考え方
義塚(義山・義地)
- 義塚
- 義山
貧しくて墓を造れない者や行き倒れ、引き取り手の無い棺・遺骨を葬る共同墓地(研究所が参照した資料の範囲)。
資料の記述
『清稗類鈔』喪祭類「太倉人之喪」は、太倉で貧しく力の無い家に対し、義を好む紳士がしばしば資金を出して義塚を設け、代わりに葬り、棺を施し、殯殮を代行したと記す
この記述の範囲: 太倉(江蘇)
- 清稗類鈔(喪祭類) 喪祭類「太倉人之喪」末尾
帆刈浩之(1994)は、同郷ギルドの遺体に関わる慈善の用語として、棺を無料で施す「施棺」、後払い・掛け値で売る「賖棺」、棺を安置する建物「殯舎」、そこに棺を預ける「厝棺」「寄柩」を挙げ、貧しくて墓を造れない者や行き倒れのための共同墓地を「義塚」と呼ぶと説明する
- 清末上海四明公所の「運棺ネットワーク」の形成:近代中国社会における同郷結合について 頁5(729)上段 末段〜下段 冒頭
東華三院の通訊(2012年8月号)は、新會の金牛山義塚(旧名は鶴咀山義塚)に、第二次大戦の前後に東華を通じて内地へ運ばれたが引き取り手の無かった骨殖が葬られていると述べる
この記述の範囲: 広東・新會
- 原籍安葬服務及東華義莊文獻的開發與傳承 本文 第3段(考察の行程の段)
『明會典』卷七十九の「䘏孤貧」(身寄りの無い貧しい者を憐れむ定め)の事例は、洪武三年(1370年)に、民間に義塚を立てさせ、あわせて屍を焼くことを禁じ、貧しくて葬る土地の無い者のためには、その地の役所が城の近くの空いた土地を選んで義塚とするよう命じたと記す。同じ事例は、天順四年(1460年)に都の崇文門・宣武門など六つの門の外にそれぞれ漏澤園(引き取り手の無い遺骸を葬る墓地)を置かせ、通州・臨清などでも野ざらしの遺骸を同じように埋めさせたことも記す。
この記述の範囲: 『明會典』(四庫全書本)卷七十九「䘏孤貧」の事例
- 明會典(四庫全書本)卷七十九 卷七十九、見出し「䘏孤貧」の事例のうち洪武三年と天順四年の条