話
屍合
『續子不語』卷一の一話で、山東の王倫の乱のあと川に流された多くの屍のうち、男の屍が水から躍り上がって、水門に引っかかっていた女の屍と抱き合い、竿でつついても離れなかったと記す。
資料の記述
キョンシー(僵屍・殭屍)は屍合に現れる。本文は、川に流された男性の屍が、先に流れ着いていた女性の屍のそばに来ると水面から跳ね上がるように起き上がり(「躍水而起」)、抱き合う形になったと記す。
この記述の範囲: 『續子不語』卷一「屍合」全文
- 續子不語 01 續子不語 01「屍合」
屍合は續子不語に収められている。
この記述の範囲: 『續子不語』卷一(維基文庫の翻刻)
- 續子不語 01 續子不語 01、見出し「屍合」
「屍合」は、山東の王倫の乱では臨清の焼き討ちと殺戮がいちばんひどく、男女の屍が川を埋めて岸より数尺も高くなったと書き起こす。乱が平らいでから水門を開いて屍を流したが、ならず者が衣を剥ぎ取っていたので屍の多くは裸だった。水門に引っかかった若い女の屍のそばへ流れてきた男の屍が、水から躍り上がって抱きつき、その抱き合った二つの屍は、人々が竿で引き離そうとしても離れず、やがて流れ去って、どこの誰かも分からなかった、と結ぶ。
この記述の範囲: 『續子不語』卷一「屍合」の全文(短い一条)
- 續子不語 01 續子不語 01「屍合」、冒頭の二文と末尾の二文
「屍合」が書き起こす山東の王倫の乱について、清の『欽定剿捕臨清逆匪紀略』は、山東巡撫の上奏として、壽張県の王倫が白蓮教の名を借りて呪文や気の術を教えて人を集め、八月二十八日に事を起こしたと記す(年は乾隆三十九年、1774年)。その秋に臨清に客となっていた俞蛟の『臨清寇略』は、王倫は清水教で人を集めたと書き、乱の始まりから平定まで二十六日だったとする。俞蛟はまた、賊にさらわれて城の西の大寺に置かれていた数千人の女たちが、官軍が寺を囲んで砲撃しようとしたとき閘河(水門で区切った運河)に身を投げ、水が流れなくなったと書く。
この記述の範囲: 『欽定剿捕臨清逆匪紀略』(四庫全書本)卷二の上奏と、俞蛟『臨清寇略』
- 欽定剿捕臨清逆匪紀略(四庫全書本)卷二 卷二、山東巡撫徐績の上奏(賊が事を起こした由来を述べる条)
- 臨清寇略 書き出し、大寺の段、結びの段
馮藝超(2007)は、『子不語』と『續子不語』の僵屍の話の多くが夜を舞台にするなかで、「屍合」は、王倫の乱が平らいだあと水門を開いて屍を流したときの出来事で、時刻が夜とは限らない例だとする。
この記述の範囲: 馮藝超(2007)の「僵屍の出る時と所」の節
- 《子不語》正、續二書中僵屍故事初探 頁199、第三節「僵屍出現的時間和地點」の第1段の末