組織
Bo Ho Films(ボー・ホー・フィルムズ)
- Bo Ho Films Co., Ltd.
香港の映画製作会社で、香港政府の映画検索データベースは『殭屍先生』(1985年、日本題『霊幻道士』)の製作会社として記す。日本の発売元ツインのカタログは、サモ・ハンの製作会社と書く。
資料の記述
Bo Ho Films(ボー・ホー・フィルムズ)は殭屍先生(霊幻道士)を製作した。
- Hong Kong Film Search(香港政府の映画検索データベース)の作品ごとの詳細レコード Hong Kong Film Search、bib_no 52451『Mr. Vampire』詳細レコードのProduction Company欄
- 香港映画発展史探究-17-1「霊幻道士」上映プログラム解説 クレジット欄「1985(寶禾影業有限公司=嘉峰電影有限公司)(監)劉觀偉」の行
Bo Ho Films(ボー・ホー・フィルムズ)は鬼打鬼(英題 Encounter of the spooky kind / Spooky Encounters)を製作した。
- Hong Kong Film Search(香港政府の映画検索データベース)の作品ごとの詳細レコード bib_no 52297 詳細レコード、Company/Group欄
日本の発売元ツインの『霊幻道士5』のカタログの紹介文は、ボーホー・フィルムをサモ・ハンの製作会社と書く。紹介文によれば、『霊幻道士』(原題「殭屍先生」)がヒットしたあと続編もこの会社で作られ、第5弾から製作がゴールデン・ハーベストに替わった。
この記述の範囲: 株式会社ツインの『霊幻道士5』のカタログの紹介文
- 霊幻道士5/ベビーキョンシー対空飛ぶドラキュラ! デジタル・リマスター版 [DVD](カタログ) カタログの頁の「ストーリー」欄の前段
香港政府の映画データベースの繁体字の記録は、『鬼打鬼』の備考に「洪金寶の寶禾公司の創業作」と書き、会社の欄で嘉禾を出品、寶禾影業有限公司を撮影・製作の実務(攝製)とする。香港電影資料館の洪金寶の略伝は、洪金寶が 1979 年に嘉禾の衛星会社として寶禾を作り、創業作『鬼打鬼』を自ら監督・主演したと書き、2026 年の上映の解説は、1979 年に嘉禾の支えで寶禾が作られ、翌年の創業作『鬼打鬼』で洪金寶が脚本・監督・出演の三つを一人で担ったと書く。
この記述の範囲: 香港政府の映画データベース(記録 3445)、香港電影資料館の洪金寶の略伝と 2026 年の上映の解説
- Hong Kong Film Search(繁体字の画面)の詳細レコード 21 件(洪金寶と殭屍・鬼の映画、2026-10-31) 記録 3445 の備考欄(Remark)と会社欄(Company/Group)
- 香港影人小傳檢索:洪金寶 略伝の第 3 段落
- 鬼打鬼(靈幻經典・2026年上映プログラム解説、繁体字版) 解説文の中ほど(1979 年で始まる一文。2026-10-31 に取り直した頁)
香港電影資料館の洪金寶の略伝は、洪金寶が寶禾で『神勇雙響炮』(1984)・『省港旗兵』(1984)・『殭屍先生』(1985)などをプロデューサー(監製)として作ったとし、1980 年代の半ばには寶禾が嘉禾にいちばん多く作品を出す衛星会社になり、彼が業界で「大哥大」と呼ばれたと書く。また 1984 年に潘迪生・岑建勳と德寶電影公司(D&B)を作ったこと、1988 年に嘉禾を離れ、自分の寶祥影業有限公司で『鬼掹腳』(1988)・『群龍戲鳳』(1989)・『冇面俾』(1995)を出したことを書く。
この記述の範囲: 香港電影資料館「香港影人小傳檢索:洪金寶」
- 香港影人小傳檢索:洪金寶 略伝の第 3〜4 段落
香港電影資料館の何冠昌の略伝は、何冠昌が嘉禾で製作の仕事を受け持ち、洪金寶と成龍を嘉禾の製作の柱として見いだし、1980 年代の洪金寶の寶禾と成龍の威禾の作品では、どちらも何冠昌が出品人(名義上の出品者)の名を出していたと書く。政府の映画データベースの記録でも、『殭屍先生』『殭屍家族』『靈幻先生』『殭屍叔叔』『小生夢驚魂』の出品人の欄は何冠昌で(嘉禾と寶祥の出品の『鬼掹腳』(1988)も何冠昌)、英語の記録は同じ役目を Executive Producer と訳す。1990 年の寶祥の『鬼咬鬼』では出品人が洪金寶本人になる。
この記述の範囲: 香港電影資料館の何冠昌の略伝と、香港政府の映画データベースの記録
- 香港影人小傳檢索:何冠昌 略伝の第 2 段落
- Hong Kong Film Search(繁体字の画面)の詳細レコード 21 件(洪金寶と殭屍・鬼の映画、2026-10-31) 記録 5124・25399・8712・8730・871・3958 のスタッフ欄(出品人)と、記録 3466 のスタッフ欄
- Hong Kong Film Search(香港政府の映画検索データベース)の作品ごとの詳細レコード 記録 52451 の Crews 欄(2026-10-31 に取り直した頁)
香港電影資料館の午馬の略伝は、午馬が 1980 年代に『人嚇人』(1982)・『表哥到』(1987)などを監督し、洪金寶の『敗家仔』(1981)の製作を手伝ってから寶禾の企画(策劃)を務め、『中國最後一個太監』(1988)などを組み立て、張之亮や孟海などの新人を引き上げたと書く。
この記述の範囲: 香港電影資料館「香港影人小傳檢索:午馬」
- 香港影人小傳檢索:午馬 略伝の第 2 段落
政府の映画データベースの記録では、洪金寶がプロデューサー(監製)に名を出す寶禾が関わった幽霊の喜劇は、殭屍先生の系列のほかにもある。『表哥到』(1987 年 1 月 9 日、寶禾の出品、監督は午馬、アクション指導は洪家班)、『畫中仙』(1988 年 3 月 18 日、嘉禾の出品・寶禾の攝製(撮影・製作の実務)、監督は午馬で午馬が道士の役、武術指導は洪家班)、『火燭鬼』(1989 年 5 月 6 日、寶禾の出品・攝製、監督は午馬、監製は洪金寶と陳佩華、武術指導は洪家班と周元武)である。『小生夢驚魂』(1987 年 3 月 6 日、寶禾の出品・攝製、監督は劉家榮、武術指導は元華)も監製は洪金寶だが、記録のあらすじに幽霊の語は無い。
この記述の範囲: 香港政府の映画データベース(繁体字の記録 8061・871・3162・7616)
- Hong Kong Film Search(繁体字の画面)の詳細レコード 21 件(洪金寶と殭屍・鬼の映画、2026-10-31) 記録 8061・871・3162・7616 の公開日・スタッフ欄・出演欄・会社欄
洪金寶は、会社の後ろ盾の無い監督が多かったので、自分に力があれば製作を増やして監督に機会を与えられると考えたところ、嘉禾が寶禾の設立を持ちかけた、自分が監督するほか、午馬が監督を助け、元彪と林正英がいろいろな仕事を手伝えた、十数年続いたが、実は嘉禾の衛星会社で、社員はみな嘉禾が給料を払っていた、と語った
この記述の範囲: 洪金寶の口述(香港電影資料館『風起潮湧—七十年代香港電影』、2018 年刊。口述の時期は本に書かれていない)
- 風起潮湧—七十年代香港電影(香港影人口述歷史叢書之七) 洪金寶の章、『鬼打鬼』の節の直前の段、本の 91 頁(PDF の 93 枚目)
洪金寶は、自分の仲間の最初の世代は元彪・林正英・陳會毅で、自分が武術指導をしていた頃から手伝ってくれ、京劇や広東の芝居をしていた頃は暮らしも一緒だった、自分が監督になってからも一緒に働き、二代目・三代目が生まれた、と語った
この記述の範囲: 洪金寶の口述(香港電影資料館『風起潮湧—七十年代香港電影』、2018 年刊。口述の時期は本に書かれていない)
- 風起潮湧—七十年代香港電影(香港影人口述歷史叢書之七) 洪金寶の章、仲間の兄弟を育てた話の節、本の 92 頁(PDF の 94 枚目)
劉觀偉は、寶禾は洪金寶が作り、初めの仲間は午馬・錢昇瑋(洪金寶のいとこ)・黃炳耀と自分で、のちに曾志偉が加わって張堅庭と陳友を連れてきた、と語った
この記述の範囲: 劉觀偉(『殭屍先生』1985 の監督)の回想。搜狐娛樂 2008-03-13 の記事(聞き手の名の表示なし)で、撮影から二十数年後。一人称の語りの部分に限る
- 茅山殭屍映画の開祖・劉觀偉が鬼の話を語る(搜狐娛樂の記事) 小見出し 4 の最後の段落
洪金寶は 2013 年の香港電影資料館の聞き取りで、寶禾は、自分で会社を作って撮りたいと言ったときに嘉禾が作ろうと持ちかけた会社で、十数年続けたが、会社は嘉禾のもので自分のものではなく、人はみな嘉禾が給料を払っていた嘉禾の衛星のような子会社だったと語る。ほかの監督に任せて撮らせることはせず、監督を一人二人多く雇ってプロデューサーの役をしたとも語る。編者の注は、寶禾が最初に撮った映画を『鬼打鬼』とする。
この記述の範囲: 香港電影資料館《通訊》第 64 期(2013 年 5 月)の口述歴史の聞き取り
- 香港電影資料館《通訊》第 64 期(2013 年 5 月): 洪金寶の口述歴史の聞き取りと嘉禾の座談会の報告 PDF の 6 頁、「寶禾與嘉禾」の節
洪金寶は、たくさんの映画を撮ってきたが、自分に特別な功績があるとは思ったことがない、幼い頃に京劇の一座(京班)で受けた教えと自分の性格のためかもしれない、長い年月で大事なのは一本ごとに得た経験とその思い出だ、と語った
この記述の範囲: 洪金寶の口述(香港電影資料館『風起潮湧—七十年代香港電影』、2018 年刊。口述の時期は本に書かれていない)
- 風起潮湧—七十年代香港電影(香港影人口述歷史叢書之七) 洪金寶の章、「動作演員對演戲亦有感覺」(アクション俳優も芝居の勘を持っている)の節の頭、本の 93 頁(PDF の 95 枚目)