文献
重修臺郡各建築圖說
清の蔣元樞が台湾府で行った建築・修築の図と説明(維基文庫の表示で 1778-1781)。
資料の記述
寄柩(寄櫬)は重修臺郡各建築圖說に関わる。蔣元樞の「建設南壇義塚並殯舍圖說」は、台湾府には南北二つの壇があり、ともに棺を預ける場所で、風水にこだわって葬らない棺、貧しいか吉地を求めて葬らない土地の家の棺、他郷から来て死に柩を故郷へ運べない者や葬る人のいない者の棺が置かれていたとし、預ける舎は低く狭く壊れていて、時がたてば野ざらしを免れず損壊のおそれもあり、姓名も調べようがなくなっていたと記す
この記述の範囲: 清代の台湾府(南壇・北壇)
- 重修臺郡各建築圖說「建設南壇義塚並殯舍圖說」 「建設南壇義塚並殯舍圖說」本文(1 段)の冒頭
寄柩(寄櫬)は重修臺郡各建築圖說に関わる。同篇は、蔣元樞が竹溪寺の後ろの園地と竹囲を買い、園地を義塚にし、竹囲の中に棺を預ける舎(二進、左右の廂に各六間)を建てて僧を募って守らせ、棺を預けに来た者は姓名・郷貫・預けた年月を帳簿に記して調べられるようにしたと記す
この記述の範囲: 清代の台湾府(南壇)
- 重修臺郡各建築圖說「建設南壇義塚並殯舍圖說」 同篇本文の中ほど(「於是相度南門外竹溪寺後」から)
施棺・募棺は重修臺郡各建築圖說に関わる。同篇は、園地の購入、殯舎の建設、残骸の収拾と棺の埋葬の雇い賃、灰・盂飯・紙錢・僧の斎・奠、巡丁の雇用、胥吏の手当、遺骸を故郷へ帰し葬るための配船の費用などを、すべて蔣元樞がまず自ら捐じ、施しを勧められた人々が助けて賄い、捐輸した者の名は石に刻んだと記す
この記述の範囲: 清代の台湾府(南壇)
- 重修臺郡各建築圖說「建設南壇義塚並殯舍圖說」 同篇本文の後半(「凡買園地」から)