考え方
清初の薙髪と衣冠の改め
- 薙髮
清が、官と民に頭の髪を剃らせた命令(薙髪)と、衣冠を清の制度に改めさせたこと。『清史稿』は順治元年に衣冠をしばらく明の式に依らせ、順治二年六月に十日を限って薙髪を命じたと記し、江南の江陰では、この令に抗って城を守る戦いが起きた。
資料の記述
『清史稿』世祖本紀は、順治元年七月、山東巡按が新しく補った官吏に紗帽・圓領のまま政務をとらせることを申し出、摂政の多爾袞が、軍事の最中で衣冠礼楽はまだ定めていないので、しばらく明の式に依ると諭した、と記す
この記述の範囲: 清初(順治元年、山東の新任官)
- 清史稿 卷四 本紀四 世祖本紀一 清史稿 卷4 世祖本紀一、順治元年「秋七月」の己亥の条
『清史稿』世祖本紀は、順治二年六月に南方(南中)の文武官・軍・民に薙髪を命じて従わない者は軍法で処するとし、同じ月に各省へ十日を限って薙髪させ、さらに丙寅の日に重ねて薙髪の令を出した、と記す
この記述の範囲: 清初(順治二年)
- 清史稿 卷四 本紀四 世祖本紀一 清史稿 卷4 世祖本紀一、順治二年「六月」の丙辰・丙寅の条
『清史稿』世祖本紀は、順治二年七月戊午に、朝廷の内外の軍・民の衣冠が国の制度に従わないことを禁じた、と記す
この記述の範囲: 清初(順治二年)
- 清史稿 卷四 本紀四 世祖本紀一 清史稿 卷4 世祖本紀一、順治二年「秋七月」の戊午の条
『清稗類鈔』帝德類の一条は、世祖(順治帝)は即位のはじめ、南京で明の弘光帝がなお帝を称していたので、帰順した民に髪を剃らせたのは民の願いに反したとして、天下の臣民はもとどおり髪を束ねてよいと令した、と書く。一年たって南方が定まると薙髪の令を下し、君は父、民は子で父子は一体なのに違ってよいのか、そろわなければ異国の人と同じではないかとして、都は十日、各省は部の文書が届いてから十日のうちに、みな髪を剃らせた。当時「頭を残せば髪を残さず、髪を残せば頭を残さず」という言葉があり、県の役人は剃り手に天秤棒を担がせて市を回らせ、髪を伸ばした者を捕らえて剃り、従わなければ殺して首を棒の先に掛けた、という。
この記述の範囲: 『清稗類鈔』帝德類「世祖下薙髮令」(維基文庫の翻刻)
- 清稗類鈔 帝德類 帝德類、世祖が薙髪の令を下したことを書く条
『江陰城守紀』は、順治二年(1645年)に清の兵が南下した年、江陰に着任した清の知県方亨が、紗帽(黒い紗の官帽)に藍の袍という明の装いのままだったと書く。村の長老らが髪を残すことを願い出ると、方亨は大いにののしったが、人々は、明の進士が紗帽をかぶり圓領(丸首の官服)を着て清の知県になるとは恥知らずだと言い返した。閏六月一日、方亨が残るのは剃髪だけで清の律には背けないと言うと、諸生(学生の身分の者)は頭は断たれても髪は剃らないと言い、府から「頭を残せば髪を残さず」の言葉を書いた檄(回状)が届くと、写しを命じられた吏は筆を地に投げつけた。この日から江陰は城を守って清に抗った、という。
この記述の範囲: 『江陰城守紀』上卷(維基文庫の翻刻)
- 江陰城守紀 上卷、順治二年の清軍の南下の段に続く、知県方亨の着任から閏六月一日の段