文献
二酉委譚
明の王世懋の筆記(維基文庫の摘録本による)。
資料の記述
『二酉委譚』は、甘州の城を修築したとき土の中から長さ二、三尺の小さな棺が数十も出て、開けると鬚鬢は老人のようで、服飾は多くが紗帽・紅袍だったと、目撃した同僚の話として記し、何ものかは分からないとする
この記述の範囲: 明(甘州・涼州の城の土中の小棺)
- 二酉委譚摘錄 二酉委譚摘錄 冒頭の段
撰者の王世懋について、『明史』卷二百八十七の文苑伝は、兄の王世貞の伝に続けて伝を付ける。字を敬美といい、嘉靖三十八年(1559年)に進士(科挙の最終試験の合格者)となり、陝西・福建の提學副使(地方の学校を監督する官)を経て太常少卿(朝廷の祭祀を司る役所の次官)に至り、兄より三年早く世を去ったとする。学問を好み詩文に長じ、名声は兄に次いだと書く。
この記述の範囲: 『明史』卷二百八十七 文苑三、王世貞の伝に附された王世懋の伝。伝は『二酉委譚』の名を挙げていない
- 明史 卷二百八十七 列傳第一百七十五 文苑三 卷287 王世貞の伝の末、「世貞弟世懋」で始まる段
『二酉委譚』の摘録は、甘州の山の洞穴に、立ったまま「化」した(命を終えた、の意の原文の語)神女と、そのそばでしゃがんだまま命を終えた屠者(家畜をつぶす人)がいると記す。屠者は毎日豚の肝を買いに来る女の後をつけて洞穴に入り、説法を受けて、二人とも立ったまま・しゃがんだままの姿を留めて化し、どちらも「真身」(死んだあとも体がそのまま残ったもの)だったという。神女の体は地から一尺ほど離れて宙に懸かり、人に触らせても地に着いていなかった、とする。
この記述の範囲: 維基文庫の『二酉委譚摘錄』(明の王世懋の筆記の抜き書き)の第2段
- 二酉委譚摘錄 二酉委譚摘錄、「甘州山洞中」で始まる段
同じ摘録は、近ごろの奇事のうち最も確かな二つの一つとして、吳江で心を病んだ婦人が郡の城に入り、死体を探しては腸や胃を引き出して食べ、臭くて人が近寄れないのに本人はとても美味だと言い、数えきれないほど食べたので役所に捕らえられ、しばらくして放されたのち行方が分からなくなった話を記す。
この記述の範囲: 維基文庫の『二酉委譚摘錄』、「邇來怪事不可勝書」で始まる段
- 二酉委譚摘錄 二酉委譚摘錄、「邇來怪事不可勝書」で始まる段の二つ目の事