地域
台湾
台湾は、この研究所の資料のなかで、葬送の習わしと、映画の検閲や上映・製作の記録に出てくる土地である。
資料の記述
殭屍先生(霊幻道士)は台湾で公開・発売された。香港での公開に先立って台湾で予想外の評判になったと記される(台湾での公開日は記載なし)
この記述の範囲: 香港電影資料館 2026 年上映案内の解説文
- Mr. Vampire(The Spooky and the Supernatural 上映プログラム解説) 解説文第1段落中盤(Following the successで始まる段落の「became an unexpected sensation in Taiwan, prompting…」の一文)
- 錢小豪重返《暫時停止呼吸》場景 滿是回憶 本文冒頭の段落「一個多月後也在香港跟著大賣」と、見出し「台灣福祐殭屍大片 鬼新娘至今仍膾炙人口」直後の段落「當年《暫時停止呼吸》9月底就要在台上映」(本文中の別々の2箇所。1つの段落の連続した引用ではない)
- 殭屍先生(靈幻經典・2026年上映プログラム解説、繁体字版) 解説文冒頭段落「在台灣公映後意外成功,回港正式上映」の一文
殭屍小子(幽幻道士)は台湾で公開・発売された。臺北地区の映画館で1986年6月20日から同年7月4日まで上映されたと記録される
この記述の範囲: 國立政治大學の box office 統計アーカイブ(1986年臺北地区興行成績表)
- 臺北地區院線票房排行表(1986年、ファイル名3A86) 表中「78 殭屍小子」の行(排名78、銀幕數43、上片日86/06/20、下片日86/07/04)
殭屍先生(霊幻道士)は台湾で公開・発売された。臺北地区で1985年9月28日から同年10月24日まで上映されたと記録される
この記述の範囲: 國立政治大學の box office 統計アーカイブ(1985年臺北地区興行成績表)
- 臺北地區院線票房排行表(1985年、ファイル名3A85) 表中「6 暫時停止呼吸」の行(排名6、銀幕數121、上片日85/09/28、下片日85/10/24)
撿骨(拾骨・洗骨)は台湾に見られる。この習俗は清代に福建・広東から台湾へ渡った移民が、先祖の遺骨を故郷や新しい居住地へ戻すために行った改葬に由来する、と記す。
この記述の範囲: 国家文化記憶庫の記載の範囲
- 撿骨習俗 本文中段
1983年公布の電影法第26条は、映画が「国家の利益・民族の尊厳を害する」「少年・児童の心身の健康を害する」「無稽な邪説を提唱し、または視聴を混乱させる」など7項目のいずれかに当たる場合、主管機関が修正・削除・上映禁止を命じると定めていた。
この記述の範囲: 1983年11月18日公布時点の電影法第二十六條の条文
- 電影法(民國72年) 電影法(民國72年)第八章「電影片檢查」第二十六條
同法第30条は、少年・児童の心理に影響すると検査で判断された映画は観覧を制限でき、内容が特殊なものは上映地域・場所も制限できると定めていた。
この記述の範囲: 1983年11月18日公布時点の電影法第30条
- 電影法(民國72年) 電影法(民國72年)第三十條
現行(民國104年=2015年6月10日最終修正)の電影法は、第9条から第24条まで審議分級の申請・手続・罰則のみを定めており、1983年時点の第26条のような内容別の禁止事由(無稽な邪説の提唱など)に当たる条文は見当たらなかった。
この記述の範囲: 全國法規資料庫に掲載された現行条文全24条を通読した範囲
- 電影法(現行、民國104年6月10日最終修正) 電影法(現行)第九条〜第二十四条(全文)
2018年の中央社(CNA)の特集記事は、1980年代台湾映画において新聞局電檢処が場面をカット(剪片)する運用が一般的だったとし、例として朱延平『異域』(1990年)が21カットを要求された経緯を挙げている。
この記述の範囲: 「電影篇:80年代電影人的抗爭」の該当段落のみ(朱延平・黄建業へのインタビューに基づく)
- 電影篇:80年代電影人的抗爭 見出し「和柏楊聯手打敗新聞局」を含む段落
紅頭法師・紅頭道士は台湾に見られる。北部・東部は三奶教、西南部は閭山教(実質は法主公教)、澎湖は普庵教、南部に徐甲教、澎湖に嘛呢教が分布するとされる
この記述の範囲: 劉枝萬論文の分布記述
- 臺灣之法教 四、巫術末尾の分布記述(頁1637)
紅頭法師・紅頭道士は台湾に見られる。基隆の廟壇「雷成壇」は紅頭道士を称し、頭に紅巾を結んで建醮・謝平安などの吉慶科儀のほか収魂・補運・解籤なども行うとされる
この記述の範囲: 台灣光華雜誌の取材記事(第六代李銘峻への取材)
- 科儀的流傳,人心的陪伴──淺談道士 記事全体
童乩は台湾に見られる。西拉雅族の女性祭司(尪姨)信仰が途絶えた集落では、漢人民間信仰の法師や乩童がその代わりを務めるようになったとされる
この記述の範囲: 國立臺灣歷史博物館『臺灣女人』サイトの記述
- 一具軀殼.兩個靈魂─阿立祖的代理人「尪姨」 本文末尾に近い段落
有應公信仰は台湾に見られる。新北市土城の大墓公廟は、清代の林爽文事件の戦没者や後の泉漳械闘の死者を義塚に合祀したことに由来するとされる
この記述の範囲: 風傳媒の記事
- 為何長輩總說「路邊小廟別亂拜」?有應公、大眾爺是孤魂野鬼?揭台灣神祕陰廟信仰 『這些好兄弟都是從哪裡來的呢?』節
西拉雅夜祭は台湾に見られる。東山區・大内區・官田區・白河區それぞれの部落(吉貝耍、頭社、番仔田、六重溪)で現在も夜祭が行われているとされる
この記述の範囲: 西拉雅國家風景區管理處の記事
- 認識部落儀式 『認識各部落的夜祭』節
尪姨(西拉雅)は台湾に見られる。2001年時点で東山吉貝耍の尪姨李仁記が死去し、官田の陳秋燕、大内頭社の謝翠玲のみが残っていたとされる
この記述の範囲: 國立臺灣歷史博物館『臺灣女人』サイトの記述
- 一具軀殼.兩個靈魂─阿立祖的代理人「尪姨」 記事末尾近く
祀壺信仰は台湾に見られる。2007年の吉貝耍集落での調査では家の73.74%に祀壺があり、公廨での参拝を含めると86.73%の家に祀壺の慣行があったとされる
この記述の範囲: 段洪坤の記事(吉貝耍出身の著者自身の悉皆調査)
- 我在西拉雅追「壺」 『三、追「壺」無悔』節
阿立祖(太祖・阿立母)は台湾に見られる。新港社系の集団はオランダ統治期の宣教と1870年代の長老教会の宣教により改宗が進み、祀壺信仰を保持する家はまれになったとされる
この記述の範囲: 段洪坤の記事
- 我在西拉雅追「壺」 『最後,最複雑也是最難歸納理解的』の段落
魯班の祭祀(魯班公・巧聖先師)は台湾に見られる。國家文化記憶庫の「臺灣的魯班廟」(李乾朗撰)は、台中東勢の巧聖仙師祖廟を、伐木の匠人が1775年(乾隆40年)に創建した台湾最大の魯班廟とし、今日台湾全体で巧聖先師を主祀する廟は約30座あると記す。
この記述の範囲: 國家文化記憶庫「臺灣的魯班廟」
- 臺灣的魯班廟 「臺灣的魯班廟」本文 第 3 段
魯班の祭祀(魯班公・巧聖先師)は台湾に見られる。國家文化記憶庫の「三義木雕工具之魯班五寶02墨斗」は、台湾各地で魯班に関わる寺廟・会館・祭祀の場は主祀・附祀あわせて約10余か所で、多くは林業・木工業の盛んだった地域にあると記す。
この記述の範囲: 國家文化記憶庫「三義木雕工具之魯班五寶02墨斗」(苗栗縣政府文化觀光局建檔)
- 三義木雕工具之魯班五寶02墨斗 「三義木雕工具之魯班五寶02墨斗」本文 第 1 段
強死・凶死・枉死(非業の死)は台湾に見られる。林駿華の修士論文(2003)は、馬祖では難産・他殺・溺死・自殺など事故で死んだ者は基本的に村の中に入れず、家族が村の外の道端か公墓の近くに小屋を掛けて遺体を安置し、喪礼の手順そのものは事故でない死者と同じだ、と記す。
この記述の範囲: 馬祖(連江縣)。論文の第三章第六節「非正常死亡的處理」
- 馬祖喪葬禮俗研究 紙面 63〜64(PDF 74〜75)、第三章第六節「非正常死亡的處理」の「貳、其他死亡處理」
強死・凶死・枉死(非業の死)は台湾に見られる。林駿華の論文「馬祖喪葬禮俗研究」の結論は、馬祖では寿命を全うしない死や他所での死をすべて凶死と見なし、その遺体には暴戾の気があって村人を害し得ると考えて村に担ぎ入れず、村外の公墓や路上に小屋を掛けて安置し、殯期を縮め、出殯・入殮を簡単にしてできるだけ早く葬る、と記す。
この記述の範囲: 馬祖(連江縣)。論文の第五章の特色の八「較不注重非正常死亡處理」
- 馬祖喪葬禮俗研究 紙面 92(PDF 103)、結論の「八、較不注重非正常死亡處理」
雷法(五雷法)は台湾に見られる。劉枝萬 1986 は、台湾の道士は吉禮だけを行う紅頭と喪葬儀禮にも携わる烏頭に分かれるが、いずれも天師教派に属するため雷神への関心が強く、壇号に「雷」の字を冠するものもある(例として基隆市の李振勝道士の雷成壇)、と記す。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」五 臺灣の雷法
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 一五 左段(「臺灣の道士は吉禮しか行わない紅頭と…」)と注(94)
雷法(五雷法)は台湾に見られる。劉枝萬 1986 は、いまの台湾では道教全般の衰えに伴って、まとまった雷儀はもう伝承されておらず、道士たちの雷法という観念も極めて薄く、醮祭の法器・神像・経懺・科儀の各面にその名残がうかがえるだけだ、と述べる。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」五 臺灣の雷法
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 一五 左段 末 〜 一六 冒頭
令牌(道教の号令札)は台湾で使われる。劉枝萬 1986 は、台湾の醮祭で雷令(五雷牌)を使う重点が紅頭と烏頭で違うとする。紅頭では辟邪浄境に重点があり、封山禁水・勅水禁壇・勅符謝壇の科儀で多く使う。烏頭では召神遣將に重点があり、發表・宿啓など七場の、表文を焚いて天廷に届ける科儀で使う。烏頭でも宿啓科儀の斬命魔の場面で、鬼門を封じるのに副次的に使う、と記す。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」五 臺灣の雷法
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 一六 左段 〜 右段 冒頭
雷法(五雷法)は台湾に見られる。常志靜の序言(劉莉訳)は、当代の台湾について、個々の法師や専門家が雷法を意識して伝承し、自分の家の伝統が宋代の道士にさかのぼると称している可能性は排除できない、と述べる。
この記述の範囲: 常志靜《道教雷法的基本條件》序言(弘道 73 期)
- 《道教雷法的基本條件》序言 誌面 2 右段(「例如在當代臺灣,無論如何不能排除…」)
中央研究院の「台灣外省人生命記憶與敘事資料庫」の解説は、1949年以後に台湾へ移った大陸出身の人々は、38年に及ぶ戒厳のもとで出境が制限されていたため、四十年近く故郷の父母や親族に会えず、戦争と政治的な対立のために故郷の親族と連絡を取ることも許されなかったと述べる。
この記述の範囲: 1949〜1987年、台湾に移った大陸出身者(生きている人の往来)
- 想家(返鄉運動)(台灣外省人生命記憶與敘事資料庫「歸鄉路迢迢」) 「歸鄉路迢迢」の冒頭の説明と、「想家(返鄉運動)」本文第3段(「因為戰爭與政治敵對關係」で始まる段)
『觀察』誌の年表(2017)は、1987年10月14日の国民党中常會の決議で、現役軍人と現職の公職者を除き、大陸に三親等以内の血族・姻族がいる者が大陸探親の登録をできるとされ、翌10月15日に行政院が《台灣地區民眾赴大陸探親辦法》を通し、内政部長が12月1日から大陸へ行けること、一年に一度、一回3か月までとすることを発表し、11月2日に台湾の紅十字會が探親の登録と手紙の取り次ぎを受け付け始めたと記す。
この記述の範囲: 1987年の大陸探親の開放の手続き
- 開放大陸探親大事記 年表「1987年」の10月14日・10月15日・11月2日の項
『觀察』の探親の年表は、1988年11月9日に台湾が三親等以内の大陸の親族が台湾へ来て病気を見舞い、葬儀に参る(奔喪)ことを認めたと記す。
この記述の範囲: 大陸の親族の来台(1988年)
- 開放大陸探親大事記 年表「1988年」の11月9日の項
邱睦容の論文は、臺南で戦後に葬儀社が営業登録をした事情の一つとして、永康の榮民醫院が院内で亡くなった独り身の榮民の後始末を入札で外に出し、落札の条件が榮民の身分だったため、退役軍人を責任者とする葬儀社が1972年に開業登録したという聞き取りを記す。
この記述の範囲: 臺南の葬儀社と、独り身の榮民の葬儀(聞き取り)
- 邁向「文明與進步」的死亡:臺南喪葬基礎建設研究 紙面138〜139頁(PDF 137〜138頁)本文と注333