キョンシーラボ原典から読むキョンシー

墓を開けると屍は起きるのか — 盗掘の話と法

下書き 公開 ・更新

開いた棺のそばで、墓荒らしの夫婦の男が横たわる死者の口に酒を垂らし、女が火を掲げる。紫の衣と玉の帯の死者は笑みを浮かべ、墓穴の上から仲間が見下ろしている。
記事の記述をもとにした想像図。墓荒らしの夫婦と笑う死者の話(『太平廣記』巻三百九十「樊澤」)から。(絵: PurpleHeron)

この記事の問いと、今の答え

問い: 墓を暴く者が棺を開けると、中の屍が起き上がって襲いかかる。今のキョンシーの物語や盗掘の物語では、おなじみの場面です。では、古い中国の話では、墓を開けると屍はどうなったのでしょうか。墓を暴いた者はどうなったのでしょうか。そして、実際の法は墓を暴く罪をどう扱ったのでしょうか。あわせて、「趕屍(死者を歩かせて故郷へ帰す術)は、じつは密輸の隠れ蓑だった」という説が、いつ、どんな形で現れたのかも確かめます。

今の答え:

  • 今回読んだ古い話の屍は、人を襲うのではなく、生きているように描かれる。棺の中の屍は、顔色がもとのまま、体が温かい、口をきく、笑う、起き上がって座る、生き返る、と書かれます1234。屍が盗掘者に襲いかかった、とはっきり書く話は、読んだ範囲では見つかりませんでした。
  • 今回読んだ話で盗掘者が受ける報いは、屍に襲われることではなかった。墓から現れる人物(屍なのか霊なのかは書かれていません)や神による罰、雷に打たれる、斬り合って死ぬ、溺れる、病むといった報いのほか、役所に捕らえられて死罪になる話があります5678910。
  • 「僵屍」の語がある話は少ない。今回の話のうち、本文に「僵屍」の語があるのは、『右臺仙館筆記』巻四の金陵の条と、『子不語』巻九「掘塚奇報」の朱某の言葉などに限られます1112。
  • 清の律(法)は、墓を暴く罪を三つの段に分けました。棺が見えるまで掘った、棺を開けて屍を見た、棺まで届かなかった、の三つです。明の律も同じ三段で、清の律の序は、明の律を訳して増減したものだと自ら述べます131415。
  • 「趕屍=密輸の隠れ蓑」説は、記事ごとに中身が違う。2002 年以前の繁体字の個人サイトでは逃亡者が屍に扮した一度きりの話、2006 年には「疑ったが本物だった」話、2007 年には麻薬を隠す活動だったという一文、2011 年の英文では密輸業者の作り話、2018 年には取り締まりの理由の推量です1617181920。これらの記事が互いにどう影響し合ったのかは、確かめられていません。趕屍を装った密輸を実際に摘発した記録は、今回は見つかりませんでした。
  • 盗掘者が屍そのものを術で使う話も、見つかりませんでした。近いのは、柩送り(柩を故郷へ送り届けること)の一行を装って、盗掘した棺を担いで運んだらしい、という清の末の話です。これも推量の形で書かれています21。

墓を開けると、屍はどうなるか

生きているような屍

今回読んだ古い話には、墓の中の屍を「生けるがごとし」、つまり生きている人のようだった、と描く例がいくつもあります。

  • 『西京雜記』巻六「廣川王發古冢」。廣川王が無頼の若者を集めて国中の墓を掘った話で、王の中尉だった人の孫、爰猛が語った話として書かれます22。ある墓では、石の床に二十歳ほどの男女の屍が裸で並び、肌の色も髪も歯も爪も生きた人のようだったので、王は恐れて近づかず、もとどおりに閉じました23。別の墓では、百余りの屍が重なり合ってどれも朽ちず、座る者、臥す者、立つ者もいました24。
  • 『搜神記』巻十五。漢の靈帝の時に盗賊が桓帝の馮貴人の墓を暴くと、七十年余りたっても顔色はもとのままでした。賊らはその屍を犯し、争って殺し合ったために事が露見した、と書かれます1。
  • 『太平廣記』巻三百九十「林贊堯」(『稽神錄』から出るとされる話)。陣地を掘る兵が古い塚に当たると、女の屍は衣服も顔も生きているようで、体に暖かみがありました。兵は金銀の釵(かんざし)を取って屍を捨て、別の棺では髪を顔にかぶってうずくまる人を見て、恐れて数人が死にます25。ただし本文は、うずくまる人が動いたとも襲ったとも書かず、兵が死んだわけは「恐れた」とだけあります。
  • 『太平廣記』巻三百九十「和文」。兵たちが騒いでいるわけを尋ねると、古い塚に屍があって、磚(れんが)や石を投げつけても堅い音がするだけで壊れない、という答えでした。塚の石版から、唐の大中五年に死んだ和文という人の墓と分かり、祭ってまた塞ぎました26。

広州の盗賊の話もあります(時代は書かれていません)。『清稗類鈔』「焦四以盜墓致富」は、墓を暴くことを生業とする焦四が、手下に地下の響きを聞かせて墓を見つけ、金の棺を開けると、屍は長い鬚が頬を巡り、骨肉が石のようだった、と書きます。焦四は宝を少しずつ売って富を得ました2728。ここでも屍は動きません。

口をきく、笑う、起き上がる

屍が声を出す話もあります。

  • 『搜神記』巻十五の李娥。李娥が葬られて十四日目、金目当ての隣人の蔡仲が墓を暴き、斧で棺を割りました。すると、棺の中の李娥が蔡仲の名を呼び、「頭を守って」と言いました。蔡仲は驚いて逃げ、県の役人に捕らえられます29。李娥は冥府に誤って召され、帰されることになった人でした。これは屍が襲う話ではなく、死者が生き返る話です。
  • 『太平廣記』巻三百九十「樊澤」(『逸史』から出るとされる話)。捕らえられた墓荒らしの頭目は、夫婦で十年余り塚を荒らしてきたと言います。棺の蓋までたどり着くと死者の口に酒を垂らして「これはご主人の一杯」と言い、死者と酒を酌み交わすふりをしてから財宝を取るのが決まりだった、と述べます30。ある墓でそうすると、紫の衣に玉の帯の死者が笑い、腰の帯を解くと「緩めて、腰が痛い」と叫んだので、一味は逃げ出しました2。
  • 『夷堅支庚志』巻一「鄂州南市女」。恋い死にした娘の副葬品を狙って若い樵(きこり)が墓を暴き、屍を座らせて衣を剥ごうとすると、娘が目を開け、体も温かく柔らかくなって、「助けてくれたのだから害するな」と言い、樵の妻になりました4。

家の者が棺を開けて、屍が起き上がる話もあります。盗掘の話ではありません。

  • 『夷堅支戊志』巻二「孫大小娘子」。母は、疫病で家の者が次々に死ぬのを長女の墓のせいと考えました。その言いつけで、身近な若者が墓を掘り、斧で棺を割ります。すると長女が身を起こして座り、顔は生きているようで、若者をじっと見て大声で笑いました3。
  • **『子不語』巻二十四「焚屍二則」**の第二話。平湖の農家が父の屍を焼こうと棺を開けると、屍が走り出しました。鋤で打ち倒して焼きましたが、その晩に父の声が不孝を罵り、息子は翌日の昼までに死んだ、と目撃者の話として書かれます31。

「僵屍」の語がある話

ここまでの話の本文には、「僵屍」の語はありません。今回読んだ中で語があるのは、次のような話です。

  • 『右臺仙館筆記』巻四の金陵の条。兵乱の後の金陵で、ある高官が空き地を兵に平らにさせると、乱の中で急いで葬った棺が二十余り出てきました。棺を開くと、触れると灰になって崩れるほどなのに肌は白く潤った女の屍がありました。臥さずに座っている男の屍や、上半身に獣の毛、下半身に鳥の羽の生えた「僵屍」もありました。高官は開けて見るのを禁じ、よそへ移して葬らせます11。盗掘ではなく工事で出た棺で、屍が動いたとは書かれていません。
  • 『子不語』巻九「掘塚奇報」。墓を暴いて家を興した朱某が語った言葉として、棺の中の僵屍は一様でなく、紫僵・白僵・綠僵・毛僵などの類があった、と記します12。作中の人物の言葉で、書き手の地の文ではありません。

語が少し違うものもあります。同じ『右臺仙館筆記』巻四の揚州の条では、屋敷の床下から、顔が生きているようで全身に一寸ほどの緑の毛が生えた女の屍が掘り出され、官が焼かせました。書き手は、生き埋めにされた女の抜け殻が久しくして「僵」となったのは地の気のためかもしれない、と推し量ります32。「僵」の一字で、「僵屍」ではありません。『太平廣記』「楊知春」には、千年地中にいて生き返ったという「僵人」の噂が出てきます33。

墓を暴いた者はどうなるか

墓の主と、神と、雷の報い

盗掘者の末路はさまざまです。今回読んだ話では、屍が起き上がって盗掘者を罰することはなく、墓の主の霊らしいものや神、天の報いとして書かれます。

話 墓を暴いた者 どうなったか
『太平廣記』「奴官塚」 宝があると聞いた村人 墓の奥で紫の衣の人が戸口に立って賊と打ち合い、囲みを抜けて県に駆け込み「賊が私の墓を荒らす」と叫んだので、賊はみな捕らえられた34
『太平廣記』「盧渙」 呪を唱えられる盗賊と十人の仲間 呪と斎戒で石門を開けたが、止めに出た使いの言葉を聞かず、扉から大水が出て、一人のほかは溺れ死んだ6
『太平廣記』「楊知春」 二人の賊と十人ほどの一味 生きているような玉女の指を切ると赤い汁のような血が出て、賊どうしが互いを見分けられなくなり、九人が斬り合って死んだ。止めた楊知春だけが生き残り、自首した5
『太平廣記』「張紹軍卒」 財物を求めた兵二人 杯だけ取ったが、営で緑の衣の人を何度も見るようになり、二人とも戦死した35
『夷堅支甲志』「李婆墓」 三百人を集めた盗賊 槨(棺を納める外箱)の上に座る大きな老婆が嘯くと谷の流れが沸き立ち、戻ると棺槨は消え、五十日のうちに多くが急死したり倒れたりした36
『西京雜記』「廣川王發古冢」 廣川王 墓から逃げた白い狐の左足を傷つけると、夢の老人に杖で左足を打たれ、死ぬまで治らなかった37
『子不語』「黑煞神」 耕していて古墓を発いた農民 黒煞神と名乗る大男に打たれて背に腫れ物ができ、品を返して骨を葬り直すよう命じられた8
『子不語』「雷誅王三」 悪人の王三 仮埋めの棺を開けて嫁の衣と飾りを奪おうとし、雷に打たれて死んだ。嫁は生き返った7
『閱微草堂筆記』巻十五 書き手の外祖(母方の祖父)の墓を割った盗賊 夢の外祖が、顎を裂いて珠を取った者だけが報いを受けると告げ、ひと月後にその一人だけが捕らえられた38

これらの話で、墓の中から現れる紫の衣の人、緑の衣の人、老婆が、屍なのか霊なのかは、本文に書かれていません(「奴官塚」の紫の衣の人は「私の墓」と言うので、墓の主ではあるようです)。

役所の裁き

役所に捕らえられて裁かれる話もあります。

  • 「樊澤」の墓荒らしは、死者の息子たちが見た夢の知らせで捕らえられ、みな殺されました2。
  • 「鄂州南市女」の樵は、生き返った娘が後に死に、墓が空だったことから、「棺を破って屍を見た」罪で死罪とされました9。
  • 『聊齋志異』「竇氏」では、南三復という男が、墓を発いて屍を見た罪で死罪とされます10。
  • 『右臺仙館筆記』巻四では、慕っていた娘の墓を暴いて屍を背負って帰った樵が、娘の父の訴えで、律のとおりに裁かれました39。

逆の例もあります。『搜神記』の李娥の墓を暴いた蔡仲は、冥府が李娥を掘り出させるために使った者とされ、太守が寛大な扱いを願い出て、許されました40。

清の律は、墓を暴く罪をどう分けたか

三つの段

清の法典『大清律例』の「發塜」(墓を暴く)の条は、他人の墓を暴いた者を三つの段に分けます13。ここで読んだのは、維基文庫に翻刻(原本の文字を写し取って起こした本文)された、四庫全書本の系統の本です。その解題(本の説明)は、乾隆五年の修定と書いています。

段 刑
掘って棺槨(棺とその外箱)が見えた 杖一百(棒で百回打つ)・流三千里(遠くへ流す)
棺槨を開けて屍が見えた 絞(絞首。「監候」とされ、すぐには執行しない)
掘ったが棺槨に届かなかった 杖一百・徒三年(三年の労役)

従った者は一等を減じます(刑を一段軽くします)。小さな字の注は、招魂の葬(遺体を納めずに、魂を招いて葬ったもの)も同じだ、とします13。明の律の注釈の説明は、次の節で紹介します。

同じ律文は、年を経て先に崩れていた塚や、まだ葬っていない屍柩を盗む者を一段軽くし、それでも棺を開けて屍を見れば絞とします41。他人の屍を損ない壊したり水に捨てたりした者は、杖一百・流三千里です42。

明の律を継ぐ

『大清律例』の巻頭に収める順治三年の序は、明の律を詳しく訳させ、清の国の制度を参酌して(考え合わせて)増減した、と述べます15。明の『大明律集解附例』の「發塚」の律文も、棺槨が見えれば杖一百・流三千里、開けて屍を見れば絞、届かなければ杖一百・徒三年と、同じ三段で刑を分けています14。明の律の注釈は、屍の無い墓(衣冠や位牌だけを納めて葬ったもの)も、屍が有るものとして論じる、と説明します43。

條例: 重くなる罰

律文のあとには「條例」(後から加えられた細かい決まり)が続きます。維基文庫の『大清律例』では、この条の條例は十条です44。

  • 衆を集めて塚を暴き、棺を掘り出して、家族に金を払わせて取り戻させる者は、強盗と同じに扱い、首謀者も従った者も皆斬(みな斬首)とする45。明の律の條例にも同じ趣旨の句があります46。
  • 皇族や貴族の墓、歴代の帝王の陵などを暴いて屍を見た者は、首謀者を斬、従った者を皆絞として、すぐに執行する47。
  • 墓をひそかに掘った者の従犯や、葬る前の柩・崩れた塚から棺を開けて屍を見た者は、棺を開けた回数で罰を重くする4849。
  • 首謀者の顔には「發塚」、葬る前の柩を盗んだ者には「盜棺」の字を入れ墨する50。

宣統二年(1910 年)の『大清現行刑律』では、同じ三段が残りつつ、杖の刑は書かれなくなり51、ふつうの人の墓を暴いて屍を見た首謀者の刑は、すぐに執行する絞へと重くなっています52。條例は二十一条に増えました53。雇われた墓守が自分で墓を暴いた場合の決まりもあります54。

ただし、條例の数は資料によって違います。王子今は、『大清律例』の「发冢」は 36 の場合に分けて罪を定め、條例は 22 条で、罰はみな重い、と書きます55。どの年の版の数かは書かれていません。

盗掘の担い手

王子今は、盗墓のいちばんの動機は財物で、ほかに復讐や、副葬品のまじないの力を求める動機もあった、と述べます。また、民間の盗墓と、軍や権勢の集団が組織した盗墓があった、とも述べます56。一部の地域では盗墓が風習となり、家族の生業や集団の稼業にもなった、とも書きます57。ただし、どの時代・地域の話かは書かれていません。謝明勳の論文は、盗墓は多く手厚い葬りから起こり、豊かな副葬品が欲を誘って、王侯貴族にも危険を冒す者が多かった、とし、廣川王の話を例に挙げます58。

清の後の民国の事件も一つ記録されています。江蘇省の檔案館の記事によると、1920 年に松江県で、葬られて間もない女性の墓が夜に掘られて衣服が剥ぎ取られ、以前から窃盗で知られた隣人の男が、徒刑三年に処されました59。記事の末尾の解説欄(「点評」)は、この罪の名は清の末から民国にかけて何度か改められた、と書きます60。解説欄はまた、清の法は明より厳しく、同治年間の規定では、ふつうの人の墓を盗めば、情状により首謀者は斬か絞をすぐに執行した、と書きますが、どの條例かは示していません61。

棺で運ぶ、柩送りを装う

清の末の「盜棺」

『清稗類鈔』の「盜棺」の条は、阿片の禁が厳しくなると、悪い商人が阿片を棺に入れ、白い喪服で泣きながら柩を故郷へ送るふりをした、と書きます62。一つの事件の記録ではなく、よくある手口としての書き方です。

続けて、宣統庚戌の年(1910 年)の出来事が書かれます。廈門のある関所で、柩を担いで通る者の様子が怪しく、役人が密輸の阿片を疑って問い詰めると言葉に詰まり、開けると、中に息のある老人が寝ていて、やがて目を覚ましました。役人は役所に送って調べさせました21。

ここからが大事なところです。『清稗類鈔』は続けて、老人は酒に酔って死んだとされて近くの山に葬られた豊かな家の翁で、柩を担いでいたのは墓荒らしだったのだろう、と書きます。棺が堅くて開かず、人に見られるのを恐れて担いで帰り、ゆっくり開けようとしていたのだろう、とも書きます21。老人の身元も、担ぎ手の正体も、「蓋」(思うに)で始まる推量の書き方です。確かめられた事実としては書かれていません。

墓を暴くことと、柩を運ぶ一行に見せて関所を通ることが結びつく記録は、今回の調べではこの話だけでした。ここに趕屍(歩く屍)は出てきません。

唐の、武器を積んだ喪の車

棺で物を運んで検めを逃れる話は、もっと古くからあります。南宋の書『棠陰比事』(明の人が削ったり補ったりした本)は、唐の呂元膺が岳陽を治めていたとき、道端の喪の車と喪服の男たちを怪しんで棺を調べさせると、中はすべて武器だった、という話を収めます。一味は、喪を装えば渡し守が疑わないと考え、川を渡って掠奪するつもりでした63。運んだのは武器で、屍はありません。

「趕屍は密輸の隠れ蓑」説の移り変わり

「趕屍の話は、じつは密輸業者が作ったものだ」という説があります。2011 年の China Culture の英文記事は、趕屍の話は密輸業者が違法な活動を屍の運搬に見せかけ、取り締まりの役人を遠ざけるために作り上げた、という見方があると紹介しています19。この説を、資料が公開された年の順にたどると、次のようになります。いつ書かれたか分からないものは、インターネット・アーカイブに保存された最も古い年で並べます。

公開の年(または最古の保存の年) 資料 何が語られるか
2002 年 12 月以前(保存の最古) 繁体字の個人サイトの整理文 清の中ごろのこと「とされる」一度きりの話。苗の地に逃げ込んでいた死罪の知識人らが、官兵の包囲を抜けるために屍と術士に扮し、腐った肉で臭いを出して、駐軍の検めを受けずに通った16。先導の者は、近づくと屍が抱きつく、兵が触れれば戦で死ぬと言って、検めをやめさせた64
2006 年 中央電視台の科学番組の紹介記事 1950 年、湘西で私服の兵士二人が怪しい一行を犯罪の隠れ蓑ではないかと疑って追ったが、調べると本当に屍で、趕屍の一行だった17。司会者は、犯罪があるとしても、先に趕屍があり、その恐ろしさを犯罪者が利用したのだ、と述べる65
2007 年 中国のニュースサイトの転載記事 別の説として、趕屍は実は犯罪組織(原文は「黒社会」)の密輸の活動で、人が逃げ出す恐ろしい行列で麻薬の運搬を隠していた、という一文18
2011 年 China Culture の英文記事 趕屍の話そのものを、密輸業者が作り上げたとする見方19
2018 年 中国のニュースサイトの記事 趕屍がほぼ消えた理由の一つとして、解放後、趕屍を利用した敵の特務の活動や密輸を防ぐため、取り締まりが強かったことが関係する「かもしれない」20

表の左の列は、資料が公開された年です。2002 年以前の整理文は、いつ書かれたかが分からず、2002 年 12 月に保存されたものが最も古い記録です。2002 年以前の整理文が語るのは清の中ごろ、2006 年の記事が語るのは 1950 年の出来事ですが、どちらも、その時代に書かれた記録ではありません。2002 年以前の整理文は「據說」(〜と言われる)という伝聞の形で書き16、2006 年の記事は 1950 年の話がどこから来たのか(記録か、取材か、再現か)を書いていません17。

この順に並べると、記事ごとに説の中身が違うことが分かります。ただし、後の記事が前の記事を読んで書かれたのかどうかは、確かめていません。最も古い整理文には、密輸の語はありません。逃亡者が屍に扮して包囲を抜けた、という話です16。2006 年の記事では「隠れ蓑ではないか」という疑いが出てきますが、筋の上では疑いは外れます17。「麻薬を隠す活動だった」とはっきり書くのは 2007 年の一文で、典拠は示されていません18。2018 年の記事も推量の書き方で、摘発の事例は挙げていません20。

今回の調べでは、趕屍を装った密輸を実際に摘発した記録は見つかりませんでした。品目として名指されるのも、2007 年の記事の「麻薬」だけでした18。

映画の筋には、もっと早い例があります。2012 年の香港政府の報道発表は、1958 年の映画『屍變』(朱石麟)を、趕屍の裏の「運毒」(毒物・麻薬を運ぶ)の陰謀と、道士のまやかしが暴かれる作品として紹介します66。紹介文は 2012 年に書かれたもので、研究所は映画を見ていません。この紹介のとおりなら、「趕屍の一行が何かを隠して運ぶ」という筋は、1958 年の映画にすでにあったことになります。ただ、上の表の最も古い整理文がいつ書かれたかは分からないので、文章の説と映画のどちらが先かは、今回の調べでは決められません。

盗掘者は屍を使ったか

盗掘者が屍を歩かせる、運ばせる、屍に化けるなど、屍そのものを術の道具として使う話は、今回読んだ範囲では見つかりませんでした未解決の問い。調べ方は、ウィキソースの翻刻を「發冢」「盜墓」「掘墓」「開棺」「破棺」などの字で検索し、当たった話を読む、というものです。検索した本は、『子不語』『續子不語』『閱微草堂筆記』『聊齋志異』『夜譚隨錄』『右臺仙館筆記』『搜神記』『西京雜記』『夷堅志』で、『太平廣記』は塚墓の話を集めた巻三百八十九・三百九十を読みました。検索の字に当たらなかった話は、読んでいない可能性があります。

近い話はあります。

  • 術を墓を開けることに使う盗賊。「盧渙」の盗賊は、呪を唱えて斎戒し、鉄で封じた石門を開けました6。
  • 屍を背負って運ぶ盗掘者。『右臺仙館筆記』の樵は、墓から娘の屍を背負って帰りましたが、目当ては財物ではありませんでした39。
  • 屍を人に飛びかからせる妖術使い。『子不語』「鞭屍」の棺屋の主人は、「坐山虎」と呼ばれた洪という老人が、妖法で死屍を人に飛びかからせていた、と語ります。この老人は、人が死んで遺族が棺を買いに来ると店に居座って値をつり上げ、その半分を無理に取っていた、とも語ります67。ただし、これは墓を暴く話ではありません。

屍が起きるわけ

墓を開けた話の多くは、なぜ屍が生きているようなのかを説明しません。説明があるものは少数です。揚州の緑の毛の女の屍について、書き手の俞樾は地の気のためかもしれない、と推し量ります32。『搜神記』の太原の話は、墓から生きた婦人が出てきたことについて、三十年地中で生きていたのか、たまたま墓を発いた者に会ったときに生き返ったのか分からない、とします68。

墓の話ではありませんが、『子不語』巻一「南昌士人」の結びでは、「識者」が、世の屍が動き回るのはみな魄(体に宿るたましい)の仕業で、道のある人だけがそれを制することができる、と説いたと記されます69。書き手の地の文ではなく、作中の「識者」の言葉です。

読むときの三つの注意

  • 「僵屍」の語を確かめる。墓から出た屍が生きているようだった話の多くは、本文に「僵屍」の語がありません。今の目で「僵屍の話」とまとめず、本文の語(僵屍、僵、僵人、ただの屍)を分けて読む必要があります。
  • 推量と伝聞を、事実に言い換えない。『清稗類鈔』「盜棺」の老人の身元と担ぎ手の正体は、「蓋」という推量の形で書かれています21。2002 年以前の整理文は「據說」という伝聞の形で16、2018 年の記事は「かもしれない」という推量の形で書かれています20。
  • 語られた年と書かれた年を分ける。「清の中ごろの一度きりの趕屍」も、「1950 年の兵士の追跡」も、文章として確かめられるのは、2002 年に保存された整理文(いつ書かれたかは不明)と、2006 年の記事です1617。古い年が書いてあっても、その時代の記録とは限りません。

研究所による整理・解釈

研究所の整理

この節は、上の記述をもとにした研究所の読みです。資料の記述そのものではありません。

  • 古い話の屍は、人を襲うのではなく、腐らずに残り、ときに人に応える。今回読んだ古い話では、墓の中の屍は腐らずに生きているように残り、ときに口をきき、笑い、生き返ります。盗掘者に報いを与えるのは、屍そのものではなく、墓から現れる正体の分からない人物や神、雷、そして役所です。「棺を開けると屍が起きて襲いかかる」という今の典型の場面は、少なくとも今回読んだ範囲の古い話からは、そのままの形では出てきません。
  • 話の山場と、律で刑が重くなる境目が重なる。ふつうの人の墓を暴く罪の律文は、「棺を開けて屍を見た」かどうかで、流罪か死罪かを分けます。今回読んだ話でも、屍が笑う、口をきく、座るのは、多くが棺を割り、蓋を上げたその場面です。そして話の中の罪名も、「棺を破って屍を見た」「墓を発いて屍を見た」と、律と同じ区切りの言葉で書かれています。話の書き手と読み手は、この境目の重さを知っていたのかもしれません。ただし、話の罪名が律のどの条にあたるかは、まだ確かめていません。
  • 「隠れ蓑」説には、事件の記録の裏付けが見つからない。趕屍=密輸説は、逃亡者の一度きりの話、「疑ったが本物だった」話、麻薬を隠す活動、密輸業者の作り話、取り締まりの理由と、記事ごとに中身が違います。どの記事も、摘発の記録を示していません。記事どうしが互いを引いて書かれたのかどうかも、まだ確かめていません。一方で、棺に阿片や武器を隠す話は古くからあります。ただしそれは「柩送り」や「喪」を装う話で、「歩く屍」を装う話ではありません。二つの話が、どこかで結びつけられたのかもしれません。

確かな範囲と、まだ分からないこと

確かめたこと: 上の記述は、注に示した原文の該当箇所と照らして確かめました。維基文庫(ウィキソース)の古典は、翻刻(原文の文字を写し取ったもの)で字を確かめています。ただし、維基文庫の『大清律例』『大明律集解附例』の翻刻は、まだ校正が済んでいないとされるものです。影印(原本の紙面を写した複製)とは照らしていません。

まだ分からないこと

  • 清代の筆記に、盗掘者が屍を歩かせる・運ばせる・屍に化けるなど、屍そのものを道具として使う話はあるか。今回読んだ範囲では見つかりませんでした未解決の問い
  • 『清稗類鈔』「盜棺」の 1910 年の廈門の出来事は、当時の新聞や海関の記録で確かめられるか未解決の問い
  • 英語の解説にある「趕屍は密輸業者の作り話」という一文は、どこから来たのか未解決の問い。また、2007 年の「麻薬の隠れ蓑」の一文は、それより前の記事にあったか未解決の問い
  • 2002 年以前の整理文が参考に挙げる本(呼延紅編著『拆字、趣詩』、1982)に、逃亡者が屍に扮した話は載っているか未解決の問い
  • 清代の裁判の記録を使って、墓を暴いた者の身分や組織を分析した研究はあるか未解決の問い
  • 條例の数(10 条・21 条・22 条)の違いは、どの年の版の違いか未解決の問い。明の律の翻刻の「招鬼」と清の律の「招魂」の字の違いは、版の違いか翻刻の誤りか未解決の問い
  • 話の中の罪名「棺を破って屍を見た」「墓を発いて屍を見た」は、宋や清の律のどの条にあたるか未解決の問い

次に読む: 趕屍(かんし)の記録を読む/旅の死者を故郷へ帰す/キョンシーとは何か――文献と映画から読み直す

出典

  • 『大清律例』卷首(順治三年の御製序)、卷二十五「發塜」。維基文庫の翻刻(四庫全書本系)
  • 『大明律集解附例』卷之十八「發塚」。維基文庫の翻刻
  • 『大清現行刑律』第 239 条「發塚」。維基文庫の翻刻
  • 王子今「发墓者诛:历代法律对盗墓行为的惩治」『博览群书』(光明网、2007-09-07)
  • 「“盗墓笔记”1920:一根绵绸带,三年牢狱灾」(《现代快报 民国法庭记录》)江苏档案信息网、2015
  • 謝明勳「六朝志怪小說之他界空間書寫與文化意蘊:以『冢墓』世界為中心」『中國文化硏究』第 15 輯(2009)
  • 徐珂『清稗類鈔』盜賊類「焦四以盜墓致富」「盜棺」。維基文庫の翻刻
  • 桂萬榮(撰)・吳訥(刪補)『棠陰比事』「元膺擒轝」。維基文庫の翻刻
  • 干寶『搜神記』卷十五。維基文庫の翻刻
  • 『西京雜記』卷六「廣川王發古冢」。維基文庫の翻刻
  • 『太平廣記』卷三百八十九(「楊知春」ほか)、卷三百九十(「奴官塚」「盧渙」「樊澤」「林贊堯」「張紹軍卒」「和文」)。維基文庫の翻刻
  • 洪邁『夷堅志』支甲志卷二「李婆墓」、支庚志卷一「鄂州南市女」、支戊志卷二「孫大小娘子」。維基文庫の翻刻
  • 袁枚『子不語』卷一「南昌士人」、卷八「黑煞神」、卷九「掘塚奇報」、卷十「鞭屍」、卷十七「雷誅王三」、卷二十四「焚屍二則」。維基文庫の翻刻
  • 紀昀『閱微草堂筆記』卷十五。維基文庫の翻刻
  • 蒲松齡『聊齋志異』「竇氏」。維基文庫の翻刻
  • 俞樾『右臺仙館筆記』卷四。維基文庫の翻刻
  • 瑯嬛書軒(整理)「『湘西趕屍』說法和其真偽」個人サイト(Internet Archive の 2002-12-21 の保存)
  • 「揭开湘西神秘的“赶尸”之谜」福州新闻网、2006-08-08(来源 央视国际)
  • 「台湾报刊图解湘西“赶尸”真相」福州新闻网、2007-04-11(中华网より)
  • "A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse" China Culture、2011-12
  • 姚昆仑「让尸体站起来行走?揭秘湘西“赶尸”真相」手机新浪网、2018-01-31(中国反邪教网)

注(出典と、原文の該当箇所)

各注の頭の色の付いた印は、その記述が「資料の記述」「作品内の設定」「研究所の整理」のどれにあたるかを示します。原文との照らし合わせがどこまで済んだかは、印の無い注ではどれも「人が訳と説明を確かめた段階(人による原文の照合はまだ)」です。それと違う段階の注にだけ、その段階を示す印を付けています。

  1. 資料の記述
  2. 資料の記述
  3. 資料の記述
  4. 資料の記述
  5. 資料の記述
  6. 資料の記述
  7. 資料の記述
    • 子不語 卷17 子不語 卷17、見出し「○雷誅王三」第2段〜第3段
  8. 資料の記述
  9. 資料の記述
  10. 資料の記述
  11. 資料の記述
  12. 資料の記述
    • 子不語 卷9 子不語 卷9「掘塚奇報」末段(「朱嘗言所見…」で始まる段)
  13. 資料の記述
  14. 資料の記述
  15. 資料の記述
  16. 資料の記述
  17. 資料の記述
    • 揭开湘西神秘的“赶尸”之谜 1 頁目の冒頭(「1950年,我国的湖南西部还刚刚解放」の段)と 2 頁目の「然而,死尸真地会被活人赶着走吗」「确实是尸体!」の段
  18. 資料の記述
  19. 資料の記述
  20. 資料の記述
  21. 資料の記述
  22. 資料の記述
    • 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六、見出し「一百二十五、廣川王發古冢」の第1段
  23. 資料の記述
    • 西京雜記 卷六 西京雜記 卷六「廣川王發古冢」、「魏王子且渠冢」の段
  24. 資料の記述
  25. 資料の記述
  26. 資料の記述
  27. 資料の記述
  28. 資料の記述
  29. 資料の記述
    • 搜神記 第十五卷 搜神記 第十五卷、「漢建安四年二月,武陵充縣婦人李娥」で始まる段の前半
  30. 資料の記述
  31. 資料の記述
  32. 資料の記述
  33. 資料の記述
  34. 資料の記述
  35. 資料の記述
  36. 資料の記述
  37. 資料の記述
  38. 資料の記述
  39. 資料の記述
  40. 資料の記述
  41. 資料の記述
  42. 資料の記述
  43. 資料の記述
  44. 資料の記述
  45. 資料の記述
  46. 資料の記述
  47. 資料の記述
  48. 資料の記述
  49. 資料の記述
  50. 資料の記述
  51. 資料の記述
  52. 資料の記述
    • 大清現行刑律 第 239 条「發塚」、條例の第一条(「一、發掘常人墳塚開棺見屍」で始まる条)
  53. 資料の記述
    • 大清現行刑律 第 239 条「發塚」、「條例」の見出しから第 240 条の前まで
  54. 資料の記述
    • 大清現行刑律 第 239 条「發塚」、條例の「一、受雇看守墳墓」で始まる条
  55. 資料の記述
  56. 資料の記述
  57. 資料の記述
  58. 資料の記述
  59. 資料の記述
  60. 資料の記述
  61. 資料の記述
  62. 資料の記述
  63. 資料の記述
  64. 資料の記述
  65. 資料の記述
  66. 作品内の設定
  67. 資料の記述
  68. 資料の記述
  69. 資料の記述
    • 子不語 卷1 子不語 卷1「○南昌士人」末段「識者曰」