組織
吉隆坡廣東義山(クアラルンプール)
- 吉隆坡广东义山
クアラルンプールにある広東籍の華人の共同墓地。1895 年から葬地として使われているとされる(人民日報海外版 2026 の記述)。
資料の記述
人民日報海外版(2026)は、吉隆坡の広東義山を、早くに南洋へ渡った華僑が死んだあと故郷へ運ばれるのを待って棺を一時置いた所で、のちに華人社会が山の斜面を同胞の埋葬に当てた、と紹介する。
この記述の範囲: マレーシア・クアラルンプールの広東義山
- 吉隆坡广东义山是座什么“山”?(侨界关注) 小見出し「捍卫义山就是捍卫华人的历史文化」の後の第1段
人民日報海外版の記事(2026)は、1990年代にクアラルンプールの都心の開発で広東義山が移転の危機に直面し、華人社会の働きかけで残されたこと、その後董事会が文化遺産の認定を政府に申請する準備を進め、福建義山と組んで世界文化遺産を目指していることを伝え、義山の副主席と主席の談話(残した理由、6〜7月に国家文化遺産局へ申請する予定)を添える。
この記述の範囲: クアラルンプールの広東義山(1990年代〜2026年)
- 吉隆坡广东义山是座什么“山”?(侨界关注) 小見出し「捍卫义山就是捍卫华人的历史文化」の後の第4〜5段
人民日報海外版の記事(2026年)は、広東義山の墓碑には「広東大埔」「広東四会」「広東番禺」のように死者の籍貫(本籍の地)が刻まれていると伝え、クアラルンプールの町を開いた功労者とされる叶亚来・叶观盛・陈秀连らもここに眠る、と書く。義山の主席は、刻まれた籍貫が、清明の墓参りで子孫に自分たちの出どころを知らせ、義山を露天の資料館にしている、と語ったという。
この記述の範囲: 人民日報海外版 2026年5月25日 第6版の記事
- 吉隆坡广东义山是座什么“山”?(侨界关注) 三つ目の小見出しの後の第1〜3段
人民日報海外版の2026年5月25日の記事は、1947年にセランゴールの華僑が祖国の難民を救うために作った募金の委員会が、抗日戦争のとき雲南へ向かった南洋華僑の機工(運転手や修理工)を記念する碑を広東義山に建て、碑は高くそびえて中国の方を向いている、と伝える。また2018年には、日本軍の占領の三年八か月にちなむ高さ30.8メートルの、第二次大戦中のマラヤの人々の受難を記念する総碑が義山の和平公園に建ち、毎年8月15日に公祭が行われる、とする。
この記述の範囲: 人民日報海外版 2026年5月25日 第6版の記事
- 吉隆坡广东义山是座什么“山”?(侨界关注) 一つ目の小見出しの後の、1947年の碑を述べる段と、二つ目の小見出しの後の、総碑を述べる段と結びの段