考え方
雷の天誅(雷が悪人を撃つという観念)
- 雷神天誅
雷に打たれて死ぬのは、天が悪人を罰したのだとする考え。後漢の『論衡』雷虛篇はこれを世の通説として挙げて退け、『子不語』「李通判」では妖しい術の道士が雷に打たれて死ぬ。
資料の記述
劉枝萬 1986 は、落雷で人が撃ち殺されることから、天に代わって悪人を誅殺するという雷神の働きが生まれて民間信仰に深く入り、雷神の天誅の話は古くから筆記小説に散見し、後世には善書とあいまって勧善懲悪の題材になった、と述べる。
この記述の範囲: 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」一 雷神信仰 冒頭
- 雷神信仰と雷法の展開 紙面 一(一 雷神信仰)第1段
後漢の王充『論衡』雷虛篇は、夏に雷が木を折り家を壊し人を殺すとき、世の人は、人が撃たれて死ぬのは隠れた過ち(不潔な物を人に食べさせたことなど)を天が怒って罰したのだと考え、ごろごろという音を天の怒りの声とみている、と書く。王充は、賢い人も愚かな人もそう思わない者はいないとしたうえで、この考えを根拠の無い説として退ける。
この記述の範囲: 『論衡』雷虛篇第二十三の冒頭(後漢の王充が世の考えとして挙げ、批判する)
- 論衡 雷虛篇第二十三 論衡 雷虛篇第二十三、冒頭の段
同じ雷虛篇は、雷に打たれた人の体に文字のような焼け跡が残ると、人々はそれを、天がその者の過ちを書いて民に示したものとみる、と書く。王充は、雷は火であるとし、打たれた者の髭や髪や皮膚が焼け屍から火の匂いがすることなど五つの証拠を挙げて、焼け跡は天が書いた文字ではないと退ける。
この記述の範囲: 『論衡』雷虛篇第二十三の後半
- 論衡 雷虛篇第二十三 論衡 雷虛篇第二十三、「夫雷,火也」で始まる段
雷の天誅(雷が悪人を撃つという観念)は李通判(子不語卷一)に現れる。『子不語』卷一「李通判」は、死んだ主人を生き返らせると持ちかけ、身代わりに死ぬと申し出た老僕を二鬼に取らせようとした道士が、術が破れた直後の雷の一撃で祭壇のところで死に、その屍に硫黄で、姿を変える術で財と色をむさぼった妖しい道士を天の掟によって斬(首を斬る刑)に処す、という意味の十七字が大書されていたと結ぶ。
この記述の範囲: 『子不語』卷一「李通判」末段
- 子不語 卷1 子不語 卷1、見出し「○李通判」の末尾の二段