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茅山の道士と雷の法を読む — 映画の「茅山」と、記録の雷法

下書き 公開 ・更新

昼の道観の門前で、子どもが開いた手のひらから小さな白い雲気が立つ。数歩離れた道士が見守り、子どもは驚いている。
記事の記述をもとにした想像図。道士潘爛頭が子の掌に雷の字を書いた話(『古今圖書集成』が引く『江寧府志』)から。(絵: PurpleHeron)

この記事の問いと、今の答え

問い: キョンシー映画の道士は、しばしば「茅山(ぼうざん)」の道士と呼ばれます1。茅山は山の名で、道教の一派の本拠でもあります2。では、映画の道士はなぜ「茅山」の道士なのでしょうか。山の道派と、民間で「茅山」と呼ばれる術は同じものなのでしょうか。そして、道士が邪(よこしま)なものを打つ「雷の法」は、記録の上ではどんなもので、誰が担い、何を撃ったのでしょうか。雷で屍(しかばね)を撃つ話はあるのでしょうか。

今の答え:

  • 「茅山」には、山の道派と民間の術の二つを分ける説明がある。一つは茅山を本拠とする道教の一派(茅山派・茅山宗)で、上清派(じょうせいは)の別の呼び名とされます2。もう一つは民間で「茅山法」と呼ばれる術で、2015 年の記事は、香港映画の「茅山道士」が表すのは主にこちらを行う巫師(みこのような術者)で、道教の茅山上清派とは同じものではない、と述べます3。
  • 映画の「茅山道士」は、いくつもの身分の組み合わせだ、という見方がある。同じ記事は、林正英の演じた道士の装いは、香港の民間の儀礼の担い手で、俗に「喃呒佬」と呼ばれる人たちの装いだとし、呪と符で鬼を払う筋は「茅山師」の術に属する、とします45。
  • 香港の資料館・政府の紹介で「茅山」の語が出るのは、今回読んだ範囲では 1979 年以後の作品の紹介。ただし紹介文そのものは 2012〜2026 年に書かれたもので、作品が作られた当時の言葉ではありません678910。
  • 中国語版と英語版の解説で「茅山」の扱いが違う。資料館の同じ上映の解説でも、中国語版は「茅山」と書き、英語版は shamans(呪術師)や Taoist rites(道教の儀式)と書いて、Maoshan の語を使いません1112。
  • 雷法は、北宋に現れたとされる道教の法術の体系で、邪を払い、晴れや雨を祈るのに使うと説明されます1314。担い手として名が挙がる林靈素(りんれいそ)・王文卿(おうぶんけい)には、正史や研究から低い評価や疑いも向けられています1516。
  • 今回読んだ記録で雷が撃つのは、狐・鼠・蛇などの化け物と、天罰を受ける悪人。ただし、悪人を撃つのは道士が呼ぶ雷法ではなく、天に代わって悪を罰する雷の話です。雷を掌で握って投げる「掌心雷(しょうしんらい)」は、雨乞いや石の精の退治の話として記録されます171819202122。
  • 雷に撃たれた木は、道士の令牌(れいはい。儀礼で使う、文字を刻んだ木の札)や印の材料になる。明の方以智は、その理由を、心材が赤く堅く、雷によって霊験を帯びるからだ、と書きます23。
  • 雷で屍を撃つ話は、ほとんど見つかりませんでした。近いのは、清の本の、年を経て「飛天夜叉」になった僵屍は雷に撃たれなければ死なない、という一文です24。

二つの「茅山」

山の道派: 茅山派(上清派)

道教の事典のデータベース(香港の道教文化中心資料庫)は、茅山派を、茅山を中心にできた道派で、茅山宗とも呼ばれる、と説明します。上清派が茅山を中心に発展したものの別の呼び名だ、とも書いています。開いた人は上清派の第九代の宗師、陶弘景(とうこうけい)とされます2。茅山宗の人は主に出家して道観(道教の寺院)に住んで修行し、信徒は「上清弟子」「三洞弟子」と名乗り、茅山は龍虎山・閣皂山とともに「三山符籙」(ふろく。お札の伝統を持つ三つの山)と呼ばれる、とも書きます25。

広東語の辞典(粵典)も、「茅山」を道教の一つの教派の名とだけ説明し、呪術一般の意味は載せていません。「茅山師傅」という見出しもありません26。ただし、この辞典は編集の途中で、見出しが無いことは、その語が使われないことを意味しません。

民間の「茅山法」

これに対して、民間には「茅山」と呼ばれる別の術の流れがある、という説明があります。澎湃新聞に 2015 年に載った李若冲の記事「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」(古い香港映画の「茅山道士」とは何か)は、こう書きます。

  • 民間では茅山を「茆山」「毛山」とも書き、その教派を茅山教と呼ぶ。1930 年代に、人類学・民族学の研究者が両広(広東・広西)の瑶山の調査で茅山教を見つけた27。ただし記事は、調査した人や報告の名を挙げていません。
  • 両広の茅山教は、福建の閭山教(りょざんきょう)、湖南の梅山教などと深い関わりがある。こうした民間の巫教は「法教」「師教」とも呼ばれ、行う者は「師公」「端公」と呼ばれる28。
  • 茅山法を行う巫師を、民間では「茅山師」「茅山師傅」と呼ぶ29。
  • 正規の上清派の道士は、経典を学んで段階を追って資格(法位)を受ける人で、映画で鬼を払う「茅山道士」とは大きく違う。茅山上清派と、民間の巫法の茅山教は、もともと関わりが無い30。

記事は結びで、映画の強い影響で一部の観客が二つを取り違えるようになった、と書きますが、その根拠は示していません30。

小説の中の「茅山」

李若冲の記事は、明代の小説『海游记』が、巫教を儒・仏・道の三教と並べようとした、と書きます。また、閭山法と茅山法を巫教の中の正と邪の二派とした、とも書きます。そこでの閭山と茅山は神話の世界の術の聖地で、道教の茅山のことではない、という説明です31。

この本を実際に調べた胡紅波の論文(2002 年)の書き方は、少し違います。

  • 台湾で見つかった『全像顯法降蛇海遊記傳』は、清の乾隆のときに重刊(あらためて刊行)された本で、元は明の末の刻本(版木で刷った本)だった、とします32。李若冲の記事が「明代の小説」と呼ぶことと、胡の説明は食い違いません。話のもとは明の末の本で、いま残っている本は清の時代に刷り直されたもの、と分けて読めばよいことになります。
  • 本は、天地が開けた後に儒・釈・道・巫の四つの教えが伝わったと語り出し、閭山を「巫教」と呼んで三教と並べます。胡はこれをきわめて珍しいと指摘します33。
  • 筋の紹介では、白蛇が閭山に入れずに「毛(茅)山」へ行き、もとは閭山の出の八郎から術と帝鐘(ていしょう。道士の鈴)を授かります。のちに、蛇の母の術はみな毛山で盗み学んだものだ、と語られます34。

胡の紹介には「正と邪」という言い方はありません34。さらに胡は、名の似た別の本『海遊記』があり、内容はまったく違う、と注意しています35。

海の向こうの茅山教

マレーシアにも「茅山」の名を持つ教派があります。拉曼大学の学部の卒業論文(李茂霖、2015 年)は、霹靂州太平の「昆侖茅山教」を、本来は別の二つの教派が結び付いたマレーシア独自の流派とし、19 世紀末に中国の符籙派が伝わった後に生じた、と述べます36。同じ論文は、人々は映画や小説の影響で「茅山を学ぶ」者を、符や呪で蠱(こ)の毒を仕掛けたり降頭(呪いの術)を行ったりする者と考えがちだとし、結びでそれは誤りだと述べます37。

映画の道士は、なぜ「茅山」なのか

装いと術は、別々のところから

李若冲の記事は、映画の「茅山道士」を、いくつかの要素に分けて読みます。

  • 林正英の演じた茅山道士は、黒い瓦梁巾(頭巾)に帽正(飾り)を付け、黄色の海青(袖の広い長衣)か、対襟(前合わせ)の袍(長い上着)を着ている。この装いは、香港の民間で儀礼を行い、俗に「喃呒佬」と呼ばれる人たちの典型の装いで、今の香港の廟でもよく見られる4。
  • 呪を唱え符を施して鬼を払う筋は、それとは別の「茅山師」の術に属する5。
  • だから映画の「茅山道士」は、実は道士ではなく、いくつもの身分を組み合わせてできた人物だ5。

記事は、香港の民間宗教には三教の外に喃呒・六壬・茅山などの担い手がいて、学界は彼らを「民間儀式専家」(民間の儀式を専門に行う人)と呼ぶ、とも書きます38。新界の北部に伝わる『道統永傳』という文書が、道士・星の巫・茅山の法を演じる者・邪を送る者の四種がそろって老君を仰ぐ、と書くことも引いています39。ただし、この文書を研究所は見ていません。

そのうえで記事は、古い志怪小説や文人の筆記に「茅山師」の話が多いことが、香港の霊幻功夫片(霊と格闘の映画)の着想のもとになったのかもしれない、と推し量ります。古い小説で茅山法を使う者は師巫で、茅山の上清道士ではない、とも書きます40。これは「かもしれない」という推量です。記事が挙げる古い話の本文は、研究所ではまだ読んでいません未解決の問い。

作り手の言葉

作り手の側の言葉も、一つ残っています。香港電影資料館の口述歴史の本(2018 年刊)で、洪金寶は『鬼打鬼』(1980)について語っています。新しい題材を探して茅山の話を思いつき、東南アジアと香港で好まれる鬼神や怪しい伝説への好奇心をつかもうとした、といいます。主題は憑依で、南洋の茅山の事情に通じた友人から多くの話を聞いた、とも語っています41。ただし、いつ語った口述かは本に書かれていません41。

2020 年の香港01 の記事は、記者自身の説明として、この作品が茅山の法術の禁忌を入れ42、茅山道士の三つの戒めなどの民間の言い伝えを劇中に再現した、と書きます43。これを「民間の言い伝え」と呼ぶのは記者で、言い伝えそのものの出典は示されていません。

資料館・政府・配信の紹介に「茅山」が出るとき

香港の公的な紹介で、作品がどう呼ばれているかを、作品の年の順に並べます。左の列は作品の年、右の列は紹介文が書かれた年です。

作品の年 作品 紹介の中の道士・茅山 紹介が書かれた年
1958 『屍變』 趕屍の裏の「運毒」の陰謀と、道士のまやかしと偽善が暴かれる作品44 2012(政府の発表)
1966 『冤魂鏡』 嫁を鬼と疑った母が、道士を呼んで鬼払いをさせる45 2016(資料館の解説)
1979 『茅山殭屍拳』 題に「茅山」の字がある46。殭屍の伝説の神秘の力を、功夫と喜劇に結び付けた作品6 2012(政府の発表)ほか
1980 『鬼打鬼』 雇われた「茅山法師」が術で僵屍を起こして主人公を追わせる。「伝統的な茅山道術」を取り入れた9 2026(資料館の解説)
1981 『凶榜』 「茅山の法術の要素」が多い7 2017(資料館の解説)
1982 『十八般武藝』 義和団の術士・茅山・神打という三つの流派(原文は「三壇」)の使い手が、裏切り者を追う。それぞれの術の中身は書かれていない8 2019(資料館の解説)
1985 『殭屍先生』 道教茅山宗の伝統的な性格を再現した作品10。配信の紹介は九叔を「茅山師父」と呼ぶ1 2017(資料館の解説)、配信の頁

今回読んだ紹介では、1958 年と 1966 年の作品の紹介に道士は出てきますが、「茅山」の語はありません4445。「茅山」が出てくるのは、1979 年の題名から後の作品の紹介でした。ただし、ここで注意がいります。

  • 紹介文は、どれも 2012 年以後に書かれたものです。1981 年の『凶榜』に「茅山の法術の要素」がある、と書いたのは 2017 年の資料館で7、1981 年当時の宣伝の言葉ではありません。1985 年の『殭屍先生』を茅山宗に結び付けたのも 2017 年の解説です10。
  • 2012 年の政府の発表は、香港の殭屍片の歩みを 30 年代から概説しますが47、その概説には茅山や道士の系譜は出てきません。
  • 1979 年の『茅山殭屍拳』も、台湾の配信の頁の紹介文では、趕屍を生業とする師弟と、殭屍に化けて身を隠す男の話として紹介され48、「茅山」の語はありません。
  • 読んだのは数頁で、1979 年より前に「茅山」を持つ作品が無い、とまでは言えません未解決の問い。

資料館の 2017 年の解説は『殭屍先生』を「茅山宗」の伝統と結びますが10、2015 年の李若冲の記事は、映画の「茅山道士」は茅山上清派とは別のものだ、と書きます3。同じ「茅山」の語で、指す先が違っています。

中国語の解説と英語の解説で違う

香港電影資料館の同じ上映の、中国語と英語の解説を比べると、「茅山」の扱いが違います。

  • 『十八般武藝』: 中国語版は刺客を「術士、茅山、神打」の三つの流派(「三壇」)の使い手と書き、英語版は shamans, warlocks and wizards(呪術師や魔法使い)と書いて、Maoshan の語を使いません11。
  • 『凶榜』: 中国語版の「茅山の法術の要素」にあたる所で、英語版は Taoist rites(道教の儀式)と書きます12。

どちらも、英語版は中国語版をそのまま訳した文ではなく、対応する所の言い方が違います。どういう順で、誰が書いたのかは分かりません1112。中国語の読み手には「茅山」という名で示されるものが、英語版では一般的な呪術師や道教の儀式という言い方になっている、ということです。

記録の雷法

雷法とは

道教文化中心資料庫は、雷法を、風と雷を呼び、妖魔を降し、晴れや雨を祈り、水害や日照りを止めるのに使う道教の法術とし、「五雷法」とも呼ぶ、と説明します13。その体系は北宋に現れ、内丹(体の内で気を練る修行)と、符籙(お札)・呪術を一つにしたものだ、とも書きます。内の修行を基本とし、符や呪をその用い方とする、という説明です14。

雷の神々は、天の役所の「雷部」にまとめられます。資料庫は、道教の経典を引いて、九柱の神が雷部を統べるとし49、雷部の神々の主な務めは邪を払い祟りを除くことだとして、経典の「有妖可除,有祟可遣」(妖があれば取り除き、祟りがあれば追い払う)の句を挙げます50。

研究者の常志靜(F.C. Reiter)は、宋代から「雷法」は多くの邪払いの儀式をまとめて呼ぶ名で、のちに清微派(14 世紀に現れた道派)の名で呼ばれる時期を経て、最後には「雷法」と名乗らない個々の儀礼として、道教の文化全体に溶け込んでいった、と述べます51。

宋の担い手: 林靈素と王文卿

雷法の担い手として名が挙がるのは、北宋の末の神霄派の二人です5253。

  • 林靈素。資料庫は、神霄派(しんしょうは)を北宋末に起こった道派とし、神霄の雷法を伝えることからこの名があり、開いたのは温州の林靈素だとします。林は、漢の天師の弟子から書を授かって雷電を使い邪魔を捕らえられるようになった、と自称したとされます52。
  • ところが『宋史』の林靈素伝は、林の説はでたらめで問いただしようがなく、ただ五雷法を少し知っていて風雷を呼び、雨乞いにときどき小さな験があっただけだ、と書きます15。
  • 劉枝萬の論文(1986 年、日本語)は、林の雨乞いにも大した験がなかった「とも言われる」とします。一方で劉は、雷法は林の出現でまとめ上げられ、それまで地下に潜むように行われてきた妖術の補助の法が、「公然の正法」へと一躍脱皮した、と言っても「過言ではなかろう」と述べます54。劉の見立てとしての言い方です。
  • 王文卿。資料庫は、林の後に神霄派を大きくしたのは王文卿で、王は「火師汪君」と呼ばれる者から術を伝えられたと自称し、宣和四年(1122)に徽宗に召された、とします53。
  • 謝世維の論文(2023 年)は、王文卿を生前の地位はさほど高くない術者とみて、雷法の祖師としての地位は、元・明の間にできた伝記によって確立した、と論じます16。黄河の水を借りて雨を降らせる話も、多くの文献では王文卿の話ですが、『夷堅志』などでは同じ筋が林靈素の話になっている、と謝は指摘します55。

謝が引く、王文卿の名の付いた序(『道法會元』巻 61)は、この法を内に修めては「尸鬼」を斬り滅ぼし、外に用いては妖を斬り除く、と説きます。さらに、足の運び・指の形・秘密の呪・霊符を加えて、雷霆を掌の上にめぐらせる、と説きます56。この句は内丹(体の内で気を練る修行)について述べた所にあり、遺体を雷で撃つ場面ではありません。ここの「尸鬼」が具体的に何を指すかは、経典の本文を読めていないので、まだ確かめていません。

雷が撃ったもの

雷法の話で雷に撃たれるものを、劉枝萬と謝世維の紹介から並べます。

話 雷を呼んだ者 撃たれたもの
福州府の張克眞(劉が紹介) 清微派の雷法を得た張克眞 寺にいて女に化けて人をたぶらかす妖狐17
南平県の廖氏の娘(劉が紹介) 龍虎山の太乙眞人の符を庭で焼いた家人 柱の中から跳び出た大きな鼠。娘は治った18
王文卿の宮中の祟り(謝が要約) 符を湖に投げさせた王文卿 宮中の大檜の中の大蟒蛇19

最後の話は、資料によって結末が違います。謝の注によると、ある記では雷が撃ったのは白い亀、別の伝記では大蟒蛇です57。

雷は、悪人も撃ちます。劉枝萬は、落雷で人が死ぬことから、天に代わって悪人を誅する雷神の働きが考えられ、雷神の天誅の話は古くから筆記小説に見られ、のちに善を勧め悪を懲らす話の題材になった、と述べます20。記事 8 で読んだ『子不語』「雷誅王三」でも、仮埋めの棺を開けて嫁の衣と飾りを奪おうとした悪人の王三が雷に打たれて死にます58。

掌心雷: 掌の雷

雷法の中で、手の中で雷を起こす法があります。劉枝萬は、掌心雷を、雷を握りしめて投げつけるとたちまち雷鳴がするという雷の法の一つとし、掌で五雷法を行うことからこう呼ばれる、と説明します59。行うには、掌の中に字や符号を書くことや、雷公石のような特別な品が要るとされ、掌心雷の神呪を唱え、指を折り曲げる形(指訣)も欠かせない、とされます60。

指の形については、資料庫が「握雷局」を、雷法で必ず行う指の形で、五指を掌の上で合わせて拳のような形にするとし、雷を呼び邪を収める術に多く使う、と説明します61。左手は陽の雷、右手は陰の雷(霆)を表し、親指で押さえる指の付け根の位置が左右で違う、とも書きます62。

掌心雷を使ったとされる人の記録は、地方の「志」(その土地の歴史などをまとめた本)や、清の「筆記」(見聞を書き留めた本)に残ります。

  • 雨乞い。四庫全書本『浙江通志』は『萬厯溫州府志』を引き、明の温州府の顧泰眞が麻衣道人から掌心雷法を授かり、洪武十九年の夏の日照りに寺で壇に登ると雷電が起こり、大雨が三日続いた、と記します21。劉枝萬は同じ人を「顧太眞」と書いて紹介します63。二つ目の字が違い、どちらが元の字かは分かっていません未解決の問い。
  • 石の精を退治する。四庫全書本『江西通志』は、浮雲宮の道士夏主信が掌心雷をめぐらせて石の精を治め、その石は今も残り、晴れや雨を祈ると応じる、と書きます。この条は「唐」の見出しの下に置かれています22。劉枝萬は、夏主信を元代の人として紹介します64。時代が食い違っています未解決の問い。
  • 子どもの掌に雷。『古今圖書集成』が『江寧府志』を引く話では、朝天宮の道士潘爛頭は掌心雷法を行えましたが、便所で神を呼んで紙を取らせたため、神が怒り、潘爛頭は雷火で頭を焼かれました。のちに子どもが銭を出して雷をねだると、子の掌に雷の字を書いて握らせ、数歩行って開かせると雲気が立って雷の音がした、とされます65。
  • 宮廷は退けた。清の『郎潛紀聞初筆』は、吳省欽が王曇を、兵を知り掌心雷を作れる者として推薦したところ、皇帝はこれをでたらめとして退け、吳は役職を解かれた、と記します66。王曇が実際に掌心雷を行ったという記述はありません。

雷に撃たれた木: 令牌と印

道士の法具「令牌」(れいはい。雷令・五雷號令牌とも)は、雷に撃たれた棗(なつめ)の木で作るのが最もよい、とされます67。明代の書の図を引く資料庫の説明でも、材料は雷に撃たれた棗の木です68。弘道誌の張澤洪の論文は、令牌は古代の軍の割符(虎符)に由来するとされ、正面に「五雷號令」、背面に「總召萬靈」と刻む、と記します69。

なぜ雷に撃たれた木なのか。理由を書いた記録があります。

  • 明の方以智『物理小識』は、道士が雷に撃たれた棗の木で令牌を作るのは、その赤い心材が堅く、雷によって霊験を帯びるからだ、とします23。
  • 李時珍の『本草綱目』は、雷に撃たれた木「霹靂木」を、方士が刻んで符印とし鬼神を召す、と書きます70。
  • 四庫全書本『資治通鑑』巻 212 の割注(小さな字の注)は、今、張道陵の術を行う者は霹靂木で印を作り、雷の気があって鬼物を鎮められる、と、「云」(いう)の字を使って伝聞の形で書きます71。この巻の頭には「胡三省 音注」とあり、割注はその音注とみられますが、「今」がいつの時代の道士を指すかは、まだ確かめていません未解決の問い。

雷の呪と旱魃

雷の法は、日照りとも結び付いています。道教の経典の呪文集『太上三洞神呪』巻一の一つの呪は、天雷・神雷・龍雷・水雷を唱えたあと、社令が妖の群れを撃ち、旱魃(かんばつ。日照りを起こす鬼神)の跡を消し去る、という句を置き、日照りを救うのを助けよと繰り返します72。

記事 7 で見たように、清の本には、近ごろ言う旱魃はみな僵屍だ、という世の説も記されています73。けれども、この呪の中には僵屍の語も、旱魃を屍と結ぶ語もありません72。雷の呪が撃つ旱魃を、僵屍と読んでよいかどうかは、この呪からは言えません。

台湾の紅頭と烏頭

劉枝萬は、1986 年の時点の台湾の道士について書いています。台湾の道士は、吉事(めでたい事)の儀礼だけを行う紅頭と、喪葬(死者を弔い葬ること)の儀礼にも携わる烏頭に分かれるが、どちらも天師の教派に属するので雷神への関心が強く、道壇の名に「雷」の字を冠するものもある、といいます74。

そして、雷令(五雷牌)を使う重点が、紅頭と烏頭で違う、とします75。

  • 紅頭は、邪を避け場を清めることに重点があり、山を封じ水を禁じる儀礼などで多く使う75。
  • 烏頭は、神を招き、神の軍の将(神将)を遣わすこと(召神遣將)に重点があり、天への願いを書いた文書(表文)を焚いて天に届ける、七つの儀礼で使う。烏頭でも、魔を斬る場面で鬼門を封じるのに、副次的に使う75。

別の研究(蕭登福、2021 年)は、烏頭の伝統の道士が手にする法具として、帝鐘・劍・印・符などと並べて五雷令を挙げます76。なお、紅頭を「法師」とみるか「正一派の道士」とみるかは、資料によって分かれています77。

一方で劉枝萬は、いまの台湾では、まとまった雷の儀礼はもう伝わっておらず、道士たちの雷法という考えもきわめて薄く、法具・神像・経・儀礼にその名残が見えるだけだ、と述べます78。これは 1986 年の観察です。常志靜は 2018 年に、当代の台湾で、個々の法師が雷法を意識して伝え、家の伝統が宋代の道士にさかのぼると称している可能性は排除できない、と書きます79。可能性としての言い方で、具体的な調査の記録は示していません。

雷で屍を撃つ話はあるか

道士の雷法が撃つ相手に、屍は入っているのでしょうか。今回の調べでは、雷や雷法が僵屍そのものを撃つ話は、ほとんど見つかりませんでした未解決の問い。

これに近い記述を見てみましょう。

  • 雷でなければ死なない僵屍。『續子不語』巻五「飛僵」は、飛ぶようになった僵屍がさらに久しくすると飛天夜叉になり、雷に撃たれなければ死なない、と書いたすぐ後に、鳥槍(火器の一種)だけはこれを倒せる、とも書きます24。二つの言い方がどうつながるのかは、本文に説明がありません。雷は、ここでは僵屍を倒せるものとして名が挙がりますが、道士が雷を呼ぶ話ではありません。
  • 雷に撃たれた道士。『子不語』巻一「李通判」では、死者を生き返らせると言って家に入り込んだ道士が、術が破れたあと雷に打たれて死に、その屍に悪事を記した字が書かれていました80。撃たれたのは屍ではなく、術を使った道士の方です。
  • 雷に撃たれた盗掘者。上の「雷誅王三」で撃たれたのは、棺を開けた悪人で、棺の中の嫁は生き返ります58。
  • 雷から亡者を守る。馬祖の喪礼を調べた論文は、棺の上に瓦・斧・刃物を置くのは、邪を避けるためと、棺を置いておく間、亡者が雷の影響を受けず、安らかに横たわっていられるためだ、と記します81。ここでは雷は、亡者を撃つ味方ではなく、亡者から遠ざけたいものです。

今回読んだ記録で、道士の雷法が撃つのは狐・鼠・蛇などの化け物でした17。悪人を撃つ雷は、道士が呼ぶものではなく、天が罰として落とす雷として語られます20。

読むときの注意

  • 同じ「茅山」でも、指す先が違う。山の道派(茅山宗・上清派)2、民間の巫法の茅山法3、マレーシアの昆侖茅山教36、映画の「茅山道士」は、同じ名を持っていても同じものとは限りません。
  • 作品の年と、紹介が書かれた年を分ける。1981 年の作品に「茅山の法術の要素」がある、と書いたのは 2017 年の解説です7。作品の当時に「茅山」と呼ばれていたことの証しにはなりません。
  • 自称・伝聞・推量であることを忘れずに読む。林靈素の授かり話は林の自称52、霹靂木の印の効き目は「云」の伝聞71、林が雷法を正法にしたという評価は劉の「過言ではなかろう」54、古い茅山師の話が映画の着想のもとだというのは李若冲の「かもしれない」です40。
  • 紹介文のあらすじを、道教の裏付けにしない。資料館や配信の紹介に書かれたあらすじは、作品の設定です91。

研究所による整理・解釈

研究所の整理

この節は、上の記述をもとにした研究所の読みです。資料の記述そのものではありません。

  • 映画の「茅山」は、山の名というより、術者の呼び名として働いている。香港の紹介で「茅山」の語が添えられるのは、呪・符・術で鬼を払う人物や、その要素です。一方、山の道派の説明は、出家して修行する上清の伝統を語り、鬼払いの術者の話をしません。二つの説明の間を、「茅山師」という民間の呼び名がつないでいるように見えます。ただし、この呼び名が香港でいつから、どのくらい使われてきたかは、まだ確かめていません。
  • 「茅山」と道教を結ぶ言い方は、今回読んだ近年の紹介に見える。資料館の 2017 年の解説は『殭屍先生』を茅山宗の伝統と結び、中国語版の解説は「茅山」の語を使います。英語版は同じ所を一般的な呪術師や道教の儀式と書きます。読んだのはどれも 2012 年以後の紹介で、作品の当時の宣伝文とは比べられていないので、この結び付け方がいつ広まったのかは分かりません。紹介の書き手が、読み手に合わせて「茅山」の語を出し入れしているのかもしれません。
  • 記録の雷は、屍よりも化け物と悪人を撃つ。道士の雷法の話で雷が撃つのは狐・鼠・蛇の精で、悪人が撃たれるのは天罰の雷の話でした。この二つは、道士が雷を呼ぶ話と、天が罰として雷を落とす話なので、分けて読む必要があります。僵屍との結び付きは、「雷でなければ死なない」という飛天夜叉の一文と、雷の呪が撃つ「旱魃」を、清の世の説が僵屍とする、という間接の線くらいです。道士の雷が屍を撃つ、という姿は、今回読んだ記録の中には、そのままの形ではありませんでした。
  • 雷の木の令牌は、古い記録と今の道士をつなぐ品。雷に撃たれた棗の木の令牌は、明の書にも、現代の法具の論文にも、台湾の道士の用い方にも出てきます。映画の道士がどの法具を持つかは、映像で確かめていません。

確かな範囲と、まだ分からないこと

確かめたこと: 上の記述は、注に示した原文の該当箇所と照らして確かめました。維基文庫(ウィキソース)の古典は、翻刻(原文の文字を写し取ったもの)で字を確かめましたが、刊本の影印(写真版)とは照らしていません。劉枝萬の 1986 年の論文は、頁を画像として収めた PDF で、頁ごとに読みました。ただし、『道法會元』など、論文や資料庫が引く道教の経典の本文は、研究所では読めていません。紹介文や記事に書かれた作品の筋は、映像と照らしていません。

まだ分からないこと

  • 雷や雷法が僵屍そのものを撃つ話は、清の筆記にあるのか。今回見つかったのは、雷を飛天夜叉の倒し方として挙げる「飛僵」の説明と、生きた人が雷に撃たれる「雷誅王三」「李通判」で、どれも雷が僵屍を撃つ話ではありません未解決の問い
  • 1985 年より前の香港映画で、題名に「茅山」を持つ作品は『茅山殭屍拳』のほかにあるのか未解決の問い
  • 香港・広東語の「茅山師傅」は、呪術を行う者一般を指す語として辞書に載っているのか未解決の問い
  • 李若冲の記事が挙げる古い「茅山師」の話は、本文でどう書かれているのか未解決の問い。記事が引く『道統永傳』は、どこにある、いつの文書か未解決の問い
  • 『全像顯法降蛇海遊記傳』の本文は、閭山と茅(毛)山を「正」と「邪」として対置しているのか未解決の問い
  • 『十八般武藝』の作中で、茅山の使い手はどんな術を使うのか未解決の問い
  • 掌心雷の語の、確かめられる最も古い用例はどれか未解決の問い。指の形はどの資料にどう書かれているのか未解決の問い
  • 顧泰眞と顧太眞のどちらが元の字か未解決の問い、夏主信は唐か元か未解決の問い、王文卿の雷が撃ったのは亀か蛇か未解決の問い
  • 1986 年以後の台湾で、道士・法師が雷法を行う様子を記録した調査はあるのか未解決の問い

次に読む: キョンシーの等級を読む/墓を開けると屍は起きるのか/キョンシーとは何か――文献と映画から読み直す

出典

  • 李若冲「老港片里的“茅山道士”是怎么回事」澎湃新闻、2015-11-09
  • 胡紅波「乾隆刻本《全像顯法降蛇海遊記傳》的發現」『成大宗教與文化學報』第 2 期(2002)
  • 李茂霖「霹雳州太平昆仑茅山教历史传承与教派事迹考察」拉曼大学 学部卒業論文(2015)
  • 道教文化中心資料庫「茅山派」「雷法」「神霄派」「雷部」「握雷局」「令牌」
  • 粵典(words.hk)「茅山」「茅山師傅」
  • 香港政府新聞公報「『銀幕魅影:香港鬼片』經典鬼片 映現香港的歷史與文化變遷」2012-10-30
  • 香港電影資料館 上映プログラム解説: 『冤魂鏡』(2016)、『凶榜』中文・英文(2017)、『殭屍先生』(2017)、『十八般武藝』中文・英文(2019)、『鬼打鬼』(2026)
  • 香港電影資料館『風起潮湧—七十年代香港電影』(香港影人口述歷史叢書之七、2018)
  • 賴家俊「鬼打鬼:靈幻動作喜劇始祖 茅山法術打功夫」香港01、2020-09-01
  • 香港政府 康樂及文化事務署 Hong Kong Film Search『茅山殭屍拳』の詳細レコード
  • Apple TV 台湾『茅山殭屍拳』作品頁、Apple TV 香港『殭屍先生』作品頁
  • 劉枝萬「雷神信仰と雷法の展開」(1986)。JST 中国・アジア研究論文データベースの PDF
  • 謝世維「宋代的法術傳統:以王文卿及『玉樞五雷法』為中心」『中國學術年刊』第 45 期(2023)
  • 常志靜(F.C. Reiter)撰、劉莉 譯「《道教雷法的基本條件》序言」『弘道』總第 73 期(2018)
  • 張澤洪「道教齋醮法壇的法器」『弘道』第 7 期(1998)
  • 蕭登福「台灣當今的道教宗派──兼論紅頭烏頭、道法二門(上)」『弘道』總第 85 期(2021)
  • 謝宗榮「臺灣道教科儀與庶民生活」(國家圖書館のサイトの PDF)
  • 『宋史』卷 462「林靈素」。維基文庫の翻刻
  • 『浙江通志』(四庫全書本)卷 201、『江西通志』(四庫全書本)卷 106。維基文庫の翻刻
  • 『欽定古今圖書集成』神異典 第 259 卷「潘爛頭」。維基文庫の翻刻
  • 陳康祺『郎潛紀聞初筆』卷四。維基文庫の翻刻
  • 『本草綱目』木之六「震燒木」、方以智『物理小識』(四庫全書本)卷 12「佩印」、『資治通鑑』(四庫全書本)卷 212。維基文庫の翻刻
  • 『太上三洞神呪』卷之一。維基文庫の翻刻
  • 袁枚『續子不語』卷五「飛僵」、『子不語』卷一「李通判」、卷十七「雷誅王三」。紀昀『閱微草堂筆記』卷七。維基文庫の翻刻
  • 林駿華「馬祖喪葬禮俗研究」南華大學 碩士論文(2003)

注(出典と、原文の該当箇所)

各注の頭の色の付いた印は、その記述が「資料の記述」「作品内の設定」「研究所の整理」のどれにあたるかを示します。原文との照らし合わせがどこまで済んだかは、印の無い注ではどれも「人が訳と説明を確かめた段階(人による原文の照合はまだ)」です。それと違う段階の注にだけ、その段階を示す印を付けています。

  1. 作品内の設定
  2. 資料の記述
  3. 資料の記述
  4. 資料の記述
  5. 資料の記述
  6. 資料の記述
  7. 作品内の設定
  8. 作品内の設定
  9. 作品内の設定
  10. 作品内の設定
  11. 資料の記述
  12. 資料の記述
  13. 資料の記述
  14. 資料の記述
  15. 資料の記述
  16. 資料の記述
  17. 資料の記述
  18. 資料の記述
  19. 資料の記述
  20. 資料の記述
  21. 資料の記述
  22. 資料の記述
  23. 資料の記述
  24. 資料の記述
  25. 資料の記述
  26. 資料の記述
  27. 資料の記述
  28. 資料の記述
  29. 資料の記述
  30. 資料の記述
  31. 資料の記述
  32. 資料の記述
  33. 資料の記述
  34. 資料の記述
  35. 資料の記述
  36. 資料の記述
  37. 資料の記述
  38. 資料の記述
  39. 資料の記述
  40. 資料の記述
  41. 資料の記述
  42. 資料の記述
  43. 資料の記述
  44. 作品内の設定
  45. 作品内の設定
  46. 資料の記述
  47. 資料の記述
  48. 作品内の設定
  49. 資料の記述
  50. 資料の記述
  51. 資料の記述
  52. 資料の記述
  53. 資料の記述
  54. 資料の記述
  55. 資料の記述
  56. 資料の記述
  57. 資料の記述
  58. 資料の記述
    • 子不語 卷17 子不語 卷17、見出し「○雷誅王三」第2段〜第3段
  59. 資料の記述
  60. 資料の記述
  61. 資料の記述
  62. 資料の記述
  63. 資料の記述
  64. 資料の記述
  65. 資料の記述
  66. 資料の記述
  67. 資料の記述
  68. 資料の記述
  69. 資料の記述
  70. 資料の記述
  71. 資料の記述
  72. 資料の記述
  73. 資料の記述
  74. 資料の記述
  75. 資料の記述
  76. 資料の記述
  77. 資料の記述
  78. 資料の記述
  79. 資料の記述
  80. 資料の記述
  81. 資料の記述
    • 馬祖喪葬禮俗研究 紙面 39〜40(PDF 50〜51)「十二、壓棺」、紙面 75(PDF 86)喪家の感情の二つの反応の段