儀礼・実践
祀壺信仰
- 阿立矸
壺や甕を祖霊の依代として祀る西拉雅族の信仰。塑像や位牌を立てないとされる(研究所が参照した資料の範囲)。
資料の記述
壺や甕を祖霊の依代として祀る西拉雅族の信仰で、最高神は孤魂野鬼を壺甕に収めて害を及ぼさせないとされる
この記述の範囲: 西拉雅國家風景區管理處の記事
- 認識部落儀式 『泛靈信仰』節
祀壺信仰は台湾に見られる。2007年の吉貝耍集落での調査では家の73.74%に祀壺があり、公廨での参拝を含めると86.73%の家に祀壺の慣行があったとされる
この記述の範囲: 段洪坤の記事(吉貝耍出身の著者自身の悉皆調査)
- 我在西拉雅追「壺」 『三、追「壺」無悔』節
吉貝耍に転入した福佬人系住民のうち40戸が西拉雅の祀壺信仰に加わっており、多くは西拉雅系住民との婚姻関係にあるとされる
この記述の範囲: 段洪坤の記事
- 我在西拉雅追「壺」 同節
祀壺の形状・付随物(壺に挿す植物、豚頭殻の有無など)は頭社・六重溪など集落ごとに異なり、楠西茄拔社(灣丘)の公廨には中柱・笴(向神座)が無いなど、細部の相違が集落ごとに記されるとされる
この記述の範囲: 段洪坤の記事
- 我在西拉雅追「壺」 頭社・六重溪の各節
臺南縣の『南瀛探索』第四章第一節は、將貴村の角帶圍に今も壺を祀る信仰の文化が残り、蕭壠社の近くにあったとされる小さな社、歐汪社・史椰甲社の後裔かもしれないと書き、注に國分直一の1942年の記録を引く。その記録は、壺の神を祀るのは本源の北頭洋の一帯だけではなく、角帶圍の公廨(祭りの建物)と呼ばれる漢人の廟の左の祭壇に祖霊の阿立祖を祀るという小さな壇があり、番仔塭の海祖を祀る廟も壺の神を祀っていて、海祖の祭りの日には北頭洋から三体の壺の神が運ばれて祭りに加わる、と書く。
この記述の範囲: 『南瀛探索』第四章第一節の本文と注(國分直一の1942年の記録の引用)
- 南瀛探索 第四章 第一節「平埔族群及其分佈」 第一節「平埔族群及其分佈」、歐汪社・史椰甲社の段と、それに付く注(國分直一 1942 の引用)