儀礼・実践
中元普渡
旧暦七月に、祀る人のいない霊(孤魂)に供物を並べてもてなす祭り。連橫の『臺灣通史』は、台湾では七月一日から月末まで町や村が順に普度を行い、僧に経を読ませて飢えた鬼に広く施し、七月十五日の中元にはそれぞれ祖先を丁重に祀ったと書く。
資料の記述
旧暦7月の中元に行う普渡の祭儀で、供物を並べ無主孤魂をもてなすとされる。基隆の鷄籠中元祭では水燈頭遊行と主普壇の普度法會が中心的行事とされる
この記述の範囲: 台灣光華雜誌の記事
- 科儀的流傳,人心的陪伴──淺談道士 記事冒頭段落
連橫『臺灣通史』卷二十三の風俗志は、旧暦七月一日を地獄の門が開く日として家ごとに祭り、その日から月末まで町や村が順番に普度を行い、僧を招いて経を読ませ、飢えた鬼に広く施したと書く。普度の前には水燈(水に流す灯籠)を流して迷う霊を照らし、鬼を尊ぶ風は漳州・泉州から来た人々の間でとくに強く、使う銭は莫大で、改めようとしても改まらなかったとする。
この記述の範囲: 『臺灣通史』卷二十三 風俗志「歲時」の節(1918 年の自序をもつ書の記述)
- 臺灣通史 卷二十三 風俗志 卷23 風俗志「歲時」の節、「七月初一日」の条
同じ風俗志は、七月十五日の中元を、清明の春の祭り、冬至の冬の祭りと並ぶ秋の祭りの日とし、台湾の人はこの日にそれぞれ祖先を丁重に祀り、そうしない者は子孫と言えないほどだったと書く。
この記述の範囲: 『臺灣通史』卷二十三 風俗志「歲時」の節
- 臺灣通史 卷二十三 風俗志 卷23 風俗志「歲時」の節、「十五日,謂之中元」の条
中元普渡は有應公信仰に関わる。教育部臺灣客語辭典は、身寄りの無い骨や孤魂を小さな祠に祀る有應公について、願えばかなえてくれるという言い伝えがあり、毎年の清明や中元の普渡のときに人々が香を焚いて拝む、と説明する。
この記述の範囲: 教育部臺灣客語辭典の詞目「有應公」の釈義
- 有應公(辭典單筆内容) 詞目「有應公」の釈義(四縣腔の項)
台灣光華雜誌(2025年3月号)の記事は、基隆の鷄籠中元祭で主普壇(普度の法会を行う壇)の儀式を執り行うのは、基隆の道士の壇「雷成壇」で、その道士は法事のときに頭に紅い布を巻く紅頭道士であり、主に生きている人のための祝いの法事を受け持つと書く。
この記述の範囲: 台灣光華雜誌の記事(基隆の鷄籠中元祭、2025年時点の取材)
- 科儀的流傳,人心的陪伴──淺談道士 本文「很會讀書的「道士」」の見出しの段の冒頭
邱睦容(2023)は、1950年代に国民政府が台湾人の宗教のあり方を改めて近代化をめざした流れの中で、社会処が喪葬の旧い慣わしの統制を進めたと述べ、直接批判して制限・禁止した例として、基隆では普度の祭りを旧暦七月十五日の一日だけに限る決まりがあったことを挙げる。
この記述の範囲: 邱睦容『邁向「文明與進步」的死亡:臺南喪葬基礎建設研究』(國立臺灣大學 碩士論文、2023年)
- 邁向「文明與進步」的死亡:臺南喪葬基礎建設研究 紙面 78 頁(PDF 77 頁)、公営の殯儀館の必要性を論じる段