文献
明史
清の勅撰の明代の正史。列傳に孝義の巻がある。
資料の記述
遺体・遺骨を背負って運ぶ(負骨・背屍)は明史に現れる。『明史』孝義傳の序は、親に孝を尽くした者の型として、万里に親を尋ねる・三年墓に廬する・喪を聞いて死ぬと並べて、「負骨還鄉」(骨を背負って郷里へ帰る)を挙げ、洪武年間の該当者の名を列ねる
この記述の範囲: 『明史』卷二百九十六 孝義一の序
- 明史 卷二百九十六(列傳第一百八十四 孝義一) 卷二百九十六 孝義一、序の第三段(「其事親盡孝」で始まる段)
遺体・遺骨を背負って運ぶ(負骨・背屍)は明史に現れる。『明史』卷二百九十六(孝義一)の顧琇の伝は、父の充軍(鳳翔)に従った母が六年後に没すると、顧琇は駆けつけて母の骨を背負って数千里を行き、眠るときは骨を家の梁に吊るし、川を渡るときは頭の上に戴いたと記す
この記述の範囲: 『明史』卷二百九十六 孝義一「顧琇」(洪武初)
- 明史 卷二百九十六(列傳第一百八十四 孝義一) 卷二百九十六、「有顧琇者,字季粟」で始まる段
維基文庫の『明史』目次頁の、書の来歴を述べる解説は、『明史』を三百三十六卷(皇帝の事績を記す本紀二十四卷、制度を記す志七十五卷、年表の表十三卷、人物伝の列傳二百二十卷、目録四卷)とし、大学士の張廷玉らが勅命で撰び、乾隆四年七月二十五日に書が成って献上されたと書く。康熙十八年に明史を修める詔が出て、雍正二年に続けて完成させる詔が出たこと、王鴻緒の『明史稿』三百十卷を初稿にしたことも記す。
この記述の範囲: 維基文庫の『明史』目次頁の冒頭の解説
- 明史(目次頁) 目次頁の冒頭の解説
『明史』卷二百九十六(孝義一)の序の第二段は、明の太祖が、親に孝行で目上に従い、農に励む人を推挙させ、府・州・県の長官に、孝行で清廉と認められた人(孝廉)を礼をもって都へ送らせたと書く。役人は父母の喪を聞けば知らせを待たずに官を去ってよいとし、股の肉を割いたり、氷の上に臥したりする、命を損なう孝行は禁じた。表彰を礼部(礼を司る役所)に願い出る例は毎年あり、多い年は十数人にのぼった、とも書く。
この記述の範囲: 『明史』卷二百九十六 孝義一の序の第二段
- 明史 卷二百九十六(列傳第一百八十四 孝義一) 卷二百九十六 孝義一、序の第二段(明の太祖の詔を述べる段)