文献
堯峰文鈔
清の汪琬の文集で、四部叢刊に収める版は五十卷。宋犖の序は、汪琬が亡くなる数か月前に自分の詩文を選び直して『堯峰文鈔』と題したと書く。卷九の「北城募棺說」は、北城の官だった汪琬のもとへ遺体の届けが度々あり、知人たちの出資で棺を用意したいきさつを記す。
資料の記述
施棺・募棺は堯峰文鈔に関わる。汪琬「北城募棺說」は、北城の職について十日足らずで浮かんだ遺体の届けが四度あったため、標を立て、役夫に路で呼び求めさせたとし、巡城使者の命で遺体を検めた際に棺を与えようと華纘長に相談すると、華が友人の何蕤音・查王望・𫝊雨臣(頁の字のまま)とともに金を出して助けたと記す
この記述の範囲: 清の汪琬が北城の官にあった時(本文に年・都市名の記載なし)
- 堯峰文鈔 卷九(四部叢刊本)「北城募棺說」 卷九「北城募棺說」本文の中ほど(「本朝仍前明之制」から)
施棺・募棺は堯峰文鈔に関わる。同篇は、周の先王の政と官の制度でさえ道で死ぬ者を無くせなかったのに、一城の司の小さな力で、財も責任も及ばないこの事に努めるのは世間に笑われることだが、仁人長者なら心を動かすことだとし、ともに勉めてほしいと願って結ぶ
この記述の範囲: 「北城募棺說」
- 堯峰文鈔 卷九(四部叢刊本)「北城募棺說」 卷九「北城募棺說」本文の末尾(「嗟乎以先王之仁聖」から)
四部叢刊本の『堯峰文鈔』に付く宋犖の序(康熙癸酉=1693年の二月)は、汪琬が亡くなる数か月前に、それまでの詩文の稿を自分で選び直して詩十卷・文四十卷にまとめ、『堯峰文鈔』と題したが、版木に刻み終わる前に亡くなったと書く。堯峰は汪琬が隠れ住んだ所で、版木は没後三年で刻み上がった。序はまた、汪琬が最後に翰林の官として明史の編纂に加わったが、編纂の役所(史館)に入って六十日で病を理由に帰ったと記す。
この記述の範囲: 維基文庫の『堯峰文鈔』(四部叢刊本)前序のうち宋犖の序
- 堯峰文鈔(四部叢刊本)前序 前序の一つ目(宋犖の序)
四部叢刊本の『堯峰文鈔』の跋で、門人の林佶は、この五十卷は汪琬が自ら定めて自分に書き写させたものだと書く。汪琬は、欧陽修の『居士集』にならって自分の文を選び直し、その編集を林佶に任せると言った。その後、汪琬が十月に福建へ送った便りが林佶に届いてから四十日足らずで、汪琬は亡くなった。林佶は己巳の年の冬の終わりから壬申の年の秋の初めまでかけて書き写し終えたが、汪琬はすでにそれを見られなかった。跋の日付は康熙壬申(1692年)の七月である。
この記述の範囲: 維基文庫の『堯峰文鈔』(四部叢刊本)の跋(林佶)
- 堯峰文鈔(四部叢刊本)跋 跋の全文