儀礼・実践
趕屍
- 赶尸
- 辰州符
- 送屍術
- Corpse Walker
- 送尸術
- 送尸人
- 吆死人
資料の記述
「湘西趕屍」という伝説があるために、一般の認知では僵屍は主に湖南一帯に現れるものと思われている、と馮藝超論文は述べる。
この記述の範囲: 馮藝超「《子不語》正、續二書中僵屍故事初探」緒論部分の記述。この論文が『一般人的認知』として要約する内容であり、趕屍の実在を論文が主張しているわけではない。
- 《子不語》正、續二書中僵屍故事初探 「《子不語》正、續二書中僵屍故事初探」印刷頁191
キョンシー(僵屍・殭屍)は趕屍と異なる。馮藝超論文は、『子不語』正・續二書に記録された僵屍譚を見る限り、僵屍は江蘇・浙江から雲南まで十余りの省や都市にわたり、地域を問わず民俗信仰の中に広く見られる現象であり、「湘西趕屍」の伝説が与える印象のように湖南一帯に限られるものではないと述べる。
この記述の範囲: 馮藝超論文、緒論部分。地域の集計は『子不語』『續子不語』に載る僵屍関連の話に基づく論文自身の分類による。
- 《子不語》正、續二書中僵屍故事初探 同、印刷頁191
馮藝超論文の脚注は、詹鄞鑫『心智的誤區──巫術與中國巫術文化』(2001)が『清稗類鈔』からの一段を引き、黔湘間(貴州と湖南の境、湘西一地に限らない)で伝わる送屍術について詳しく記していると紹介する。
この記述の範囲: 馮藝超論文、印刷頁191、脚注10。
- 《子不語》正、續二書中僵屍故事初探 同、印刷頁191、脚注10
康豹(Paul R. Katz)論文は、湘西苗族の在地儀式専門家「巴代雄」が身につけるべきとされる技法「十四功」のうち、「超自然功」に分類される技(もう一つは魂魄を隠す技)のひとつが趕屍之術であると、石壽貴の未刊稿を引いて紹介する。
この記述の範囲: 康豹著・陳亭佑譯「苗漢之間──湘西道教與儀式專家傳統初探」印刷頁240、脚注77が引く石壽貴〈苗族祭祀儀式初探〉(『石壽貴文選』未刊本)。
- 苗漢之間──湘西道教與儀式專家傳統初探 「苗漢之間──湘西道教與儀式專家傳統初探」印刷頁240
施蟄存の随筆『祝由科的巫術』は、湘西一帯で行われたと語られる術について、1937年に沅陵で同宿した四川の商人から聞いた話として記す。この話の中で『趕屍』の語そのものは使われておらず、術の名として『辰州符』が使われる。
この記述の範囲: 施蟄存『祝由科的巫術』、四川商人が語り始める場面。
- 祝由科的巫術 『祝由科的巫術』、四川客商が語り始める場(著者が『你講的是什麼呀』と問う場面の直後)
同随筆の四川商人の話では、祝由科の術者が死者の額に符を貼り呪を唱え、攝魂鈴を振ることで死者を歩かせて故郷まで送り届けるとされ、深夜にしか行わず、道中で生きた人に見られると死者が倒れて術が破れるとされる。
この記述の範囲: 同随筆、四川商人の説明部分。
- 祝由科的巫術 同、四川客商の説明の段(辰州符の仕組みを語り始める一段)
同随筆で歩くとされるものは『僵屍』『殭屍』とは呼ばれず、一貫して『死人』(死者)と呼ばれる。
この記述の範囲: 同随筆、四川商人の説明部分全体。
- 祝由科的巫術 同、四川客商の説明部分全体
同随筆の四川商人は、死人が実際に歩くところを自分で見たことはないが、この土地では誰もがそうした話があると言うのだと述べたと記される。
この記述の範囲: 同随筆、四川商人の話の末尾。
- 祝由科的巫術 同、四川客商の話の末尾
同随筆は、著者がこの話を後に物理学者の田渠、沈従文、歴史学者の向達にそれぞれ『本当にあるのか』と尋ねた際の答えも記す。田渠は科学の理論からすればあり得ないことだとしつつ、科学で説明できない事も世にあるとして肯定も否定もしなかった。沈従文は、湘西の人は皆それを否定しないので、かつて確かにあったのではないかと自分は信じると答えた。向達は、古書に記された巫術を今の人は真とは信じないが、絶対に否定することもできないと答えた。
この記述の範囲: 同随筆、末尾。田渠・沈従文・向達はいずれも著者の知人としてこの随筆に固有名で登場する(本文では『民俗學者』への参考として書かれた挿話であり、三者はいずれも民俗学の専門家として発言したわけではない)。
- 祝由科的巫術 同、末尾(田渠・沈従文・向達への質問の段)
en.chinaculture.orgの記事は、死者を千里を越えて故郷へ運ぶ『屍を運ぶ者』という民間の習わしが僵屍(jiangshi)伝説の由来の一つとされると述べ、道士が死者を夜間にのみ運び、生者に見られると不吉とされたため鈴を鳴らして知らせたと記す。
この記述の範囲: 英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」1頁目、第1段落。
- A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse "A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse" 1頁目、第1段落
跳ねて移動するは趕屍に現れる。英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」は、遺体を長い竹の竿で運ぶと、竹のしなりで遺体が上下に揺れ、遠目には一斉に跳ねて進んでいるように見えたと記す(縛り方・担ぎ方の具体的な仕組みは原文に書かれていない)。
この記述の範囲: 英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」1頁目、第1段落後半。運搬方法についての記事の記述であり、映画の描写の根拠にはしない。
- A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse 同、1頁目、第1段落後半
英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」は、廖亦武『The Corpse Walker』(中国語の原題は本記事からは確認できない)に収められた別の証言として、二人組が遺体を背負い、大きな外套と喪の面をかぶって運び、もう一人が提灯で先導して障害物を知らせるという、竹の竿を使わない運び方の証言があると紹介する。
この記述の範囲: 英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」1頁目、第2段落。
- A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse 同、1頁目、第2段落
英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」は、趕屍の話は密輸業者が違法な活動を屍の運搬に見せかけ、取締りの役人を遠ざけるために作り上げたものだとする見方があると紹介する。
この記述の範囲: 英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」1頁目、第2段落末尾。
- A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse 同、1頁目、第2段落末尾
- 台湾报刊图解湘西“赶尸”真相 2 頁目(_2.shtml)「死尸怎么会被活人赶着走」で始まる段の末尾
英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」は、この仕事(corpse walker)について、術者が死者を実際に自らの足で歩かせて生き返らせたのだとする説と、死者の関節をやわらかく保って脚を縛り、宇宙服のように着せて歩かせたのだとする説の両方が、伝説として語られていると記す。
この記述の範囲: 英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」2頁目、前半。
英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」は、この仕事は共産主義の理念(家族への執着や死者への執着を否定する)と相容れないとされ、1949年の内戦終結後に担い手の生計が脅かされ、場合によっては生命も脅かされ、この習わしは廃れたと述べる。
この記述の範囲: 英文記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」2頁目、後半。
清稗類鈔には、趕屍についての記述がある。
この記述の範囲: 清稗類鈔 方伎類一(維基文庫版「清稗類鈔/082」)第80条
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔 方伎類一 目次80番・本文「送尸術」条見出し
この条は、木材を扱う貴州の商人が春の増水期に木を筏に組んで湖南の常徳などまで下って売り、陸路で帰郷する道中、同行者が病死した場合に遺体を故郷へ送り届ける技として「送尸の術」を記す。
この記述の範囲: 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条 第2段落冒頭
この術は必ず二人で行うと記され、一人が前を歩いて導き、もう一人が符呪をかけた水を入れた碗を手に持って後ろに続く。水をこぼさなければ遺体は倒れないとする。
この記述の範囲: 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条 第2段落中盤
遺体は話せない点と歩き方がわずかに違う点を除けば生者と変わらず、術者二人(一人は前を導き、一人は碗の水を持って後ろに続く)が歩けば歩き、止まれば止まるというように、二人の歩みにだけ従うと記される。
この記述の範囲: 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条 第2段落中盤
薄暮に宿へ泊まるとき、宿の主人はひと目でこの一行と分かり、専用の部屋を別に用意すると記す。二人は寝床につき、遺体は戸の脇に立てておくとし、これを「三人住店、両人喫飯(三人で宿に泊まるが、食事をとるのは二人だけ)」という湘の諺で言い表す。
この記述の範囲: 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条 第2段落後半
家に着く前夜、遺体は家族の夢に現れ(原文は「託夢」とのみ記し、内容は明記されていない)、家族は棺や死装束を整えて待つと記す。到着後は遺体を棺の脇に立たせ、術者が符水を地に注ぐと倒れるので、急いで納棺しないと死後経過した日数分の腐敗が現れると記す。
この記述の範囲: 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条 第2段落末尾
記事の末尾に、宣統己酉(1909年)の秋、六安の楊寬夫という人物が湘中に寄留していた際、長沙の城外でこの一行を実際に目にしたと記す。
この記述の範囲: 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条 段落末の一文
別の一条は、黔陽出身の軍人・黄澤生(黄忠浩)が川邊(清末に置かれた地名。のちの西康省の前身)に駐屯していたとき、営外で死体が自分で歩いているとの騒ぎが起き、確かめると布の旗を持つ案内人の後ろに遺体が一体、ふらふらと従って歩いていたと記す。案内人は術の詳しい方法を明かさず、夜の宿では遺体を戸の脇に置くと答え、黄澤生が手下に調べさせると実際に死体だったと記す。
この記述の範囲: 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条(「送魂歸陰術」の直前の一段)
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔 方伎類一「送尸術」条の次段落(黔陽黄澤生の話)
澎湃新聞の記事は、郭則沄『洞霊小志』にこの術の記録があり、湘・黔の地に通じた者がいて、死者を殮する前に呪をかけると歩くようになり、二三体または四五体をまとめて先導することもあったと記されている、と引く。夜に宿へ泊まる際は遺体を「戸の後ろ」に立てるとし、清稗類鈔の「戸の脇」という記載とは違う。
この記述の範囲: 澎湃新聞2021-08-07記事が引く『洞霊小志』の記述
- 叙诡笔记|民国初年,对"赶尸真相"的两种"新解" 記事「二、送尸人:三人住店兩人餐」節、『洞靈小志』を引く段落
澎湃新聞の記事は、狄葆賢『平等閣筆記』が、貴州の木材商人が湖南で客死した際の「送尸術」を西洋の催眠術に近いものとして説明していると引く。
この記述の範囲: 澎湃新聞2021-08-07記事が引く『平等閣筆記』の記述
- 叙诡笔记|民国初年,对"赶尸真相"的两种"新解" 記事「三、電動說」節、狄葆賢を引く段落
澎湃新聞と界面新聞(転載)はともに、沈従文の文章として「辰州(今の沅陵)を過ぎると、その土地は辰砂を産し、また趕屍をする者がいる。運がよければ死体の一群が公路を歩き、車が近づくと道端に避けるのを見られることもある」という一節を引く。
この記述の範囲: 沈従文の文章(澎湃新聞2021-08-07・界面新聞2018-10-07がともに引く一節)
- 叙诡笔记|民国初年,对"赶尸真相"的两种"新解" 記事冒頭、沈従文の一節を引く段落
- 湖南赶尸是真实存在的么?(NO.709-湘西赶尸故事) 記事中盤、沈従文の一節を引く段落
澎湃新聞の記事は、沈従文が別の文章で、自ら趕屍の術を行ったと語る闕五老という人物の話を紹介し、雲南で死んだ親戚を運んだ際、毎日新しい草鞋に替えて歩かせたところ湖南に着く頃には死者の足の指がすべて擦り切れていたという逸話を語らせたとし、闕五老の意図は話をわざと神秘めかすことにあったと記す(この評が沈従文自身の言葉か、記事筆者・呼延云による要約かは、引用の文面だけでは判別できない)。
この記述の範囲: 沈従文の文章(澎湃新聞2021-08-07記事が引く闕五老の逸話)
- 叙诡笔记|民国初年,对"赶尸真相"的两种"新解" 記事末尾、闕五老の逸話を紹介する段落
澎湃新聞の記事は、徐珂が別の筆記『康居筆記匯函』で、1926年発行の雑誌『東方雑誌』第32巻21号所収の一文から、ビルマの術士が客死した者に呪を唱えて生き返らせ、故郷まで連れ帰り、家に着くと呪を解いて埋葬するという話を摘録しており、徐珂はこれを中国の「趕屍」と同種の術とみなした、と記す。
この記述の範囲: 澎湃新聞2021-08-07記事が引く『康居筆記匯函』の記述
- 叙诡笔记|民国初年,对"赶尸真相"的两种"新解" 記事「二、送尸人」節、『康居筆記匯函』を引く段落
界面新聞(地球知識局)の記事は、学者が『泸溪民族文化』という資料集を編む過程で、張永家という人物が所蔵する遺稿を見つけ、その中に父親が若い頃に実際に経験した趕屍にまつわる出来事を語った記述があったと紹介する。
この記述の範囲: 界面新聞2018-10-07記事(地球知識局)
- 湖南赶尸是真实存在的么?(NO.709-湘西赶尸故事) 記事後半、『泸溪民族文化』への言及部分
澎湃新聞の記事は、郭則沄『洞霊小志』を引いて、湘黔で術者が二三体から四五体の遺体を連れて行く、遺体の顔は紙で覆う、道で読経や演奏をしている者には止めさせてから通る(さもないと術が破れる)、宿では遺体を戸の後ろに立たせる(『清稗類鈔』の戸の脇とは違う)、昼に行き夜は止まり千里でも着く、家に着いたら急いで納棺しないと腐る、と記す
この記述の範囲: 澎湃新聞(呼延云、2021-08-07)が引く『洞霊小志』の記述。『洞霊小志』の原文は読んでいない(孫引き)
- 叙诡笔记|民国初年,对"赶尸真相"的两种"新解" 記事「二、送尸人:三人住店兩人餐」節、『洞靈小志』を引く段落の続き
施蟄存の随筆は、書き出しと結びで、辰州符で死人を歩かせる話を、自分が「五十年前」に知った奇妙な出来事として語る。話を聞いたのは 1937 年の秋とされるので、随筆はその約五十年後に書かれたことになる(執筆・発表の年そのものは本文に無い)。
この記述の範囲: 施蟄存「祝由科的巫術」の書き出しの段落と結びの段落。年の計算(約五十年後)は本文の「五十年前」と「一九三七年秋」からの計算
- 祝由科的巫術 「祝由科的巫術」書き出しの段落(朋友と閒談した場面)と結びの段落
同随筆は、祝由科を古代の巫師の流れをくむものとし、唐宋以後は符咒で病を治す医の一科になったが、道教からは邪門として退けられた、ただし道教の中にも符咒で病を治す道士はいる、と書く。
この記述の範囲: 施蟄存「祝由科的巫術」、祝由科の由来を述べる段落。著者の随筆としての説明で、研究の記述ではない
- 祝由科的巫術 「祝由科的巫術」祝由科の由来を述べる段落(張魯・寇謙之に触れる段落の続き)
同随筆は、祝由科は湘西の辰州(今の沅陵)で盛んだったので、その描く符を辰州符と呼ぶ、清代の辰州には符を売る店があったと聞く、と書く。
この記述の範囲: 施蟄存「祝由科的巫術」、1937 年の旅の話に入る直前の段落。符を売る店は伝聞(聽說)
- 祝由科的巫術 「祝由科的巫術」松江の祝由科の思い出の段落の後、「一九三七年秋」で始まる段落の直前
趙玉燕の論文は、湘西の「神秘文化」の代表とされる「湘西三怪」(赶尸・落洞女・放蛊)は、報道機関・政府・文化の仲介者・観光業者がともに作り出したもので、苗族の村の重要な観光の呼び物になっていると述べる。
この記述の範囲: 趙玉燕 2011「一、…」の「(一)赶尸」の直前の段落
- 民族旅游开发背景下的信仰文化再生产 「(一)赶尸」の見出しの直前の段落
趙玉燕の論文(2011)は、2008年3月の聞き取りとして、鳳凰の老洞苗寨の地元の案内人の話を記す。村を観光向けに開いた頃、ある法師が観光客に頼まれて夜中に山の洞で赶屍の法事を演じ、亡父を墓から歩かせたが、そのあと近所の人から先祖を笑いものにしたと責められ、二度と演じなくなった、という内容である。
この記述の範囲: 趙玉燕 2011 の「(一)赶尸」の節、注[3](筆者の田野調査資料、2008年3月の案内人への聞き取り)
- 民族旅游开发背景下的信仰文化再生产 「(一)赶尸」の節の第4段落と注[3]
2007年の転載記事に収められた一人称の回想(筆者名なし)は、1949年末、四川の彭山の道で「吆死人」の二人連れを自分で見たと書く。黒い長袍を着て草帽をかぶった「死人」が硬い足取りで進み、前を行く短衣の男が灯を持ち、ときどき紙銭を落として、坂や橋や曲がり角で声をかけて導いていたとする。
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-05-22 の2頁目(「不可思议的“吆死人”」の段)。同じ文章は 2007-04-11 の記事の2〜3頁にもある
- 走遍中国:揭开湘西赶尸之迷 2頁目、「一九四九年底」で始まる段落
- 台湾报刊图解湘西“赶尸”真相 2頁目末尾「不可思议的“吆死人”」の段
同じ回想は、宿の場面を、翌日に知人から聞いた話として書く。一行は前日の夕方、普通の客より早く宿に入り、短衣の男が帳場で「喜神打店」と声をかけると、主人は驚きつつ実入りの多さと縁起を喜び、奥まった部屋に通した。男は黒袍を戸口の隅に置き、食事と灯の蝋燭を頼んで多めの金を払い、主人は二人分の食器を届けてその一つを「喜神」に供える分とし、一行は夜明け前に発った、とする。
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-05-22 の2頁目(彭山の回想の後半)。知人からの伝聞
- 走遍中国:揭开湘西赶尸之迷 2頁目「这算是我生平的一大奇遇」から「次晨将要早离去」までの段落
同じ回想では、宿の主人は、こうした客を迎えたのは初めてだが、以前に先輩や同業から話を聞いていたので心得ていた、と兵士に語ったとされる。また、目的地の手前の最後の宿で、家の者に迎えに来るよう知らせる、とも書く。
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-05-22 の2頁目(彭山の回想の後半)。知人からの伝聞
- 走遍中国:揭开湘西赶尸之迷 2頁目「这位战士查完号出来」の段落と「多年以来」の段落の末尾
同じ2007年の記事に続けて載る別の文章(筆者名なし)は、解放初期に当局が「赶尸」の者たちに欺きの手口を白状させたという話として、一人が死人に扮し、もう一人が術士に扮して歩き、日が暮れる前に「鸡毛店」(安宿)に泊まって香と蝋燭をともし紙銭を焼いたので、人々は近づかなかったと書く。
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-05-22 の3頁目冒頭の文章(「解放初期」で始まる)
- 走遍中国:揭开湘西赶尸之迷 3頁目、「“赶尸”的骗局」で始まる段落の末尾
施蟄存の随筆で四川の商人が語る話では、祝由科は死人を夜更けに連れて歩き、夜が明けそうになると土地の祝由科の家に身を寄せる。死人は門を入ると門の裏にもたせかけて立たせ、横にしてはならず、寝かせると術が破れて次の夜は歩けなくなる、とされる。宿屋に泊まる話は出てこない。
この記述の範囲: 施蟄存「祝由科的巫術」、1937年秋に沅陵で同宿した四川の商人の話(辰州符の段)
- 祝由科的巫術 『祝由科的巫術』、四川客商の説明の段(「湘西這一帶」で始まる引用)
沈從文の随筆「沅陵的人」は、辰州(沅陵)を訪れた外来の客が趕屍の伝説を聞きたがると、土地の紳士・学生・旅館の人々が、友人や親戚が見た、誰それが赶がれて帰ってきた、などと不思議さを語り直すが、本当は客と同じく分かっておらず信じてもいない、と書く。
この記述の範囲: 沈從文「沅陵的人」の辰州符・趕屍の段。本文は1937年の冬を「去年」と書き、再録の末尾に「1940年11月10日校」とある
- 沅陵的人 「对于赶尸传说呢,说来实在动人」で始まる段落
同じ随筆は、辰州では多くの土地の人が辰州符をよく知らず、関心も無く、あまり信じてもいないと書き、趕屍の伝説に詳しい人物として、雑貨店を営む「阙五老」を挙げて、その話しぶりを皮肉まじりに描く。
この記述の範囲: 沈從文「沅陵的人」の辰州符・趕屍の段
- 沅陵的人 「可是旅行者这点好奇心会受打击」の段落と、阙五老を描く続きの段落
英文誌 The World of Chinese の記事(2014)は、屍の行列はふつう師と弟子の二人の道士が率いるとし、書かれた記録は少なく口伝はまちまちだと断ったうえで、道士は霊力のある鈴を振ってさまよう魂を導き、銅鑼を打って旅人や住民に通過を知らせる、死者は不運と悪霊を招くと考えられたので知らせが要ったと書く
この記述の範囲: 湘西の趕屍の伝承(雑誌記事の紹介)
- The Real Walking Dead: A look behind the ancient Chinese tradition of corpse walking 本文 4〜6 段落("Usually, the procession of corpses is led by two Taoist monks" から "If making the dead walk again" の段)
界面新聞に転載された地球知識局の記事は、出典を示さずに、赶尸人(行話で老司)は能力で三つの等級に分かれ、最も上の老司は身に鈴を掛け、手に「阴锣」を持ち、鑼を打って先導し死者を自分で歩かせると書く
この記述の範囲: 湘西の趕屍についての科普記事(2018)の記述
- 湖南赶尸是真实存在的么?(NO.709-湘西赶尸故事) 記事中盤「赶尸人内部按照老司的能力,又分为3个等级」の段
『清稗類鈔』方伎類の「送尸術」の条は、貴州の木材商の送尸を二人で行い、一人が前で導き、もう一人が符呪をかけた水の碗を持って後に続くと書くが、鈴・鑼など鳴らす道具には触れない
この記述の範囲: 『清稗類鈔』方伎類「送尸術」(貴州の木材商の段)
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔/082(方伎類)「送尸術」第2段(「貴州商人採木為生者」で始まる段)
『清稗類鈔』「送尸術」の条の二つ目の話(黄澤生が川辺の陣営の外で見たという話)では、術者は布の旛を持って前を行き、屍はその後についてぼんやりと歩いたとされ、ここでも音の道具は出てこない
この記述の範囲: 『清稗類鈔』方伎類「送尸術」の黄澤生の段
- 清稗類鈔(方伎類一)「送尸術」 清稗類鈔/082「送尸術」第3段(「黔陽黃澤生軍門忠浩」で始まる段)
沈從文「沅陵的人」で趕屍の伝説に通じた人物として描かれる阙五老の説明では、術の口訣は文天祥の「正気歌」を唱えることで、辰州符の主な道具は一碗の水であり、死体を動かすにも水を顔に吹きかけるとされる。この段に鈴や鑼は出てこない
この記述の範囲: 沈從文「沅陵的人」の辰州符・趕屍の段(本文は1937年冬を「去年」とし、再録の末尾に1940年11月10日校)
- 沅陵的人 「对于赶尸传说呢,说来实在动人」で始まる段
鈴は趕屍で使われる。施蟄存「祝由科的巫術」で四川の商人が語る話では、死人を歩かせるのに振る攝魂鈴を、祝由科は歩きながら振って行き合う人に脇へよけさせるともされる。鈴一つが、導く動作の一部と生者への合図の両方に出てくる
この記述の範囲: 施蟄存「祝由科的巫術」の四川商人の話(話されたのは1937年秋とされ、随筆はその約五十年後の回想)
- 祝由科的巫術 四川客商の話(「湘西這一帶」で始まるかぎ括弧の中)
陰鑼/阴锣は趕屍に現れる。2007年4月の転載記事は、死体の一行の前を行く「赶尸匠」を、手に铜锣を持ち、小さな阴锣を打ちながら死体を率いて歩く者として描き、だから「赶(追う)」より「领(率いる)」と呼ぶほうがよいとする
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-04-11(中华网より)の本文2頁目の最初の段。筆者名なし、見た人の名も地名も無い「早些年代」の話
- 台湾报刊图解湘西“赶尸”真相 2頁目(_2.shtml)第1段(「湘西既有誉满全球的张家界」で始まる段)
- 走遍中国:揭开湘西赶尸之迷 1頁目の本文(「其实,说是“赶尸匠”不如说是“领尸匠”」の段)
鈴は趕屍で使われる。同じ2007年の記事は、続く段で、赶尸匠は提灯を持たず、手に摄魂铃を振って、夜道を行く人をよけさせ、犬を飼う家に犬をしまうよう知らせる、と書く
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-04-11 の本文2頁目の第2段
- 台湾报刊图解湘西“赶尸”真相 2頁目(_2.shtml)第2段(「他不打灯笼」で始まる段)
同じ2007年の記事の中で、行き合う人をよけさせ犬をしまわせる音は、前の段では摄魂铃、後の「湘西でしか成り立たない理由」の段では阴锣(小阴锣を聞けばよけ、阴锣の音を聞けば犬をしまう)とされ、記事の中で役を担う道具が食い違う
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-04-11 の本文2頁目(第2段と「特别值得一提的是」の段)
- 台湾报刊图解湘西“赶尸”真相 2頁目(_2.shtml)第2段と、「特别值得一提的是」で始まる段
同じ2007年の記事は、弟子が覚える三十六の「功」の一つに、道中の犬が死体を見ても吠えないようにする「哑狗功」を挙げ、死体は犬の吠え声に驚いて倒れ、咬まれても抗えないからだとする
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-04-11 の本文2頁目(「同时徒弟必须学会三十六种功」の段)
- 台湾报刊图解湘西“赶尸”真相 2頁目(_2.shtml)「同时徒弟必须学会三十六种功」で始まる段
2007年4月の転載記事の前書きは、この文章を、台湾で出ている電子報の「怪力乱神online」欄が清明節の連休の特別増刊に載せた図解版の湘西趕屍の真相の記事から転載した、と書く
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-04-11 の1頁目の前書き
- 台湾报刊图解湘西“赶尸”真相 1頁目(.shtml)の前書き(「台湾发行的标准电子报」で始まる段)
2009年の搜狐の記事は、1950年に湘西で解放軍の兵士2人が怪しい一行を宿まで追い、部屋を調べると本当に死体で、前を歩く「敲锣人」(鑼を打つ人)を問いただした、という話を語り直す
この記述の範囲: 搜狐 2009-03-25 の記事の1部「湘西赶尸亲历游记」。兵士の名や出典は書かれていない
- 阴阳同路 湘西赶尸说 1部「1:湘西赶尸亲历游记」の後半(「确实是尸体!」で始まる段)
同じ2009年の記事の同じ話の結末では、正体を明かすと、前を歩いて手提げのランプ(马灯)を持つ者が赶尸匠で、後ろの弟子が分けた死体を服の中に背負っていたとされ、前の段の「敲锣人」とは先頭の者の描き方が違う
この記述の範囲: 搜狐 2009-03-25 の記事の1部の結び(「两位解放军战士终于揭开了」の段)
- 阴阳同路 湘西赶尸说 1部の結び(「两位解放军战士终于揭开了他们看到的“赶尸”的秘密」の段)
同じ2009年の記事の4部は、鈴(铃铛)を振って死体の列の先に立ち、夜道の人に避けるよう注意し、犬の家に犬をしまうよう知らせる赶尸人を、多くの人の悪夢に出てくる姿として描く一方、3部では、湘西の外で成り立たない理由として、外の人は锣の音を聞いて避けることも犬をしまうことも知らないからだと書く
この記述の範囲: 搜狐 2009-03-25 の記事の3部「湘西赶尸发源」と4部「赶尸为什么只出现再湘西」
- 阴阳同路 湘西赶尸说 3部の「一直以来,湘西交通困难」の段と、4部の第1段の末尾
銅鑼(趕屍の術者が打つとされる鑼)は趕屍で使われる。2017年に人民网(中华网より)に載った記事は、黒い布をかぶせた死体の前に铜锣を持つ赶尸匠がいて、小さな阴锣を打ちながら口で呪を唱えると、死体は生き返ったように跳ねながらついて家へ帰る、と書く
この記述の範囲: 人民网 2017-05-20(中华网より)の本文。筆者名なし
- 让逝者“行走”?古代湘西“赶尸”背后的真相 本文「赶尸人在赶尸时」で始まる段
同じ2017年の記事は、語り手が読んだ文章の話として、異郷で死んだ女が趕屍で家に着き棺に入る前に、十代の娘が悲しみのあまり母の前で大声で泣いたため禁忌を破り、死体が動き出して娘と夫を殺しかけたと紹介し、これは伝説だと断る
この記述の範囲: 人民网 2017-05-20 の本文の冒頭
- 让逝者“行走”?古代湘西“赶尸”背后的真相 本文冒頭(「福哥曾经看过一篇描述湘西一带赶尸的文章」の段と次の段)
2024年の腾讯新闻の記事は、赶尸匠が用意する物に阴锣・司刀・摄魂铃を挙げ、赶尸匠は手の小さな铜锣を打ちながら摄魂铃を振り、夜道の人を避けさせ、犬の家に犬をしまわせる(犬は死体に飛びかかって咬むから)とし、提灯は決して持たないとする
この記述の範囲: 腾讯新闻「文史宴」2024-11-04 の小見出し「三人住店,两人吃饭」の節
- 湘西赶尸,口诀竟是文天祥的《正气歌》|文史宴 「三人住店,两人吃饭」の節、赶尸匠の身なりを書く段(「而赶尸匠呢」の段)
同じ2024年の記事は、三〜五人で一体を運ぶときは一、二人が先に立って行き合う人に後から死体が来ると告げるとし、沅陵県大合坪郷の五代目の巫師・钟生义の父と祖父が趕屍をしたと民間で広く言われているとして、そのやり方では、先頭の一人が鑼を打ち声を上げて死体が乱されたりぶつかられたりしないようにし、後の一行と間をあけて歩いた、と書く
この記述の範囲: 腾讯新闻「文史宴」2024-11-04 の「三人住店,两人吃饭」の節。钟生义の父・祖父の話は「民间盛传」(言い伝え)
- 湘西赶尸,口诀竟是文天祥的《正气歌》|文史宴 「三人住店,两人吃饭」の節、「赶尸有一人赶一具或几具尸体」で始まる段
同じ2024年の記事は、趕屍の十の禁忌の一つとして、悲しい泣き声に出会うと、死体は着いたと思って倒れ、もう歩かないとし、また大きな道は人が多く死体を驚かせて倒すので小道を行くという説を挙げる
この記述の範囲: 腾讯新闻「文史宴」2024-11-04 の「三人住店,两人吃饭」の節
- 湘西赶尸,口诀竟是文天祥的《正气歌》|文史宴 「赶尸有十大忌讳」で始まる段と、「有人说赶尸要走小路」で始まる段
同じ2024年の記事は、沅陵・泸溪・辰溪・溆浦の四県では、趕屍は人に見せないもので昼は隠れ夜に行くと言われる一方、見たという人の中には、赶尸匠は普通の人と同じく昼に歩き夜は休んだと言う者もいる、と書く
この記述の範囲: 腾讯新闻「文史宴」2024-11-04 の「三人住店,两人吃饭」の節
- 湘西赶尸,口诀竟是文天祥的《正气歌》|文史宴 「在传闻中,赶尸一般是夜间行走的」で始まる段
2006 年の記事(中央電視台『走近科学』の番組『行走的尸体』の紹介)は、1950 年、解放直後の湘西で、私服の兵士二人が怪しい一行を犯罪の隠れ蓑ではないかと疑って数日追ったが、部屋を調べると本当に屍があり、さらに追って捕らえ審問すると趕屍の一行で、後ろの徒弟が分解した屍を衣の中に背負っていた、という話を伝える。
この記述の範囲: 福州新闻网 2006-08-08(来源 央视国际)の 1〜3 頁
- 揭开湘西神秘的“赶尸”之谜 1 頁目の冒頭(「1950年,我国的湖南西部还刚刚解放」の段)と 2 頁目の「然而,死尸真地会被活人赶着走吗」「确实是尸体!」の段
同じ番組の司会者は、趕屍を使った犯罪があるとしても、論理の順では先に趕屍があり、その恐ろしさを犯罪者が利用できると見たのだ、と述べる。
この記述の範囲: 福州新闻网 2006-08-08 の 2 頁目、司会者の言葉
- 揭开湘西神秘的“赶尸”之谜 2 頁目「主持人:两位解放军战士出于职业敏感」で始まる段
2007 年の転載記事は、湘西の趕屍を説明した後に、別の説として、趕屍は実は黒社会の密輸の活動で、人が逃げ出す恐ろしい行列で麻薬の運搬を隠していた、という見方を一文で挙げる。
この記述の範囲: 福州新闻网 2007-04-11(来源 中华网、台湾の電子報の図解版の転載とされる)の 2 頁目
- 台湾报刊图解湘西“赶尸”真相 2 頁目(_2.shtml)「死尸怎么会被活人赶着走」で始まる段の末尾
2018 年の記事は、趕屍がほぼ消えた理由の一つとして、解放後、迷信を打ち破るほかに、趕屍を利用して敵の特務の活動や密輸などの不法行為を覆い隠すことを防ぐ必要があり、取り締まりが強かったことが関係するかもしれない、と書く。
この記述の範囲: 手机新浪网 2018-01-31(中国反邪教网、姚昆仑)
- 让尸体站起来行走?揭秘湘西“赶尸”真相 本文「不过,这种神秘的“赶尸”活动,如今已经消失得差不多了」の段の第二点
2002 年 12 月以前にあった繁体字(Big5)の個人サイトの整理文は、「別の説」として、湘西の趕屍は昔一度だけ起きたことで、清の中葉とされるころ、苗の地に逃げ込んでいた死罪の知識人らが、官兵の包囲を抜けるために屍と術士に扮し、腐肉を身につけて臭いを出し、屍には近づけないと言って駐軍の検めを受けずに通った、という話を紹介する。
この記述の範囲: 瑯嬛書軒の整理文(Internet Archive 2002-12-21 保存)の後半
- 「湘西趕屍」說法和其真偽 本文の後半(「但是,似乎有另樁說法」から末尾まで)
同じ整理文は、屍の列を先導する者が、これは屍の隊で、近づくと活きた人の陽気に引かれて抱きつき、兵が触れれば戦で死ぬと言って、駐軍に検めをやめさせた、と書く。
この記述の範囲: 瑯嬛書軒の整理文の後半(駐軍の検めの場面)
- 「湘西趕屍」說法和其真偽 後半「因為當時大軍征苗」で始まる段
2006年8月の福州新闻网の記事(出所表示は央视国际、『走近科学』の番組『行走的尸体』の紹介)は、1950年の兵士の話で、趕屍の一行の先頭を歩く者を「敲锣人」と書くが、「阴锣」の語も鈴も出てこない
この記述の範囲: 福州新闻网 2006-08-08「揭开湘西神秘的“赶尸”之谜」(3 頁)
- 揭开湘西神秘的“赶尸”之谜 _2 頁目「确实是尸体!」の段と、_3 頁目「解放军战士看清了前面敲锣人的脸」の段
2024年1月の報道は、張家界国家森林公園の公式アカウントが1月16日に文旅局長の名を出して「赶尸舞」の動画を出し、ネットで議論を呼んだこと、公園の管理局は、局長が出演しておらず舆情も起きたため動画を削除したと別の取材に答えていたこと、武陵源の文旅局と局長は自分たちが作ったものではないと答えたことを伝える。
この記述の範囲: 湖南・張家界、2024年1月
- 湖南张家界拍“赶尸舞”视频引争议,武陵源文旅局长否认参与 本文第1〜7段
同じ報道は、張家界の地元の案内人の話として、景区には野外の実演の「千古情」と室内の小劇場の「魅力湘西」の2種類の「赶尸」の出し物があるとし、『魅力湘西』の一幕に《赶尸·英魂归乡》があると伝える。
この記述の範囲: 湖南・張家界の観光の出し物、2024年
- 湖南张家界拍“赶尸舞”视频引争议,武陵源文旅局长否认参与 本文の後半(「一名张家界当地的导游告诉记者」の段とその次の段)
湖南の報道サイト華声在線の2009年ごろの記事は、趕屍・放蠱・落花洞女を湘西の「三大邪」と呼び、地元の人の一致した話として、術者は道袍を着た法師で死体が何体でも一人で送るとし、それは「香港映画と同じだ」と添え、法師は死体の後ろでなく前を鑼を打って歩くとも書き、案内人が猫を使うのだと説明したが自分にはあり得ないと思えた、と書く。
この記述の範囲: 湖南の報道サイトの旅行記風の記事(2009年ごろ)
- [湘西]三大邪:赶尸,放蛊,落花洞女/组图 本文第1〜2段と第5段
まだ分からないこと
- 趕屍と香港の殭屍映画の関係を直接述べた研究はあるか?
- 詹鄞鑫が引く『清稗類鈔』の『送屍術』の記述は、趕屍と同じ術を指しているか?
- 廖綺雯(2014)の修士論文の本文は趕屍に触れているか?
- 清代の記録での呼び名「送尸術」は、いつ「趕屍」という呼び方に置き換わっていったのか?
- 沈従文が趕屍について書いた一節は、正確にはどの作品・どの版・どの頁にあるのか?
- 闕五老という人物の趕屍の逸話は、沈従文のどの作品に書かれているか、また実在の人物か?
- 『泸溪民族文化』に収められた張永家氏所蔵の遺稿には、趕屍についてどのような記述があるか?
- 『洞霊小志』『平等閣筆記』『康居筆記匯函』の原文には、送尸・趕屍についてどう書かれているか?
- 1933年の凌純声・芮逸夫『湘西苗族調査報告』には、趕屍についての記述があるか?
- 施蟄存「祝由科的巫術」は、いつ、どの雑誌・本で初めて発表されたか?
- 湘西の「死屍客店」「趕屍客棧」を記録した一次資料(地方誌・調査報告・当事者の証言)はあるか?
- 四川・彭山の1949年の「吆死人」の一人称の回想は、誰がいつ、どの雑誌・本に書いたものか?
- 趕屍の一行が泊まる場所を、普通の宿とする資料、専用の宿とする資料、術者(祝由科)の家とする資料は、地域と時代でどう分かれるのか?
- 趕屍で鈴や陰鑼を持つのは誰かを、調査・研究・地方誌が記録しているか?
- 陆群『湘西赶尸』(民族出版社、2006)は、阴锣・摄魂铃の役割と、沅陵の巫師钟生义の家での趕屍の方法をどう記し、誰からの聞き取りに基づいているか?
- 2009年の搜狐の記事(阴阳同路 湘西赶尸说)の元になった番組・文章は何で、1950年の解放軍兵士の話はどこから来たのか?
- 趕屍で鈴を「魂を導く物」、鑼を「生者に知らせる物」と分けて書く記述は、2014年の The World of Chinese の記事より前にあるか?
- 呼延紅編著『拆字、趣詩』(將門出版社 1982)に、湘西の趕屍は一度きりの障眼法だったという話は載っているか?
- 英語版ウィキペディアの「趕屍の話は密輸業者の作り話」という一文は、どの資料から来たのか?
- 「另一种说法是,“赶尸”其实是黑帮的走私活动」の一文は、2007 年 4 月より前の台湾の電子報や中国の新聞に載っていたか?