬る、二次葬の習俗である、と記す。
この記述の範囲: 国家文化記憶庫・教育百科の記載の範囲
- 撿骨習俗 本文冒頭の定義文
- 撿骨(詞条:教育部國語辭典簡編本/教育部重編國語辭典修訂本/教育部臺灣客語辭典) 教育部國語辭典簡編本の項目本文
撿骨(拾骨・洗骨)は台湾に見られる。この習俗は清代に福建・広東から台湾へ渡った移民が、先祖の遺骨を故郷や新しい居住地へ戻すために行った改葬に由来する、と記す。
この記述の範囲: 国家文化記憶庫の記載の範囲
- 撿骨習俗 本文中段
撿骨を行う時期は死亡時の年齢によって慣行が異なり、三十歳以下は五年、四十〜五十歳は六年、六十歳以上は八年・十年・十二年のいずれかを経てから行うのが一般的とされる、と記す。
この記述の範囲: 国家文化記憶庫の記載の範囲
- 撿骨習俗 本文中段(撿骨年限の三区分)
教育部の辞典(簡編本・修訂本とも同文)は、撿骨の作業手順の例として、墓を掘る・骨を拾う・骨を洗う・骨を晒す・骨に紅を点じる・骨を紐で結ぶ・頭部を整える・骨を甕に納める(装金)・開光点眼・改葬などの順を挙げる、と記す。
この記述の範囲: 教育部国語辞典簡編本・修訂本の記載の範囲
- 撿骨(詞条:教育部國語辭典簡編本/教育部重編國語辭典修訂本/教育部臺灣客語辭典) 教育部國語辭典簡編本・重編國語辭典修訂本の項目本文
教育部台湾客語辞典に寄せた解説(周金水)は、撿骨(拾骨)の習俗が客家の移民文化に根ざすとし、清代広東の地方志『嘉應州志』を引いて、風水の吉凶にこだわるあまり数十年も葬らずにおく例があったと記す。
この記述の範囲: 同解説が引く地方志の孫引きの範囲
- 撿骨(禮俗、教育部臺灣客語辭典 資源PDF) PDF 1頁目中段(『嘉應州志・禮俗篇』の引用)
同解説は、撿骨の際、屍の肉がまだ完全に腐っていない場合、遺骨を火化したり、棺に菜または高麗菜(キャベツ)を入れたり、竹刀で肉をそぎ落としたりする対処があった、と記す。
この記述の範囲: 同解説の記載の範囲
- 撿骨(禮俗、教育部臺灣客語辭典 資源PDF) PDF 1頁目末尾〜2頁目冒頭
台湾の伝統的な民俗観念として、遺体のままの埋葬(屍葬)は凶葬、骨だけにしてからの改葬(骨葬)は吉葬とみなされてきた、と記す。
この記述の範囲: この修士論文が引く黄文博(2000)の孫引きの範囲
- 台灣殯葬儀式之時空演變 頁65-66(第50項「撿骨(二次葬)」、資料來源:黃文博(2000)の表示)
撿骨(拾骨・洗骨)は帰葬(歸櫬・運棺・原籍安葬)に関わる。教育部の客語辞典に寄せた解説(周金水)は、客家は移住の途中で位牌と遺骸を担いで落ち着く先へ運び、いつか故郷へ帰すことを願ったとし、清の乾隆以後に原郷から台湾へ移るときには祖先の遺骨を台湾に遷葬し、撿骨した遺骨を金斗罋に入れて仮に安置し、数年後に子孫が「背返」して原郷の祖塋へ帰すつもりだったが、日本の統治と両岸の分治で遷葬はかなわなかったと記す
この記述の範囲: 台湾の客家(解説の記述)
- 撿骨(禮俗、教育部臺灣客語辭典 資源PDF) PDF 1 頁(紙面 1)第1・2段
撿骨(拾骨・洗骨)は遺体・遺骨を背負って運ぶ(負骨・背屍)に関わる。臺灣客庄文化數位典藏の普查記録(観音村・海陸)は、暮らしの苦しかった早い時期には薄葬で約三年後に撿骨でき、定住してから改葬したので、多くの客家が移住の途中で先人の骨骸を背負って移ったと述べる
この記述の範囲: 台湾の客家(普查記録の「歷史源流」の記述)
- 骨灰罈(大型高腳)別名:金斗(臺灣客庄文化數位典藏の普查記録) 描述「歷史源流發展概況」
同じ普查記録は、客家の諺「九葬九遷,十葬萬年」などを、風水の良い地があっても祖先の遺骨を金甕に入れて一度で葬り定めないことを言うものとして挙げる
この記述の範囲: 台湾の客家(普查記録)
- 骨灰罈(大型高腳)別名:金斗(臺灣客庄文化數位典藏の普查記録) 描述「歷史源流發展概況」の前半
同じ普查記録は、撿骨は専門の撿骨師が行い、牲礼で先人と后土に告げ、良い時を待って墓を掘り、棺を開けて骨の状態を見て、腐りきっていなければ木の葉二枚を入れ、師傅の念じる呪ののち棺を閉じ埋め戻して日を改めると述べる
この記述の範囲: 台湾の客家(普查記録の「儀式過程及重要特徵」)
- 骨灰罈(大型高腳)別名:金斗(臺灣客庄文化數位典藏の普查記録) 描述「儀式過程及重要特徵」
客家雲の「起骨」の記録は、耆老の口述として、客家は撿骨した骨を金斗甕(金斗盎)に坐った姿になるよう順に納め、流年の日に祖塔に納めるまでは、低い小屋に仮に置くか竹林・低い林の下に借りて置いたと述べる
この記述の範囲: 台湾の客家(白沙屯公墓の記録、耆老 謝榮坤の口述)
- 起骨(客家雲・民俗節慶類の文化資源) 「歷史源流」欄
移住のたびに祖先を祀れなくなるのを恐れた客家が、骨を掘り出して身の回りに携えて運び、新しい土地で葬ったことから習いになった
この記述の範囲: 広東の客家(記事が引く書物の説明)
- 客家人“二次葬”习俗 本文第2段(「关于“二次葬”的来历」で始まる段)
邱睦容の論文は、臺南の納骨塔には火化した骨灰を納める「原骨進塔」が増えただけでなく、死後八〜十年で一部の家が骨を拾って改めて葬る二次葬の骨を塔に納める「撿金進塔」も増えたとし、古い公墓が満ちて土地が得にくいと撿骨の後に納骨塔を選ぶ家があり、地理師が「この二十年は拾って塔に入れる人が増えた」と語ったと記す。
この記述の範囲: 臺南市の撿骨と納骨塔(1983年以後、聞き取りを含む)
- 邁向「文明與進步」的死亡:臺南喪葬基礎建設研究 紙面133頁(PDF 132頁)第2段
邱睦容の論文は、土葬には墓の世話と後の撿骨がつきまとい「面倒」になったとし、道壇の葬儀から自分の道壇を葬儀社に変えた道長が、塔位と骨灰罈で済む火葬は一度で終わるが、土葬は墓の草の手入れが続いたうえ撿骨でもう一度費用がかかると比べた語りを記す。
この記述の範囲: 臺南の土葬と火葬の選択(聞き取り)
- 邁向「文明與進步」的死亡:臺南喪葬基礎建設研究 紙面132〜133頁(PDF 131〜132頁)の黄道長の語りとその前の段