人・神・怪異など
道士
資料の記述
符を書く前には沐浴し、さらに浴前に歯を三度打ち鳴らしてから、「急急如律令」で結ぶ呪をひそかに唱えるとする
この記述の範囲: 李豐楙・張智雄の論文が伝える正一派天師符の書符手順(口訪による)
- 書符與符號:正一符法的圖像及其象徵 清華學報40(3) p.349「2.持咒」節
道士は掐訣(手訣)を要するとされる。正一派の法師は、行法・修煉に際して步罡踏斗と掐訣を基本の形体動作として身につける必要があるとされる
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫「步罡」「掐訣」の記述
- 步罡(「步罡踏斗」「禹步」からのリダイレクト先) 「步罡」項、冒頭段落末尾
- 掐訣 「掐訣」項、冒頭段落
『清稗類鈔』喪祭類「太倉人之喪」は、太倉の喪礼では僧・道士を用いる家が十軒のうち八、九軒だったと記す
この記述の範囲: 太倉(江蘇)
- 清稗類鈔(喪祭類) 喪祭類「太倉人之喪」冒頭
道士は殭屍先生(霊幻道士)に現れる。香港電影資料館の林正英の略伝は、『殭屍先生』の後も『殭屍先生續集殭屍家族』(1986)『靈幻先生』(1987)などで道長を続けて演じ、その像が人々の心に深く根づいたと記す。
この記述の範囲: 香港電影資料館「香港影人小傳檢索:林正英」
- 香港影人小傳檢索:林正英 略伝の第3段の後半
道士は殭屍小子(幽幻道士)に現れる。開眼電影網の劇情簡介は、殭屍の隊列を連れた「黃道士」が通りかかり、沙班主と賭けをする、と紹介する。
この記述の範囲: 開眼電影網の作品頁「劇情簡介」
- 殭屍小子 Hello Dracula(作品ページ) 作品頁「劇情簡介」第2段の冒頭
道士は殭屍小子(幽幻道士)に現れる。映画.com の解説・あらすじは、行き場を失った子どもたちが道士の「金おじいさん」に引き取られ、その孫娘テンテンと出会う、と紹介する。
この記述の範囲: 映画.com の作品頁「解説・あらすじ」
- 幽幻道士(キョンシーズ):作品情報・キャスト・あらすじ 作品頁「解説・あらすじ」最後の文
道士は殭屍小子(幽幻道士)に現れる。日本語の BD-BOX の配役欄は、道士の役を「金おじいさん」(金塗)と書き、第 1 作から「来来!キョンシーズ」まで同じ役名で載せる。
この記述の範囲: アット エンタテインメントの BD-BOX の頁の出演欄
- 幽幻道士&来来!キョンシーズ BD-BOX ①の■出演の行、②③⑤と「来来!キョンシーズ」の出演欄
- 幽幻道士(キョンシーズ):作品情報・キャスト・あらすじ 作品頁「スタッフ・キャスト」欄
李若冲の記事(2015)は、香港映画で林正英が演じた「茅山道士」の、黒い瓦梁巾に帽正を付け、黄海青か対襟の袍を着る装いは、民間で俗に「喃呒佬」と呼ばれる者の典型の装いで、今の香港の廟でもよく見られる、と述べる。
この記述の範囲: 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(澎湃新闻 2015-11-09)
- 老港片里的“茅山道士”是怎么回事 節「“茅山道士”与香港民间宗教文化」第 2 段
澎湃新聞の記事(李若冲、2015)は、映画で林正英が呪を唱え符を施して鬼を劾し邪を払う筋は、装いの喃呒佬とは別の「茅山師」の法術に属する、とし、映画の「茅山道士」は実は道士ではなく、いくつもの身分を組み合わせてできた人物だ、と述べる。
この記述の範囲: 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(澎湃新闻 2015-11-09)
- 老港片里的“茅山道士”是怎么回事 節「“茅山道士”与香港民间宗教文化」第 2 段と第 4 段
康豹の論文(2020)は、湘西の道士が主に葬送の法事を受け持つことが近代の官の反迷信政策や廟の破壊と関係するかを問い、華北ではそうだが湘西では違うとする。理由として、宗教生活が大きな祠廟に頼らないこと、そうした運動が湘西では1940年代の抗戦期にようやく始まり衝撃も目立たなかったことを挙げる。
この記述の範囲: 湘西の道士(1949年より前の反迷信運動との関係)
- 苗漢之間──湘西道教與儀式專家傳統初探 紙面228頁末〜229頁冒頭(PDF 12〜13頁)、「三、道士」の節の末段
丁仁傑編の論文集の導論は李豐楙(2006)を引いて、台湾の正一派の火居道(家に住む道士)は家伝か師からの伝授で受け継がれ、階層の揺れはあっても神職の身分をおおむね保ち、代々の「世業道士」の系譜になったとする。
この記述の範囲: 台湾の正一派の火居道士(李豐楙の整理の引用)
- 導論(『道教復興與當代社會生活』) 導論 紙面5頁(PDF 13頁)冒頭の引用文の後半
世界宗教博物館の成果展の頁は、中和(枋寮)の威遠壇を中和で最も早い道壇とし、清の嘉慶25年(1820年)に林氏の祖先が福建漳州の詔安南陂から移って開き、それから代々道法を伝えて今まで九代を数え、学界ではこの伝承を「林厝派」と呼ぶと記す。同じ頁の訪査記録は創建者を林章貴道士とする。
この記述の範囲: 新北市中和區の威遠壇(2020年の成果展の時点)
- 威遠壇(街頭巷尾有神明2.0-宗教地景研究調查計畫成果展) 紹介文(「中和威遠壇,或一中和舊地名」で始まる段)と深訪の記録の「創建年代」
丁仁傑の導論が引く葉春榮の論文は、台湾では天師府が授籙を行ったことはなく、臺南より南の道士は長年かけて各種の科儀を身につけ、師に認められてから刀梯を登る奏職を行い、それを公に経て初めて道長と認められると述べる。
この記述の範囲: 臺南以南の道士の道長への昇進(葉春榮の論文の引用)
- 導論(『道教復興與當代社會生活』) 導論 紙面20頁(PDF 28頁)の葉春榮の引用
呂錘寬の文は、臺南の道長陳榮盛(1927〜2015)の科儀の力は祖伝で、父の陳聬(1889〜1975)も南部で知られた道長だったとし、戸籍謄本の記載では1946年から職業道士で、七十年近く建醮・禮斗と拔亡(超度)の法事を行い、科儀の本はどれも道士の家に代々伝わったものだと記す。
この記述の範囲: 臺南の陳榮盛の道壇
- 荣盛鼎陞——陳榮盛道長的道術成就與貢獻 「一、道教科儀宣行的藝術」の中の段(「陳道長的科演能力來自祖傳」で始まる段と、その次の「廟宇建醮或禮斗法會」で始まる段)と「三、閒居生活」冒頭
西南交通大學中國宗教研究中心の書籍紹介は、陳榮盛(1927〜2014)は臺南に代々住み、天分と祖伝の師承と修練で科儀の腕を築き、2009年に臺南市政府から「道教靈寶道法科儀及音樂藝術」の保存者に登録されたと記す。
この記述の範囲: 臺南の陳榮盛(書籍『榮盛鼎陞』の紹介)
- 呂錘寬《榮盛鼎陞》(書籍紹介) 紹介文第1段(「陳榮盛(1927-2014)道長世居臺南市」で始まる段)
邱睦容の修士論文は、臺南の葬儀業者と道長への聞き取りから、かつては喪家がまず道長を呼び、道長が人手と道具のある葬儀社に仕事の一部を回していたが、やがて一部の喪家が直接葬儀社に来るようになって葬儀社が主導し道長に儀式の一部を頼む形に逆転したとし、火葬が広まって骨灰を葬儀社の手で納骨塔へ納められるようになったこともそれを助け、民間の誦経団による仏教式の葬儀も選ばれるようになったと記す。筆者は、とくに都市の住宅の密集と儀式の音を抑えたい喪家の需要のもとで道士の役割が周縁化したとまとめる(聞き取りでは、郷村では道士が好まれるという語りもある)。
この記述の範囲: 臺南市の葬儀(聞き取りに基づく。時期は明示されていない)
- 邁向「文明與進步」的死亡:臺南喪葬基礎建設研究 紙面138〜139頁(PDF 137〜138頁)、葬儀社の開業の経緯を述べる節
道士は臺灣通史に現れる。『臺灣通史』卷二十二 宗教志の道教の節は、台湾の道士は修練のできる者ではなく、市中の道士は人の家の用を務めるだけだとし、廟の像に白い雞の血で目を点じる「開光」、災いのあとに壇を設けて禳う「建醮」、旱魃が虐をなすとき龍宮に祈る「祈雨」、出先で不吉に遭った婦人や子どもに符を書き角を吹く「收煞」、病人が薬なしで癒えて家に喜びがあったとき、神への文書(牒)を上げ紙を焼く「補運」などを、道士を用いる場として挙げる。
この記述の範囲: 『臺灣通史』卷二十二 宗教志「道教」の節
- 臺灣通史 卷二十二 宗教志 卷22 宗教志「道教」の節、「然臺灣道士,非能修煉也」で始まる段
香港政府の映画データベースの紹介文を読んだ範囲では、1950〜60 年代の香港映画で、鬼払いや屍に関わる術者がまやかしや悪人として描かれる例が続く。『張天師遇鬼迷』(1953)では、鬼退治に雇われた男は術を知らず、鬼は家の者の化けた姿だった。『濟公捉妖』(1965、英題は Chai Kung versus vampire)では、悪い道士の幻清道士が目くらましの術で娘たちをさらって妖術を練り、僧の濟公がこれを暴いて倒す。『冤魂鏡』(1966)では、嫁を仇討ちに来た祟りの霊だと言って祓いの壇を開いた道士は、実は嫁の美しさを狙う親類と組んで嫁をさらっていた。
この記述の範囲: 香港政府の映画データベース(繁体字の記録 12568・60689・61801)の紹介文
- Hong Kong Film Search(香港政府の映画検索データベース)の作品ごとの詳細レコード 記録 12568(張天師遇鬼迷、1953-07-03)の紹介文
- Hong Kong Film Search(香港政府の映画検索データベース)の作品ごとの詳細レコード 記録 60689(濟公捉妖、1965-09-29)の紹介文と別題
- Hong Kong Film Search(香港政府の映画検索データベース)の作品ごとの詳細レコード 記録 61801(冤魂鏡、1966-03-16)の紹介文
香港政府の映画データベースの記録では、袁祥仁が酔った道士(醉道人)を演じる作品に『天師撞邪』(1983、袁和平の監督)と『鬼馬天師』(1984、袁祥仁の監督)がある。『鬼馬天師』の紹介文(VCD から)は、龍虎山の道観の酔った道士が、術で知られる一門の、術の素質のある後継ぎを追い回し、強い術を使う怪しい客が一門を殺そうとする、と書く。『天師撞邪』の記録には紹介文が無く、出演の欄に酔った道士のほか、邪不正・魔影・烈火教主という役名が並ぶ。どちらの記録にも屍・殭屍の語は無い。
この記述の範囲: 香港政府の映画データベース(繁体字の記録 12612・8417)の出演の欄と紹介文
- Hong Kong Film Search(香港政府の映画検索データベース)の作品ごとの詳細レコード 記録 12612(天師撞邪、1983-08-24)と 8417(鬼馬天師、1984-11-29)
黃猷欽(2020)は、1980年代の香港の殭屍映画では、殭屍のでき方・力・消し方はさまざまなのに、追い払う側の茅山道士という身分とその道具は比較的そろっている、とし、それを美術設計の道具から論じる理由に挙げる。また、追い払う者は多くが茅山道士で儀式も道教に近いが、映画の中の手順は昔からの民間の習わしとそのままは合わず、この種の映画がつくった独自の筋の論理によるところが大きい、とする。
この記述の範囲: 黃猷欽「陰陽顛倒物應猜」の本文(頁36)と注16(頁40)
- 陰陽顛倒物應猜─1980年代香港殭屍電影美術設計中的道具研究 頁36 本文、頁40 注16
黃猷欽(2020)は、映画の茅山道士の仕事は一人だけのものではなく、師匠と弟子、兄弟弟子という形で伝わり、同業が助け合うことも対立することもあり、腕には本物と偽物、人柄には善と悪がある、とする。例として、『茅山殭屍拳』(1979)で同業が宿の一室に屍を置いて泊まること、『鬼打鬼』(1980)が茅山道士の兄弟弟子の仲たがいの術比べを描くこと、『人嚇人』(1982)の紙細工の老職人が古参の道士でもあること、『鬼畫符』(1982)に偽の張天師が出ることを挙げる。
この記述の範囲: 黃猷欽「陰陽顛倒物應猜」頁44 本文と注20
- 陰陽顛倒物應猜─1980年代香港殭屍電影美術設計中的道具研究 頁44 本文と注20
谭慧敏(2026)の論文の要旨は、清の志怪小説の夜の話に出る道士の描き方には、宗教の上で邪を払う者、倫理を戒める者、偽の道士の悪行の三つの向きがあるとし、その出てくるわけを社会の宗教・文学の伝統・文人の心理から論じる、と書く。
この記述の範囲: 谭慧敏「清代志怪小说夜间故事中的道士形象研究」の英文要旨(CiteDrive の書誌頁)
作品内の設定
道士は殭屍先生(霊幻道士)に現れる。Apple TV 香港の紹介文は、道士の九叔を「茅山師父」と呼び、任老爺の棺を掘り起こして葬り直す仕事を頼まれた人物として紹介する。
この記述の範囲: Apple TV 香港の作品頁の紹介文(© 2010 Fortune Star の表示がある頁)
- 殭屍先生(Apple TV 香港の作品頁) 作品頁の紹介文(「茅山師父九叔」で始まる段)
道士は屍變(1958、朱石麟監督の映画)に現れる。2012 年の香港政府の報道発表は、朱石麟の『屍變』(1958)を、趕屍の裏の運毒の陰謀と、道士のまやかしと偽善が一つずつ暴かれる作品として紹介する。
この記述の範囲: 香港政府新聞公報 2012-10-30 の上映の紹介
- 「銀幕魅影:香港鬼片」經典鬼片 映現香港的歷史與文化變遷(附圖) 第 4 段(「《屍變》是朱石麟少有的恐怖片」で始まる段)
道士は冤魂鏡(英題 Mirror of Revenge)に現れる。香港電影資料館の繁体字の解説は、『冤魂鏡』(1966、粵語)で、嫁が鬼ではないかと疑った唐の母が、息子の留守に道士を家に呼んで鬼払いの法を行わせる、と紹介する。
この記述の範囲: 香港電影資料館の上映プログラム解説(繁体字版、2016年1月の上映)
- 冤魂鏡(上映プログラム解説、繁体字版) 解説の本文 第 2 文(「惟唐母因懷疑媳婦是鬼怪」で始まる文)と仕様の行