話
金陵永福庵の婦の柩(右臺仙館筆記卷六)
- 金陵永福庵
『右臺仙館筆記』卷六の話。庵に置かれた妻の柩から夜ごと女が出てくるので、庵の道人が石工の墨繩を柩の上に縦横に弾き、出てこなくなったとする。
資料の記述
墨縄(墨斗)は金陵永福庵の婦の柩(右臺仙館筆記卷六)で使われる。金陵永福庵の話では、庵に置かれた妻の柩から夜ごと女が出て僧と交わり、僧が病むので、庵の道人が石工の墨繩で柩の上を縦横に弾くと、弾くたびに柩の中で裂けるような音がして、それきり出てこなくなったと記す(中から出さない向き)。
この記述の範囲: 『右臺仙館筆記』卷六、金陵永福庵の老僧長齡の話
- 右臺仙館筆記/卷06 右臺仙館筆記 卷六、維基文庫の編集用の本文で 41 行目の段落の末尾(「金陵永福庵一老僧曰長齡」以下)
金陵永福庵の婦の柩(右臺仙館筆記卷六)は右臺仙館筆記に現れる。『右臺仙館筆記』卷六の一条。話の主は金陵(今の南京)の永福庵の老僧の長齡で、若いころは乱暴者で、親が決めた妻との婚礼の夜に塀を越えて逃げ、酒の上で人を殺して逃れた先で僧になり、のちにひそかに故郷へ戻って永福庵に住んだ。病で死にかけた妻は、法事に呼んだ僧が夫だと知ると、結納の指輪を投げ返し、四十九日のあいだ大悲懺(観音菩薩に罪を悔いる法会)を勤めることと、自分の柩を庵に置くことを求め、聞かなければ祟ると言い残して死んだ。柩が庵に置かれると、夜ごと女が柩から出て長齡のもとに通い、庵の道人が石工の墨繩(墨を含ませて線を引く糸)を柩の上で弾いて鎮めた。話は、太平天国の乱で金陵が落ち、戻ると庵は壊されていたので長齡は鼓樓の善司廟に住み、同治三年(1864年)にも八十歳の長齡を見た人がいた、と結ぶ。
この記述の範囲: 『右臺仙館筆記』卷六「金陵永福庵一老僧曰長齡」で始まる条の全体。本文は太平天国の乱を、広東・広西から起こった賊(粵寇)の乱と呼ぶ
- 右臺仙館筆記/卷06 卷六「金陵永福庵一老僧曰長齡」で始まる条の前半と末尾