話
元膺擒轝(棠陰比事)
- 元膺擒轝
『棠陰比事』の一条で、唐の呂元膺が、道端に止まった喪の車と喪服の男五人を怪しんで棺を捜させ、葬列を装って武器を隠していた一味を捕らえたと記す。一味は川を渡って掠奪するつもりだった。
資料の記述
元膺擒轝(棠陰比事)は棠陰比事に現れる。唐の呂元膺が岳陽を治めていたとき、道端に止まった喪の車と喪服の男五人を見て、遠くに葬るなら派手に、近くなら簡素にするはずだと怪しみ、棺を捜させると中はすべて武器だった。一味は喪を装えば渡し守が疑わないと考え、川を渡って掠奪するつもりで、向こう岸に集まっていた同党数十人も捕らえた、と記される。
この記述の範囲: 『棠陰比事』「元膺擒轝」
- 棠陰比事 「元膺擒轝」の条
南宋の鄭克『折獄龜鑑』卷七は、同じ話を「察賊」(賊を見破る)の部に「呂元膺搜輿」の題で収め、もとの書には出どころが書かれていないと注する。鄭克は続く評で、柳公綽の似た話を付け加える。凶作の年に、三代十二人の柩を武昌へ移したいのに渡しの役人に止められたと訴えた喪服の者がいたが、凶作の年に三代の柩を一度に移すはずがないと見た柳公綽が柩を割らせると、中には稲米が詰まっていた、という話である。
この記述の範囲: 『折獄龜鑑』卷七「察賊」の部「呂元膺搜輿」の条と、それに付く鄭克の評(維基文庫の翻刻)
- 折獄龜鑑 卷七 折獄龜鑑 卷七「察賊」の部、見出し「呂元膺搜輿(柳公綽一事附)」の本文・注・按語
『新唐書』卷百六十二と『舊唐書』卷百五十四の呂元膺の伝は、どちらも元膺が鄂岳の観察使に任じられたことを記すが、葬列を装って棺に武器を隠した一味を見破った話は載せていない。『新唐書』の伝は、鄂岳の観察使だったころの話として、元膺が夜に城に登ろうとして番兵に断られ、側近が中丞(御史中丞、元膺の官)だと言っても、夜は見分けがつかないと言われて引き返し、翌日その番兵を大将に取り立てた、と記す。
この記述の範囲: 維基文庫の『新唐書』卷百六十二・『舊唐書』卷百五十四の呂元膺の伝
- 新唐書 卷一百六十二(列傳第八十七) 卷百六十二、見出し「呂元膺」の伝の第2段
- 舊唐書 卷一百五十四(列傳第一百〇四) 卷百五十四、見出し「呂元膺」の伝