人・神・怪異など
尪姨(西拉雅)
西拉雅族の祖霊アリツ祖(阿立祖)の代理人とされる女性祭司(研究所が参照した資料の範囲)。
資料の記述
西拉雅族の祖霊阿立祖の代理人とされる女性祭司で、17世紀のオランダ人宣教師甘治士(Candidius)の記録に見える『米布斯(Inibs)』がその起源とされる
この記述の範囲: 國立臺灣歷史博物館『臺灣女人』サイトの記述
- 一具軀殼.兩個靈魂─阿立祖的代理人「尪姨」 『「尪姨」究竟是什麼人?』節
清代以降、漢人信仰の影響を受けた可能性があるとして西拉雅族が『尪姨』という呼称を用いるようになったとされる
この記述の範囲: 國立臺灣歷史博物館『臺灣女人』サイトの記述
尪姨は夜祭や哮海祭を主宰し、豚の供物を祖霊が受け取ったかを擲筊で確認する役目も担うとされる
この記述の範囲: 國立臺灣歷史博物館『臺灣女人』サイトの記述
- 一具軀殼.兩個靈魂─阿立祖的代理人「尪姨」 『在族人心目中』の前段落
尪姨(西拉雅)は台湾に見られる。2001年時点で東山吉貝耍の尪姨李仁記が死去し、官田の陳秋燕、大内頭社の謝翠玲のみが残っていたとされる
この記述の範囲: 國立臺灣歷史博物館『臺灣女人』サイトの記述
- 一具軀殼.兩個靈魂─阿立祖的代理人「尪姨」 記事末尾近く
臺南縣の『南瀛探索』第四章第一節は、1624年2月の『バタヴィア城日誌』が、蕭壠社には僧侶が数人と竹で造った教会が七つあり、僧侶は戦いに出るほかは公に教えを説かないと記す箇所を引く。編著は、この僧侶は尪姨か祭りを行う人を指すのだろうとしつつ、戦いに出るという点からは男性の可能性が高いとも書く。
この記述の範囲: 『南瀛探索』第四章第一節の、蕭壠社の信仰を述べる段
- 南瀛探索 第四章 第一節「平埔族群及其分佈」 第一節、蕭壠社の西拉雅の信仰の資料を述べる段(『巴達維亞城日記』第1冊 頁34 の引用)