文献
朱子語類
宋の朱熹と門人の問答を、門人の記録から集めて部門ごとに編んだ書。百四十卷。咸淳六年(1270年)に黎靖德が、いくつもの記録の本を合わせて重複を除き、二十六の部門に分けた。卷三の鬼神の巻には非業の死者の気が散らないという問答が、卷八十九には葬儀と盗掘を防ぐ墓の作りの問答がある。
資料の記述
強死・凶死・枉死(非業の死)は朱子語類に関わる。朱熹は、人の鬼の気は消え散って残らないが、その速さには違いがあるとし、死を受け入れない者は死後も気が散らず妖怪となる、凶死した者や僧・道士が死んだ場合は多く散らない(僧道は精神を養うので凝り集まる)、聖賢は死に安んじるので散らずに神怪となることはない、と述べる。
この記述の範囲: 『朱子語類』卷三 鬼神(僩の記録)
- 朱子語類/003(卷三・鬼神) 朱子語類 卷三 鬼神、「才卿問」で始まる段の中の、用之の言「人之禱天地山川」への答え
強死・凶死・枉死(非業の死)は朱子語類に関わる。座にいた者が、郷里の李三という者が死んで厲となり、祭祀や仏事にはいつも一人分を供えていたが、黄籙大醮で供えなかったときには斎食をすべて汚された、爆竹で依っていた木が焼けてから絶えた、と話すと、朱熹は、それは李三が枉死して気がまだ散っていなかったのが爆竹に驚いて散ったのだ、と答えた。
この記述の範囲: 『朱子語類』卷三 鬼神
- 朱子語類/003(卷三・鬼神) 朱子語類 卷三 鬼神、「問生死鬼神之理」で始まる段の中の「坐間或云」以下
維基文庫の『朱子語類』目次頁の冒頭の解題(四庫總目提要の文として載る)は、この書を宋の咸淳庚午(1270年)に導江の黎靖德が編んだものとする。朱熹と門人の問答は門人がそれぞれ記録し、池州で刊行された『池錄』(1215年)、饒州の『饒錄』(1238年)と『饒後錄』(1245年)、建安の『建錄』(1265年)、部門に分けて編んだ黃士毅の百四十卷本(眉州で刊行された『蜀本』)、王佖の四十卷の続編(『徽本』)と、本ごとに出入りがあって誤りも多かったので、黎靖德が重複を千百五十条あまり除いて二十六の部門に分けた、と書く。
この記述の範囲: 維基文庫の『朱子語類』目次頁の冒頭の解題
- 朱子語類(目次頁) 目次頁の冒頭の解題の前半
『朱子語類』卷八十九で朱熹は、墓の壙(墓穴)と棺槨(棺と、棺を納める外箱)を大きくしすぎてはならず、壙はやっと槨が入り、槨はやっと棺が入るほどがよいとし、前の年にこのあたりで陳家の墓が暴かれたのはどれも壙の中が広すぎたためで、暴かれずにすんだ墓は壙が狭くて手足をかける所が無かった、と述べる。浅く葬るから暴かれるので深く掘ればよいという意見には、深く葬ると水が出るとし、興化・漳州・泉州で塚を高く盛るのは水を避けて浅く葬るからで、土の厚い北方なら深く葬ってもよい、と答える。
この記述の範囲: 『朱子語類』卷八十九 禮六の「喪」の項(維基文庫の翻刻)
- 朱子語類 卷八十九 禮六(冠昏喪) 卷八十九 禮六、葬儀の項の中ほど、改葬を問う条の次の条