モチーフ
禹步・步罡踏斗
- 禹步
- 步罡踏斗
- 步天綱
北斗・二十八宿などの形に見立てて足を運ぶ歩き方。『抱朴子』内篇・登渉篇「又禹步法」に三歩からなる禹步の足運びが記されるが、三歩の動きは一様ではなく(二歩目のみ他と異なる)、「三歩九跡」の語自体はこの条ではなく直前の隠身法の段の記述に近い。道教文化中心資料庫は、後世の步罡踏斗が古代の禹步から発展したとする説を、跛行説(漢・揚雄『法言』)と霊鳥説(『抱朴子』仙藥ほか)の2説で紹介する。
資料の記述
『抱朴子』内篇・登渉篇「又禹步法」は、山に入る者が行う禹步の足運びとして、正立し右足を前に出し左足を後ろに置く構えから、一歩目は右足をさらに前に出し左足をこれに並べ、二歩目は右足を出し次いで左足を出してから右足を並べ、三歩目は一歩目と同じ動きを行うという、三歩からなる足運びを記す。「三歩九跡」の語自体は、この条ではなく直前の隠身法の段の記述に近い
この記述の範囲: 『抱朴子』内篇・登渉篇、禹步法の条
- 抱朴子/卷17(内篇・登渉) 抱朴子内篇 卷十七 登渉篇「又禹步法」の条
同篇はまた、山に入る者が左手で青龍の位の草を取って半分を逢星の位に置き、明堂を経て太陰に入って禹步で歩みながら「諾皋大陰」で始まる呪(大陰の将軍に呼びかけ、自分の名を告げ、外の者に開くなと願う文句)を三度唱え、残りの草を地に置いて左手で土を取り鼻の下に塗り、右手で草を持って身を隠しながら禹步で六癸の位まで歩んで気を止めて留まれば、人にも鬼にも見られなくなるとする隠身の法を記す
この記述の範囲: 同篇、隠身の法の条
- 抱朴子/卷17(内篇・登渉) 抱朴子内篇 卷十七 登渉篇「往山林中」の条
禹步の由来について、漢代の揚雄『法言・重黎』(李軌注)は、禹が治水で足を痛めた跛行を巫師が模倣したものとする説を伝え、一方『抱朴子』内篇・仙藥や『洞神八帝元變經』は、禹が南海の浜で禁咒の術を使う大鳥の歩き方を模して術としたという由来を伝えるとし、道教文化中心資料庫はこの2説を併記する
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫「步罡」の記述
- 步罡(「步罡踏斗」「禹步」からのリダイレクト先) 「步罡」項、「步罡與禹步的關係」の節
道教文化中心資料庫の「步罡」の項は、後世の步罡踏斗は古代の禹步から発展したものと一般に理解されているとし、禹步の三歩九跡が北斗の形を象るとされることから、禹步と步罡踏斗は同一視されるようになったと記す
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫の「步罡」の項「步罡與禹步的關係」の節
- 步罡(「步罡踏斗」「禹步」からのリダイレクト先) 同節、後半
步罡(步罡踏斗)は、地上に十尺ほどの広さの土地に罡単を敷き、雲鞋を履いて九天を存思しながら斗宿の象・九宮八卦の図に従って歩む所作で、正一派の法師にとって基本的な形体動作の一つとされる
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫の「步罡」の項冒頭の記述
- 步罡(「步罡踏斗」「禹步」からのリダイレクト先) 「步罡」項、冒頭の定義段落
步罡の機能は、九天を飛行し九州を巡って天下を巡歴するという意味と、鬼神・外物を禁制するという意味の二つに大別され、時代が下るにつれて特定の罡がどちらかの機能に専門化していったと道教文化中心資料庫の「步罡」の項「步罡的功能」の節は記す(例として、破地召雷罡は驚雷を起こす禁制の罡、附體罡は鬼神を童子等に憑依させる罡として挙げられる)
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫の「步罡」の項「步罡的功能」の節
- 步罡(「步罡踏斗」「禹步」からのリダイレクト先) 「步罡」項、「步罡的功能」の節
步罡は掐訣と並んで施法時の二つの基本的な形体動作とされ、唐宋の頃には步罡と掐訣を合わせて七百種余りの型があったと伝えられると道教文化中心資料庫の「步罡」の項は記す
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫の「步罡」の項の記述(伝聞「据说」の形)
- 步罡(「步罡踏斗」「禹步」からのリダイレクト先) 「步罡與禹步的關係」節の末尾(見出し「常見的罡步」の直前の段落末)
步罡で用いる咒語の実例として、河圖大豁落斗(豁落斗、輔弼二星を加えた北斗の罡)の冬至後用の咒の末尾が「急急如律令攝」、星珠熠耀罡の咒の末尾が「急急如律令敕」で結ばれる例を道教文化中心資料庫の「步罡」の項は引く
この記述の範囲: 道教文化中心資料庫の「步罡」の項が引く咒語の実例
- 步罡(「步罡踏斗」「禹步」からのリダイレクト先) 「步罡」項、「步罡的功能」の節、咒語の引用2箇所
「急急如律令」の型の咒語末尾の句は、東漢順帝期(陽嘉二年)の墓門解除瓶に記された解除文の末尾「如律令」の型に由来し、この型が後の道教の咒語に広く通用するようになったと劉仲宇論文は述べる
この記述の範囲: 劉仲宇「道符溯源」の記述
- 道符溯源 本文4頁(PDFの紙面ノンブル)「巫符的嫡傳」の節