文献
淞隱漫錄
清の王韜が書いた文言の短編集。光緒十年(1884年)の自序は、話の中身を描かせた絵を添えて、十二卷で世に出す予定だと書く。「劍仙聶碧雲」には、日照りのときに棺の中の緑の毛の僵屍を旱魃として焼く場面がある。
資料の記述
旱魃(ひでりを起こすとされる魃)は淞隱漫錄に現れる。『淞隱漫錄』「劍仙聶碧雲」は、久しい日照りのときに、久しく仮置きされた朽ちた棺の中に全身緑の毛の僵屍がいて、蓋を開けると立ち上がり、女主人公がこれを旱魃が厲をなしているのだと言って焼かせると雨が降ったと記す。
この記述の範囲: 『淞隱漫錄』53「劍仙聶碧雲」後半の一挿話
- 淞隱漫錄 53「劍仙聶碧雲」 淞隱漫錄 53「劍仙聶碧雲」、「一歲,患久旱」で始まる段
火(僵屍を焼き滅する火)は淞隱漫錄に現れる。『淞隱漫錄』「劍仙聶碧雲」では、雨乞いが効かない日照りのとき、聶碧雲が田野で見つけた朽ちた棺の中の緑の毛の僵屍を旱魃だと言い、薪を積んで焼かせると雨が降ったと記す。
この記述の範囲: 『淞隱漫錄』53「劍仙聶碧雲」後半の一挿話
- 淞隱漫錄 53「劍仙聶碧雲」 淞隱漫錄 53「劍仙聶碧雲」、「一歲,患久旱」で始まる段
『淞隱漫錄』の王韜の自序は、旅に倦んで春申浦(上海を流れる黄浦江の古い呼び名)のほとりの小さな家に住み、尊聞閣の主人(誰かは自序に書かれていない)に作ったものを見せるよう何度も求められたので、酒や茶のあと炉ばたの灯のもとで三十年来見聞きした驚くべき事を思い出して書いた、と述べる。尊聞閣主人は原稿を見るたびに絵の上手な者に話の中身を絵にさせて世に出し、十二卷の書になる予定だとする。自序の日付は光緒十年(1884年)五月中旬。
この記述の範囲: 『淞隱漫錄』自序(王韜、光緒十年)
- 淞隱漫錄 自序 自序の第2段と末尾の日付
同じ自序の前半で王韜は、西洋の人が地の果てまで足を運んでも『山海經』の言うような怪しい姿の人は見つからず、麒麟・鳳凰・龍も西洋では知られていないとし、神仙も、狐が人に化けることも信じられないと書く。そのうえで、世に用いられなかった鬱屈を、遠い異国や鬼・狐・仙・仏の話に託して書くのだと述べる。
この記述の範囲: 『淞隱漫錄』自序の第1段・第2段
- 淞隱漫錄 自序 自序の第1段と第2段の後半
維基文庫の『淞隱漫錄』の目次頁は、作者を清の王韜、年を1884年と表示し、自序に続けて百二十の話の題を並べる。五十三番目が、日照りのときに緑の毛の僵屍を旱魃として焼く場面のある「劍仙聶碧雲」である。
この記述の範囲: 維基文庫の目次頁の表示と目次
- 淞隱漫錄(目次頁) 目次頁の冒頭の作者・時代・年の表示と目次