文献
臺灣通史
連橫が1918年に自序を書いた台湾の通史(全八十八篇)。卷二十二の宗教志に道士と法師の記述があり、卷二十三の風俗志に死者の装束と葬列の記述がある。
資料の記述
臺灣通史には、壽衣・殮服(死者に着せる装束)についての記述がある。
この記述の範囲: 『臺灣通史』卷二十三 風俗志(維基文庫の翻刻)。「入殮(遺体を棺に納めること)の服」の一文の範囲で、例外(功名のある者は清の制)を含む
- 臺灣通史 卷二十三 風俗志 卷23 風俗志「衣服」の節、最終段
『臺灣通史』の連橫の自序は、台湾の旧い志は清の一朝のことしか載せず、オランダと鄭氏の時代を欠いていると批判し、十年かけて紀(政権の記録)四・志(制度の記録)二十四・傳(人物の伝)六十の計八十八篇を書き上げ、隋代から台湾の割譲までを扱ったと述べる。自序の末尾の日付は大正七年(1918年)秋八月朔日で、臺南の劍花室で書いたとする。
この記述の範囲: 『臺灣通史』の自序(維基文庫の翻刻)
- 臺灣通史(目次頁・自序) 自序(冒頭の段・「遂以十稔之間」の段・末尾の日付)
紅頭法師・紅頭道士は臺灣通史に現れる。『臺灣通史』卷二十二 宗教志は、台湾の巫覡(まじないの職能者)を数種に分け、その二つ目の「法師」を、人とも道士ともつかず、紅い帕(頭巾)に白い裳をつけ、禹步(星の形に見立てて足を運ぶ歩き方)で法を行い、真言を唱え、蛇の形の縄を手にし、鼎の油を沸かして邪を払えるという者、と書く。
この記述の範囲: 『臺灣通史』卷二十二 宗教志「道教」の節の後半。連橫は「紅帕白裳」と書き、「紅頭」の語は使わない。紅頭法師とみなすのは、頭に紅布を巻くとする劉枝萬の記述との対応による
- 臺灣通史 卷二十二 宗教志 卷22 宗教志「道教」の節、「臺灣巫覡凡有數種」で始まる段
道士は臺灣通史に現れる。『臺灣通史』卷二十二 宗教志の道教の節は、台湾の道士は修練のできる者ではなく、市中の道士は人の家の用を務めるだけだとし、廟の像に白い雞の血で目を点じる「開光」、災いのあとに壇を設けて禳う「建醮」、旱魃が虐をなすとき龍宮に祈る「祈雨」、出先で不吉に遭った婦人や子どもに符を書き角を吹く「收煞」、病人が薬なしで癒えて家に喜びがあったとき、神への文書(牒)を上げ紙を焼く「補運」などを、道士を用いる場として挙げる。
この記述の範囲: 『臺灣通史』卷二十二 宗教志「道教」の節
- 臺灣通史 卷二十二 宗教志 卷22 宗教志「道教」の節、「然臺灣道士,非能修煉也」で始まる段
出殯(棺を墓所へ送り出す行列)は臺灣通史に現れる。『臺灣通史』卷二十三 風俗志の喪祭の節は、葬りの日に柩を移して門を出るとき、魂轎・香亭(死者の魂と香炉を載せる輿)の類をそろえ、先頭の一人が紙を撒き(放紙)、鼓楽が続き、富家は方相(悪鬼を払う神)や鬼卒の張りぼてを作って「開路神」と呼び、墓に着くと焼く、と記す。
この記述の範囲: 『臺灣通史』卷二十三 風俗志「喪祭」の節(死後、七日ごとの祭りを七度重ねた区切りの卒哭の祭りより後に葬る場合)
- 臺灣通史 卷二十三 風俗志 卷23 風俗志「喪祭」の節、「凡葬於卒哭之後者」で始まる段
『臺灣通史』卷二十三 風俗志の喪祭の節は、父母の病が重くなると寝台を堂の左に移して「搬鋪」と呼び、殮の前に髪を梳き、体を洗い、衣を着せ、口に飯を含ませて堂に座らせ、供え物で祭ることを「辭生」と呼ぶ、と記す。
この記述の範囲: 『臺灣通史』卷二十三 風俗志「喪祭」の節の冒頭の二段
- 臺灣通史 卷二十三 風俗志 卷23 風俗志「喪祭」の節、冒頭の二段