組織
澳門同善堂
- 同善堂
1892年創建とされる澳門の華人の慈善団体。貧しい死者に棺と担ぎ手を施した(盧嘉諾 2023 の記述)。
資料の記述
盧嘉諾(2023)は、澳門同善堂が1895年初めに「施棺木抬工善會」を設け、貧しい死者に棺と担ぎ手を施したと述べる
この記述の範囲: 澳門
- 慈善救濟、族產辦學與華人跨境殯葬——澳門同善堂藏永租北嶺山地契約的背景、訂立與價值 頁72 第2段、頁77 第2段
盧嘉諾(2023)は、1893年2月の『澳門憲報』に載った同善堂の章程の第二十二条を引く。条文は堂の義冢(身寄りや財の無い死者を葬る墓地)について、立夏に墓参りをするとし、参る人は歩いても車に乗ってもよく、堂は質素な料理と紙銭などだけを用意して節約を示す、と定めていた。
この記述の範囲: 盧嘉諾「慈善救濟、族產辦學與華人跨境殯葬」(『澳門研究』2023年第1期)が引く章程
- 慈善救濟、族產辦學與華人跨境殯葬——澳門同善堂藏永租北嶺山地契約的背景、訂立與價值 頁77「(三)同善堂永租北嶺山地的緣起」の第1段
同じ論文は、日中戦争で難民が澳門に流れ込んだ1940年ごろ、関閘(澳門と中国本土の境の関所)の外の高沙に鏡湖医院・同善堂などがもつ義地は埋まりきり、掘ると前の棺を突き破るほどだったため、関閘の外の中立地帯に長い穴を掘って棺を並べて葬ることが当座の策として許された、という当時の記録を引く。
この記述の範囲: 盧嘉諾(2023)の記述。1940年ごろの澳門の葬地の状況
- 慈善救濟、族產辦學與華人跨境殯葬——澳門同善堂藏永租北嶺山地契約的背景、訂立與價值 頁74「(一)抗戰期間澳門人口潮導致的歷史遺留問題」の後半
同じ論文は、同善堂が1949年4月3日、北嶺の徐鳳池祖房(徐氏の一族の分家)と契約を結び、獅山尾の十七畝二分(畝は面積の単位)の山地を澳門の華人の墓地として永久に借りたと述べる。年に四百澳門元の借り賃は北嶺の学校の運営にだけ使うと定められた。1967年に珠海市の墓地の条例ができて拱北に散らばる墓が合羅山の墓園に集められると、この契約も、澳門の華人が国境の外に墓地をもつ仕組みも終わった、とする。
この記述の範囲: 盧嘉諾(2023)の摘要。同善堂歴史檔案陳列館が所蔵する1949年の土地契約