文献
新唐書
北宋の歐陽修・宋祁らが勅命で編んだ唐の正史(二百二十五卷)。卷二十四の車服志に、官の位で服の色を分けた決まりがある。
資料の記述
新唐書には、唐・宋の官服(服色・幞頭・魚袋)についての記述がある。
この記述の範囲: 『新唐書』卷二十四 車服志(維基文庫の翻刻)
- 新唐書 卷二十四 志第十四 車服 新唐書 卷24 車服志「至唐高祖」の段以下
維基文庫の『新唐書』目次頁の解題は、『新唐書』二百二十五卷を北宋の歐陽修・宋祁らが勅命で撰んだ書とし、監修は曾公亮なので書の初めの進表は曾公亮を筆頭にすると書く。解題は陳振孫『直齋書錄解題』を引いて、列傳には宋祁の名を、本紀・表・志には歐陽修の名を題した、とする。
この記述の範囲: 目次頁の解題(四庫全書總目提要の体裁の文。頁に出どころの表示は無い)
- 新唐書(目次頁) 目次頁の冒頭の解題のはじめ
維基文庫の『新唐書』目次頁の解題は、この書がもともと劉昫の『舊唐書』の誤りや抜けを補い正すために作られ、みずから「事は前より増え、文は旧より省いた」と称したとする。宋の劉安世はまさにその点を欠点としたとし、書が世に出るとすぐに吳縝の『新唐書糾謬』が誤りを正す書として出たが、解題は、吳縝の指摘は考証の備えにはなっても、それで書全体をけなすのは偏った見方だと述べる。
この記述の範囲: 目次頁の冒頭の解題の後半(四庫全書總目提要の体裁の文。頁に出どころの表示は無い)
- 新唐書(目次頁) 目次頁の冒頭の解題の後半
『新唐書』五行志の序は、漢の董仲舒・劉向らの災異の学が、天の異変をいちいち人の事に結びつけて、合わないときは強引にこじつけてきたと批判する。孔子は『春秋』に災異を記してもそれに応じた事は書かなかったとして、『新唐書』は武德以来の災異を『洪範五行傳』にほぼならって並べ、それに応じた事は削った、と宣言する。
この記述の範囲: 『新唐書』卷三十四 五行一の序(維基文庫の翻刻)
- 新唐書 卷三十四 志第二十四 五行一 卷三十四 五行一、冒頭の序の後半
『新唐書』五行志は「人痾」(人の身に起こる異変)の項に、唐の光啟元年(885年)、隰州の溫泉県で葬られて半月ほどたった死者の家で、道行く人が地の下から呼ぶ声を聞いたので、家の者が掘り出すと生き返っており、一年余りして死んだ、という記録を載せる。
この記述の範囲: 『新唐書』卷三十六 五行三の「人痾」の項(維基文庫の翻刻)
- 新唐書 卷三十六 志第二十六 五行三 卷三十六 五行三、「人痾」の項の光啟元年の条