研究所の創作 短編集
一包み
1933 年 / 広東の川の多い土地の村
この話は初稿です。欄外解説と挿絵は準備中です。
民国の七年の春、梅(ばい)の村から若い者が四人、海の向こうへ渡りました。そのうちの一人が、梅有壽(ゆうじゅ)でございます。十八でございました。
発つ前の晩、母は土間の竈(かまど)の前にしゃがみ、鍬(くわ)の先で土を起こしました。竈の前の土は、家の中でいちばん長く踏まれ、火に炙られて、黒く固うございます。鍬の先が立たず、母は柄を短く持ち直して、二度、三度と突きました。起きた土を、手に一杯ほど、木の盆へ取りました。盆の上で土はぱらりと崩れ、炭の粒が二つ三つ混じっておりました。母はそれを取り除けませんでした。竈の前の土には、炭も灰も入っているものでございます。
兄の有福(ゆうふく)は、そのころ二十三でございました。母の目はその時分からもう悪く、針の穴に糸が通りません。それで、包みは有福が縫いました。粗い麻の布を二重に重ね、袋に縫い、盆の土を入れ、口を返し縫いで閉じました。一針ごとに針を戻す、ほどけぬ縫い方でございます。縫い終わると、糸の端を結びました。死装束は返し縫いをせず、糸の端も結ばぬものでございますが、これは生きて帰る者の物でございますから、逆にするのだ、と母が申しました。有福は百姓の手で、針は不得手でございます。縫い目は不揃いで、糸の端の結び目は、豆ほどに大きうございました。
有壽は、その包みを麻の紐で首に下げました。
「開けるな」と母は申しました。「帰ったら、開けずに竈へ戻せ。土は土へ」
有壽はうなずいて、包みを襟の内へ入れました。それきり、包みのことを口にする者はございませんでした。
翌朝、四人は川の船着き場から下って行きました。包みを首に下げて出たのは、四人のうち三人でございます。一人は前の晩まで隣の村の賭場におり、朝に走って来て、そのまま船に乗りました。見送りの者は、その男の母親が船着き場で叫ぶのを聞きましたが、船はもう岸を離れておりました。
母は船着き場の石の上に立っておりました。船の形は分かりますが、誰がどこに乗っているかは見えません。有福が脇に立って、有壽は艫(とも)の方に腰かけている、襟に手をやっている、こちらを見ている、と一つずつ言って聞かせました。船が川の曲がり角を過ぎると、有福は、見えなくなった、と申しました。母はうなずいて、有福の腕につかまり、坂を上って家へ戻りました。
*
弟からの銭は、年に一度か二度、水客(すいきゃく)の馬(ば)が運んでまいりました。水客と申しますのは、海の向こうと村のあいだを行き来して、手紙と銭と荷を運ぶ使いのことでございます。馬は春と秋に川を上って来て、家ごとに油紙の包みを配り、帳面に印を付け、茶を一杯飲んで、次の村へ行きました。油紙の包みは、持てば重さで中が分かります。有福は幾年かのうちに、掌で量って、中の銭の数を当てられるようになりました。
銭と一緒に、手紙が来ることもございました。有福は字が読めません。手紙は村の塾師の趙(ちょう)先生の所へ持って行き、読んでもらいました。趙先生は読み賃を取らぬ代わりに、卵を二つ受け取る人でございました。弟の手紙は短く、達者でいる、銭を送る、母を頼む、と、いつも同じことが書いてございました。趙先生は、向こうで代筆してもらった字だろう、と申しました。字は手紙ごとに違い、書いてあることは同じでございました。有福は弟の送る銭で、川沿いの田を一枚足しました。田は水の便がよく、村の者に羨まれました。
民国の十五年の冬、弟の手紙でない手紙が来ました。
会館の名で、郷の善堂を通って来た手紙でございました。趙先生が読み上げました。梅有壽は夏に病で死に、会館の墓地に仮に葬った、と。それだけでございました。死んだ日も、病の名も、書いてございません。手紙の日付は、その年の秋のものでございました。秋に書かれた手紙が、冬に村へ着いたのでございます。
「仮に、とは」と母が尋ねました。
「向こうの習いです」と趙先生は申しました。「いったん向こうの土に葬って、幾年か置き、骨になってから掘り出して、まとめて船で送るのです。七年ほど、と聞いています」
母はそれ以上尋ねませんでした。有福は卵を二つ置いて帰りました。帰り道、田の水に冬の空が映っておりました。
その晩、有福は村の入口の祠(ほこら)へ行きました。土地の祠でございます。村では、人が死ぬと、まず土地へ知らせる習いでございます。祠の脇の年寄りに線香を一本もらい、火を点け、弟の名と、死んだ所と、死んだのが夏であることを、声に出して言いました。死んだ所は、金山、としか言えません。年寄りは、それでよい、と申しました。線香の煙は軒を出て、風に散りました。
それから七年、村には何も来ませんでした。銭も、手紙も、ございません。有福は足した田を耕し、子が二人生まれました。上の子は七つ、下の子は五つになりました。どちらも叔父の顔を知りません。母は七十に近くなり、目はさらに悪くなりました。竈の火の色は分かりますが、火の脇に置いた椀は、手で探らねばなりません。
*
民国の二十二年の夏、郷の善堂から紙が回ってまいりました。
金山の会館が、郷の者の骨を幾百、船で香港へ送った。箱は港の義荘(ぎそう)に預けてある。家の者は引き取りの支度をせよ。そういう紙でございました。趙先生が読み、村の者が趙先生の戸口に集まって聞きました。紙には、名がございません。郷ごとの数が書いてあるだけで、どの村の誰が、その幾百の中にいるのかは、分からないのでございます。
「七年目です」と趙先生が申しました。
有福は数えておりませんでしたが、数えてみると、そうでございました。
集まった者の中に、十五年前に有壽と一緒に渡った男の家の者もおりました。その男はまだ生きていて、銭を送って来ております。ほかの二人のうち、一人は南の港で船を降りたきり便りが無く、もう一人は十年前に向こうで死んで、まだ骨の知らせがございません。賭場から走って来た、あの男でございます。その男の母親も、紙を聞きに来ておりました。母親は紙の読み上げが終わると、趙先生に、うちの子の名は無いのか、と尋ね、趙先生は、名は一つも書いてない、と二度答えました。
有福は、その晩、母と話しました。
「乗っているかどうか、分からんのです」と有福は申しました。「善堂は郷までしか知らん。箱が郷まで来ても、村まで来るかどうか」
母は竈の前に腰を下ろして、火を見ておりました。火の色だけは見えるのでございます。
「訊けばよい」と母は申しました。
*
翌日、有福は趙先生の家へ行きました。
港の義荘の書記に宛てて、手紙を書いてもらうためでございます。趙先生は机に紙を広げ、有福の言うことを聞きながら、しばらく筆を持ったまま動かしませんでした。
「何を訊くのです」
「弟が、その船に乗っていたか」
「それだけですか」
「乗っていたら、箱を村まで知らせてくれるように。郷で止めずに」
趙先生は書きはじめました。有福が一言言うと、趙先生が三言に直し、また一言足すと、二言削りました。有福が、母は七十で目が悪い、と足してくれと言いますと、趙先生は筆を止めました。
「書記は、お母さんの目を治せません」
有福は黙りました。趙先生はその一行を書きませんでした。向こうの書記は毎日幾十も手紙を読む人だから、短い方が読んでもらえる、と趙先生は申しました。できあがった手紙は、こうでございます。
港の義荘の書記さま。金山の会館が郷の骨を船で送ったと、善堂の紙で知りました。わたくしの弟、梅有壽は、民国七年に村を出て金山へ渡り、民国十五年の夏に向こうで病で死に、会館の墓地に仮に葬られたと、会館の手紙にございました。その船に、弟は乗っておりましたでしょうか。乗っておりましたら、箱は郷の善堂で止めず、梅の村の梅有福まで知らせてくださいますよう、お願い申し上げます。川の船で届きます。
趙先生は読み上げて、有福の顔を見ました。有福はうなずきました。弟の名と、渡った年と、死んだ年と、村の名。手紙に書けることは、それで全部でございました。趙先生は紙を畳み、有福の名の脇に、自分の名を小さく添えました。代筆した者の名でございます。
*
馬が川を上って来たのは、その月の末でございました。
馬は家々を回って、油紙の包みを配り、帳面に印を付けました。梅の家には配る包みがございません。それでも馬は寄って、茶を飲みました。有福が手紙を見せると、馬は紙を日に透かして、字を見るというより、紙の厚さを見るような顔をしました。
「港の義荘なら、わしが行く」と馬は申しました。「帰りの船の前に寄れる」
馬は義荘のことを、少しだけ話しました。港の町の、海の見える丘の中腹にある。海から着いた箱を置き賃を取らずに預かる所で、箱は板の棚に幾百も並んでいる。故郷の家に手紙を出し、来なければ新聞に出す。水客は、郷の手紙をまとめてその帳場へ持って行く。それから、土を送る家がある、と申しました。手紙の中に小さな包みを入れて送ると、義荘の書記が、その家の箱に入れてくれる。
「どこの家も、送るのか」と有福が尋ねました。
「送る家もある」と馬は申しました。「送らん家もある」
「土を」と母が申しました。
「竈の前の土じゃ」と馬は申しました。「箱に入れてくれる」
馬は、それ以上は申しませんでした。知らないのか、言わないのか、有福には分かりません。馬は茶を飲み干して、次の村の包みの数を帳面で確かめておりました。
母は立ち上がって、竈の前へ行きました。
鍬を取り、しゃがみ、土を起こしました。十五年前と同じ所でございます。黒く固い土に鍬の先が立たず、柄を短く持ち直して、二度、三度と突きました。母の目は、その時分よりさらに悪く、土の色は見えておりません。手で探って、起きた土を一杯、木の盆へ取りました。炭の粒が混じっているのも、指で分かりましたが、取り除けませんでした。
有福は麻の布を出しました。十五年前の残りではございません。同じ村の同じ機で織った、同じ粗い麻でございます。二重に重ねて袋に縫い、土を入れ、口を返し縫いで閉じ、糸の端を結びました。手は覚えておりました。縫い目は十五年前と同じに不揃いで、結び目は同じに大きうございました。縫い終えたとき、包みは十五年前のものと同じ大きさで、同じ重さでございました。
首に下げる者がおりません。
包みは手紙と一緒に油紙で包まれ、馬の懐に入りました。馬は懐の上から一度掌で押さえ、帳面に、梅、手紙一、包み一、と書きました。有福が代を尋ねますと、馬は、手紙一通の分でよい、と申しました。包みは手紙のうちだ、と。
有福は馬を村の入口まで送りました。馬は祠の前で足を止め、線香を一本上げました。祠の脇の年寄りは、馬の懐を見て、何が入っているかを知っているような顔をしました。
「土が一緒なら、眠れるそうな」と年寄りは申しました。「わしの爺さまが、そう言うとった」
馬は答えず、有福も答えませんでした。年寄りは線香の灰を指で均し、それきり何も申しませんでした。馬は川の船着き場へ下りて行き、有福は家へ戻りました。
竈の前には、手に一杯分の土が無くなった跡が、黒く残っておりました。
*
それから、待つ日が続きました。
夏の夜は、長うございます。有福は夜、戸を開けて土間に腰を下ろし、川の方の蛙の声を聞いておりました。母は竈の前の土を、ときどき手で触っておりました。目が悪いので、掘った跡の縁を、指でなぞるのでございます。妻は子どもを寝かしつけてから、繕い物をしました。灯は一つで、油は惜しんでおります。
子どもは、叔父の箱のことを尋ねました。箱の中に何が入っているのか。骨だ、と有福は答えました。骨とはどんなものか。子どもは鶏の骨しか知りません。有福は、鶏の骨より大きい、とだけ答えました。子どもは、それでは箱も鶏の箱より大きいのか、と尋ね、有福は、そうだ、と答えました。
有福は趙先生に、手紙が港まで行って、返事が村まで戻るのに幾日かかるかを尋ねました。趙先生は、知らない、と申しました。馬が川を下るのに幾日、港の町で幾日、書記が手紙を読むまでに幾日、それは誰にも分からない、と。有福は竈の脇の壁に、炭で印を付けはじめました。五日に一度の市の日ごとに、一本。印は夏のあいだに六本になり、七本になりました。母は壁の印を見ることができません。有福が、今日で七本だ、と申しますと、母は、そうか、と申しました。
川を下る船が村を過ぎるたび、有福は船着き場まで下りて見ました。荷は塩と油と布でございました。船頭は梅の家に用がございません。有福は岸に立って、船が曲がり角を過ぎるまで見てから、田へ戻りました。
雨の多い夏でございました。川の水が増し、田の畦が一か所切れ、有福は半日かけて直しました。切れた畦の土は赤く、竈の前の土とは色が違います。有福はそれを鍬で寄せました。
稲の穂が重くなり、川の水が減りました。
*
馬が戻って来たのは、稲刈りの前でございました。
馬は梅の家の戸口で、懐から一枚の紙を出しました。油紙で包んであります。有福が開くと、字が、縦に幾列も並んでおりました。
「名単(めいたん)の写しじゃ」と馬は申しました。「向こうの会館が義荘へ送った名の一覧を、書記が見せてくれた。郷の分だけ、わしが写した」
馬の字は、帳面の字でございます。小さく、詰まって、角ばっております。有福には読めません。趙先生の家へ持って行きました。
趙先生は紙を机に広げ、指で列を押さえながら、上から読んでゆきました。郷の名があり、その下に名が並んでおります。知った名もあれば、知らぬ名もございました。趙先生は、知った名のところで一度だけ、小さく、ああ、と申しました。誰の名であったかは申しません。趙先生の指が止まりました。
「梅有壽」と趙先生は読みました。
それだけでございました。梅の姓は、ほかにございません。
有福は紙を見ました。読めませんが、趙先生の指の下の、二つの字の形は、弟の手紙の末に幾度も見た形でございました。有福は卵を二つ置いて、紙を持って帰りました。
母は紙を手に取り、顔に近づけ、また離しました。見えてはおりません。それでも、しばらく持っておりました。それから紙を有福に返し、竈の火を見ました。
馬は、土のことは何も申しませんでした。有福も尋ねませんでした。馬は次の村へ行き、帰りの船の前にまた港へ寄る、と申しました。戸口を出るとき、馬は帳面を懐に入れ、梅の家の戸を一度振り返りました。
*
箱は、秋の半ばに着きました。
川を上る船の船頭が、船着き場で梅の家の名を呼びました。有福が下りてゆくと、船底に、木の箱が一つ、縄をかけて置いてございました。長さは腕一本ほど、幅はその半分、高さも同じほど。角に荷札がございます。郷の名と、村の名と、梅有壽の名。有福には読めませんが、梅の字だけは、荷札の上でも分かりました。船頭は、港から川の船に積み替えたのだと申しました。ほかに荷は無く、箱一つのために船が村へ寄ったのでございます。船賃は、善堂が持っておりました。
縄は、向こうの手で結んだ縄でございます。結び目は固く、小さく、有福の知らぬ結び方でございました。有福はそれを解かず、縄のまま箱を背に負いました。軽うございました。米の半俵ほどもございません。縄が肩に食い込むほどの重さではなく、それが、有福には、かえって背に残りました。船頭は竿を岸から離しながら、この秋は川筋の村に幾つも箱を運んだ、と申しました。どの村でも、迎えに出るのは一人か二人でございます。
村の入口の土地の祠の前で、有福は箱を一度、地に下ろしました。
祠の年寄りが線香を一本上げ、有福は箱の前にしゃがんで、しばらくそうしておりました。年寄りは何も申しません。線香の煙は、まっすぐに昇りました。有福は箱をまた背に負い、家へ歩きました。
母は戸口に立っておりました。見えてはおりませんが、足音で分かります。妻が子どもを裏へやりました。
有福は箱を土間の板の上に下ろし、縄を解きました。蓋は釘で留めてはなく、縄だけでございました。蓋を持ち上げると、裏に、黄色い紙が一枚、糊で留めてございました。朱の字で、三行。頭に大きな字が一つ、その下に細かい一行、最後に渦を巻く線。有福には読めません。読めなくても、それが札であることは分かりました。
有福は札の端に爪をかけました。糊は乾いて固く、紙は端から少しずつ剥がれました。海を渡った紙は、湿りを吸って、また乾いて、波を打っております。剥がし終えると、有福はそれを竈へ持って行き、火の中へ入れました。紙は縁から縮み、朱の字が黒くなり、それから白い灰になりました。
箱の中には、粗い布に包んだ骨が、寝かせて納めてございました。頭の骨にだけ、別の布がかけてあります。骨の脇に、木札が一枚。会館の木札でございます。弟の名と、郷の名が彫ってあり、手で擦れて角が丸くなっておりました。有福は木札を取り上げ、裏を返し、また骨の脇へ戻しました。
箱の底は、板でございました。
土は、ございませんでした。十五年前に有福が縫った麻の包みも、ございませんでした。夏に母が掘り、有福が縫い、馬が懐に入れて行った包みも、ございませんでした。板は乾いて、木目が白く浮いておりました。
有福は骨を布ごと両手で抱え、竈の前へ運びました。母が壁際に寄りました。
竈の前の土に、布を広げました。骨が土に触れました。
かさ、と一度、音がいたしました。骨と骨が触れ合う、乾いた軽い音でございます。枯れた豆の莢を一つ、板の上に落としたような音でございました。母が顔をそちらへ向けました。
それきりでございました。
有福は骨をそのまま、しばらく土の上に置いておきました。竈の火は、札を焼いたあと、消えておりました。土間は静かで、外で鶏の歩く音がしておりました。妻が裏から戻って来て、戸口で立ち止まりました。子どもが妻の後ろから覗き、鶏の骨より大きいのを見ました。母は壁際から動かず、顔だけを竈の方へ向けておりました。
やがて有福は布の端を持ち上げて、骨を包み直し、箱へ戻しました。頭の骨には、別の布をかけました。木札を脇に置きました。蓋をしました。縄は、向こうの結び目のまま、かけ直しました。
*
葬ったのは、翌日でございます。
梅の家の墓は、村の裏の斜面にございます。父の墓、祖父の墓、その上に古い墓が幾つか。有福は夜明け前に鍬を持って上り、父の墓の脇に穴を掘りました。斜面の土は赤く、竈の前の土より柔らこうございます。穴は箱一つ分で足り、長くはかかりませんでした。掘り終えると、いったん家へ戻り、箱を背負って出ました。
祠の前で、有福は箱を背負ったまま立ち、年寄りが線香を一本上げました。村では、葬る前に土地へ断る習いでございます。年寄りは何も申しませんでした。
祠の年寄りも斜面へ上って来て、穴の脇に線香を一本立てました。村の者が二人、手伝いに来ました。母は妻に手を引かれて上って来て、穴の脇に立ちました。母は手を伸ばして、箱の蓋を一度、掌で撫でました。縄の結び目に指が当たり、母はそれを、しばらく指で確かめておりました。子どもは下から見ておりました。
有福は箱を穴に下ろしました。木札は骨の脇に、そのまま入れてございます。土をかけました。鍬で寄せ、足で踏み、また寄せました。斜面の赤い土が、箱の上に盛り上がりました。墓標は村の者が後で立てるので、その日は無うございました。
有福は鍬を担いで下りました。母は妻の手を取って、ゆっくり下りました。年寄りは線香が燃え尽きるまで、そこにおりました。
その日の午後、有福は趙先生の所へ行き、港の義荘の書記に宛てて、一行だけ書いてもらいました。箱は着いた、札は昨日の午後に焼いた、と。馬が次に来たとき渡すために、戸の上の棚に置きました。卵は二つ、置きました。趙先生は、今日は一行だから一つでよい、と申しましたが、有福は二つ置いて帰りました。
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夕方、家に戻りますと、母が竈の前に立っておりました。
母は夏に掘った跡を、足の裏で均しておりました。黒く固い土でございます。手に一杯ほどの窪みが、母の足の下で、少しずつ無くなってゆきました。踏んでは足をずらし、踏んでは足をずらし、やがて竈の前は、十五年前と同じに、平らになりました。
有福は、竈の脇に立っておりました。
何も縫いませんでした。
この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。