文献
荊楚歲時記
資料の記述
『荊楚歲時記』正月一日の条の按語は、莊周の言として、鶏を戸に掛け、その上に葦索を懸け、脇に桃符を挿せば「百鬼」が畏れるとする一節を引く。僵屍・殭屍の字はこの按語にも同条の本文にも現れない。
この記述の範囲: 『荊楚歲時記』正月一日の条の按語(莊周の言の引用部分のみ)
- 荊楚歲時記 荊楚歲時記 正月一日の条、按語
『荊楚歲時記』は、冬至の日に疫病を払う(禳疫)ため赤豆粥を作るという習俗を記す。僵屍・殭屍についての記述ではない。
この記述の範囲: 『荊楚歲時記』冬至の条
- 荊楚歲時記 荊楚歲時記 冬至の条
清の『四庫全書總目提要』は、『荊楚歲時記』一卷について、古い本は撰者を晉の宗懍とするが、『梁書』『南史』に見える梁の元帝の臣の宗懍で、楚の人だったので楚の習わしを記したのだろうとし、晉の人とするのは誤りだとする。宗懍の自序は、元日から大晦日までの荊楚の歳時の風物と故事を記したと述べる、とも書く。
この記述の範囲: 『四庫全書總目提要』卷七十 史部 地理類三『荊楚歲時記』の条(維基文庫の翻刻)
- 四庫全書總目提要 卷七十 史部二十六 地理類三 卷七十 地理類三、『荊楚歲時記』一卷の条の前半
『四庫全書總目提要』は、今の『荊楚歲時記』には三十六の事が載るが、宋の周密『癸辛雜識』がこの書から引く、張騫が筏で天の川に至り織女から機の支え石をもらった話が今の本に無いので、完全な本ではないとする。注は隋の杜公瞻のものと伝わり、隋の開皇年間の杜臺卿『玉燭寶典』を多く引く。『唐書』の書目は宗懍の一卷とは別に杜公瞻の二卷を載せるので、もとの一卷に杜公瞻が注を付けて二卷にし、のちにまた合わせたのではないか、と推し量る。
この記述の範囲: 『四庫全書總目提要』卷七十『荊楚歲時記』の条(維基文庫の翻刻)
- 四庫全書總目提要 卷七十 史部二十六 地理類三 卷七十 地理類三、『荊楚歲時記』一卷の条の後半
『荊楚歲時記』は正月一日の朝、まず庭で竹を火にくべてはじけさせ、山臊という悪い鬼を払うと記す。注は『神異經』を引き、西の山中に住む背丈一尺余りで一本足の山臊は、人を恐れず、犯すと寒けと熱を起こさせるが、竹を火に入れてはじける音を立てると驚いて遠くへ去る、と説明する。
この記述の範囲: 『荊楚歲時記』正月一日の条とその注(維基文庫の翻刻)
- 荊楚歲時記 正月一日の条(鶏が鳴くと起きる、の次の段)とその注
『荊楚歲時記』は七月十五日に、僧尼も道士も俗人も、みな盆を設けて供物をそなえると記す。注は『盂蘭盆經』を引き、餓鬼の世に生まれた母に目連が鉢で飯を届けても口に入る前に炭火に変わったので、仏が、七月十五日に七代の父母のために百味の食べ物と果物を盆に盛って十方の僧に供えよと教え、目連の母は餓鬼の苦しみから逃れた、と説明する。
この記述の範囲: 『荊楚歲時記』七月十五日の条とその注(維基文庫の翻刻)
- 荊楚歲時記 七月十五日の条とその注