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キョンシーはいつから跳ねるのか――清の怪談から香港映画まで

下書き 公開 ・更新

清の怪談集『子不語(しふご)』の卷八に、屍の頰を打つ話「批僵屍頰」があります。維基文庫(ウィキソースの中国語版)で読むと、句読点を除いて 149 字の短い話です。その真ん中に、林の中から人が「跳躍而來」、つまり跳ねながら近づいてきた、と書かれています1。この記事は、この 1 話を物差しにして、キョンシーが跳ねる姿の来た道をたどります。

この記事の問いと、今の答え

問い: キョンシー(中国語で僵屍・殭屍)は、映画では両足を揃えて跳ねて進む姿で知られています。この「跳ねて進む」屍(しかばね)は、いつごろから、どんな資料に描かれているのでしょうか。そして、額の札や清の官服、前に伸ばした両腕も、跳ねる姿と同じころにそろったのでしょうか。

今の答え: 清の怪談にも跳ねる屍はいますが、まれです。映画でおなじみの姿が、どの作品で初めてそろったのかは、まだ確かめていません。くわしくは次のとおりです。

  • 清の怪談にも、跳ねて進む屍はいる。ただし、ごくまれ。袁枚(えんばい)の『子不語』『續子不語』の僵屍の話を調べた 2007 年の論文は、跳ねながら進む僵屍が出るのは「批僵屍頰」の 1 話だけで、人を追って走る場面のほうがずっと多い、と述べます23。
  • 清の怪談の屍がよくするのは、「走って追う」ことと、「跳ね起きる」こと。棺や寝台から急に跳ね起きる、窓を越えて跳び込む、といった一度きりの跳躍は、たびたび書かれます456。
  • 物差しの 1 話の跳ねる者は、映画の姿とは似ていない。髪を振り乱し、はだしで、顔は白く塗った壁のようだった、と書かれ、服・冠・札・腕の形には触れていません7。
  • 今回読んだ清の怪談には、「体が硬いから跳ねる」という説明は見当たらない。同じ怪談の、硬いはずの屍が、走って人を追っています83。
  • 1939 年と 1980 年の作品について今回読んだ紹介文には、跳ねる姿が書かれていない。1939 年の作品の記録や、1980 年の作品の解説には、跳ねる動き・額の札・清の官服・両腕を伸ばす仕草が書かれていません910。紹介文に「跳ねる殭屍」の言葉が出るのは、今回読んだ範囲では 1986 年の続編からです11。ただし、研究所が 1980 年の『鬼打鬼』の本編を見たところ(終わりの 15 分ほどを除く)、僵屍は跳ねていました。
  • 清の官服と札は、1979 年の映画の画像にもう写っている。『茅山殭屍拳』の公式の劇照(宣伝用の写真)と、ファンの映画評のサイトに載った場面の画像を研究所が見たところ、屍は胸に補子(役人の位を示す四角い刺繍の布)を付けた長い上着を着て、帽子から黄色い札を垂らしていました。場面の画像では、帽子は清の役人のもので、札は顔の前に垂れていました12。
  • 札を貼ると止まる決まりは、作り手が「自分たちの創作だ」と語っている。1985 年の『殭屍先生』(日本の題は『霊幻道士』)に出た錢小豪(チン・シウホウ)は、札を貼ると殭屍が動かなくなるという決まりは自分たちが作った、と語りました13。
  • 研究所の整理では、跳ねる・札・官服・両腕は、別々の所から来て、1980 年代の香港映画で一つの姿にまとまった、と見ています。ただし、映画のどの場面で初めてそろったのかは、まだ確かめていません未解決の問い。

この記事で「今回読んだ範囲」というのは、研究所が 2026 年 10 月 28 日までに集めて読んだ資料と、11 月 4 日に見た『茅山殭屍拳』の画像のことです。

この記事で使う三つの言葉

  • 跳ねて進む: 両足でぴょんぴょんと跳びながら、ある所から別の所へ移っていくこと。この記事の問いは、この動きです。
  • 跳ね起きる・跳び上がる: 寝ていた屍が急に起き上がる、塀に跳びつく、といった、その場で一度だけ跳ぶこと。原文では「躍」「跳」の字で書かれることが多く、跳ねて進むことと混ざりやすいので、分けて書きます。
  • 走って追う: 原文で「奔」「馳」などと書かれる、人を追いかけて走る動きです。

物差しの 1 話「批僵屍頰」

話はこうです。桐城(とうじょう)の錢(せん)という男が、夜更けに酒に酔って馬で家へ帰る途中、墓の多い所で、林の中から跳ねながら近づいてくる者に出会います1。その者は、髪を振り乱し、はだしで、顔は白く塗った壁のようでした7。

錢が酔った勢いで頰を打つと、その頭は打たれるたびに回り、しばらくして元に戻りました。糸で操る木偶(でく。あやつり人形)のようだった、と書かれます。後ろから人が来ると、その者は退いて林の中で消えました。翌日、錢の手は墨のように黒くなり、黒みが抜けきるまで三、四年かかりました14。

あとで土地の者に尋ねると、「僵屍になったばかりで、まだ出来上がっていないものだ」という答えでした15。

この 1 話から、物差しとして三つのことを取り出しておきます。

  1. 跳ねて進む: 跳ねながら近づいてくる。これは、はっきり書かれています1。
  2. 姿: 髪を振り乱し、はだし、白い顔。服・冠・札・腕の形は書かれていません7。
  3. 呼び名: 跳ねる者を「僵屍」と呼ぶのは、出会った本人でなく、後で尋ねた土地の者です15。

ここからは、この話の動きや姿を、ほかの資料に描かれた屍と比べていきます。

清の怪談の屍は、ふつうは走る

走って追う屍

先の 2007 年の論文(馮藝超「《子不語》正、續二書中僵屍故事初探」)は、『子不語』と『續子不語』の僵屍の話を通して、跳ねながら進む場面は多くなく、人を追って走る場面のほうが頻繁に出る、と述べます3。

同じ清の『聊齋志異』の「尸變」でも、夜中に起き上がった死体は、逃げる客を「馳」、つまり走って追います。跳ねるという意味の字は、この話に一度も出てきません8。

物差しと比べると、跳ねて進む「批僵屍頰」のほうが、清の怪談の中では珍しい形だということになります。

跳ね起きる屍

一方で、その場で一度跳ぶ屍は、たびたび書かれます。

  • 『子不語』卷十三「僵屍貪財受累」では、書生が後ずさりするたびに屍が一度ずつ跳ね上がり、窓を開けると、外から窓を越えて跳び込んできます45。
  • 卷十「鞭屍」では、妖法で操られた屍が再び跳ね起き、授かった鞭で打たれて倒れます16。
  • 卷十「綠毛怪」では、廟(神をまつる建物)の神座(神をまつる台)の下から何かが跳び出し、その正体は緑の毛に覆われた屍でした17。
  • 紀昀(きいん)の『閱微草堂筆記』卷十は、僵屍を二種に分け、その一つを、まだ棺に納めていない新しい屍が急に跳ね起きて人を捕らえる型だと説明します6。

どれも、物差しの 1 話のように「跳ねながら移動する」のではありません。起き上がる、跳びつく、跳び込む、という一度きりの動きです。

ほかにもある、屍が跳ねる場面

林から跳ねてきた、はだしの者の話のほかにも、屍が跳ねる場面が少しだけ見つかります。

  • 『子不語』卷十二「兩僵屍野合」では、棺の蓋を盗まれて戻れなくなった屍が、楼の下へ駆け戻って、跳ねながら鳴き声を上げます18。
  • 『續子不語』卷三「犼」では、ふだんは大股で踏みしめるように歩く屍が19、川を渡れずに行きつ戻りつした末、三度跳ねて獣の姿に変わり、去っていきます20。
  • 『閱微草堂筆記』卷七には、ある医者が若いころ、僵屍に抱きつかれそうになった話があります。医者は高い木の梢に跳び上がって逃れました。僵屍は、その木の周りを跳ね回ったといいます21。
  • 清の李慶辰(りけいしん)の『醉茶誌怪』卷四「屍變」では、村の祭りで、大勢が真昼に芝居を見ています。そこへ、冠と袍(長い上着)を着けた人が跳ねながら来ます。その人は目を閉じ、物を言わず、担ぎ棒を抱えています。見分けた者が「亡くなったばかりの、どこそこの家の爺さんだ」と言い、人々は煮えたぎる鍋のように乱れて逃げました22。

この『醉茶誌怪』の話は、物差しと比べると目を引きます。跳ねて進むことは同じですが、こちらの屍は冠と袍を着けています。ただし、本文は冠と袍としか書いておらず、それが清の官服かどうかは分かりません22。

跳べない屍

逆に、跳べないことで人が助かる話もあります。

  • 『續子不語』卷八「屍變」では、男が窓から飛び降りて逃れると、屍は跳べず、その場で硬くなって動かなくなりました23。
  • 許奉恩の『里乘』卷三では、追ってきた者は塀に三度跳びついても届かず、顎を瓦に掛けて宙に吊られたまま朝を迎えます24。
  • 俞樾(ゆえつ)の『右臺仙館筆記』卷六では、城の上の人に気づいた僵屍が跳び上がろうとすると、大工たちが女墻(城壁の上の低い壁)に墨の線を弾き、僵屍は上がれなくなりました25。

先の論文は、僵屍は体が硬く手足の関節が不自由なので、塀を越える・木に登る・梯子を上る・水を渡ることができない、と、話の描写からまとめています26。ここで挙げた話では、屍が高く跳べないために、追われた人が逃れることができます。

なお、徐珂(じょか)の『清稗類鈔』の迷信類を読んだ範囲では、「僵屍」の字と、跳ぶ・躍るの字が同じ文の中で結びつく所は見当たりませんでした27。

通説を確かめる:「体が硬いから跳ねる」のか

キョンシーが跳ねる理由としてよく聞くのは、死んで体が硬くなり、膝が曲がらないから、という説明です。

辞書が言うこと

台湾の教育部の辞書は「殭屍」を、乾いた土や防腐の設備などのために硬くなって朽ちない死体と説明します28。日本のデジタル大辞泉も、キョンシーを「硬直した死体」と定めます。ただし、跳ねる動きやその由来には触れていません29。「硬い」までは辞書にありますが、「だから跳ねる」はありません。

怪談が言うこと

清の怪談には、硬いはずの屍が走って人を追う場面があります。『聊齋志異』「尸變」の死体は、最後は木を抱いたまま硬くなりますが、それまでは客を走って追っています830。『子不語』『續子不語』でも、走って追う場面のほうが多いのでした3。

硬さが動きに結びつけられるのは、高く跳べない・塀を越えられない、という形です26。小説『蜀山劍俠新傳』でも、主人公は、殭屍の体は鉄のように硬いが、こわばっていて高くは跳べない、と見ています31。

確かめた結果: 今回読んだ資料では、「体が硬い」ことは「高く跳べない」理由として書かれ、「跳ねて進む」理由としては書かれていませんでした。今回読んだ清の怪談には、体が硬いから跳ねる、という説明は見当たりません。どこから出た説明なのかは、まだ分かっていません。

趕屍の話が言うこと

もう一つの説明は、湘西(しょうせい。湖南省の西部)の趕屍(かんし。死者を故郷まで歩かせて送ると言い伝えられる術)から来た、というものです。

  • 英語の記事「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」は、遺体を長い竹の竿で運ぶと、竹のしなりで遺体が上下に揺れ、遠目には一斉に跳ねて進んでいるように見えた、と書きます。縛り方や担ぎ方の仕組みは書かれていません32。
  • 同じ記事は、竹の竿を使わず、二人組が遺体を背負って運ぶ、という別の証言も紹介します33。
  • 2017 年に人民網に載った記事は、術者が小さな鑼(どら)を打ちながら呪を唱えると、死体が生き返ったように跳ねながらついて家へ帰る、と書きます34。
  • 湘西出身の研究者、陸群(りくぐん)の『湘西赶尸』(2006)の一節として、次のような話が紹介されています。湘西で趕屍について尋ねると、年配の人がいくつも話を聞かせてくれます。子どもまで立ち上がり、一歩ずつ、あるいは一跳びずつ進んで、僵屍のまねをしてみせるというのです35。

清の記録で趕屍の跳ね方を書いたものは、今回は見つかっていません。上の記事や本が、いつの、誰の見聞にもとづく話なのかも、まだ確かめていません。

映画の紹介文では、いつから跳ねるのか

ここからは映画です。研究所は、1979 年の『茅山殭屍拳』の劇照と場面の画像、1980 年の『鬼打鬼』の予告・ジャケット・本編(終わりの 15 分ほどを除く)のほかは、映像を確かめていません。そこで、資料館・配信・発売元の紹介文と、作り手の談話を並べます。見たものは、見たと書き添えます。紹介文に書かれていないことは、映画に映っていない、という意味ではありません。

1930 年代: 西洋の吸血鬼の姿

香港で最初の殭屍映画とされる『午夜殭屍』は、1936 年に公開されました3637。フィルムは残っていません38。香港電影資料館の研究者は、残った劇照(宣伝用の写真)から、この作品はドイツの映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)の影響を深く受けているとし、中世の服、歪んだ顔などを挙げます39。2026 年の台湾の記事は、そこから、このころはまだ「中国の殭屍は清の官服」という型は無かった、と見ます40。

1939 年の『鬼屋殭屍』41 の記録は、多数の女の殭屍が夜ごと男を襲う筋を書きますが、跳ねる・札・官服・両腕を伸ばす・道士が退治する、のどれも紹介文にはありません9。

1979〜1980 年:『茅山殭屍拳』と『鬼打鬼』

1979 年の『茅山殭屍拳』42 の紹介文は、趕屍を生業とする師弟が、九体の屍を一度に運ぶ途中で二体を見失う、という筋を書きます43。1980 年の『鬼打鬼』の 2026 年の解説には、道士は出てきますが、跳ねる動作・額の札・清の官服・両腕を伸ばす仕草の記述はありません10。

解説には書かれていませんが、研究所が『鬼打鬼』の本編を見たところ(終わりの 15 分ほどを除く)、僵屍は硬直した身体で跳ねていました。札は、道士が人形に貼り、その人形に釘を刺すなどして、離れた所から人を攻める形で出てきます。見た所までには、僵屍の額に札を貼る場面はありません。1980 年の香港の予告には、棺から出た僵屍が両手を前に突き出して跳ねる姿も映っていて、DVD のジャケットの僵屍は、つばのある役人の帽子に長い上着の姿です。

『茅山殭屍拳』の紹介文には屍の服装が書かれていませんが、画像には写っていました。香港政府が 2012 年の発表に付けた『茅山殭屍拳』の劇照と、ファンの映画評のサイトに載った場面の画像を研究所が見たところ、劇照の屍は、胸に補子を付けた黒い長い上着を着て、黒い帽子から黄色い札を垂らしていました。場面の画像では、屍が 8 体ほど夜の林に並び、見える範囲では補子の付いた上着に清の役人の帽子をかぶって、帽子のつばから赤い字の黄色い札を顔の前に垂らしています12。止まった画像なので、屍が跳ねるのか、両腕を前に伸ばすのかは分かりません。

1985〜1986 年: 札と跳ねる姿の言葉が出る

1985 年の『殭屍先生』(日本の題は『霊幻道士』)は、香港より先に台湾で 9 月 28 日から上映され、香港では 11 月 7 日に公開されました4445。香港電影資料館の解説は、この作品が香港の殭屍映画の流行を起こしたと書きます46。

この作品に出た錢小豪は、取材で、殭屍に札を貼ると動かなくなる、という決まりは自分たちの創作だと語りました13。別の記事は、どう思いついたかは忘れたが自分たちが作ったもの、という同じ人の談話を載せています47。錢小豪はまた、後の作品について、一日に何組も撮り、清の服を一着着せれば殭屍と呼ぶ作り方ではなく、手間をかけて作ってほしい、とも語っています48。

1986 年の続編『霊幻道士2』49 の英語の紹介文は、「跳ねる殭屍たちが帰ってくる」という言葉でこの作品を紹介し、日本語の紹介文は、殭屍が車のボンネットの上を跳びはねていく場面を挙げます11。同じ日本語の紹介文は、少年の殭屍が、額に貼られた札が剥がれて目を覚まし逃げ出した、という筋も書きます50。台湾の『殭屍小子』(日本の題は『幽幻道士』)の紹介文も、子どもたちがいたずらで殭屍の札をはがし、殭屍が暴れ出すことを話の発端にしています51。

いまの決まった姿

2026 年の台湾の記事(風傳媒)は、中国語の映画の殭屍の決まった姿として、清の長い上着と役人の帽子、白い顔、額の黄色い札、両手を前にまっすぐ伸ばし、跳ねて人を追うことを挙げます。そして、清の怪談を読み直しても、殭屍が両手を伸ばして跳ねて歩かねばならないとは書かれていない、と述べます52。同じ記事は、清の官服の装いが固まったのは 1980 年代に香港の殭屍映画が流行したころだ、とも書きます53。

物差しと並べると、こうなります。跳ねて進むことは「批僵屍頰」にもありました。けれども、白い顔のほかは、髪を振り乱したはだしの姿です。この話には、清の官服や額の札、両腕を前に伸ばす姿についての記述はありません7。

研究所による整理・解釈

研究所の整理

資料を時代の順に縦に並べ、跳ねて進む・両腕を伸ばす・額の札・清の官服の四つについて、書かれているか、書かれていないと確かめたか、触れていないかを升目で示した表。
跳ねて進む・両腕を伸ばす・額の札・清の官服の四つが一つの資料にそろうのは、今回読んだ範囲では 2026 年の記事が述べる「映画の決まった姿」だけです。(升目ごとの出典は、本文の注で確かめられます)

この表は、本文で挙げた資料を、時代の順に並べたものです。升目は、その資料に「書いてある」、「書いてないと確かめた」、「触れていない(まだ確かめていない)」の三つで塗り分けています。ほかに、1 話にしか出てこない「1 話だけ」、官服かどうか分からない「冠と袍」、1979 年の行で使う「写っている」(画像で見えた)と「帽子から」(札が帽子から垂れている)の印があります。

ここから、研究所は次のように整理しています。これは研究所の見方で、資料がそう言っているのではありません。

  1. 跳ねて進む姿は、清の怪談に芽がある。ただし「批僵屍頰」や『醉茶誌怪』のような少数の話で、屍の決まった動きではありませんでした。
  2. 両腕を伸ばす動きも、清の怪談にある。ただし、人や像をつかもうとする一場面の動きで、歩くときの姿勢ではありません5455。
  3. 札そのものは 1979 年の映画の画像にあり、札を貼ると止まる決まりは作り手が創作だと語っている。1979 年の札は、額に貼られず、帽子から垂れていました12。札を貼ると殭屍が動かなくなるという決まりは、1985 年の作品の出演者が自分たちの創作だと語っています13。紹介文で額の札が出てくるのも、1985 年以後の作品からです5051。
  4. 清の官服は、1936 年の映画ではまだ決まった型ではなかった、と風傳媒の記事は見ていて40、1979 年の映画の画像にはもう写っています12。それとは別に、この装いが決まった型として固まったのは 1980 年代だ、と風傳媒の記事は見ています53。
  5. ですから、問いの二つ目には、四つの姿は別々の所から来て、1980 年代の香港・台湾の映画のころに一つにまとまった、と答えておきます。1980 年の『鬼打鬼』には、本編に跳ねる僵屍が、DVD のジャケットに清の役人の姿が、もう見えます。それより前の映画でどうだったのか、どの映画のどの場面で初めてそろったのかは、映像を確かめるまで言い切りません未解決の問い未解決の問い。

もう一度、「批僵屍頰」を

最初に開いた 149 字に戻ります。林の中から跳ねて近づいてきた者は、白い顔をしていましたが、髪は振り乱したままで、足ははだしでした。頰を打たれると、頭は糸で操る人形のように回って戻りました714。

映画のキョンシーを思い浮かべながら読むと、この者がどんなふうに跳ねて近づいてきたのか、気になってきます。けれども、この話には札や官服についての記述はありません。清の一夜の、名も分からない者の跳ね方が、のちのスクリーンの跳ね方と同じものだったかどうかは、この 149 字だけでは決められません。

まだ分からないこと

  • 『殭屍先生』(1985)の映像で、殭屍は跳ねて進み、両腕を前に伸ばしているか未解決の問い。両腕を伸ばして跳ねる姿は、どの映画で定まったのか。1979 年の『茅山殭屍拳』の屍は、画面で跳ねるのか未解決の問い
  • 作り手(監督・武術指導など)本人が、跳ねる動きの由来を語った記録はあるか未解決の問い。2020 年の Eureka 版の特典インタビューで語られているか未解決の問い
  • 『子不語』『續子不語』の残りの巻に、跳ねる・躍る僵屍の描写はほかにあるか未解決の問い
  • 水木しげる『続 妖怪画談』(1993)は、跳ねる動きの由来をどう説明しているか未解決の問い
  • 作り手や資料館は、殭屍に清の官服を着せた理由を語っているか未解決の問い
  • 「体が硬いから跳ねる」という説明は、どの資料に初めて現れるのか

次に読む: 尸變を読む/趕屍を読む/キョンシーの等級を読む/最初の作品を見比べる

出典

  • 袁枚『子不語』卷八「批僵屍頰」、卷十「鞭屍」「綠毛怪」、卷十二「兩僵屍野合」、卷十三「僵屍貪財受累」、卷二十二「僵屍抱韋馱」。『續子不語』卷三「犼」、卷八「屍變」。維基文庫の翻刻
  • 蒲松齢『聊齋志異』「尸變」。紀昀『閱微草堂筆記』卷七・卷十。許奉恩『里乘』卷三。李慶辰『醉茶誌怪』卷四「屍變」。俞樾『右臺仙館筆記』卷六。徐珂『清稗類鈔』迷信類。『蜀山劍俠新傳』第 6 回。維基文庫の翻刻
  • 馮藝超「《子不語》正、續二書中僵屍故事初探」『東華漢學』第 6 期(2007)
  • 教育部『重編國語辭典修訂本』「殭屍」。『デジタル大辞泉』「僵屍(キョンシー)」(コトバンク)
  • 「A Mystery in Western Hunan: Walking Corpse」。人民網「让逝者“行走”?古代湘西“赶尸”背后的真相」(2017)。腾讯新闻「湘西赶尸,口诀竟是文天祥的《正气歌》」(文史宴、2024)
  • 吳月華(香港電影資料館《通訊》第 74 期、2015)。香港電影資料館の上映プログラム解説(『殭屍先生』2017、『鬼打鬼』2026)
  • 香港政府 Hong Kong Film Search(『鬼屋殭屍』『殭屍先生』)。Apple TV 台湾『茅山殭屍拳』作品頁
  • 香港政府新聞公報(2012 年 10 月 30 日、香港電影資料館「銀幕魅影:香港鬼片」)に付いた『茅山殭屍拳』の劇照。Silver Emulsion「The Spiritual Boxer Part II (1979)」(2024)に載った場面の画像
  • 錢小豪の談話(2020 年の香港・台湾の記事 2 本)
  • Fortune Star『Mr. Vampire II』カタログ。ツイン『霊幻道士2 キョンシーの息子たち!』カタログ。『殭屍小子』の台湾と日本の紹介文
  • 魏甫丞「殭屍為什麼總是穿清朝官服?」風傳媒(2026)

注(出典と、原文の該当箇所)

各注の頭の色の付いた印は、その記述が「資料の記述」「作品内の設定」「研究所の整理」のどれにあたるかを示します。原文との照らし合わせがどこまで済んだかは、印の無い注ではどれも「人が訳と説明を確かめた段階(人による原文の照合はまだ)」です。それと違う段階の注にだけ、その段階を示す印を付けています。

  1. 資料の記述
  2. 資料の記述
  3. 資料の記述
  4. 資料の記述
  5. 資料の記述
  6. 資料の記述
  7. 資料の記述
    • 子不語 卷8 子不語 卷八「批僵屍頰」第 1 段(「見樹林內有人跳躍而來,披髮跣足,面如粉牆」)
  8. 資料の記述
  9. 作品内の設定
  10. 資料の記述
  11. 作品内の設定
  12. 資料の記述 AI が読んだ段階
  13. 資料の記述
  14. 資料の記述
    • 子不語 卷8 子不語 卷八「批僵屍頰」第 1 段(「手批其頰。其頭隨披隨轉,少頃又回,如牽絲於木偶中」から「三四年後,黑始退盡」まで)
  15. 資料の記述
  16. 資料の記述
  17. 資料の記述
  18. 資料の記述
  19. 資料の記述
  20. 資料の記述
  21. 資料の記述
  22. 資料の記述
  23. 資料の記述
  24. 資料の記述
    • 里乘/03(卷三) 里乘 卷三「溧陽史仲皋言三事」、一つ目の話(「鄉里有某生者」以下)
  25. 資料の記述
    • 右臺仙館筆記/卷06 右臺仙館筆記 卷六、維基文庫の編集用の本文で 43 行目の段落(「木工石工所用之墨線」で始まる段)の結び(「俄見城上有人」以下)
  26. 資料の記述
  27. 資料の記述
  28. 資料の記述
  29. 資料の記述
  30. 資料の記述
  31. 資料の記述
  32. 資料の記述
  33. 資料の記述
  34. 資料の記述
  35. 資料の記述
  36. 資料の記述
  37. 資料の記述
  38. 資料の記述
  39. 資料の記述
  40. 資料の記述
  41. 資料の記述
  42. 資料の記述
  43. 作品内の設定
  44. 資料の記述
  45. 資料の記述
  46. 資料の記述
  47. 資料の記述
  48. 資料の記述
  49. 資料の記述
  50. 作品内の設定
  51. 資料の記述
  52. 資料の記述
  53. 資料の記述
  54. 資料の記述
  55. 資料の記述
    • 子不語 卷22 子不語 卷22「僵屍抱韋馱」第1段、「僵屍伸兩臂抱韋馱神而口咬之」の一文