儀礼・実践
雷法(五雷法)
- 雷法
- 五雷法
- 五雷天心正法
雷法は、雷の力を使うとされる道教の法術で、道教文化中心資料庫は「五雷法」とも呼ぶと説明する。研究所が参照した資料は、北宋に体系が現れ、雨乞い・晴れ乞いや邪を払うことに用いたとする。
資料の記述
道教文化中心資料庫は、雷法を、風雷を呼び寄せ、妖魔を降し、晴れや雨を祈り、水害や日照りを止めるのに使える道教の法術とし、「五雷法」とも呼ぶと説明する。
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫「雷法」項
- 雷法(道教文化中心資料庫) 「雷法」項 冒頭の段
道教文化中心資料庫の「雷法」の項は、雷法の体系は北宋に現れ、内丹と符籙・呪術を一つにしたもので、内丹の修煉を本とし、符籙・呪法をその用とする、と記す。
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫「雷法」項
- 雷法(道教文化中心資料庫) 「雷法」項 冒頭の段の後半(「雷法的道法體系出現於北宋」以下)
道教文化中心資料庫は、神霄派を北宋末に起こった道派とし、神霄雷法を伝えることからその名があり、創始者は温州永嘉の林靈素で、林は漢天師の弟子趙升から『神霄天壇玉書』(『五雷玉書』)を授かって雷電を使い邪魔を捕らえられるようになったと自称した、と記す。
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫「神霄派」項
- 神霄派(道教文化中心資料庫) 「神霄派」項 第1段 冒頭
道教文化中心資料庫の「神霄派」の項は、林靈素の後に神霄派の発展に大きな役割を果たしたのは王文卿で、王は火師汪君の伝を得たと自称し、宣和四年(1122)に徽宗に召され、紹興二十三年(1153)に没した、と記す。
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫「神霄派」項
- 神霄派(道教文化中心資料庫) 「神霄派」項 第1段 中ほど(「林靈素之後,王文卿…」以下)
『宋史』林靈素伝は、林の説は妄誕で問いただしようがないとし、ただ五雷法を少し知っていて風霆を呼び、ときに雨乞いに小さな験があっただけだ、と書く。
この記述の範囲: 『宋史』卷462 方技下「林靈素」
- 宋史/卷462(列傳第二百二十一 方技下) 卷462「林靈素」の条、神霄萬壽宮を天下に建てたくだりの直後
劉枝萬 1986 は、林靈素には五雷法の心得が少しあったにすぎず、雨乞いにも大した効き目がなかったとも言われる(注は『宋史』)としながら、雷法は林の出現によって整理され、まとめられたとする。そして、それまで表に出ない補助の術として扱われていた妖術が、公然と行われる正統の法へと一気に変わったと言っても過言ではなかろう、と述べる。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」二 雷法
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 四(二 雷法)、林靈素の段
謝世維 2023 は、王文卿を、生前の地位はさほど高くない方術の士に近い「菁英法師」とみて、朝廷に短く仕え地方に伝説を残し死後に祀られた人物とし、神霄・雷法の祖師としての地位は元明の間に形づくられた伝記によって確立した、とする。
この記述の範囲: 謝世維「宋代的法術傳統」提要・前言・第三節の冒頭
- 宋代的法術傳統:以王文卿及「玉樞五雷法」為中心 紙面 59(提要)、60(前言 第2段)、71 末〜72 冒頭(「四、王文卿的生平敘事」冒頭の「十二世紀的菁英法師…自十三世紀以後…祖師」)
謝世維 2023 によると、黄河の水を借りて雨を降らせる話は、多くの文献(家話・宣和遺事・賓退錄・歷世真仙體道通鑑など)で王文卿の話だが、同じ筋が『夷堅志』と『清波雜志』では林靈素の話になっている。揚州の旱とする版もあれば、京師の旱とする版もある。
この記述の範囲: 謝世維「宋代的法術傳統」本文と注72
- 宋代的法術傳統:以王文卿及「玉樞五雷法」為中心 紙面 74 本文(「王文卿借黃河水的這一則故事…」)と注 68-72
常志靜の序言(劉莉訳)は、宋代以来「雷法」は多種の駆邪の儀式をまとめて呼ぶ名であり、のちに清微派(14世紀)の標識を付けられ、最後には道教文化全体の一部として「雷法」と明示されない個々の実践に分かれていった、と述べる。
この記述の範囲: 常志靜《道教雷法的基本條件》序言(弘道 73 期)
- 《道教雷法的基本條件》序言 誌面 2 右段 冒頭(「自宋代起,「雷法」這一名稱是…」)
掌心雷(手のひらの雷)は雷法(五雷法)の一種である。劉枝萬 1986 は、掌心雷を、雷を握りしめて投げつけるとたちまち雷鳴がするという駆雷の一法とし、掌で五雷法を行うことからこう呼ばれ、掌中雷・掌心變雷・法雷とも称される、と述べる。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」四 掌心雷
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 一三(四 掌心雷)第1段
謝世維 2023 は、『道法會元』卷61〈高上神霄玉樞斬勘五雷大法〉の王文卿署名の序を引き、この法は内に修めては「斬滅尸鬼」し、外に用いては妖孽を斬り除き、步罡・訣目・秘咒・靈符を加えて雷霆を掌の上に運らせる、と説くことを示す。
この記述の範囲: 謝世維「宋代的法術傳統」が引く『道法會元』卷61 の序
- 宋代的法術傳統:以王文卿及「玉樞五雷法」為中心 紙面 80 の引用文(注 90「《道法會元》,頁 61:1a-b」)
劉枝萬 1986 は、福州府の張克眞が崇安県の光化寺で黄雷困の清微雷法を得て、寺の中にいて女に化けて人をたぶらかす妖狐を、雷を召して撃ち退治した、と紹介する。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」三 雷法行使の事例
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 六 右段(「同じく福州府(福建)の張克眞は…」)
劉枝萬 1986 は、福建南平県の廖氏の娘が化け物にとりつかれ、家人が龍虎山の太乙眞人の符を三枚もらって庭で焼くと、柱の中から雷が起こって大きな鼠が跳び出し、すぐ撃たれて死に、娘は治った、という話を、道士がじかに行う雷法ではないが張天師の雷符の威力を示す話として挙げる。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」三 雷法行使の事例
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 一〇 左段(「道士がじかに行う雷法ではないが…」)
謝世維 2023 がまとめる王文卿の伝記の話では、王が宮中の東南角に精祟があると見て符を湖に投げさせると、まもなく雷が宮中の大檜を裂き、中の長さ数丈の大蟒蛇が二つに断たれた。
この記述の範囲: 謝世維「宋代的法術傳統」第三節(王文卿の伝記の要約)
- 宋代的法術傳統:以王文卿及「玉樞五雷法」為中心 紙面 73 末 〜 74 冒頭
謝世維 2023 の注によると、王文卿が宮中の祟りに対して行った法の結末は、張宇初〈妙靈觀記〉では雷が白い亀を撃ち、『歷世真仙體道通鑑』では雷が大蟒蛇を撃つ、と資料によって違う。
この記述の範囲: 謝世維「宋代的法術傳統」注66
- 宋代的法術傳統:以王文卿及「玉樞五雷法」為中心 紙面 74 注 66
雷法(五雷法)は台湾に見られる。劉枝萬 1986 は、台湾の道士は吉禮だけを行う紅頭と喪葬儀禮にも携わる烏頭に分かれるが、いずれも天師教派に属するため雷神への関心が強く、壇号に「雷」の字を冠するものもある(例として基隆市の李振勝道士の雷成壇)、と記す。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」五 臺灣の雷法
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 一五 左段(「臺灣の道士は吉禮しか行わない紅頭と…」)と注(94)
雷法(五雷法)は台湾に見られる。劉枝萬 1986 は、いまの台湾では道教全般の衰えに伴って、まとまった雷儀はもう伝承されておらず、道士たちの雷法という観念も極めて薄く、醮祭の法器・神像・経懺・科儀の各面にその名残がうかがえるだけだ、と述べる。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」五 臺灣の雷法
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 一五 左段 末 〜 一六 冒頭
雷法(五雷法)は台湾に見られる。常志靜の序言(劉莉訳)は、当代の台湾について、個々の法師や専門家が雷法を意識して伝承し、自分の家の伝統が宋代の道士にさかのぼると称している可能性は排除できない、と述べる。
この記述の範囲: 常志靜《道教雷法的基本條件》序言(弘道 73 期)
- 《道教雷法的基本條件》序言 誌面 2 右段(「例如在當代臺灣,無論如何不能排除…」)
宋史には、雷法(五雷法)についての記述がある。
この記述の範囲: 『宋史』卷四百六十二 方技下「林靈素」の条(維基文庫の翻刻)
- 宋史/卷462(列傳第二百二十一 方技下) 宋史 卷462「林靈素」の条