文献
清史稿
民国初年に編まれた清代の史書の稿本。列傳に孝義の巻がある。
資料の記述
遺体・遺骨を背負って運ぶ(負骨・背屍)は清史稿に現れる。『清史稿』孝義二の趙萬全の伝は、明末に北へ出て馬邑で死んだ父を探し当てた趙萬全が、殯所で父の骨を包み、背負って帰ったと記す
この記述の範囲: 『清史稿』卷四百九十八 孝義二「趙萬全」
- 清史稿 卷四百九十八(列傳二百八十五 孝義二) 卷四百九十八、「趙萬全,浙江會稽人」で始まる伝
遺体・遺骨を背負って運ぶ(負骨・背屍)は清史稿に現れる。『清史稿』卷四百九十八(孝義二)の李澄の伝は、明末の乱で山谷に避難中、病の重い母が山の中で死にたくないと言うので李澄が母を背負って仏寺へ行き、母がほどなく死ぬと、遺骸を背負って祖先の墓に仮に葬ったと記す
この記述の範囲: 『清史稿』卷四百九十八 孝義二「李澄」(明末)
- 清史稿 卷四百九十八(列傳二百八十五 孝義二) 卷四百九十八、「李澄,字仲瀾」で始まる伝
維基文庫の『清史稿』目次頁の解説は、この書を、中華民国の國史館(国の史書を編む役所)が編んでいた正史『清史』の、定まらないままの稿とする。民国十七年(1928年)に編み続ける力が無くなり、主編の趙爾巽が、未定の本であることを示すために『清史稿』の名で刊行した。編纂に加わった史官には清の遺臣が多く、清をたたえて辛亥革命を低く書いたので、刊行してまもなく禁じられた、と書く。
この記述の範囲: 維基文庫の『清史稿』目次頁の冒頭の解説
- 清史稿(目次頁) 目次頁の冒頭の解説
『清史稿』卷四百九十七(孝義一)の序は、清が表彰の基準を明の旧例に沿って定め、親が生きている間は力を尽くして仕え、亡くなれば喪によく服し、あるいは墓のそばに庵を結び、親が遠くへ行けば万里を尋ねて、生きて連れ帰るか、亡骸を持ち帰る者を、みな礼をもって表彰したと書く。親の病に股の肉を割いたり肝をえぐったりすること、親の喪に自分も死ぬことは、命を損なうとして禁じられていたが、役所が知らせると、しばしば例外として表彰を許した、とも書く。
この記述の範囲: 『清史稿』卷四百九十七 孝義一の序
- 清史稿 卷四百九十七(列傳二百八十四 孝義一) 卷四百九十七 孝義一、巻頭の「序」