文献
溪蠻叢笑
宋の朱輔の著、一巻。四庫全書の提要は、五溪蠻(今の辰州の境)の風土・産物を、著者がその地で官についた折の見聞によって記したものだろうとする。
資料の記述
背籠(額に掛ける背負い具)は溪蠻叢笑に現れる。『溪蠻叢笑』は「背籠」の条で、この地では物を運ぶのに肩を使わず、木で半分の枷のような形を作って首をはさみ、布の帯か皮で額に掛けて背負い、これを背籠と呼ぶと記す
この記述の範囲: 『溪蠻叢笑』「背籠」条(五溪の地、宋)
- 溪蠻叢笑(四庫全書本) 「背籠」条(「奴狗」の次、「葬堂」の前)
- 説郛(四庫全書本)卷六十七下(所収『溪蠻叢笑』) 所収『溪蠻叢笑』の「背籠」条(「奴狗」の次)
葬堂(五溪の地の葬法)は溪蠻叢笑に現れる。『溪蠻叢笑』の「葬堂」条は、人が死ぬと一人が屍を背負い、矢を地に射て、矢の落ちた所を墓穴と定め、穴には木を敷くと記す
この記述の範囲: 『溪蠻叢笑』「葬堂」条(五溪の地、宋)
- 溪蠻叢笑(四庫全書本) 「葬堂」条の前半(「背籠」の次)
- 説郛(四庫全書本)卷六十七下(所収『溪蠻叢笑』) 所収『溪蠻叢笑』の「葬堂」条
葬堂(五溪の地の葬法)は溪蠻叢笑に現れる。同条は、貧しい家はそれで終わりとし、富む家は年月にかかわらず酒を醸し牛を屠って「團洞」を呼び、骨を掘り出して小さな函に移し替えると記す
この記述の範囲: 『溪蠻叢笑』「葬堂」条(五溪の地、宋)
- 溪蠻叢笑(四庫全書本) 「葬堂」条の中ほど(「貧則已」から「易以小函」まで)
葬堂(五溪の地の葬法)は溪蠻叢笑に現れる。同条は、骨を移した函を崖の小屋に置くか大木に掛け、風や霜で朽ちて落ちても構わず放っておき、この葬り方を葬堂と呼ぶと記す
この記述の範囲: 『溪蠻叢笑』「葬堂」条(五溪の地、宋)
- 溪蠻叢笑(四庫全書本) 「葬堂」条の後半(「或枷崖屋」から条末の「𦵏堂」まで)
- 説郛(四庫全書本)卷六十七下(所収『溪蠻叢笑』) 所収『溪蠻叢笑』の「葬堂」条の後半
四庫全書本『溪蠻叢笑』の提要は、著者朱輔を南宋末の人とし、書名の溪蠻は五溪蠻で今の辰州の境にあたり、朱輔はおそらくその地で官についたことがあって見聞をもとに書いた、と推し量る
この記述の範囲: 四庫全書の提要(乾隆四十六年校上)
- 溪蠻叢笑(四庫全書本) 巻頭の提要
説郛所収本の『溪蠻叢笑』に付く葉錢の序は、慶元乙卯の年記を持ち、この書を「通守朱公灊山先生」の季子が溪蠻の事を手ずから記録したものとする。四庫全書本の単行本はこの序を載せず、提要は著者を南宋末の人と推す
この記述の範囲: 『溪蠻叢笑』の成立の手掛かり(二つの版の前付けの違い)
- 説郛(四庫全書本)卷六十七下(所収『溪蠻叢笑』) 所収『溪蠻叢笑』の前の「溪蠻叢笑序」
- 溪蠻叢笑(四庫全書本) 巻頭の提要